第5話


       ∞


「調子良いっすね、高さん」

 いつもの賞賛の声。飽き飽きなんだ。と、心の内で吐き捨てる。時間をチェックし、空中に浮かぶ画面を強制終了させて、立ち上がる。

「……ごめん、ちょっと帰るわ」

「また? ちょっと高さん、皆を待ってから帰ってくださいよー」

 そう言う部下の言葉も無視して、高と呼ばれた男は、早々と用意して帰った。否、違う場所へと向かったのだった。 


       ∞


ガラスの扉を通り、認証口へと手をかざし、中へと入った。

 すると、扉に挟まってからずっと、接客業に携わるメルの後姿が認められた。と言っても、皆、仕事に勤しむ時間であるので、メルしか見受けられない。




 メルとの出会いは今から三年前。仕事帰りにガラスに穴が開いているのを知り、そのまま探検家気分で中に入ったのが、きっかけである。

ガラスや認証口はまさしく、探検する時のように、わくわくして入ってもらいたいからだそうだ。

そして、中に居た少女に、心奪われることとなった。長い睫毛に、伏せられた瞳、ゆらゆらと心細げに揺れる視線。思わずその興奮した腕で、抱き締めてしまったのも無理はない、と男は思っていた。別に酒を飲んでいたわけでもなかったが。

「びええっ」

 と、泣き出したメルに惑っていると、大笑いしながら、メルとは違う涙を拭うケイがやって来た。

「えらく大胆な人ねえ、あはは! お名前は?」

「あ、こんにちは。えっと、その、そんなに泣かないで。ごめん、いや、ごめんじゃないけど。好きだ、好きなんだよ君のこと、いやあの、急で悪いんだけどね」

「ちょっと。落ち着いて、お客さんも姉さんも」

 この後彼がメルに、淡々とした、厳しい説教を食らったのは言うまでもない。 



 ここ『エデンの園』は、知識専門にやり取りされている店で、つまりはお金の代わりに知識が用いられるということになる。過去を忘れたい者、未来を知りたい者、その逆の人。そういった多くの人がここに訪れ、その願いを叶えるべく足を運ぶ。しかし、その為にはそれ相応の痛みを受けることをわかっての上である。

「痛みはね、どんなに覚悟を決めても、怖いものよ」

 会員として認めてもらう為に、薄っぺらな紙に記入させられた。紙という資源はかなり貴重なものなので、彼女らがどこからどうやって得たのか不思議だった。そしてそれをこんなことに使用する神経を疑った。売れば遊んで暮らせる、まではいかなくともかなりの収入になるはずなのに。

 そんな紙に恐る恐る字を連ねて行く。偽名でも良いということだったので、適当に思い浮かんだ上司の苗字を使わせていただく。

久しぶりに字なんてものを書いたので、妙な気分であった。我ながら蛇の抜け殻のような字だった。それを流し目で見たケイは、向きも確認せず判を押した。逆さだった。

「これが証明。私たちは商売以外での情報提供はしませんっていうことになるの。まあ絶対にそんなこと、出来ないんだけどね。外に出たら、言葉使えなくなるから」

「どういうこと?」

「私たちは外と内とで、使う言語が変わるってこと。バベルの塔の話、知らない? 一応ここ、それを模倣して作ってあるんだけど」

 後日調べた所、バベルの塔とは、人間たちが積み上げた塔で、

――知識は常に液体の形をしている。これはメルの発言だ。

それを知識管理者であるメルが、自分の体に注いでいき、知を蓄えていく。その雫を絞り出すために、人々はこれ以上ない苦痛を必死で耐える。

 その人の知識の重要さにより、渡される知識の量は変化する。知識が欲しい、となれば、自身の持っている情報を搾り取り、管理者――ここではメル――に渡す。

 雫形に具現化させることで、その人物が渡した情報内容が薄れる。思い出しにくくなるということだ。

それでも、と、ここに足を運ぶ者は少なくない。

先述にあったように、何かを忘れたい人間は、何度もここに通って、忘れたい記憶を繰り返し抽出してもらい、ほぼ完全に薄れたことを、忘れたということにしている者もいる。

この店はかなり前から密かに営まれ、場所を転々としているらしいが、形はほぼそのままらしい。この巨大な建物をどうやって転々としたかは、尋ねたがまだ聞いていない。

ただ、メルは先代から受け継いだ知識も頭にあるらしいということだけ、知っていた。

「僕は、君に二十四時間いつでもどこでも、君のことを考えてるってことを知っていて欲しいんだけど、そんなことも出来る?」

 通い詰めた日々の中での、ある日のこと――イコール最近。そう申し出ると、いつものように潤み、それを隠すかのように伏せている目で、こちらを見上げて、

「出来ないことはない」

 とだけ告げた。覗く肌は全て赤く染まったのを覚えている。

それから、『現在』の扉に入り、痛みを堪えて終了したところ、ケイが早くにボタンに触れてしまい、挟まり、ロロに会う度、挟まった人呼ばわりされる。




「――よく考えれば、メルちゃんに拒絶されても、文句言えないや」

 何で話し掛けたりしてくれるんだろ、もしかして僕、好かれてるのかな、うわ、嬉しい。

などと、一人でにやけ面のままメルに寄って行くと、メルは机の上にあるコップへ手を伸ばした。

(あれ、僕のコップじゃ?)

 誕生日にプレゼントしたコップは既に、彼専用物として使用されている。それはここの常連ならば周知の事実である。いつも頼む橙の液体も、中に注がれている。

「我が腕に抱かれ、そして眠れ」

 メルはそう惚れ惚れするように呟いて、自身を自ら抱き締めた。何かの演劇でも真似しているのだろうか。

(というか、僕の考えは二十四時間わかる訳でしょう? 何で気づかないんだ? 今から行くって言ったはずなのに)

「そう言って貰えるといいね」

 ケイが、休憩のため、ちびちびと液体を飲むメルに向かって微笑みかけた。この姉妹が仲良く和んでいるのが珍しかったので、観察してみた。

「……うん」

 コップを抱えるメルは、まるで子どものように頷いた。頬が赤くなっていると、年相応に見えて、可笑しかった。らしくない。

「姉さん、命令形の告白、好きだものねえ、ふふ」

「……私、嫌われてるかも」

「え、ちょっと、急! そんなわけないわよ、冗談よして」

「だ、だって! 誰にでも優しい、し。誰にでも笑顔、だし。――ケイと一緒にいるといつもケイのこと見てる、し……!」

「心配しすぎだって。絶対姉さんのこと好きだって」

 どこか困った表情のケイは、ふっと扉の方を見た。その視界には、丁度彼も入る

ことになるが、いつもの笑顔が引き攣ったのを、見逃さなかった。高は疑問に思っ

て、後ろを振り返った。

「いらっしゃいませ。研究員の方がわざわざ、どうしたのかしら」

 白衣を着たケイよりも背の高い男。見た目は若く、二十代前後であろうと観察する。

男は迷いなく、メルに大股で近づいて、言い放った。

「右腕に<P-400>と書かれた青いロボット。――今はロロと名乗っている機械の過去を教えてくれ。その代わりに――」

 普段通りのメルに戻った。狐の如く、惑わそうとしているのだろうか。

「見合わないと、許可出来ない。それがここのルールだから」

「わかってる。――その代わりに、識別番号<6-VI>、リラと名乗っている者の過去を教える」


       ∞∞


「また、ベンチの上でぶらぶらか」

「見てロロ、今回は水じゃないよ。火だよ!」

「そうだね。でも、全然熱くないや」

 落下した後、辿り着いた場所は火の海であった。赤々と勢いよく燃えているのだが、熱は感じられなかった。水の時と同じだ。火の粉が飛び散り、火は暴れ狂って、僕らの足などに挑んで来るが、何も感じられない。干渉されない。

これは、メルの感情の動きが原因で起こるわけではないようだった。何故なら、彼女は誰かが遊びに来るのか、始終嬉しそうだったからだ。嬉しいと火が表現してくれるのかという可能性は、無いわけじゃないが。

「過去には、干渉出来ない。全てはリセットされる」

 メルはぽつりと、そう言った。

けれど。未だリラの指にある赤いリボンは何だ? 

どうして手に出来ているのか。袋は返って来たのに。――それに。人形を連れて帰れ、という宿主の願いは、絶対に叶わないものだということなのか。僅かに疑問が残る。

「あ、渦。発見です、隊長」

「え?」

 心の準備もなく、ベンチは火の中へ飛び込んだ。――深く考え過ぎてばかになるなら、考えるなというお告げだろうか。


       ∞∞


 気づけば、小さな城の中庭に着いていた。どうして城とわかったのかは、背後に小規模な城が建っているからだ。どうして中庭なのか、あまり手入れされていないが、何となく憩いの場らしかったからだ。今思うと中庭、は不似合いな気がしてきた。いくら何でもこれはないか。正しく、荒地であった。草も好き勝手に茂っている。

「うわあ」

 尻餅をついた時、汗の雫が空中に散った。気温はそこまで高くはないので、直前まで運動していたことを推定する。休憩をあまり取っていないのか、上気していた。

 男は遠慮なく、こちらをじろじろと観察して来た。なので、対抗して僕もズームしたり、遠目にしたりと繰り返してみた。

男は、黒い鎧を身に纏い、両手にはそれぞれ小刀を握っていた。瞳は夕日のような橙色で、真っ直ぐ、強く、輝いているのが印象的だった。好印象。

「椅子が……空から、人と鎧が……空から」

「鎧じゃないよ」

 面倒なことを言いかけた口を、強引に左手で押さえた。ここでわざわざ訂正しなくとも、鎧を着てるということで説明が終わるなら、それでいい。ロボットであることに誇りは無い。僕は早口で言った。

「最新の鎧なんだ」

「何だ、へえ……、そうなのか。俺はサイドって名前なんだけどさ。ここの兵。結構、高い地位に居る。全身鎧とか格好良いなあ! なあなあ、空から落ちるのってどんな気分?」

 物騒に光る刀を仕舞い、近寄ってきた。

「僕はロロ。彼女はリラ。――いや、ずっと前からここに居ただろ? 疲れてるから、立ったまま寝てたんじゃないの?」

 色々と面倒になりそうだったので、嘯くことにした。単純そうな子だし、騙せるだろう。

事実、サイドはすぐに納得して、屈託ない笑顔をこちらに向けてきた。リラに笑い返すよう合図しかけて、サイドの表情が一変して焦り始めたので、たまらず問うた。

「どうしたの?」

「ごめん、俺の王が帰ってくるんだ」

 所有物のように称された王。リラは早くも空を仰いでいる。ここの空は僕らの世界と同じ、朝は青色に染めていた。

「王を迎える時は、正装じゃないといけないんだ。俺、行くわ!」

「あっ、ちょっと」

「何だよ? 急ぐんだけど」

「僕もその、君の王様に会いたい」

 僕の過去が、王様だということはまず有り得ないだろうが、僅かでも可能性があるのならすがりたい。チャンスは今回を含めて二回。無駄には出来ない。

「……お前ら、もしかして余所者?」

 一瞬詰まっただけだったが、肯定と取られてしまった。次第に、サイドの目が疑心に満ちてくる。さすがに無理か、と思った時であった。

「そっか。俺と同じか! だよな。余所者でも、王、見たいよな!」

 けろり、と再び笑ったサイドは、こっちに来いよ、なんとかしてやる、と僕の肩に手を回して歩き出した。リラも後ろから追いかけてきた。こちらは何も訊いていないのに、彼は自ら語り出してくれた。その情報から、僕の過去の持ち主ではないことが確認出来た。少なくともここまで陽気ではいられないだろう。もっと、落ち着いた性格だった――、気がする。

「俺は今の王に助けてもらったんだ」

 城の中へと入ると、蜘蛛の巣までは存在しないが、結構ガタがきた建物なのがわかった。屋根は薄くなっていたし、床も汚い。掃除が行き届いていない。リラはきっとこんな不潔な場所が初めてなのだろう、足場を探しながら前進する。脱いだ服までも置いてあるのだから、驚いてしまう。

「そん時、俺、悪ガキだったわけ。根っこがもろ腐っててさ。世界なんて狂ってる、消えちまえ、俺が壊してやる的な。要は、ものすっげえ恥ずかしい考えを持ってたんだ」

 とある部屋に案内される。外と同じくらい荒れていた。泥棒が入ったみたいだった。それからサイドは引っ張り出した赤い布を、こちらへ投げて来た。布――フード付きのマントを二着。着ろ、と指示するので、これが正装かと考えていると、リラがこちらを窺ってきた。

「あ、ごめん、着せてくれる?」

「うん。いいよ?」

 赤頭巾のように、頭を赤色で包み、ボディの青色を少しも見せないように、布が巻かれていく。大きなボタンが一列に並んでいく。

リラも同じようにフードを被り、首の前で紐を結んで固定した。やはり、赤ずきんちゃんといった女主人公の類は彼女で決まりだ。

「本当は俺、ここの国民じゃないんだ。お隣のエリエ国で生まれたんだ。でも、その時からやんちゃで、常に反抗してきてさ。親も放置でさ、それがまた、腹立ってさ……。無茶苦茶な話だろ? 勿論今は、本当に反省してるし、後悔もしてる。 

――だから。今までやってきたこと反省して、親幸せにしようとしたんだけど、もっと歳取って、本当に反省してからにしろって言われたんだ……。

じゃなくって、ある時、仲間無理やり誘ってこの国に喧嘩仕掛けたわけ。喧嘩なんてもんじゃないんだよな、実際。そんな可愛らしい話じゃないんだよな。今でも思うよ。本当、殺されてもおかしくなかった、ガキだからって許される範囲、とっくに越えてた。

でも、その時優しく返り討ちにしてくれた人が、王だったんだ。太陽みたいに明るい表情で、『生きていたくないのか?』って。脅された。ばかみたいに強かった。仲間は逃げてった。俺は悔しくてそのまま睨みつけて、手元にあった石、投げつけたんだ」

 鎧の下に着ていた服をベッドの上へ放る。服の山が出来ていた。締まった体だった。きっと毎日まいにち、訓練づけで鍛えているのだろう。所々傷が残っていたのが、目に付いた。

「俺、ばかだよ。石投げるとか、本当、……死にたい。……王様だって言ったって、王は――」

「おい、早くしろ! もう、王がお帰りになったぞ!」

 外からの声に、飛び上がったサイドは、机の上に、唯一綺麗に畳まれてあった服に、新しい皺を作って着込み、勢いよく扉を蹴りつけた。扉は明らかに凹んだ。

「こっちだ!」

 走り出したサイドについて行けず、大股に歩いた。リラが小走りのまま、スピードを落として側に居てくれた。どこも曲がらずに、真っ直ぐ駆けるので、視線の先に必ずいた彼を見失うことはなかった。

 不潔から一変、だだっ広い場所へ辿り着いた。床は光を反射するほど、綺麗に磨かれており、滑りそうだった。体の向きを左にすると、玉座が一つだけ用意されていた。これもまた、どこもかしこも赤い色をしていた。薔薇の飾りで埋め尽くされているようだった。そして、扉の前には、赤い絨毯。絨毯の両端には、ここでもまた薔薇が敷き詰められていた。ここの国のシンボル的植物なのか。

 広い空間には、赤いマントの人間がかなりの数で集まっていた。男性が多いが、ぽつぽつと女性を確認出来た。皆、どこかそわそわと落ち着かない様子であった。サイドなんかは、近くで見ようと、人だかりの中へ割り込んでいった。僕がどうしようか迷っていると、

「こっち!」

 とリラに呼ばれたので、そちらへ歩み寄る。上手に人の間を縫って進み、窓の隣まで移動した。透明な窓の外から、鎧が何かを守護するように囲みながら、進んでくる集団があった。その集団は皆、赤に染まっていた。肌や目、髪といったもの以外、全てが赤一色であった。

「あ、目が合った」

 うげえ、と顔を歪めて、嫌そうな顔を浮かべる。

「うそ。どんな感じ?」

「うーん。固定観念を感じた」

 どういう意味、という音声を飲み込んだ。え、と声が漏れた。

「ありがと、帰ってきたぞ」

 手を大きく振る女性の姿に、歓声が沸いた。その場の興奮といったらもう。熱気の篭もる、女性を称える声。呼吸をせずに叫んでいたらしく、その場で卒倒する者まで存在したので、驚愕する。

気づけば僕らは女性から大分離れた場所に追いやられており、そこで初めて一息吐けた。

女性は、凛々しく、威厳のある者のように堂々と、絨毯の上を歩いて行った。短い白髪の上に小さな帽子、そして赤い瞳。アルビノの人だ。額には赤く輝く宝石が、耳には真紅の布を耳飾としてつけていた。マントを翻し、周りに笑みを送る姿は確かに目を奪われるものであった。

「リラも見たい」

「珍しいな。じゃあ、高くなってあげようか? 確かここをいじると……」

 両足が伸びた。リラを抱えるのを忘れたので、自分だけが高く伸びることとなった。皆、女性に集中しているので良かった。ほっと息を吐いていると、一度は驚いた女性が、にこやかに手を振ってきた。僕も手を振り返した。……さすがだ。

「ばか! ロロ、もう見たくないから! 戻って! 早く! もう、嫌!」

「ごめんごめん」

 戻ってくると、リラの『見たくない』に反応した人が、唖然としていた。

「ば、ばけ、化物――……」

 失神された。随分弱い人だな、と思う。他の人は、叫びすぎたのだと勝手に判断して、再び視線を戻した。

「ね、あの女性が王様……?」

「そうとしか考えられないよ」

 女性は玉座の前で振り返り、叫んだ。

「ただいま。今回も上々だった。この調子で行くと明日には終わるッ! ずっと待っていた休息の時が、もう目の前にあるわけだ!」

 うおお、と恐ろしい程の音が、空気を激しく振動させた。

隣を見れば、迷惑そうにリラが耳を塞いでいた。

「以上、報告終了。解散ッ!」

 言い放ち、玉座に座る女性。勿論、解散する者など居なかった。そのまま、玉座まで詰め寄り、騒ぎ始めた。その中心にはサイドが居たので、案の定、と思う。

 王は、女性であった。それも、熱意の溢れた、美しい女性であった。

「ねえ、顔に石投げたって言ってたでしょ? 今も残ってるのかな」

「ちょっと待ってね」

「別に確認しなくていい! ほんのちょっと、疑問に思っただけ!」

「いや、僕が気になる」

 あった。しかし、遠目ではわからなかったが、彼女の顔は綺麗であった。ただ、一つだけ大きく(実際は小さいのだが、あまりにも綺麗なので目立つのだ)存在したのは、右目のすぐ下の傷だった。形は何故かバツ印になっていた。石を投げてこんな形になるとは、思えない。一つは彼がつけたにしても、もう一つは誰かであろう。

「あったよ。でも有り得ない形してるや」

「そっか」

「珍しいね、リラが興味持つなんて」

「……もってない」

「別に嘘吐かなくたって」

「もってないって。ただ、あんな熱心な部下を持った人はどんな人か、見たいと思っただけ」

 しばらく場の興奮は冷めなかった。冷めようとしても、また爆発するように熱くなって、静まらない。王もそれを嫌悪せず、嬉しそうに笑っていた。その笑い方がどこかサイドに似ていた。

「リラもあんな風に笑えばいいのに」

 この喧騒の中、届かなかった言葉は幾度とある。その中の一つに入ってしまったのが、少々残念であった。二度は、恥ずかしいので口にはしないが。

 ようやく、サイドが帰って来た。言うまでも無く、興奮覚めやらぬ様子で、視線は常に天井に向けられて、虚ろであった。

「阿呆っぽい」

 彼女の言葉に、大いに賛成だった。 


       ∞


 緊張した空気の中、メルは客接待の口調になって、説明し始める。テーブルに座らされた男は、ただ睨んでいた。

「ロロさまの過去は、確かにある。けれど、実際に雫を渡すことは出来ない」

「何でだよ。条件に外れていたら、情報提供を受けられるはずだろう。<P-400>の過去は制限を設けていないはずだ」

 ケイの近くへ静かに寄って、交渉成立の意味を尋ねた。ケイは視線を二人に置いたまま、あまり口を動かさずに小声で教えてくれた。

「杉田さんには新出単語だったっけ。

――交渉。私たちが知識を預かることで、他人の知識を乱用することが出来てしまう。だから、それを制限する為に、お互いの意思を交換することよ。姉さんは瞬間的に、持っている知識に、様々なロックを掛けられる。雫として他人に渡してはいけない、他人に話してはいけない、とかね。とある人間のみ、聞かせていい、もしくは渡しては駄目とか、そういう細かいロックもたまにあるわ。ロックに引っ掛かれば、残念ですが無理です。という話になってくる。

ちなみに雫にすると、姉さんが持ってる知識より、ぼんやり薄れてしまうの。ナイフとかわかる? 刀を知識だとして、切るものを人とでもしようかしら。そうすると、使う度に微々たるものではあるけれど、刀の切れ味――要は鮮明さが消えていく。知識はぼんやりとした薄いものに成り下がってしまうの。だからといって、同じナイフをもう一度作ることは出来ない。雫化にするのは、一度が限度。ただ、他人からほぼ同じ情報で雫にすることは可能よ。一人、一情報、一雫化。一人の人間がいくつも雫化することは勿論、可能だからね。少し難しいかな?」

 でも。という逆接に、メルの説明が乗っかった。

「ロロさまは、過去を無くしている。それを、すごく嫌がっていた。そこで、三年の月日を費やして、自身の過去をすべて雫化された。そしてそれらに並ならぬ圧力をかけて一つの果実に『形成』させた。気の狂いそうな痛みを受けてまで。ここまでの痛みに耐えようとした人も、耐えた人もあの人が初めてだった」

「それでどうして、情報が出て来ない?」

「情報はある。そう言った。ただ、通常の方と大きく違う点が、『形成』なの。彼は、一度は雫として抜き取ったものを、圧縮させて一つの個体にした。これが『形成』。無条件に雫化を禁止されてしまう行為。ストップがかかるの。――液体を固体にしただけなのに、おまけがついてくるなんて……」

「本来ならば姉さんはロロさまの雫を出せるのが道理。……なんだけど、『形成』って私たちにとって、えらく状況が変わって来る。これはね、私たちの代が作った新技術なの。まだ開発途中。だからわからないことだらけなの」

 メルが隣を一瞥して頷く。それからすぐに、再び男と向き合った。

「でも、頭の中でなら、彼の記憶を綺麗に引っ張り出して、口で説明することが出来る」

「どうして<P-400>は、自分の過去を個体なんかにしたんだ」

「……ロロさまは情報を受け取れない。何故なら口が存在しないから」

「? システムに繋げればいいじゃないか」

「そこまでまだ進んでない!」

 姉妹二人に怒鳴られて、男は驚く。

「だから信頼出来る人に、自分の過去を伝えて欲しかった。――私は信頼されてなかった。雫だと持ち運ぶだけで零れてしまうから、ってロロさまは固体に……」

「固体だって落とせば壊れるだろうが。気持ちの問題じゃねえか」

 確かにその通りだった。杉田はゆっくりと頭の中を整理する。

 まとめると、――本来の雫と、『形成』された個体とは、話が全くの別であること。雫とは、飲めばその人のほぼ (薄くなるらしいのでほぼ) 知識通りに、とある場面を知ることが出来る。しかし、新技の『形成』は、雫を固めて一つの物体にする。そうしたら、雫化が出来なくなってしまった。だから、メルは知っていても、雫として受け取れない。――大体、こんな感じだろう。

 ふと、メルの声が頭の中に響いた。

(その通り)

(うわっ、聞いてたの)

 メルには、いつでもどこでも、彼の考えが送信される。返信するのは、メルの気分次第だが。

(私のよりもわかりやすい)

 褒められたのだとわかって、有頂天になって、ありがとうと笑った。

 悔しそうに俯いた男は、ぎっとメルを睨みつけた。その男に、ケイはこれからを問うた。すると、

「――すまないが、頼むよ」

 本当に嫌々ながら、といった風に頭を下げた。

「私で良いの」

「良くはない! ……でも」

 それ以外方法がないだろ。力無く言い捨てられた。

「――わかった。場所を変える。そこで詳しく説明する」

 でもその前に、とメルは言葉を区切った。

「貴方の持ってる知識、頂くわ」

 その表情は、彼から見ることが出来なかったが、目がぎょろり、と開き、唇が裂けそうなほど広がって、おぞましい笑顔を形作った。

ケイは重い溜息を吐き、男は内心で思った。

(なるほど。知識屋なんて営む理由がわかった。この小さい体には、膨大な〝知識欲〟が、底無しに存在しているんだ)

 

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