第4話
∞∞
「リラ、お願いがあるんだ」
「うん、いいよ」
寝ぼけたリラは大きくゆっくり頷いた。
「お金持ってる?」
いやな人の言いそうな台詞だ。リラは子供のように答える。
「持ってるよー」
「たくさん? いっぱい? 借金返せるくらい?」
「何が欲しいの? お金あるよ。リラが買ってあげましゅよ」
呂律が回っていない。そして頭も回っていない。何で急に赤ちゃん言葉になるんだよ、と、溜息交じりに僕は今までのことを簡単に話した。特に力を入れて、僕からのお願いについて。出来るだけ理解しやすいように努めたつもりだ。
「へえ。一度も。契約したことがない子。いるんだ」
「らしいよ。あと、リボン貰った」
「赤色だ」
僕の指からリボンを抜き、自分の右の人差し指につけ替えた。僕のサイズに合わせた輪の形で、小さな指には幾分、ぶかぶかなようだった。
部屋を出るなり、僕らは宿主の所まで一直線に向かった。そして、リラはポケットから包みを取り出し、机へと叩きつけた。
「ペーネという人形と、契約する」
「へ? お客さま、どうなさい――」
「契約するって言ってるの。お金もこれだけある。早くして」
言い捨てると、宿主は勢いよく顔を上げて、焦ったかのように、矢継ぎ早に言葉を並べた。
「申し訳ございませんがお客さま、ペーネという人形はサンプルのものでして、お買い上げすることが出来ません。まだ、商品となるだけのものではございませんので」
近くで呻き声がした。そして、それを罵る声がざわざわと聞こえた。きっと一度も契約したことがないのを理由に、よく虐められたのだろう、と思いを馳せる。
「サンプルでも何でもいい。欲しいから、欲しいって言ってるの。早くお金を仕舞いなさい」
包みの中は、思わず驚愕してしまう程の金額が入っている。全く、それを乱暴にポケットに詰める神経を疑う。ちらり、と目に入ったのか、ごくりと唾液を飲んだのがわかった。
「……他の人形をお勧め致します」
「何度言わせるの。早くして。もう、この店も終わりなのでしょう? いいじゃない、最後くらい。役に立たせてあげたら?」
「貴方はそれを知っていても、ペーネを買うのですか。自分が死ぬかもしれないのに」
「うん。だって欲しいから」
はっと声を漏らした宿主は、もつれる足をそのままに、箱を横抱えして、迷わずペーネの所へ直行し、箱の中へ詰め込んで鍵を掛けた。そして、その箱を勢いよく置いて、土下座した。
「お待ちしておりました、使者さま! お願いします……、他の人形、ここにある人形も全て、貴方に差し上げます。ですからペーネを、どうか彼女を一番に、大切に、持って行って下さい……。よろしくお願いします……! この子は契約済みですが、すぐ白紙に戻りますし、問題はありませんから!」
するとリラはこちらへ笑顔を浮かべた。もういいでしょう、と。戸惑っていると、相変わらず体は僕に向けながら、質問を宿主へとぶつけ出した。
「他のは全然いらない。――契約者は誰? どうして白紙に戻るの? その子は一度も契約してないんじゃなかったの? その箱は一体何? どうして閉じ込めたの? あのリボンぐるぐる巻きの意味は何? どうしてペーネを一番にするの?」
「契約者は……、俺です」
やっぱり、とリラは小声で漏らした。
箱の内側からどん、と叩いているような音が聞こえた。
「ここの人形は、僕が作っていますが……、ペーネだけは、俺が、作った人形じゃあありません。だから、契約が出来ました。俺が死んだら、契約は白紙に戻ります」
「だから?」
「――俺は今日死ぬから、ペーネを<主なる神>の所まで連れて行って下さい」
「<主なる神>……。――どうしてその名前を知ってるの?」
割り込んだ僕が聞くと、そんなことはどうでもいいと、投げやりではあったが、返答してくれた。
「昔から連絡を取り合っていただけです。貴方たちは彼女らが送ったんでしょう? つまり、今日死なない」
「そんなことより、閉じ込めて大丈夫なの?」
「……空気は入るようにしています。――彼女をお願いします。鍵は俺が持っておきますけれど。途中で開けられたら困る。最後まで、持って帰って下さい。少し思いですけれど……。無事に連れ帰って下さいよ。頼みます、俺にはできませんから」
すると、外が急に騒がしくなった。泣き叫ぶ声、激しい雨音。まるで地面を割るかのように叩きつけられる雫の音。ガラスの壁へ幾度もぶつかり、徐々に水かさが上がってくる。リラが扉から手を伸ばしてみたが、その雨粒は彼女の手をすり抜けた。やはり過去のものが僕らに影響することはないのだろうか。となると、ペーネを最後まで連れて行けるのか? そう疑問に思っている間にも、恐ろしい速さで水が浸食していく。ついには店内へと範囲を広げた。宿主は僕に箱を預けて、抱えられるだけ人形を抱え、高い場所に避難させた。それを拒む声も聞こえたが、宿主は無視し続けた。
僕らはただ突っ立っていた。水の抵抗は受けても、僕の体も、リラの服も濡れはしない。あっという間であった。橙の空を黒く覆う厚い雲は、休むことなく雨を降らせ、店内を侵した。扉は既にそれらを残らず迎えてしまっていた。宿主の服は水を吸って、重くなっている。水は彼の腰まで上がってきていた。
「ペーネを頼みますよ」
最後まで、そう叫んだ。
「俺の命なんですから。俺が作ってなくとも、俺の大切な命なんですから」
ペーネは何も言わず、ひたすらに箱から出ようとした。自分だけ助かるものか、と戦っているようだった。背の低い僕に代わって、リラがずっと箱を抱えてくれた。
「ずっと、縛られていたんです、俺。考えられない位の借金のせいで身動き取れなくて。でも、いつもペーネが励ましてくれた。小さな手で、俺の頬摘んで、『がんばって』って。俺、ばかみたいに単純だから、好きになったんだ。でも、いつ買われるかわからなかった。だから、密かに契約書を貰って、全部返金したら、二人でどこへでも行けって、約束してもらったんだけど……、駄目だった。悔しいな、二人で一緒に居たかったのにな」
「一緒にいたでしょ」
「――でも、心は一緒にいなかったんだよ。いつだって、俺とペーネは親子で、俺がずっと好きであっても、あっちは好きにはなってくれなかったんだ……」
「親子じゃないって言えばいいのに」
「言ったら! ……本当の親を探すだろ! 俺んとこから出て行ってしまう!」
『そんなこと、ない!』
雷が落ちた。それも店の中に。一瞬、ペーネに共鳴したのかと思った。
その光の中から、僕らの前までベンチが降りてきた。屋根は壊れてしまい、は変が水面に浮かぶ。かなりの大きさで壊れたのに、皆が無事なのはおかしかった。計算されているのだろうか。
リラは一瞥して、僕に先に乗るよう指示した。座ると、勝手にベルトが締まった。
水は増していく。宿主の肩まで上昇してきた。リラも爪先立ちで、箱を高く上げた。周りでは助けられなかった人形が、水の中へと沈んでいった。
「早く行けよ! ペーネが死ぬだろうが……! そうなったら、お前、俺は一生恨んでやるからな、呪ってやるから……」
「解けないリボンの意味は、側に居て欲しいっていう思いの表れ。自分がペーネを縛ってここから動かしたくない思いから」
「わかったような口振りで……!」
「箱に閉じ込めたのは、ペーネに抗ってもらいたいから。そして、悲しみに暮れさせて、一生忘れさせないため」
リラは言った。
「あなた、人形でしょう」
宿主は唖然とする。
「どうして……」
「周りの人形は水に浸かったら、そこの部位の働きが完全に消えていた。足が浸かれば、踏み込む力が無くなって、その場に崩れ落ちていた。あなたも机に凭れているようにしか見えないから」
そして、と続けた。
「この箱がこの場で開くことはないと思ったあなたの、負け」
手には例の青い棒が握られていた。
リラは箱を水面に放り捨てて、ベンチに乗り込んだ。ベンチはすぐさま上昇し、もう、何も見えなくなった。
∞∞
沈みかける箱を前進させるために、右手を犠牲にした。これで、二度と右手は動かないだろう。それでも良かった。
『貴方が捨てたって、一緒にいます』
契約は続いている。貴方を看取って、契約は終わりです。
開いた箱は舟のように進んでくれた。短時間で開錠した彼女に礼を言う。
『ペーネ……』
水は、呟いた彼の首をすっぽりと飲み込んでしまった。急いで腕を動かして向かうが、目を閉じたままの彼は、壊れてしまったかのように静かだった。体の下に机があって、何とか支えてくれているのがわかった。
『どうして黙っていたんでしょうね。たった一言で、後悔なんてしないのに。人形が人形を作ってるなんて、可笑しいです』
でも。貴方だから好きになったのに。どこかへ行くつもりなんてなかったのに。
首に巻いていたオリーブ色のリボン――あの人が似合うと言って笑ってくれていたなあ――を千切って、越えられない一線を越えようとしてみた。ここからは親子じゃないと表したかった。
『綺麗な顔』
ペーネは箱から飛び出した。彼の顔に手を当てて、そっと口づけた。その瞬間、机に載っていた頭がずれて、水の中へと沈んでいく。
最後に、唇に強く噛みつかれた感触が、残った気がした。
∞
「お疲れ様」
扉から出ると、そう微笑まれた。
神の奇跡のように溝から出て来て、水の上に浮かび、ここに戻ってくると、急にありったけの痛みが襲ってきた。金属の体でもこたえる。リラも俯いたまま、体を抱えて苦しみから逃れようとしていた。ミシリ、と嫌らしい音まで聞こえてきた。それを隠したくて、気になることを問うてみた。
「……<主なる神>。連絡取ってたってどういうことだよ」
メルとケイは笑った。
「人形一体持って帰って。随分昔――、私たちの代じゃない時の『エデンの園』が受けた依頼。だから、連絡取ってたわけじゃない。
まだ完了してない依頼は、次々に受け継がれていく。けれど私たちの技術では、まだ過去は変えられない。到底しばらくは未完了のまま。――でも、こちらだって苦労してるの。その過去に私は三回行った。それに、前の代や貴方たちを含めると、二十一回。その全部の回数で、人形はその過去で死んだ。だけれど、互いの思いを確認し合えたのは、貴方たちが最初だわ」
「ふうん、僕らが変えた過去なり何なり、既知ってことなんだね」
「――貴方の過去だった?」
「わかってるくせに。訊かないでよ」
リラはこちらを一瞥して、視線を落とした。ポケットは元通りに膨らんでいた。ただ、彼女の人差し指には、紅色のリボンが巻かれていた。
∞
「リラね、髪留めが欲しいな」
公園のベンチに腰掛けて、そう呟いた。
「あのさ、普通のヘアピン? ――っていう髪留めにね、手作りの、平らで軽くって、楕円みたいな青い石がひっつけてあるの! 石はそこらにあるやつを青い絵の具で塗ったようなやつでね、あんまり上手じゃないんだけど……。でも、その人がすごい一生懸命作ったのがわかる、髪留めが欲しいの」
「ふうん。えらく細かい注文だな。うん、誕生日にでもあげるよ。いつ?」
「誕生日知らなぁい」
「知らないって……。僕が十月二十三日に誕生日だから、同じ日でいい?」
「うん! ロロ、何歳になるの?」
「えっと……、ちょっと待ってね、キリの良い数字なんだ……。あ、そうだった。明後日で九百三十歳だ」
「わ、すごい数。それなら、立ってちゃ駄目だよ。倒れちゃうよ。ほら、座って」
リラがしつこく座るように誘うので、従って座ると、ぎしぎしと音が鳴って、足が折れた。つまりは、一枚の板の上に乗っている状態になった。僕が立ち上がると、勢いよく背凭れが地面に引っ付き、リラの足が宙に浮いた。きゃっきゃ、と声が上がる。
「壊れちゃった」
「直さなきゃいけないね」
「うん。今度は丈夫なのにしようね」
「――じゃあ、帰ったら買い物に行こうか」
「うん」
リラはまだ、過去へ行ったことによる疲労が抜けていなかった。僕もそうなんだけど、あまり気にならなかった。
「大丈夫? 待っててくれてもいいよ」
「待つの嫌なの。でも、待ってって言うなら、待つよ」
「……いや、一緒に来て」
早く帰って、このベンチを直してあげようと思った。
∞∞∞
「誕生日おめでとう」
「何をくれるの?」
僕にはお金があまりないから、いいものなんてあげられないんだけど、でも、あげたかったから。ほら、これ、髪留め。長い髪が少し、邪魔そうに見えたから。手作りでごめんね、少し、みにくいね。
そう相手の顔を窺いながら述べられた言葉。
「ええ、本当」
彼女は受け取った箱を踏み潰した。何度も踏みつけて、窓から外へ握り潰しながら放り投げた。僕は呆然と突っ立っていた。何も言えなかった。
「ありがとう。こんな汚いものをくれて」
髪留めにつけていた青い石が、真っ二つに割れて床の上に転がっていた。
――ドウシテ、
モウ、イヤダ……イヤ、イヤ、イヤ、イヤ――
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