第3話

      ∞∞


 夕暮れであった。次の瞬間には、それが誤りだと気づいた。

「わあ、橙色の空だ」

 そう。この世界に太陽は存在しなかった。東西南北、すべての方角を一瞥するが、あの光の塊を見つけることが出来なかった。空全体が橙に染まっているのであった。

「よいしょ」

 ベンチから立ち上がったリラは、僕へと手を伸ばした。指がある左腕を躊躇ったが、すぐにしっかりと掴み、足を地面に着かせる手伝いをしてくれた。

 僕らが立ち上がると、ベンチはそれを感知したのだろう、仕事を終えたと言わんばかりに上昇し、空を突き抜けて消えていった。この空はきっと誰かの過去が作り出したのだろうけれど。

「……大きな海を見てたからかな、ここが小さく、とても平穏に思えるよ」

 街は、空の色をもっと美しくさせようと、どこも黄色い灯りを点して、細い道を照らしていた。建物が大きくて道がやや窮屈に思えた。コンクリートではなく、赤、黄、橙、白のタイルを使って、この街の穏やかな雰囲気を生み出した。優しい色のタイルなので、目が疲れることもない。その上を歩くと返ってくるコツ、という音が心地よい。ここはとても快い。

「……全然関係ないけど、ふと、思ったんだけどね」

「うん」

「どうしてあの子から直接、ロロの過去を聞き出さなかったの?」

「結構、今更だね」

「ちょっとボーっとしてて」

「――いや、出来るなら少しでも」

 僕を作り出した僕に、会ってみたいと思って。

 そう言うと、妙に首を縦に振られた。納得してくれたのだろう。ちょっと、嬉しかった。

 街中を歩いていくと、きぐるみを着た多くの人間とすれ違った。流行でもあるのかな、と適当に考えていると、角の生えたきぐるみがチラシを手渡した。リラは片っ端から無視であった。動きにくい左手で何とか、一枚の紙を受け取って中身を確認する。それをリラは覗き見る。見たいのなら、自分も貰えばいいものを。

「人形店。何それ、変なの」

「人形を専門に扱ってるってことでしょ、多分。……どうする? 行く?」

 ふと白い鳥が集まっているのが見えた。一心にくちばしを上下に動かしていた。何かを突いているようだ。興味が湧いたので、そこへ足を運ぶ。

鳥たちは僕の音に驚いて、すぐさまどこかへ飛び立ってしまった。現在は見かけないが、昔で言う鴉の位置にいるのだろうか。ごみ箱でも置いてあるのか、と考えた。

確かにごみ箱はあったが、ごみを漁って啄ばんでいるわけではなかった。

『ありがとうございます! 本当、助かりました!』

 デジャビュ。こんなこと前にもあったな、と物思いに耽っていると、リラがその声の主を鷲掴みした。空中に浮かぶ小さな人は、スカートを懸命に押さえて、助けを求めた。なるほど、鳥の鳴き声以外に聞こえた声はこの子からか。と、疑問が解決したので、リラを制止する。

「こらこらリラ。乱暴に扱っちゃ、いけません」

「何これ、小人?」

『人形ですう! ひい、スカートが』

「ちょっと、リラ。盛大に捲れてるから。助けてあげて」

『ああ、なんてお優しいお方! うちの命の恩人さま!』

 これもまた、既視感。まさか、杉田さんの過去とか言うオチじゃないよな、と不安になる。冗談にしては全く笑えない。

 うち、と称する小人。妙にひらひらとしたドレスを身に纏う、ツインテールのビスクドール大の女の子だった。要は、ビスクドールが体を動かし、まるで生き物のように話しているということだ。鷲掴みにするのが疲れたのか、リラはお姫様抱っこに切り替えた。そうすると、見た目だけは歴とした上品な女性に思えるのだから、不思議なものである。僕が黙って観察していると、女性二人が会話をし始めた。

『あの、恩人さんの彼女さん? お名前を聞いてもよろしいですか?』

「……リラ」

『まあ、リラちゃん! 可愛らしいお名前。ああ、うちは、ツバキ言います。好きなように呼んで下さいねえ』

 独特なアクセントだな、と思った。

『あんさん、抱き方ごっつう上手やなあ。もしかして、人形慣れしてはります?』

 しばらく黙っていると、ツバキという人形の方はもうすっかり、加えて言えば、どっぷリラリーを気に入ってしまったようで。砕けた物言いで、宿屋を探しているのなら、知っている所まで案内する、と申し出た。それに対しては一切言葉を返さないまま、リラは僕を視界に映し、意見を待つ。……どうせ行く当てもないのだから。

「じゃあ、行こうか」

「ロロが言うなら。――ね、お願い、リラたちを連れて行って」

『――リラちゃん、ロロちゃんにべったりやな。えっと、こっちおいで。この道の方が早いわ』

 そう言い終わるや否や、リラの腕から飛び出して、とて、と道案内し始めた。けれど僕の歩みよりも遅く、なかなか進まないので、苛立った彼女が再びツバキを抱えて歩いた。確かに手馴れた感じがしないこともない。

 リラの過去は、あまり知らない。訊けば勿論答えてくれるが、少し動揺してから、言葉選びにひどく時間をかけて、語り始めるので、あまり問わないようにしている。何よリラリー自身から自分の過去を話すことが、思い返せば本当に一度もなかったので、出来る限りは質問しないでやった。語る時、消える表情もまた、目にしていられない程だったのも、理由の内だった。

『もし、宿主に訊かれたらな、こう言ってくれへん? 〝この子は借りてきた人形です〟って』

「わかった」

 代わりに答えると、

『あんさんに言うてへんで?』

と微笑まれた。気を遣ってやったのに、最悪だ。


      ∞∞


「……へえ。わざわざお客さまを呼んでくれたんだ」

『そ。あ、別に感謝せんでええで。あんたの感謝とかいらんわ』

「じゃあ……、何も言わない」

『ついでやし、この人らの部屋案内したるわ。あっちや』

 宿主から鍵を受け取ったツバキは、リラに抱かれたまま、偉そうに指を差す。それに従って場所を移動すると、『ゴフェル』という看板が掛けられた、木製の扉の前に辿り着いた。意味がわからなかった。まあ、どうせふざけているだけだろう。

 上へと続く階段が見かけられたが、僕らは一階の部屋で休むこととなった。

リラは片手でツバキの体を支えて、もう一方の手でドアノブを捻った。ドアノブも、木製であった。

『まあ、ゆっくりしてってや』

 中はこじんまりとした部屋で、天井が低かった。それ以外は特に気になる点はない。普通の宿屋だ。ああ、あと機械化が全く進んでいない。古代の家に入った気分であった。リラもそう思ったのか、どこか落ち着かない様子であった。リラの場合は根っからの現代人なので、違和感を嫌でも感じてしまうのだろう。

『あ、そこの金色の人、ちょっと鍵閉めといて』

「なんで」

 言われたままに行動するのは、かなり癪だったので問う。

『言う通りにしてえや。大事な話するから』

 扉を閉めると、ツバキはどこか神妙な面持ちで、言葉を紡いだ。

『これから言うこと、絶対に守ってな。ええか、絶対に! 宿主には手を出さへんようにしてや』

「手、出したらどうなるの」

『面倒なことになるから』 

その宿主が切り盛りしているだろう宿屋は、他の建物と比べるとかなり大きい方であった。そしてやはりと言うか、どうして広く造る必要があったのかという疑問が浮かぶ。

答えはチラシに載っていた人形屋でもあったからだ。

 様々な大きさの可愛らしい人形――手のひらサイズやツバキのような大きさ、等身大の人形まで――が置いてあった。道沿いの壁はすべてガラス製で、人形たちは買ってもらおう、と声を張り上げて、時にはガラスを思い切り叩いて、アピールしている。

 店の中へ入ると、人形たちの服や、かつらといった可愛らしくみせるためのアクセサリー類が多様に置いてあった。そこから奥へおくへと進めば、支払い場兼作業机に辿り着く。そこにいる青年は、銀髪をえらく長く伸ばした子で、黙々と作業している。顔は窺えない。ずっと手元の木の塊に夢中だ。愛想の悪い青年だった。その作業机の上には、見本としていくつかの人形が置かれていた。

ここに来て、浮かび上がった疑問。それは、何故この世界は人形が動いているのか、ということだ。確かに現代の技術ではそんなことお茶の子さいさい、というやつだが、ここは明らかに文明が発達していない。それなのにどうして、ここまでの技術を得ているんだ? 一体誰が。

そして、ここはどこなのか。僕らの住む国にしては、ファンタジー要素が強すぎる気がする。人形が多すぎるのが最大の理由だ。すれ違った人々、大人の男性でさえも、残らず目を輝かせて店を覗いていた。……この表現は、いただけないか。男であっても、人形に心躍らせてもいいはずだ――。しかし一体どうして。

「……その服、重くないの」

『重いとか軽いとか、どうでもええんよ。大事なんはね、可愛いか。それだけなんよ?』

「……ふふ、好きの形みたい」

『え、どこ――』

「どこが?」

ツバキよりも先に問いかける。リラの口から好き、という単語が耳にできるとは。リラは好き、という音を大切にしている。言霊、を信じているということだろう。僕はまだ、彼女に好き、を二回しか言ってもらえていない。

「軽くたって、重くたって。大事なのは思っているかどうかでしょう」

ねえ、ロロ。

「そうは思わない――?」

じっくり考えることなく、気づけば、

「いや……僕は――」

口にしていたのだが、それとノックの音が被さり、僕はそこからすっかり押し黙ってしまった。

『すみません』

この声に、ツバキが一番驚いた。

『何であんたが……! 何の用なんやペーネ』

『……貴方に用はないの。なんて、言えばいいですか、ツバキさん。……埒があきません。早くして下さい。私の口は堅くなんてないですよ。今回のことだって、どうせまた逃げだして――』

『う、うわっ、き、気持ち悪い性格! 何でうちになんか絡んでくるねん! 心の底から嫌いやわ、ほんまに!』

「――リラ、興味あるから、扉開けてあげて」

何故かロックしていた扉を、リラはゆっくりと開けた。予想通りというか、可憐な人形がそこに立っていた。

扉がゆっくりと開けられた。予想通りというか、そこに可憐な人形が立っていた。

丁寧に束ねられた、一本のみつあみにされた髪。ツバキと同じように、その顔は整えられている。服はワンピースのようなものを着ている様子だったが、何本ものカラフルなリボンに巻かれていることで、詳しくは窺えない。まるでリボンをドレス代わりにしているみたいで驚いた。

『こ、んにちは』

 皆黙っているので、居づらくなったのだろう、ペーネと呼ばれる人形は、おずおずと会釈した。その時に短いワンピースの裾を持ち上げたので、巻きつくリボンがいくつか緩んだ。

「これも、動きにくさよりも、可愛さを取ってるの?」

 と、リラは何故だか僕に訊いてくるので、横に首を傾げた。中身のコードが切れた気がした。細い補助役のコードだったので、そこまで気にしなくてもいいが。 

また、直してもらわないと、と左腕も見る。こいつも――。

大分ガタがきちゃったなあ。

「何か御用?」

 扉が閉まったのを合図に僕が問うと、ひゃっ、と飛び上がられた。そして興奮したままに質問を口に出された。

『それ、中に何か入っているんですかっ!』

『ペーネ! お客様に何失礼なこと言うとんねんッ! ついにそこまで落ちぶれたか!』

『お、お客様?』

「そうそう。で、用件は? 早く知りたいなあ」

 優しく促してやると、ようやく開口してくれた。しかし視線は泳いでいる。

『先程の失言は……どうかお許し下さい。……用件というのは、貴女のことなんです』

 うまく変換出来たのは、ペーネの視線がようやく定まったからである。

『貴女は、ここの主と何か縁がおありですか……。も、もしかして、主のことが……』

「その冗談、笑えないから」

 即答。叩きのめしにかかるような彼女の声色。言葉を失ったペーネは、瞳を潤ませて、こちらへ近寄ってきた。

『じゃあ、そちらの青色のお方と……貴女は、どういう関係にあるのですか?』

「友達」

 戸惑って、僕は答えた。

『ともだち? ……ホントですか。い、一緒にいるんですか、いつも心離れず、一緒に……?』

「心どうとかはわからないけど、とりあえずいつも一緒だよ」

 これも僕が答えた。

 ペーネは、リラの前で力尽き、崩れ落ちた。手をこちらに伸ばしたままだった。

『ツバキさん……、貴方は何でまた帰って来たのですか』

『最後のお別れしょうと思たんや』

『だれに……』

 ツバキはそれについては、二度と開口しなかった。段々鼻声に変わっていくペーネを見下ろしたまま、無言でいた。

『羨ましい、うらやましいです。わ、私だって、生きてるんですもの。大好きな人と、一緒にいて、お互いの心も、すぐそこにある位に隣にいて。好きでいてあげるんです。……でも、好きでいてはくれない』

『本来、それをうちらが望んだらあかんやん』

『それでも欲しいんです』

 起き上がったペーネはやはり、くしゃくしゃになった紙のように、苦しそうに泣いていた。人形でも涙が出るのか、と僕だけ驚いていた。

『それでも、欲しい。自分があげる分、その分返して欲しいんです。そして、出来るのなら上乗せして返して欲しい。――だって、人にして欲しいことは、自ら実行しないといけないんでしょう? してますよ。毎日、まいにち、あの人に届くようにって、いのりながら、毎日好きであり続けてるんです』

 それでも足りないんでしょう。だから叶わないんでしょう。

悔しそうに、ペーネは呟いた。

『あの人、とっても魅力的です。いつも真面目で、人形に命を注いで作ってくれて。生きる力をくれて。それから、私たちのこと、気にかけてくれる。だから皆も同じ量、気になってしまう。私みたいにあの人以上に好きをあげる子も、たくさんいる。ツバキさんも、実はそうじゃないのって思ってるんです。でもね、あの人は、いつだって平等。――そう、だから、辛い……』

「不平等を望むの」

 感情の欠片もない、リラの声。

「じゃあ、何があってもその不平等を飲み込まないといけない。たとえ、納得出来なくっても」

起きたペーネを持ち上げて、手元へと引き寄せて、小さな瞳の高さに自身の目をもってくる。戸惑い、顔を背けるペーネの髪をそっと摘んだ。

「ちゃんと結ってある。誰がやってくれたの」

『じ、自分でやった……』

「本当に? じゃあ、このリボンは? 誰がやってくれたの」

『自分です』

「嘘。そんな小さい手で、ここまで綺麗に出来ない。誰? 固有名詞は?」

『……ベータさん。〝箱部屋〟の宿主』

 リラはそっと手を伸ばした。そしてそのままリボンを思い切り、引っ張った。あまりに力が強いので、リボンがペーネの体をぎゅっと縛った。悲鳴が発声される。

 リボンは蝶々結びであったが、解けなかった。びくともしなかったのだ。それを目にしたリラは、解答を得たかのように、満足した表情を浮かべた。

「ほら、解けない」

『だから何だっていうのですか! せっかく、せっかく……!』

「あのね、これが、あなたの望みの結果なの」

 そう言ってまた、リボンを引っ張ってみせた。意味が掴めない。僕が質問しようとしたら、リラはゆっくりと床に横になって、目を閉じた。

「リラはもう眠ります。夢見るまで側にいて?」

「……うう、リラ、僕はまだ訊きたいことが」

「またあした。おやすみ、ロロ」

 言い終わってすぐ、安らかな寝息が聞こえ始める。無茶苦茶に暴れて、蹴散らしたものを回収せず、説明せずに終わってしまった。

『案外この子、賢いんちゃうか』

 そう呟かれた言葉に、人間以外のものが反応した。どういうことだと詰め寄ると、ツバキは考えながらも口にした。

『だって、あんさんの疑問に答えたくても、当事者がおったら話せへんやん』

『いいじゃん、教えてくれたって』

『阿呆。他人の恋愛ごとについて何や悟った時は、黙ってその相手さんの動きをな、じっと待ってあげなあかんやろう?』

 当事者は、これでもかとむくれて部屋を出た。


       ∞∞


『人の恋路は邪魔したらあ、あかんのよ』

「そうなんだ」

 あんたにだけ、教えてあげるわ。

 そう囁かれ、肩まで登ってきたツバキを見下ろす。

『うちが帰って来た理由は、あの子を助けるんが最後になるからや』

 あの子がペーネを指しているのは、何となくわかった。

『人形が生き物みたいに動くんは、やっぱり珍しい。でも、あの宿主以外でも、人形に命注いで、動かせることを出来る。ニ十人は出来るんちゃう? 

ここにいる者は皆な、身分低いひくいねん。そうなると身分高い者が低い者を使うやろ? それでええ感じに借金、背負うてしもうてるわけ。貧乏くじ引いててやなあ、誰よりも借金の額は高い。勿論詐欺やで。けど、拒む権利は与えられへん。ずっと働きっぱなしや』

しかしそれにしては、洋服がぼろいわけではなく、食事が足りていない風でもなかった。そこを問えば、人形師が儲かる職業だからだと返ってきた。

『人形の存在意義は何か、わかるか? 愛してあげるんが半分、壊されるんが半分や』

「こわす?」

『紙面上で契約を交わす。新規の子以外、ここにいる子は必ず一度は、契約してるはずや。そしたらもう、判子押した瞬間にはもう、店主からその客さんへ愛が移るわけ。その契約はな、この人形は一生、貴方を愛し続けるのを約束するってことやの。一生。笑い事ちゃうで、一生や』

「それって勝手に決められちゃうわけでしょう。勝手に約束だなんて……」

『勝手や。やけど、人形ってそんなもんやし』

 その声に、落胆や怒りといった感情は含まれていなかった。さも当然。表情も何の変化もなかった。

『あんさんと、似ているんちゃいます? その中、人は入ってへんやろ?』

「うん……。必要ないと、捨てられちゃうものね」

『そう。それがうちらの言う最後。壊されて、人間の何やよう理解出来ひん欲望を満たしてあげる。勿論な、気持ち悪いおっさんとかいるよ? ヒステリー入ったおねえちゃんいるよ? ちゃっちゃと死にとうなるよ? 何で勝手に壊されて、命奪われなあかんの、思うよ? 

――でも、無条件に愛してくれる人って、人間、うまいこと探せへんやろ……? 

それにな、酷いことばっかりちゃうねん。死ぬ前にな、看取ってくれって買ってく人、たくさんおるねん。泣いてな、すがってくるねん。一人嫌やって、抱き締めてくんねん。そう言う人ら、見てたら痛々しくないか? うちらが少しでも、救えるなら、うちの命なんて、どうせ布と木と、あとちょっとの命の欠片? たったそれだけの材料で出来ちゃうんやで。そんなら、それなら、軽いもんかなって――』

「思えない。理解出来ないよ」

『そうか……、似ていると、思うたけどなあ。うちとあんさん』

 それは思う。存在意義が、少しだけ似ている。

 外の空気を吸いたくて――いやまあ、吸わないけれどさ――、扉を開けて外へ出る。ガラス越しに空を覗くと、夜の色に染まっていた。この建物には、蝋燭が存在していたが、宿主のみが使用しており、部屋の前には一切設置していなかった。よく思えば、僕ら以外客の姿は見えなかった。仕方無いと思った。

『もうすっかり暗くなったなあ。……あんさんの目、便利やなあ。光るやん』

「自動的なの」

 ツバキは、耳元で思い出すように語り始めた。そのつぶらな目は、始終宿主へと向けられていた。

『うちは幸せな方で、人の死を見送る係りやったんや。やから、色々な人をみてきたよ。うちは寂しくなったけど、でも、そのお陰でお金があの子に入るんや。頑張ったよ。――え? 契約が切れたら自由ちゃうか、って? そやよ、自由になって、自分から命絶つ子がほとんどやよ。……でも、あの子の助けなりたいし、戻ってくる。効率よく稼ぐために、うちは人の死をみずに帰って来る。追いかけへんよ? もう無視の息やもん。でも失敗することだってある。今回で十七回目やったかな。今日は鴉に突付かれて死にかけたけどな、あはは』

 白い鳥は鴉だったらしい。色は対照的だが。僕はそっと尋ねた。

「君も、ベータって子が好きなの」

『まさか。可哀想思うだけ』

 そう言って俯いたので、実際の所、ほんの少しだとしても、好きの感情もあるのでは、と勘ぐるが、問い詰めることはしなかった。ツバキがリラの話を始めたからだ。

『リラちゃん、ええ子やね。あんな子を味方にしたら、強いやろうね。あの子は絶対に、あんさんを裏切らんよ、絶対』

 僕が沈黙を守っていると、こちらを覗き込まれた。長い髪が視界に入った。

『あんさん、うちのことあんまり好きちゃうやろ? そりゃ、可愛い彼女の腕に居座っとるもんなあ』

「別にそんなのどうだって……」

『それが本心やとしても、うちが気に入らんやろ?』

 黙ると、ツバキは飛び切りの笑顔で言った。

『じゃあ、好きになってもらいたいし、教えてあげる。本当やったら秘密にしてるとこやけど』

「何だよ、それ」

『まず、明日――ちゃうね、今日、うちは壊れる』

「……どういうこと」

『何故か。それは、雨がな、来るしや』

「嵐? どうしてわかるの? それ、本当? 皆には教えないの?」

『最後の契約者が持ってた新聞に書いてあった。前代未聞のでかい雨雲が接近中なんや。身分低い人間は全然知らん。高いやつらだけ、もう既に逃げとる。今知ってもな、ここにいる人間は回避する場所も、身分もないからな、意味ないねん。意味ないし、教えへん。どこ行っても死ぬし、どうせ、皆ここにいるやろうし。奇跡とかないとな、死んでしまいよるねんよぅ』

 涙を堪えている気配がした。

『あんさんらは、大丈夫か? 今の内に逃げといたら?』

 過去の世界が、僕の命をどこまで脅かせるのか。興味ある。

「え、ああ、大丈夫。えっと、だから最後のお別れなの? 一緒に死ぬために?」

『……そうやで。――だからな最後に、あんさんに、大事なこと教えてあげる――。

リラちゃんの手、離したらんといて? 一緒に居たってや? あんさん見てたら、女は非力や思うて生きたじじい、思い出すわ。それ、えらい――甚だしい勘違いやで? あの子は一人だって生きていける。たまたま、あんさんの隣にいるだけで』

「は?」

『手、離したらあかんで? 手離したら、二度と戻ってきいひんで……! ほんまやで、後悔するで』

 うちらとは、違う体やねんから、同じような目に遭ってたら、そんなんもう、やるせへんやんか。


       ∞∞


『ねえ、何作ってるの? ねえったら、そんなに大事なものなの?』

「うん……大事」

『変なの。いつもは私たち人形を作ってるのに。かれこれ一週間はこれでしょう?

どういう風の吹き回し?』『そういう気分なのよ』『だからって、箱? どうして? 少し変ですよ』『貴方は黙ってたら?』『きっと、店に飾るつもりなのよ。だから、装飾にもここまで拘ってるのよ』『そう、なのかな』『でも、暇。ねえ、ベータさん。私たちの相手もして頂ける?』

「ごめん、また今度」

『何よう、つまんない!』『そんな怒らないで、ティーカさん』『早く終わるように応援しましょうよ』『それにしても、大きな箱。私たちでも入れる大きさじゃない?』

 空が再び夕日に近い色合いになった頃――つまりは朝――、人形たちは店が閉まっているのを良いことに、ぶらぶらと色々な場所を歩き回っていた。とにかく人形が多いのは宿主の周りで、少女特有の甲高い声が耳に届いてきた。

「やあ、ペーネ」

 ぽつん、と扉の前に座り込むペーネは、僕に気づくとゆっくりと腰を上げた。近づくと、同じように、また肩まで登ってきた。それで思い出した僕は、ペーネだけに伝えてあげた。

「ツバキは外へ行ってしまったよ」

 一緒にいると、どちらかが先か後かがわかってしまう。見送るのも、見送られるのも嫌だという思いから、ツバキは行方を晦ました。たった一人、で死んでしまうのだろう、きっと。

『泣いていました?』

「多分、少しだけ」

『人形にとって泣くのはね、命削るような行為なんです。水が駄目なのに、悲しいと出てくる涙。最悪です、泣いて壊れた子もたくさんいるんですよ』

「……君は、泣かないの」

『どうしてですか?』

「仲良さそうだったから」

『自分の恋を投げ捨てて、他人に託すような人、好きじゃありません』

 ああ、やっぱりそうだったんだ、というのは、心の中だけで呟いておく。

「そう、今日、大雨が来るんだって。皆残らず壊れるかもって。だから、最後のお別れだって」

『知ってます。普段と比べられないくらい、体、動きませんから。多分、皆もわかってるんじゃないですか?』

「終末を?」

『おかしいですよね。皆、ばかみたいに冷静なんです。私も、ああ、壊れるんだって感じです。……あ、貴方たちは大丈夫ですか?』

 そう言い終えて、ペーネは体中に巻きつけているリボンを一本解いて、僕の肩に載せた。滑り落ちそうになったので、すぐに左手で掴むと、ペーネはそのリボンを僕の人差し指に結んだ。真紅のリボンだった。

『辛苦、だなんて言わないで下さいね。紅色です。あの子に……、ぴったりだと思ったので。渡して下さい』

「そんなに、リラが気に入ったの?」

『いえ、正直苦手です……。ごめんなさい。でも、あんな真っ直ぐした所、私には無かったから。だから、あの子には幸せになって欲しい』

「自分はもういいの」

『私は、最後にあの人が看取ってくれるなら、何だって。結果の意味、わからず字舞でしたね』

 僕の体から飛び降りて、よろけながらもこちらを見上げて笑った。この言葉を最後に僕はリラへと駆けることとなった。

『実は私、ずっとサンプルだったんです。一度も、契約したことがないんです。ここから一歩も出たことがないんです。最初で最後の場所。役に立ちたかったのに。最後まで役立たずでした。生まれてきて、ごめんなさい、ってあの人に謝ります』


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