第6話


       ∞∞


「え、王と話がしたいのか? ええと、お前らどこ国出身?」

「未来国?」

「え? それ、どこにあんだよ……。旅人か? となると、ちょっと難しいかな、さっき王に会ったじゃん。それで我慢しろって……」

 あれ、結構、ぎりぎりだったんだぞ。そう口を窄めるサイドに、そこを何とか、と頼み込んだ。すると、ノックされた。立ち上がったサイドを目で追いかけた。

「ぎゃあ! 王!」

「その叫び方最悪だな。マイナス点をプレゼント。はて、先程の客人はいらっしゃるかしら」

「こんにちは」

 僕が挨拶すると、王は嬉しそうにこちらへ歩み寄って来た。マントがひらめいた。

「初めまして。おれがここの王です。正式名、ダレッド・ルソボアル・サディスン。好きなように呼んでくれ」

「僕はロロ、それで彼女がリラ」

「ああ、先程目が合った、可愛いお嬢さん。初めまして」

「ありがと、綺麗な王様。左足の加減はいかが」

 この中で一番驚いたのは、間違いなく僕だろう。リラが自ら進んで話しかける人間が居ただなんて。王は動揺を悟られないためなのか、俯いて訊いた。

「どうして……、そう思うんだ」

「そんなに強がらなくても。まあ、頑張って歩いてたと思うけど。でもやっぱり、ぎこちない歩き方してたし、膝、伸びっ放しだったし」

 あと顔、引き攣ってたし。指摘されると、王は強がるように笑って、低い声で呟いた。

「嘘を言うな」

「だから、嘘じゃないって。そこで、威嚇してる時点で、本当のことをばらされたくないって意識の表れでしょ」

「威嚇……?」

 割り込んだサイドに、リラは首を傾けて言い捨てる。

「この笑みが消えたら、本気になったって合図でしょう。その前に笑顔でワンクッション入れてるじゃない。これのどこが威嚇じゃないの?」

 微笑んで、王に問うた。

「ねえ、どうしてここに来たの? 誰に何の用事?」

「……この国では、遠距離の移動をする時、旅人を連れて出発する。帆船に設置ある船首像のように、移動の安全を願うため、同行させる。――それを貴方たちに頼もうと思ったんだ」

「え、は? お、王、どこへ行く――」

「少し黙れ」

 王は返事を促した。僕は是非とも、と答えた。出来るだけ、多くの人に出会いたかったからだ。今の所、過去を持っていそうな人物は見つかっていない。

 王はこちらを一瞥し、リラに視線を戻して、首をかしげた。

「貴方はどうだろうか」

「あ、リラもだよね?」

「うん、そうだよ」

そう答えた瞬間、王は、さっと表情を険しくして、僕を見据えた。その顔の意味がわからなくて、質問する。

「どうしたの?」

「……いや、気にするな」

どう考えても、気にするなと言う方が無理だ。

ずっと大人しく黙っていたサイドは時を見計らって、質問を畳みかける。その問いを、王は手早く、見事に丸め込んだ。

「そうだな。確かに急なことを言っていると思う。だけど、おれはすぐに行かなきゃいけないんだ……。わかってくれるな?

誰かに知られては困るんだ。お前だから信じて頼んでいるんだぞ? 馬車を用意して、この二方を乗せていてくれ。おれはすぐに行くから。頼んだぞ? 何度も繰り返すがお前だから頼むんだからな」

「あ、はい……」

「ふふ、頼りにしているから」

 しまり無い笑顔がそこにあった。


       ∞∞


 馬車で揺られること二、三時間。荒地を走っているので、石に乗り上げたり、凹んで硬くなった地面に嵌まったりと、なかなか尻の痛い旅だった。彼女の様子からして。

辿り着いたのは、王の城とは比べ物にならない程の巨大で美麗な城であった。庭園も庭師が丁寧に手入れしており、門には細部まで、彫り物が施されていた。神らしき人物が杖を振るう姿を中心に、太陽や月、大地、その他多くの動物が描かれている。

「天地創造を描いたのかな」

「よく知っているな。創世記第一章、天地創造だ」

 リラとサイドがそれとなく、眺めているのを認めてから、こちらへ静かに近寄ってきた。言われてみれば確かに、右足は引きずられ気味で、力が入っていなかった。

「え、耳はここにあるの?」

「うん。大体そこら」

 屈んで囁かれる。

「お前は、リラ嬢のこと、ちゃんと知っているのか?」

「? どういう――」

「過去を含めて、把握できているのかと訊いているんだ」

 黙っていると、しゃがんでいた体勢から、膝をゆっくり伸ばしてすっと立ち上がった。その顔には苦痛と苛立ちが含まれていた。

「あの子をひとりにしては駄目だ。勝手に死ぬぞ」

「……何それ」

 ――何で皆、揃って彼女についてそう口にするんだ? リラに何があるって言うんだよ。リラはリラだ。それは変わらないだろう?

 門は開かれた。

 玉座には、二人の人間が座っていた。


       ∞∞


「急にどうしたって言うのですか、ダレッド?」

「陛下、お願いがあります」

「――わたくしがそれを許すと思うのですか」

「思いません。だから、勝手にやって参りました。お願いです、おれを故郷へ帰らせて下さい」

 陛下、と呼ばれた女性は、王と同じくアルビノで、長髪だった。けれど、瞳の色だけは、女性の方が王よりもずっと綺麗な赤色だという印象を受けた。王の素朴で動きやすそうな服装とは打って変わり、女性はだらだらと長いマスカット色、宝石で言うと翡翠色のドレスを纏っていた。王冠には、真ん中にルビーの宝石がでかでかと飾ってあった。

王は一切顔を上げようとしない。何かを目にしないでおこうとしている風であった。

「ダレッド。貴方にはやるべきことがあるでしょう」

鼻であしらわれた。無情な人間だな、と思う。

膝をついて顔を下げているのは王だけである。他はどうしていいのかわからず、そのまま突っ立っていた。

「貴方の噂は届いていますよ。一糸乱れぬ、血塗れた戦いの中、蝶の如く舞う姿。この五日間で、次々と敵をなぎ倒し、土地を奪い、我が国の領地にしていく姿はまるで悪魔のようだ、と」

「そんなことありません……!」

 首を振る王から、女性の視線が下りて、彼女の耳元で止まった。

「あら、その布、まだつけていたのですか」

「……貴方への誓いの証、ですから」

「ははは! 初めはあんなに純白だったのに! ふふ、ふふ! 一体、誰の血によってそんなにも紅に染まってしまったというのです? どれ程の量の紅を吸ってきたと言うのですか! ……わたくしの命令通り、多くの人間を葬って、力を蓄えてきたのでしょうねえ。ふふ、何て忠義な駒なのかしら」

 高々と笑う姿に、狂気を感じる。本来ならば、不快とする所なのだろうが、不思議と嫌悪感は抱かず、ただ、可哀想だと思ってしまった。そこに大きな引っ掛かりを覚える。何だ、何かが、そこに。

 王は苦し紛れにまた首を振る。

「そんな、そんな不謹慎なこと……、仰ってはなりません。ひどい……」

「あら、貴方に物申されるなんて心外ですわ?」

 早く城へ戻りなさい。そう言い捨てた女性に、ずっと隣に座っている男は、何も言えずうろたえていた。その姿に、苛立ちと僅かな既視感を感じた。どうして今、既視感を覚えたのか、どうして同情したのか、わからない。わからないことが、多すぎる。

ぴたりと止まった空気を動かしたのは、サイドであった。王の前を過ぎて、女性と向き合った。

怒っているのか、そう思って観察したが、違った。――彼は微笑んでいた。

「俺、ばかなんで。何言ってるのかわかんないんだけど、とりあえず、王のお願い、聞いてあげてくれね?」

 王はここに来て初めて顔を上げた。そのどこか縋るような表情に、サイドは息を呑んだ。

「らしくありませんよ、王。王は俺が守る人なんですから。もっといつものように堂々、と。お願いですから、前を向いていて下さい。……そんな泣きそうな顔、しないで下さい」

「無理に決まってるでしょう、黒の騎士さん?」

 女性は嫌らしく笑みを浮かべた。例えるなら、悪魔的だろうか。王よりもその単語が当てはまっている。――不敵であり、尚かつ、相手を見下したようなそんな。

「前を向いているなんて嘘。後ろをずっと気に掛けながら、目前の石に気づかずつまずいて、頭から突っ込んでるだけなのに」

「どういうことだよ」

「言葉遣いを知らないお前に教えるなんて嫌」

「教えて下さい」

 透かさず割り込むと、一気に僕に注目が集まった。へりくだろうが、見下されようが、別にどうだっていい。関係ない。どうせ僕はロボットだから。

女性は目を細めた。面白がられているようだ。その証拠に笑い声が聞き取れた。「いいでしょう。そこの鎧に免じて教えてあげましょう」

「う……」

「やめて! 話さないで! ……とか、抵抗しないの? もっと楽しくなるのに。命令しないとそんなこともわからないのですか」

 まあ、いいわ。と、俯いたままの王から目線を外して歌うように語り始めた。

その際、側にいた兵士のほとんどを他所へやった。聞いて欲しくなかったからだろうか。しばらく遠くへ行っておけ、と命令した。

肩を抱いて震えている王の、過去。そして、使命。話は昔に遡った。


       ∞∞


 とても昔の話です。私のお父様が死んだ頃の話。……ああ、これだと伝わらないでしょうね、私は九歳の時の話です。お父様が死んだことが信じられなくて、逃げ出した頃の話。

ここにある庭園で、わたくしは泣きじゃくった。泣けば、何も考えなくていいと思ったのでしょうよ。不思議なもので、悲しいだけで涙は出てくる。少しでもお父様の顔がちらつけば、涙が出てくる。苛々するくらいに。

あの日からは一度も涙したことはないけど、もしかしたらダレッド、貴方のお陰かしらね。

 顔を伏せていたわたくしに、こつんと何かがぶつかってきた。何だというの、と憤慨しながら落ちてきたものを拾いました。それは、熟れたリンゴでした。一瞬、その丸い形が何かわからなかったのは、剥かれたものを普段から口にしていて、本の挿絵などでしか見なかったからです。

握り潰そうかと迷っているところ、わたくしと同じ歳くらいの子が塀を登って、ひょこりと現れたのです。

「うわ、人いた!」

 その失礼な物言いに、勿論わたくしは怒りを露にしました。そうすると、可笑しそうにダレッドは笑いました。

「何その口調! もしかしてお姫様? かわいいな」

 そう褒められたのか、ばかにされたのか、よくわからない声色で話すので黙って涙を拭うと、こちらに下りてきて、隣に座りました。恐れ多いおんなめ、と思いましたが、その時は許してあげました。

 許す代わりに、彼女のことを問い質しました。険のある問い方をわざわざ選んだのに、彼女は気づかず返答するのです、腹立たしい限りでした。樹から落としたリンゴを齧るダレッドは、わたくしに問い掛けました。

「食べたいの? いつも腹一杯食べてるんじゃないのか?」

「そんな不潔なリンゴは食べないの。清潔で、うさぎの形に剥かれたやつを食べるの」

 そう答えると、彼女は再び食べ始めました。本当は、凄く口にしてみたかったのですが、自分から言うのが我慢ならなくて、違う場所に視線を置きました。その先にリンゴの実をつけた樹があって、悔しい思いをしたのを今でも覚えています。

 ダレッドは、両親に連れられてここへやって来ていました。母方の親に会いに来ていたと言いました。金髪で、青い目の朗らかそうな子でした。

「ここにはおれと同じくらいの子、いないと思ってた。嬉しい。ずっとつまんなかったんだ」

 わたくしの涙からは、わざわざ目を背けていた様子でした。気になるのか、何度もこちらを、ちらちらと見つめてきました。

「おれ、ここ好きだ。でも、苦手だ」

 わたくしが睨みつけると、慌てて言い訳を始めました。

「違うんだ。おれは確かに苦手だけど、ここの人が苦手だからってことじゃない。おれの国は、ここよりもっと進んでる。ここよりは悪い人多いけど、鉄とかあるんだ。ここはまだだろう? だからかな、ここみたいにゆっくりしてると、暇になる。退屈だと、いつもは考えないことを考える。――たとえば、死ぬこととか」

 死、という単語に反応すると、ダレッドはどうしたんだ、と焦ったように問うた。

 わたくしは涙を隠さずに、責めたてました。

「貴方は、人の死を他人事みたく考えられるほどに、のん気な人なんですね! 羨ましい人! そんなの、実際人が死んだのを見たことがないから言えるんです! 人が死ぬのは、さっきまで動いていたものが、止まってしまうことは、とても、とても恐ろしいことなのに……!」

「別にそういうわけじゃない……。おれがのん気に、そして死をかろんじてるように思ったのなら、それは違う。おれが今日来たのはおじいちゃんが死んじゃったからなんだ」

 空を仰いで、彼女は呟きました。

「そう、人は死んだらどうなるのかな。きっと、こだわってたこととか、どうでもいいこととか、全部一緒に丸まってくしゃくしゃになって、ごみみたいになって、いらないからごみ箱に捨てる。きっとそれが死ぬことなんだ、って」

「貴方の中での死!」

 叫ぶと、頷かれました。

「うん、おれの思う死」

「死ぬなんて一瞬よ」

「それがお前の中での死?」

「……真似しないで」

 そして、気づけば自分のことを洗いざらい話していたのをまだ覚えています。お父様が死んだことによって、わたくしが女王になること。そして、女の子であることで、多くの差別を受けたこと、そしてそれがトラウマで王の地位につきたくないという所まで零しました。すると彼女は、何故か怒り出したのです。

「どうして女だからと言って、差別されなきゃいけないんだよ」

 そのようなことを話していた気がします。ただ、最後のことばだけは、聞き流せませんでした。

「おれが王なら、女だって強くあれることを証明してやるのに」

 間の抜けた声に、彼女は笑いました。

「さっきも言ったけど、おれはこの国も好きだ。守ってやりたいくらいに。だっておれの家族がいる国だもの。大事だし、好きなんだ」

 わたくしは、今までになく声を張り上げました。そしてこれでもか、と相手に問い詰めたのです。

「そのことばに、責任は持てるのっ?」

 彼女は迷わず頷いてみせたのです。


       ∞∞


「え、王と話がしたいのか? ええと、お前らどこ国出身?」

「未来国?」

「え? それ、どこにあんだよ……。旅人か? となると、ちょっと難しいかな、さっき王に会ったじゃん。それで我慢しろって……」

 あれ、結構、ぎりぎりだったんだぞ。そう口を窄めるサイドに、そこを何とか、と頼み込んだ。すると、ノックされた。立ち上がったサイドを目で追いかけた。

「ぎゃあ! 王!」

「その叫び方最悪だな。マイナス点をプレゼント。はて、先程の客人はいらっしゃるかしら」

「こんにちは」

 僕が挨拶すると、王は嬉しそうにこちらへ歩み寄って来た。マントがひらめいた。

「初めまして。おれがここの王です。正式名、ダレッド・ルソボアル・サディスン。好きなように呼んでくれ」

「僕はロロ、それで彼女がリラ」

「ああ、先程目が合った、可愛いお嬢さん。初めまして」

「ありがと、綺麗な王様。左足の加減はいかが」

 この中で一番驚いたのは、間違いなく僕だろう。リラが自ら進んで話しかける人間が居ただなんて。王は動揺を悟られないためなのか、俯いて訊いた。

「どうして……、そう思うんだ」

「そんなに強がらなくても。まあ、頑張って歩いてたと思うけど。でもやっぱり、ぎこちない歩き方してたし、膝、伸びっ放しだったし」

 あと顔、引き攣ってたし。指摘されると、王は強がるように笑って、低い声で呟いた。

「嘘を言うな」

「だから、嘘じゃないって。そこで、威嚇してる時点で、本当のことをばらされたくないって意識の表れでしょ」

「威嚇……?」

 割り込んだサイドに、リラは首を傾けて言い捨てる。

「この笑みが消えたら、本気になったって合図でしょう。その前に笑顔でワンクッション入れてるじゃない。これのどこが威嚇じゃないの?」

 微笑んで、王に問うた。

「ねえ、どうしてここに来たの? 誰に何の用事?」

「……この国では、遠距離の移動をする時、旅人を連れて出発する。帆船に設置ある船首像のように、移動の安全を願うため、同行させる。――それを貴方たちに頼もうと思ったんだ」

「え、は? お、王、どこへ行く――」

「少し黙れ」

 王は返事を促した。僕は是非とも、と答えた。出来るだけ、多くの人に出会いたかったからだ。今の所、過去を持っていそうな人物は見つかっていない。

 王はこちらを一瞥し、リラに視線を戻して、首をかしげた。

「貴方はどうだろうか」

「あ、リラもだよね?」

「うん、そうだよ」

そう答えた瞬間、王は、さっと表情を険しくして、僕を見据えた。その顔の意味がわからなくて、質問する。

「どうしたの?」

「……いや、気にするな」

どう考えても、気にするなと言う方が無理だ。

ずっと大人しく黙っていたサイドは時を見計らって、質問を畳みかける。その問いを、王は手早く、見事に丸め込んだ。

「そうだな。確かに急なことを言っていると思う。だけど、おれはすぐに行かなきゃいけないんだ……。わかってくれるな?

誰かに知られては困るんだ。お前だから信じて頼んでいるんだぞ? 馬車を用意して、この二方を乗せていてくれ。おれはすぐに行くから。頼んだぞ? 何度も繰り返すがお前だから頼むんだからな」

「あ、はい……」

「ふふ、頼りにしているから」

 しまり無い笑顔がそこにあった。


       ∞∞


 馬車で揺られること二、三時間。荒地を走っているので、石に乗り上げたり、凹んで硬くなった地面に嵌まったりと、なかなか尻の痛い旅だった。彼女の様子からして。

辿り着いたのは、王の城とは比べ物にならない程の巨大で美麗な城であった。庭園も庭師が丁寧に手入れしており、門には細部まで、彫り物が施されていた。神らしき人物が杖を振るう姿を中心に、太陽や月、大地、その他多くの動物が描かれている。

「天地創造を描いたのかな」

「よく知っているな。創世記第一章、天地創造だ」

 リラとサイドがそれとなく、眺めているのを認めてから、こちらへ静かに近寄ってきた。言われてみれば確かに、右足は引きずられ気味で、力が入っていなかった。

「え、耳はここにあるの?」

「うん。大体そこら」

 屈んで囁かれる。

「お前は、リラ嬢のこと、ちゃんと知っているのか?」

「? どういう――」

「過去を含めて、把握できているのかと訊いているんだ」

 黙っていると、しゃがんでいた体勢から、膝をゆっくり伸ばしてすっと立ち上がった。その顔には苦痛と苛立ちが含まれていた。

「あの子をひとりにしては駄目だ。勝手に死ぬぞ」

「……何それ」

 ――何で皆、揃って彼女についてそう口にするんだ? リラに何があるって言うんだよ。リラはリラだ。それは変わらないだろう?

 門は開かれた。

 玉座には、二人の人間が座っていた。


       ∞∞


「急にどうしたって言うのですか、ダレッド?」

「陛下、お願いがあります」

「――わたくしがそれを許すと思うのですか」

「思いません。だから、勝手にやって参りました。お願いです、おれを故郷へ帰らせて下さい」

 陛下、と呼ばれた女性は、王と同じくアルビノで、長髪だった。けれど、瞳の色だけは、女性の方が王よりもずっと綺麗な赤色だという印象を受けた。王の素朴で動きやすそうな服装とは打って変わり、女性はだらだらと長いマスカット色、宝石で言うと翡翠色のドレスを纏っていた。王冠には、真ん中にルビーの宝石がでかでかと飾ってあった。

王は一切顔を上げようとしない。何かを目にしないでおこうとしている風であった。

「ダレッド。貴方にはやるべきことがあるでしょう」

鼻であしらわれた。無情な人間だな、と思う。

膝をついて顔を下げているのは王だけである。他はどうしていいのかわからず、そのまま突っ立っていた。

「貴方の噂は届いていますよ。一糸乱れぬ、血塗れた戦いの中、蝶の如く舞う姿。この五日間で、次々と敵をなぎ倒し、土地を奪い、我が国の領地にしていく姿はまるで悪魔のようだ、と」

「そんなことありません……!」

 首を振る王から、女性の視線が下りて、彼女の耳元で止まった。

「あら、その布、まだつけていたのですか」

「……貴方への誓いの証、ですから」

「ははは! 初めはあんなに純白だったのに! ふふ、ふふ! 一体、誰の血によってそんなにも紅に染まってしまったというのです? どれ程の量の紅を吸ってきたと言うのですか! ……わたくしの命令通り、多くの人間を葬って、力を蓄えてきたのでしょうねえ。ふふ、何て忠義な駒なのかしら」

 高々と笑う姿に、狂気を感じる。本来ならば、不快とする所なのだろうが、不思議と嫌悪感は抱かず、ただ、可哀想だと思ってしまった。そこに大きな引っ掛かりを覚える。何だ、何かが、そこに。

 王は苦し紛れにまた首を振る。

「そんな、そんな不謹慎なこと……、仰ってはなりません。ひどい……」

「あら、貴方に物申されるなんて心外ですわ?」

 早く城へ戻りなさい。そう言い捨てた女性に、ずっと隣に座っている男は、何も言えずうろたえていた。その姿に、苛立ちと僅かな既視感を感じた。どうして今、既視感を覚えたのか、どうして同情したのか、わからない。わからないことが、多すぎる。

ぴたりと止まった空気を動かしたのは、サイドであった。王の前を過ぎて、女性と向き合った。

怒っているのか、そう思って観察したが、違った。――彼は微笑んでいた。

「俺、ばかなんで。何言ってるのかわかんないんだけど、とりあえず、王のお願い、聞いてあげてくれね?」

 王はここに来て初めて顔を上げた。そのどこか縋るような表情に、サイドは息を呑んだ。

「らしくありませんよ、王。王は俺が守る人なんですから。もっといつものように堂々、と。お願いですから、前を向いていて下さい。……そんな泣きそうな顔、しないで下さい」

「無理に決まってるでしょう、黒の騎士さん?」

 女性は嫌らしく笑みを浮かべた。例えるなら、悪魔的だろうか。王よりもその単語が当てはまっている。――不敵であり、尚かつ、相手を見下したようなそんな。

「前を向いているなんて嘘。後ろをずっと気に掛けながら、目前の石に気づかずつまずいて、頭から突っ込んでるだけなのに」

「どういうことだよ」

「言葉遣いを知らないお前に教えるなんて嫌」

「教えて下さい」

 透かさず割り込むと、一気に僕に注目が集まった。へりくだろうが、見下されようが、別にどうだっていい。関係ない。どうせ僕はロボットだから。

女性は目を細めた。面白がられているようだ。その証拠に笑い声が聞き取れた。「いいでしょう。そこの鎧に免じて教えてあげましょう」

「う……」

「やめて! 話さないで! ……とか、抵抗しないの? もっと楽しくなるのに。命令しないとそんなこともわからないのですか」

 まあ、いいわ。と、俯いたままの王から目線を外して歌うように語り始めた。

その際、側にいた兵士のほとんどを他所へやった。聞いて欲しくなかったからだろうか。しばらく遠くへ行っておけ、と命令した。

肩を抱いて震えている王の、過去。そして、使命。話は昔に遡った。


       ∞∞


 とても昔の話です。私のお父様が死んだ頃の話。……ああ、これだと伝わらないでしょうね、私は九歳の時の話です。お父様が死んだことが信じられなくて、逃げ出した頃の話。

ここにある庭園で、わたくしは泣きじゃくった。泣けば、何も考えなくていいと思ったのでしょうよ。不思議なもので、悲しいだけで涙は出てくる。少しでもお父様の顔がちらつけば、涙が出てくる。苛々するくらいに。

あの日からは一度も涙したことはないけど、もしかしたらダレッド、貴方のお陰かしらね。

 顔を伏せていたわたくしに、こつんと何かがぶつかってきた。何だというの、と憤慨しながら落ちてきたものを拾いました。それは、熟れたリンゴでした。一瞬、その丸い形が何かわからなかったのは、剥かれたものを普段から口にしていて、本の挿絵などでしか見なかったからです。

握り潰そうかと迷っているところ、わたくしと同じ歳くらいの子が塀を登って、ひょこりと現れたのです。

「うわ、人いた!」

 その失礼な物言いに、勿論わたくしは怒りを露にしました。そうすると、可笑しそうにダレッドは笑いました。

「何その口調! もしかしてお姫様? かわいいな」

 そう褒められたのか、ばかにされたのか、よくわからない声色で話すので黙って涙を拭うと、こちらに下りてきて、隣に座りました。恐れ多いおんなめ、と思いましたが、その時は許してあげました。

 許す代わりに、彼女のことを問い質しました。険のある問い方をわざわざ選んだのに、彼女は気づかず返答するのです、腹立たしい限りでした。樹から落としたリンゴを齧るダレッドは、わたくしに問い掛けました。

「食べたいの? いつも腹一杯食べてるんじゃないのか?」

「そんな不潔なリンゴは食べないの。清潔で、うさぎの形に剥かれたやつを食べるの」

 そう答えると、彼女は再び食べ始めました。本当は、凄く口にしてみたかったのですが、自分から言うのが我慢ならなくて、違う場所に視線を置きました。その先にリンゴの実をつけた樹があって、悔しい思いをしたのを今でも覚えています。

 ダレッドは、両親に連れられてここへやって来ていました。母方の親に会いに来ていたと言いました。金髪で、青い目の朗らかそうな子でした。

「ここにはおれと同じくらいの子、いないと思ってた。嬉しい。ずっとつまんなかったんだ」

 わたくしの涙からは、わざわざ目を背けていた様子でした。気になるのか、何度もこちらを、ちらちらと見つめてきました。

「おれ、ここ好きだ。でも、苦手だ」

 わたくしが睨みつけると、慌てて言い訳を始めました。

「違うんだ。おれは確かに苦手だけど、ここの人が苦手だからってことじゃない。おれの国は、ここよりもっと進んでる。ここよりは悪い人多いけど、鉄とかあるんだ。ここはまだだろう? だからかな、ここみたいにゆっくりしてると、暇になる。退屈だと、いつもは考えないことを考える。――たとえば、死ぬこととか」

 死、という単語に反応すると、ダレッドはどうしたんだ、と焦ったように問うた。

 わたくしは涙を隠さずに、責めたてました。

「貴方は、人の死を他人事みたく考えられるほどに、のん気な人なんですね! 羨ましい人! そんなの、実際人が死んだのを見たことがないから言えるんです! 人が死ぬのは、さっきまで動いていたものが、止まってしまうことは、とても、とても恐ろしいことなのに……!」

「別にそういうわけじゃない……。おれがのん気に、そして死をかろんじてるように思ったのなら、それは違う。おれが今日来たのはおじいちゃんが死んじゃったからなんだ」

 空を仰いで、彼女は呟きました。

「そう、人は死んだらどうなるのかな。きっと、こだわってたこととか、どうでもいいこととか、全部一緒に丸まってくしゃくしゃになって、ごみみたいになって、いらないからごみ箱に捨てる。きっとそれが死ぬことなんだ、って」

「貴方の中での死!」

 叫ぶと、頷かれました。

「うん、おれの思う死」

「死ぬなんて一瞬よ」

「それがお前の中での死?」

「……真似しないで」

 そして、気づけば自分のことを洗いざらい話していたのをまだ覚えています。お父様が死んだことによって、わたくしが女王になること。そして、女の子であることで、多くの差別を受けたこと、そしてそれがトラウマで王の地位につきたくないという所まで零しました。すると彼女は、何故か怒り出したのです。

「どうして女だからと言って、差別されなきゃいけないんだよ」

 そのようなことを話していた気がします。ただ、最後のことばだけは、聞き流せませんでした。

「おれが王なら、女だって強くあれることを証明してやるのに」

 間の抜けた声に、彼女は笑いました。

「さっきも言ったけど、おれはこの国も好きだ。守ってやりたいくらいに。だっておれの家族がいる国だもの。大事だし、好きなんだ」

 わたくしは、今までになく声を張り上げました。そしてこれでもか、と相手に問い詰めたのです。

「そのことばに、責任は持てるのっ?」

 彼女は迷わず頷いてみせたのです。


       ∞∞


「え、王と話がしたいのか? ええと、お前らどこ国出身?」

「未来国?」

「え? それ、どこにあんだよ……。旅人か? となると、ちょっと難しいかな、さっき王に会ったじゃん。それで我慢しろって……」

 あれ、結構、ぎりぎりだったんだぞ。そう口を窄めるサイドに、そこを何とか、と頼み込んだ。すると、ノックされた。立ち上がったサイドを目で追いかけた。

「ぎゃあ! 王!」

「その叫び方最悪だな。マイナス点をプレゼント。はて、先程の客人はいらっしゃるかしら」

「こんにちは」

 僕が挨拶すると、王は嬉しそうにこちらへ歩み寄って来た。マントがひらめいた。

「初めまして。おれがここの王です。正式名、ダレッド・ルソボアル・サディスン。好きなように呼んでくれ」

「僕はロロ、それで彼女がリラ」

「ああ、先程目が合った、可愛いお嬢さん。初めまして」

「ありがと、綺麗な王様。左足の加減はいかが」

 この中で一番驚いたのは、間違いなく僕だろう。リラが自ら進んで話しかける人間が居ただなんて。王は動揺を悟られないためなのか、俯いて訊いた。

「どうして……、そう思うんだ」

「そんなに強がらなくても。まあ、頑張って歩いてたと思うけど。でもやっぱり、ぎこちない歩き方してたし、膝、伸びっ放しだったし」

 あと顔、引き攣ってたし。指摘されると、王は強がるように笑って、低い声で呟いた。

「嘘を言うな」

「だから、嘘じゃないって。そこで、威嚇してる時点で、本当のことをばらされたくないって意識の表れでしょ」

「威嚇……?」

 割り込んだサイドに、リラは首を傾けて言い捨てる。

「この笑みが消えたら、本気になったって合図でしょう。その前に笑顔でワンクッション入れてるじゃない。これのどこが威嚇じゃないの?」

 微笑んで、王に問うた。

「ねえ、どうしてここに来たの? 誰に何の用事?」

「……この国では、遠距離の移動をする時、旅人を連れて出発する。帆船に設置ある船首像のように、移動の安全を願うため、同行させる。――それを貴方たちに頼もうと思ったんだ」

「え、は? お、王、どこへ行く――」

「少し黙れ」

 王は返事を促した。僕は是非とも、と答えた。出来るだけ、多くの人に出会いたかったからだ。今の所、過去を持っていそうな人物は見つかっていない。

 王はこちらを一瞥し、リラに視線を戻して、首をかしげた。

「貴方はどうだろうか」

「あ、リラもだよね?」

「うん、そうだよ」

そう答えた瞬間、王は、さっと表情を険しくして、僕を見据えた。その顔の意味がわからなくて、質問する。

「どうしたの?」

「……いや、気にするな」

どう考えても、気にするなと言う方が無理だ。

ずっと大人しく黙っていたサイドは時を見計らって、質問を畳みかける。その問いを、王は手早く、見事に丸め込んだ。

「そうだな。確かに急なことを言っていると思う。だけど、おれはすぐに行かなきゃいけないんだ……。わかってくれるな?

誰かに知られては困るんだ。お前だから信じて頼んでいるんだぞ? 馬車を用意して、この二方を乗せていてくれ。おれはすぐに行くから。頼んだぞ? 何度も繰り返すがお前だから頼むんだからな」

「あ、はい……」

「ふふ、頼りにしているから」

 しまり無い笑顔がそこにあった。


       ∞∞


 馬車で揺られること二、三時間。荒地を走っているので、石に乗り上げたり、凹んで硬くなった地面に嵌まったりと、なかなか尻の痛い旅だった。彼女の様子からして。

辿り着いたのは、王の城とは比べ物にならない程の巨大で美麗な城であった。庭園も庭師が丁寧に手入れしており、門には細部まで、彫り物が施されていた。神らしき人物が杖を振るう姿を中心に、太陽や月、大地、その他多くの動物が描かれている。

「天地創造を描いたのかな」

「よく知っているな。創世記第一章、天地創造だ」

 リラとサイドがそれとなく、眺めているのを認めてから、こちらへ静かに近寄ってきた。言われてみれば確かに、右足は引きずられ気味で、力が入っていなかった。

「え、耳はここにあるの?」

「うん。大体そこら」

 屈んで囁かれる。

「お前は、リラ嬢のこと、ちゃんと知っているのか?」

「? どういう――」

「過去を含めて、把握できているのかと訊いているんだ」

 黙っていると、しゃがんでいた体勢から、膝をゆっくり伸ばしてすっと立ち上がった。その顔には苦痛と苛立ちが含まれていた。

「あの子をひとりにしては駄目だ。勝手に死ぬぞ」

「……何それ」

 ――何で皆、揃って彼女についてそう口にするんだ? リラに何があるって言うんだよ。リラはリラだ。それは変わらないだろう?

 門は開かれた。

 玉座には、二人の人間が座っていた。


       ∞∞


「急にどうしたって言うのですか、ダレッド?」

「陛下、お願いがあります」

「――わたくしがそれを許すと思うのですか」

「思いません。だから、勝手にやって参りました。お願いです、おれを故郷へ帰らせて下さい」

 陛下、と呼ばれた女性は、王と同じくアルビノで、長髪だった。けれど、瞳の色だけは、女性の方が王よりもずっと綺麗な赤色だという印象を受けた。王の素朴で動きやすそうな服装とは打って変わり、女性はだらだらと長いマスカット色、宝石で言うと翡翠色のドレスを纏っていた。王冠には、真ん中にルビーの宝石がでかでかと飾ってあった。

王は一切顔を上げようとしない。何かを目にしないでおこうとしている風であった。

「ダレッド。貴方にはやるべきことがあるでしょう」

鼻であしらわれた。無情な人間だな、と思う。

膝をついて顔を下げているのは王だけである。他はどうしていいのかわからず、そのまま突っ立っていた。

「貴方の噂は届いていますよ。一糸乱れぬ、血塗れた戦いの中、蝶の如く舞う姿。この五日間で、次々と敵をなぎ倒し、土地を奪い、我が国の領地にしていく姿はまるで悪魔のようだ、と」

「そんなことありません……!」

 首を振る王から、女性の視線が下りて、彼女の耳元で止まった。

「あら、その布、まだつけていたのですか」

「……貴方への誓いの証、ですから」

「ははは! 初めはあんなに純白だったのに! ふふ、ふふ! 一体、誰の血によってそんなにも紅に染まってしまったというのです? どれ程の量の紅を吸ってきたと言うのですか! ……わたくしの命令通り、多くの人間を葬って、力を蓄えてきたのでしょうねえ。ふふ、何て忠義な駒なのかしら」

 高々と笑う姿に、狂気を感じる。本来ならば、不快とする所なのだろうが、不思議と嫌悪感は抱かず、ただ、可哀想だと思ってしまった。そこに大きな引っ掛かりを覚える。何だ、何かが、そこに。

 王は苦し紛れにまた首を振る。

「そんな、そんな不謹慎なこと……、仰ってはなりません。ひどい……」

「あら、貴方に物申されるなんて心外ですわ?」

 早く城へ戻りなさい。そう言い捨てた女性に、ずっと隣に座っている男は、何も言えずうろたえていた。その姿に、苛立ちと僅かな既視感を感じた。どうして今、既視感を覚えたのか、どうして同情したのか、わからない。わからないことが、多すぎる。

ぴたりと止まった空気を動かしたのは、サイドであった。王の前を過ぎて、女性と向き合った。

怒っているのか、そう思って観察したが、違った。――彼は微笑んでいた。

「俺、ばかなんで。何言ってるのかわかんないんだけど、とりあえず、王のお願い、聞いてあげてくれね?」

 王はここに来て初めて顔を上げた。そのどこか縋るような表情に、サイドは息を呑んだ。

「らしくありませんよ、王。王は俺が守る人なんですから。もっといつものように堂々、と。お願いですから、前を向いていて下さい。……そんな泣きそうな顔、しないで下さい」

「無理に決まってるでしょう、黒の騎士さん?」

 女性は嫌らしく笑みを浮かべた。例えるなら、悪魔的だろうか。王よりもその単語が当てはまっている。――不敵であり、尚かつ、相手を見下したようなそんな。

「前を向いているなんて嘘。後ろをずっと気に掛けながら、目前の石に気づかずつまずいて、頭から突っ込んでるだけなのに」

「どういうことだよ」

「言葉遣いを知らないお前に教えるなんて嫌」

「教えて下さい」

 透かさず割り込むと、一気に僕に注目が集まった。へりくだろうが、見下されようが、別にどうだっていい。関係ない。どうせ僕はロボットだから。

女性は目を細めた。面白がられているようだ。その証拠に笑い声が聞き取れた。「いいでしょう。そこの鎧に免じて教えてあげましょう」

「う……」

「やめて! 話さないで! ……とか、抵抗しないの? もっと楽しくなるのに。命令しないとそんなこともわからないのですか」

 まあ、いいわ。と、俯いたままの王から目線を外して歌うように語り始めた。

その際、側にいた兵士のほとんどを他所へやった。聞いて欲しくなかったからだろうか。しばらく遠くへ行っておけ、と命令した。

肩を抱いて震えている王の、過去。そして、使命。話は昔に遡った。


       ∞∞


 とても昔の話です。私のお父様が死んだ頃の話。……ああ、これだと伝わらないでしょうね、私は九歳の時の話です。お父様が死んだことが信じられなくて、逃げ出した頃の話。

ここにある庭園で、わたくしは泣きじゃくった。泣けば、何も考えなくていいと思ったのでしょうよ。不思議なもので、悲しいだけで涙は出てくる。少しでもお父様の顔がちらつけば、涙が出てくる。苛々するくらいに。

あの日からは一度も涙したことはないけど、もしかしたらダレッド、貴方のお陰かしらね。

 顔を伏せていたわたくしに、こつんと何かがぶつかってきた。何だというの、と憤慨しながら落ちてきたものを拾いました。それは、熟れたリンゴでした。一瞬、その丸い形が何かわからなかったのは、剥かれたものを普段から口にしていて、本の挿絵などでしか見なかったからです。

握り潰そうかと迷っているところ、わたくしと同じ歳くらいの子が塀を登って、ひょこりと現れたのです。

「うわ、人いた!」

 その失礼な物言いに、勿論わたくしは怒りを露にしました。そうすると、可笑しそうにダレッドは笑いました。

「何その口調! もしかしてお姫様? かわいいな」

 そう褒められたのか、ばかにされたのか、よくわからない声色で話すので黙って涙を拭うと、こちらに下りてきて、隣に座りました。恐れ多いおんなめ、と思いましたが、その時は許してあげました。

 許す代わりに、彼女のことを問い質しました。険のある問い方をわざわざ選んだのに、彼女は気づかず返答するのです、腹立たしい限りでした。樹から落としたリンゴを齧るダレッドは、わたくしに問い掛けました。

「食べたいの? いつも腹一杯食べてるんじゃないのか?」

「そんな不潔なリンゴは食べないの。清潔で、うさぎの形に剥かれたやつを食べるの」

 そう答えると、彼女は再び食べ始めました。本当は、凄く口にしてみたかったのですが、自分から言うのが我慢ならなくて、違う場所に視線を置きました。その先にリンゴの実をつけた樹があって、悔しい思いをしたのを今でも覚えています。

 ダレッドは、両親に連れられてここへやって来ていました。母方の親に会いに来ていたと言いました。金髪で、青い目の朗らかそうな子でした。

「ここにはおれと同じくらいの子、いないと思ってた。嬉しい。ずっとつまんなかったんだ」

 わたくしの涙からは、わざわざ目を背けていた様子でした。気になるのか、何度もこちらを、ちらちらと見つめてきました。

「おれ、ここ好きだ。でも、苦手だ」

 わたくしが睨みつけると、慌てて言い訳を始めました。

「違うんだ。おれは確かに苦手だけど、ここの人が苦手だからってことじゃない。おれの国は、ここよりもっと進んでる。ここよりは悪い人多いけど、鉄とかあるんだ。ここはまだだろう? だからかな、ここみたいにゆっくりしてると、暇になる。退屈だと、いつもは考えないことを考える。――たとえば、死ぬこととか」

 死、という単語に反応すると、ダレッドはどうしたんだ、と焦ったように問うた。

 わたくしは涙を隠さずに、責めたてました。

「貴方は、人の死を他人事みたく考えられるほどに、のん気な人なんですね! 羨ましい人! そんなの、実際人が死んだのを見たことがないから言えるんです! 人が死ぬのは、さっきまで動いていたものが、止まってしまうことは、とても、とても恐ろしいことなのに……!」

「別にそういうわけじゃない……。おれがのん気に、そして死をかろんじてるように思ったのなら、それは違う。おれが今日来たのはおじいちゃんが死んじゃったからなんだ」

 空を仰いで、彼女は呟きました。

「そう、人は死んだらどうなるのかな。きっと、こだわってたこととか、どうでもいいこととか、全部一緒に丸まってくしゃくしゃになって、ごみみたいになって、いらないからごみ箱に捨てる。きっとそれが死ぬことなんだ、って」

「貴方の中での死!」

 叫ぶと、頷かれました。

「うん、おれの思う死」

「死ぬなんて一瞬よ」

「それがお前の中での死?」

「……真似しないで」

 そして、気づけば自分のことを洗いざらい話していたのをまだ覚えています。お父様が死んだことによって、わたくしが女王になること。そして、女の子であることで、多くの差別を受けたこと、そしてそれがトラウマで王の地位につきたくないという所まで零しました。すると彼女は、何故か怒り出したのです。

「どうして女だからと言って、差別されなきゃいけないんだよ」

 そのようなことを話していた気がします。ただ、最後のことばだけは、聞き流せませんでした。

「おれが王なら、女だって強くあれることを証明してやるのに」

 間の抜けた声に、彼女は笑いました。

「さっきも言ったけど、おれはこの国も好きだ。守ってやりたいくらいに。だっておれの家族がいる国だもの。大事だし、好きなんだ」

 わたくしは、今までになく声を張り上げました。そしてこれでもか、と相手に問い詰めたのです。

「そのことばに、責任は持てるのっ?」

 彼女は迷わず頷いてみせたのです。


       ∞∞


「それから、わたくしと彼女は王になる為の準備をしました。この国では、白髪赤眼でしか王族と認められません。それ以外の子が生まれた場合、王落ちとしてどこかへ捨てられます。ですから、まず彼女の髪を脱色させて、死んだ父の眼球を移植して、青の瞳を赤の瞳に変えて、王の条件を形作りました。そしてわたくしの名前を貸して、この国を治めさせました」

 それは本当に見事で、夢のようでした。うっとりと過去を思い出し、そう続けた。

「ダレッドの言葉に嘘はありませんでした。元々彼女は強くあったのです。幼い時から自己流の戦術を生み出していたそうです。彼女の国は弱ければ即死だそうですから」

 王は女性の命令通り、文句一つ無く、戦い続けたという。そして、国民の心を掴み、最後の領地へと手を出すところだと語った。

 呆然としているサイドに、わざわざ歪んだ笑みを向けて言い放った。

「貴方の王は、ニセモノ。ただの、都会の子ども。わたくしが、この国の本当の王」

 大変でしたよ、色々と。でも、わたくしに出来ないことなんてありませんから。そう言う女性に、リラは息を荒くして、鋭く睨みつけていた。

「戦続けの毎日に、勿論ダレッドは拒み出しました。何度もなんどもここへ頼みに来ました。元々が優しい子ですものね。だからこの子の両親を人質にしました」

 唇を噛み締める王の姿があった。

「そして、新たに三つの条件を与えました」

 一つは、わたくしの言う事を聞くこと。二つは、このことを誰にも言わないこと。ひとりで抱え込むこと。

そして最後に、無理をすること。

 ……どうして、というサイドの問いに、狂ったように笑い出した。

「無理をしないと、願いは叶わないじゃない。何かを犠牲にしないと、思い通りにはいかないじゃない。足に矢が刺さったのが、何だというのです。そんなこともわからないのですか」

「自分じゃないから……いいのか?」

「当然。わたくしじゃないんだもの。決まってるでしょ」

 それから、王へと目を動かせて、おかしくてたまらなくなったかのように、嘲笑した。

「貴方がいなければ、今も尚、生きている人がいるのにね?」

「……うっ」

「貴方、生まれて来なければよかったのかしらねえ!」

 一瞬だった。

 視界には、まだ赤のマントを着込んでいる後姿が、彼の鞘から刀を抜いて、そのまま座っている女性の首へ突きつけた。マントが風で揺らめいていた。女性の目には驚きと恐怖の色が見受けられた。皆の表情が固まる。

「もういい。消えろ」

「ひ、ひゃっ」

 後ろへ逃げようとしても、玉座が邪魔して逃げられない。隣にいた男は早々にその場を離れてしまった。

「不快だ。消そうか」

 おぞましい剣幕であった。その場の空気は完全に硬直し、張り詰めた糸のごとしであった。皆、小刻みに震えるのがやっとのようであった。

 リラは本気で憤慨している。初めてだ。ここまでの殺気は。金属の体でも痛感出来るほどの、恐ろしさだった。

「王の下っ端、あなたがずっと口を出さないのは、主が怒らないからだというのか」

「……うん」

 ようやく出せた不細工な音に、リラは何も感じなかったようで、背を向けたまま会話し続けた。

「主がここで我慢することが、大きな間違いだとしても、それを正すことはしないのだろうか」

「……お、王が全ての正しさの基準だ」

「無茶苦茶な忠誠心だこと。……愚かな」

 魚のように口を開閉して呼吸する女性は、一度大きく吸って叫んだ。

「貴方こんなことしていいとでも思ってるの……! ダレッド、何をしているんですか! 早く助けなさい、貴方の命に代えて、守りな――」

「黙れって言ってる」

 刀を握る手が、振り上げられるのがわかった。僕はその時を逃さず叫んだ。駄目だ、だめだだめだだめだ。

「リラ、そんなことしちゃ、駄目だっ!」

 ぴたり、と止まった。ほっとして息を吐こうとして、失敗する。止まった刃は、そのまま片方の彼女の腕へと下りていったからだ。

 勢いよく血が飛び散る。悲鳴が上がった。二人の女性からであった。勿論、リラはただ自分の腕を興味なさげに見つめている。――間があいて、死ぬかも、とでも考えたのか、マントの布を破って止血する。それからまた、血塗れた刃を女性の首元に戻した。刃に零れた血の雫が、女性の至る所に落ちた。その度に高い悲鳴が上がる。

「血、血……! いや、もういやぁ! どうしてダレッド、助けてくれないの……?もういやよ、助けて、誰か、やくたたずの、あの子の、ダレッドの親を殺して…

…! 命令です、そうしないと、皆、死刑にしてやるんだからッ……!」

 定まらない目で、辺りを見渡し、一人の兵を見つけると、ぞっとするような顔で命じた。

「貴方……! か、顔を、覚えたましたわ……、早く殺せ! 逃げたら、どうなるかわかってますわね……? 何でもいい、適当に火をつけて、どうせ今日奪い取る領地だったんだから……、て、手っ取り早いですわ……!」

 兵は紛れも無く逃避のために、走って行った。その命はきっと従うだろう。恐怖とは、それだけで行動力にもなってしまう。

僕の場合は、恐怖で動けなくなってしまった。王がふらふらと立ち上がったことを認めた。

「おれの国が……危ない」

上手く発音出来ていない。視線があらぬ方向で止まっている。けれど、それがきっかけで声を出すことを思い出せて、リラの名前を呼ぶ。

「リラ、リラ。ごめん、リラ、僕が」

「謝らないで」

 振り返った。いつもの笑顔であった、いつもの無表情であった。ただそこに一滴、寂しそうな色が混ざっていただけで。

「リラ……」

「あなたにとって、ワタシは今、悪だったんでしょう?」

 だから正義を選んだんでしょう。わかってるよ、ワタシ。

 そういった意味の含まれた表情に、逃げ出したくてたまらなくなった。何で、裏切った気持ちになるんだ。どうして、後悔を感じているんだ。僕はどうしたいんだ。

君はわかっているのに、僕はわかってないことがあるのか、まだ。

何が、足りない?

「誰か、おれの国を、母さんを、父さんを……、たすけて」

「わかりました、王」

 サイドは王を置いて、走って行った。その時、小さくどうして、と疑問を口にしたようだったが、まず届いていないだろう。

「ロロ、助けてあげて」

 この言葉は僕に届いた。他人のことで、初めて頼まれただろう。どうしてこんなにもリラの初めてに遭遇してしまうんだ。何なんだこの過去は。らしくない

――過去は干渉出来ない。

メルの言葉を思い出して、僕は何故か必死に説得した。

助けてあげて、ってことは、僕は君から離れないといけないだろう。そんなこと出来るはずがないだろう、僕の存在意義は君の役に立つことで――あ、これだと、僕が君の願いを叶えざるを得なくなる。違う、今、目前にある過去を変えたって、僕らが出て行けば、また同じことが繰り返される。過去は干渉出来ないんだ。メルが言っていただろ? 助けたって同じだ。すぐに戻ってしまうのに、完璧に過去を変化させるなんて出来ないんだ。

「じゃあ、どうして初めから見捨てなかったのよ」

「え……」

「中途半端に関わらなければよかったのに。ここで人を殺したって、一度現在に戻れば、その人は蘇るのに。どうして止めたりしたの。どうして過去を尋ねたりしたの。その人があなたの過去を持ってないの、わかってたはずなのに」

「それは、興味が……あって、さ……」

 リラは動こうとした女性を一瞥した。その動作は一瞬の内に止まってしまう。

「ここで助けてあげるかあげないか。過去は変わらないことから、虚しいけど、あなたの気分でこの世界を変えられるよ。人を死なせても罪には問われないよ。そういう世界にいるよ。どうするの?」

 ――ワタシは、どうだって、なんだって、いいけれど。

「……っ、行って来るよリラ。それが僕の今の気分だ」

「うん。行ってらっしゃい。馬、置いていってね。後から行くから」

 振り返らなかった。僕の中のバグが発した痛みで、それどころじゃなかったからだ。嘘じゃない。

 

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