Fragment:5 「会議にて」
「あの……なにかあったのですか?」
朝、自室で顔を合わせるなり不安げな面持ちで尋ねられて、アーデルベルトはなにを問われたのか思い至らなかった。見慣れた従者の顔をまじまじと見つめると、少年は居た堪れなさそうに視線を伏せた。少々ふくよかで眉の下がった柔和な……悪く言えば頼りない彼の面の上にはなんの手がかりも見つからなかった。
「なんの事だ」
「怖いお顔をされていたものですから……」
アーデルベルトの眉間の皺が一層深くなるのを見て、従者は自らの軽率な言葉を悔やんだ。従者がいよいよ萎縮して怯えたようにうなだれたのを見て、アーデルベルトはうんざりしてため息をつく。遠縁の騎士の息子という縁でアーデルベルトの従者になったこの少年は、若いとはいえひどく引っ込み思案で、だいぶ経つというのに人の顔色を伺う癖が抜けなかった。
「なんでもない。少々考え事をしていただけだ」
眉間を指先で撫でてみると、たしかに眉根が寄って随分な表情に見えたであろうことがわかった。実際はなにを考えていたわけでもなかった。ただ彼を責める気は無いと伝えるための方便だったが、安心させるつもりで抑えた声は穏やかと言うよりは沈んだ調子に響いた。従者はあらためて心配そうにアーデルベルトをみやったが、今度はなにも言わなかった。
†
「恐れながら申し上げます」
エルマーの声が白い大理石の卓の上を滑るように響いた。高すぎず低すぎず、特別張り上げるわけではないのによく通る声だった。
卓を囲んでその場にいた全員の視線が末席の彼女へあつまる。その中には彼女に反感を持つものも多くいるはずだったが、エルマーはその様々な温度の視線を受けながら平然としていた。
「聞こう」
王座から陛下が促すと、彼女は立ち上がって皆々を一瞥してからゆっくりと話し出した。
淡々とした調子の声にもその瞳にも、特別な感情の昂りのようなものはなにも認められなかった。
「今我々が最も懸念すべきは、南西国境で散見されております諸々の不穏な動きであると考えます。この地を守るバルバディア砦は当該地域では最も堅固であると言われておりますが、しかしもっとも古く、単純な様式です。おそらく万一の時には最初の火の手はここで上がることになるでしょう」
「我が砦が防衛上の綻びだと言いたのかね」
不満げに声を張ったのはライムントだった。バルバディア砦を含む南西地域を管轄する方伯である。
「この砦の堅固さ、重要さはこの場にいる誰しもが知る通り。実際幾たびも敵の侵攻を食い止めてきた不落の砦と伺っております」
エルマーは彼が不満を表すのを想定していたように揺らぎなかった。ライムントは出鼻をくじかれて、しかしまんざらでもなさそうに唸った。
「しかしその栄光ゆえにこの砦は長く改修の記録がないと聞きました。ライムント閣下?」
「それは否定できないことだ。だが、バルバディアのその石積みにはいまだ髪の毛一筋ほどの弛みもない。それはわしが保証する」
「すばらしいことです。しかし、恐れながらこのような情報が」
エルマーはどこからともなく取り出した書類を卓上に広げた。付近のものがわずかに身を乗り出して何事かと覗き込んだ。
「これはイスタリア北部マリシオ、またルルベッカ、サンフィオネの複数の工房が受注した明細と図面です」
「どこからこんなものを?」
「イスタリアの酒場で鋳造職人の羽振りが良いと噂になっておりましたので周辺を調べさせたのです」
彼女のすぐ側右にいたレドヴィゴ公の呟きに、目線を返しながらエルマーは淀みなく答える。
「問題は、この別々に発注された図面を鑑みて推測するに……おそらく攻城機が組み上がることです。発注主の名は全て異なりますが、いずれもクラヴィス在住の人物です」
「ここに指示された改良を加えた場合のバネの性能を簡単に試算しました。これをたとえば投石機に採用した場合、おそらくゼノア戦役以前の城塞では攻撃に耐えられないでしょう」
彼女は一度言葉を切ったが、遮る者はだれもいなかった。
そのあとはエルマーの独擅場だった。
あくまで推測だとしながらも、隣国の財政と金銭の流れ、外交と人脈を提示してその兵器の発注者が隣国ギシュマールである可能性の高さを示す段となると、その場にいたものはみないよいよ神妙に聞き入った。情報源はほとんど開示されたものや既知のものであったこともあり、多少の質問こそあれ異論を唱えるものは現れなかった。
アーデルベルトは陛下の横に控えて立ち、その様子を見ていた。エルマーの落ち着いた話ぶりや、次々に提示される細々とした数値と具体的な固有名詞は、彼女の言葉にただならぬ信憑性を与えた。朗々として心地よい台詞回しはまるで詩歌のようだった。今日初めてこの会議に参加を許された彼女は、瞬く間にこの場にいるものたちの心を捉え、反感を抱く老輩たちは揚げ足をとることすらできずにいる。このウィトマルクの最も重要な決定機関である白卓会議で、年端もいかない小娘が場を支配しているのだ。それはアーデルベルトが初めて目にするこの会議の姿であり、信じがたい光景であった。
彼女は一体何者なのか。アーデルベルトは横目で主人を見やった。その豊かな白い眉毛の下で、明るく褪せた青い瞳が満足げに彼女に注がれていた。
やがて、うら若き軍事顧問による最初の提案は、大きな修正なく採択された。陛下はバルバディア砦の全体的な改修をライムントに命じ支援を約束した。ライムントもいつしか、偉大な砦の栄光を守り、自らの名声をいよいよ高めるのだという期待に高揚した面持ちで恭しくその命を引き受けた。
†
(――出来すぎた話だ)
アーデルベルトはまたその光景を思い出して心中で言ちた。なにかひどく胸騒ぎがして落ち着かなかった。
顔を上げるとちょうど視線の先に置かれていた鏡が、よく磨かれたその平面に不機嫌そうな表情を映した。白く朝日を反映するそれをいささか乱暴に伏せると、いつになく困り顔の従者を連れてアーデルベルトは部屋を出た。
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