Fragment:3「隘路にて」

[お題]それは恋なんてものじゃなかった


 馬上から迷いなく振り下ろされたエルマーの剣が月明かりに煌めいた。瞬間、雄叫びを上げて切りかかった賊が崩れ落ちる。周りのものが思わず息を呑み、突如あたりを支配した裂け目のようなしじまのなか、ひたひたと耳に忍び込んだわずかな異音が血の流れる音であることを理解するまで全員少しばかり時間が必要だった。動揺が走り、騒めきとともに再び時が動き出す。


 黒々とした森が崖の上を覆う、深い切り通しにわだかまる青い闇を、数本の松明の炎が切り拓いてあらゆる影をいびつに踊らせている。野盗の噂絶えない、この危険極まりない隘路での襲来は予測された事態だった。姫さまと数名の騎士たち一行は全員動じることなく即座に主人を中心に陣形を作り、前をアーデルベルト、後ろをエルマーが守る。

 自らも剣を抜き、たいした統率もなく襲いかかってくる野盗どもを相手にしながら、アーデルベルトは目の端でエルマーの立ち回りを追わずにいられなかった。人影の隙間から垣間見るのでも、充分鮮やかなことがわかるその手綱さばきに思わず舌を巻く。この隘路にかかわらずさながら人馬一体。その無駄のない立ち回りは幼少から馬に親しんだ騎士でさえ容易なことではない。


 アーデルベルトは騎士としての矜持が揺らぐのを感じた。才能という言葉が脳裏をよぎる。認めがたいその感情はなんであったであろうか。まるで棘が刺さったような、小さいが不快な衝撃だった。それは後になって彼のうちで膿んでじくじくと彼を苛むことになるのだが、まだこの時はもちろん知る由もなかった。

 その苦しくやり場のない希求……そうそれはおそらく希求だったのだが、しかしそれはけして恋なんてものじゃなかった。自問したところでアーデルベルトはそれに相応しい呼び名を知らなかったし、彼はその感情になにか別の名前をつけることもできそうになかった。

 ただ今は目前に突きつけられた不都合な真実を、認めなければならなかった。彼女がもしも騎士だったとして、由緒正しき血統の彼らと並んでもなんら見劣りしない存在かもしれないという事を。


 どうやっても歯が立たないことが明らかになると、賊どもは誰からともなく踵を返し、たちまち蜘蛛の子を散らすように消えた。飛び道具をほとんど使われなかったのは幸いだった。深追いはしない。一行はできるだけ早くこの隘路を抜ける必要があった。

「みな無事ですか。エルマーは?」

「問題ありません」

 呼びかける姫さまに答えて後方より感慨のない冷めた声がした。呼吸を乱した様子もない、いつもとなんら変わりのない調子の声だった。それ故か妙に場違いな感じさえする。振り向いて見れば、最初の不意打ちを斬り伏せた時にやむなく浴びたらしい、返り血に塗れたエルマーの姿が闇の中に浮かびあがってみえた。不吉な夢のような光景だとアーデルベルトは思った。

 その時エルマーと視線がかち合った。なぜか咄嗟にそらすことができずに凝視しているとエルマーが訝しげに眉をひそめた。

「どうかされましたか」

「いいや、なにも」

 姫さまがアーデルベルトの様子を不審げに見やる。

「……先を急ぎましょう」

 アーデルベルトはその視線をさりげなくかわしながら馬首をめぐらせ、雑念を振り払うように馬の腹を蹴った。彼の心を読んだらしい馬が不満げに鼻を鳴らしたが、よく訓練されて忠実な彼女はゆっくりと歩き出してくれた。内心安堵のため息をつく。わずかに後方の従者が持つ松明は彼の面を照らすことはなく、アーデルベルトは心もとない表情を人に見られずにすむことを密かに感謝した。

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