愛したかったり殺したかったり

西宮樹

愛したかったり殺したかったり




 俺には殺したい人間がいる。


「どうしたんだ赤神」


 学校の帰宅途中。隣の馬場が話し掛ける。

 今日の午後に振り出した雪はとっくに止んでいて、今は白い薄膜を黒いコンクリートの上に重ねている。そんな雪道を、踏み潰すようにして、俺たちは並んで歩く。


「どうしたって、何が」

「今日のお前、何か変だぞ」


 俺の隣に寄り添って歩く馬場に、俺はとぼけた返事をする。なるべく自分の内心を見破られないように。

 それでも馬場は、訝しんだ視線を俺に向ける。


「授業中だって今だって、どこかうわの空だ」

「そんな事はない。普通だよ普通」

「そうか? なんか悩みがあるなら、言えよな」


 と、それだけ言って、馬場は視線を前に向けた。

 俺が悩んでいる事は分かっても、あえて深く追求しないのだろう。それは馬場の良い所だとは十分理解している。

 そうだ、俺の友達は良いヤツではあるのだ。しかしあくまでも、客観的に見たら、の話だけど。


「俺は、お前の親友なんだからな」

「……うん」


 俺は曖昧な返事をする。親友、その言葉を、素直に受け入れられない自分がいた。

 それきり黙ったまま、俺たちは雪道を歩く。




 俺は、馬場を殺そうと思っている。






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 俺の所属している漫画研究部は、部員が五名でかなり少ない。その上大半が幽霊部員で、今日も来ているのは俺と牧野だけだった。

 机を挟んで、二人で漫画を読む。会話は少なく、ただ黙々と漫画を読み進める時間。


「あのさ」


 読んでいた漫画から顔を上げて、牧野がそう言ってきた。俺は視線を合わせて、牧野を見る。

 同年代よりも短めの髪は、綺麗な黒い色をしている。高い身長の割に童顔で、目は特にパッチリしているように思える。そんな牧野の大きな目が、俺を捉えている。

 吸い込まれそうなほど、綺麗な瞳だ。


「ん?」俺は聞き返す。

「……いや、何でもない」


 そう言って、牧野はふいと視線をそらした。そのまま、さっきまで読んでいた漫画に視線を落とす。

 ぶっきらぼうな奴だと思う。口数も少ないし、表情も変わらないタイプ。普通の人が見たら、なんて愛想が無い人間なんだと思うだろう。

 でも、本当は違う。みんなが知らない牧野の内面を、俺だけは知っている。


 二人きりで、ゆったりとした時間が流れる。俺たち以外には誰もいない部室で、ただ黙々と漫画を読む。この時間が、俺にとっては最大の幸福だった。

 この時間が永遠に続けばいいのに。俺はそんな風に思っていた。




 俺は、牧野の事が好きだ。





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 俺が馬場の事を憎い理由、それは案外単純だったりする。

 俺の好きな人を、あいつは傷つけた。それだけだ。はたから聞いたら、それはちっぽけな理由に感じられるのかもしれない。でも俺にとっては、とても大事な理由だ。


「おい、赤神」


 誰かが俺の肩を揺する。その衝撃で、寝ぼけていた意識は少しづつ覚醒し始める。


「もうテスト終わったぞ。テスト中に何寝ぼけてるんだよ」

「……ああ」


 そうだった。今日はテスト初日で、早々に問題を解いた俺は、残りの時間を寝て過ごしていたのだった。


「ふわぁ」


 一度あくびをして、周りを見渡す。今しがた行われた数学のテストで、今日のスケジュールは終了だ。周りの奴らも、今日のテストの感想を言い合いながら、帰宅の準備を始めている。


「なあ赤神。今日一緒に勉強しないか? 明日のテストに向けてさ」

「……悪い。俺、一人の方が集中できるからさ」


 馬場の顔を見ないようにして、俺は椅子から立ち上がる。そそくさと帰る準備を終わらせて、席から離れた。


「じゃあ、また明日」

「……おう、また明日」


 背中に、そんな声がかかる。どこか寂しそうな、そんな声。

 けれど、今の俺には、同情だとかそんな優しい感情は沸いてこない。俺の中にあるもの、それは怒りと恨みだけだ。

 



 そしてそれは、今の俺にとってとても大事なものだった。



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 今日も今日とて、二人きりでの部活動だった。

 先日ついにテストは終わり、今日は久々の部活動。つまり俺にとっては、久々に牧野とゆったりとした時間を過ごせる幸せな時間だった。ただし、牧野はどこか遠い目をしている。


「どうしたんだ。なんか、疲れているのか」

「……いや、大したことはないよ。大丈夫」


 そういって、無理矢理作ったような笑顔を浮かべる。俺にはそれがとても悲しそうに見えて、つらかった。

 何か悩みでもあるのだろうか、そしたら相談に乗ってあげたい。

 そんな余裕が自分にあるのかと言われれば、それは嘘になる。けれど俺は、好きな人の悩みには答えてあげたいと思っている。

 牧野のために、出来る事はしたい。

 例えそれが、どんなに残酷な方法だとしても。


「……はあ」


 牧野に感づかれないようにして、俺は小さいため息を吐く。

 

 牧野との出会いは、この高校に入った時だった。


「やあ、こんにちは」


 一年生の一学期の始め、入学式や自己紹介を終えて、クラスのみんなで親睦会でもなんて空気になっている時だった。

 端の方で、一人帰ろうとしている牧野に、俺はそう言った。人見知りの俺にとっては、それは結構勇気がいる事だった。けれど、思わずそう声をかけたくなる程、牧野は魅力的だった。

 牧野は、自分に対し自信のない奴だった。だから、その時の牧野も、どこかオドオドとしていた。俺が声をかけた時も、牧野はなぜか敬語で


「何でしょうか……」


 そう、おずおずと切り出した。今となっては考えられない口調だ。

 クラスメイトに敬語というのがなんだかおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。

 牧野とはそれ以来の付き合いだ。あの時から一年以上経った今、牧野も俺に随分を心を開いていると思う。しかし言い換えれば、それ止まりとも言える。


「……はぁ」


 もう一度、俺はため息を吐いた。

 なんにしても、ここままではまずいと思う。しかし、踏み出せない自分がいるのも確かだ。

 俺にとって、牧野は大切な存在だ。

 だからこそ、自分が今抱えている感情を、ドロドロとしたものを、牧野には気づかれたくないという思いもある。




 それらの思いは、今の俺にとってとても大事なものだった。






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 学校からの帰り道を、馬場と一緒に帰る。

 表面上は楽し気な会話を繰り広げつつも、俺はずっと馬場の殺し方を考えていた。

 出来れば、ばれない犯行をしたい。しかし現実的にそれは不可能だろう。警察はとても優秀だ、一介の高校生が出来る事なんて、限られている。

 だからと言って、この殺意を押し殺す事もできないけれど。


「…………」


 カバンに手を当てる。教科書とは違う、固い感触を感じる。

 家からこっそり持ってきた包丁。それをカバンに忍ばせている。

 単純な、ありふれた方法。こんなんじゃ、即座に逮捕されると分かってはいる。けれど、衝動を抑えられなかった。

 いつでも殺せる凶器が懐にある。それだけで、いくばくかは心が安らいだ。


「おい、赤神」

「……ああ。何?」

「またぼーっとしてる。大丈夫か?」


 馬場はそうやって、心配してくれる。けれど、俺には不要だ。

 今はそんな見せかけの心配が、とても癪に障る。


「なあ、何でも相談してくれよ。俺たち、親友だろ? 俺の事で何か気に障るんだったら、言ってくれよ。俺は、お前の力になりたいんだよ」


 それが追い打ちだった。

 どうにかなってしまいそうだった。

 



 俺は、包丁を取り出した。




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 部活からの帰り道。俺と牧野は、並んで歩いていた。

 雪はもう解けて、冬の終わりを感じさせるような天気だった。


「…………」

「…………」


 さっきから、ぽつりぽつりと会話はするけれど、どうにも盛り上がらない。理由は単純、隣で歩く牧野がとても追い詰めた表情を浮かべているからだ。

 さっきから会話の途中途中で様子をうかがうけれど、牧野には冷たくあしらわれてしまう。

 無言で並んで歩く中、俺はとある事を考えていた。

 牧野がこうなっている原因、もしかしてそれは、俺にあるんじゃないのか。

 あの事件、あの時のあれを、もし牧野が知っているとしたら。


「……いやいや」


 牧野に聞こえないように、小さくつぶやく。

 違う、あれは牧野のためにやった事なんだ。俺は悪くない、むしろ感謝されたいくらいだ。

 俺は牧野を守った。たとえそれが、どんなに劣悪で最低な行為だとしても、そこには確かに愛があった。

 愛ゆえに。だから俺は。


「…………」


 俺は、呑気にしている牧野に話しかけた。そして、ある言葉を投げかけた。

 それは、言ってはいけない言葉だった。俺たちの関係を終わらせる、そんな一言だった。




「なあ、何でも相談してくれよ。俺たち、親友だろ? 俺の事で何か気に障るんだったら、言ってくれよ。俺は、お前の力になりたいんだよ」




 その直後の事は、よくわからなかった。

 気付いたら牧野はカバンから包丁のようなものを取り出していた。なんで包丁が? と思う間に、

 

「……え?」


 素っ頓狂な声を上げて、俺は地面に倒れる。地面の冷たさと、腹から出る血の暖かさが混じり合って俺の身体を包む。

 理解できなかった。

 なんで、牧野が俺を? どうして刺された?

 頭の中に、膨大なクエスチョンが浮かび上がっては消える。


「……ど、どうして、赤神」

「お、お前がいけないんだ! あいつを、美香を奪ったから! 俺は、あいつの事が好きだったのに! 俺が付き合っていたのに! 今でも好きなのに!!」


 違う。それは違うんだ。

 あいつは、お前の事が好きじゃなかった。本命は別にいたんだ。

 俺はそれを知っていた。でもお前は、俺の忠告を受け入れてくれなかった。いくら言っても、別れようとしなかった。

 だから奪ってあげた。牧野をたぶらかす最悪な女から、牧野を守ってあげたかった。

 たとえそれが、どんなに最低な行為だとしても。


「……ち、ちがうんだ。……あれはお前の」

「違う!? 何が違うんだ! 人の女を奪っておいて! しかもお前は、そのあとすぐに美香を捨てた! お前は俺だけじゃなく、美香も傷つけたんだ!」


 牧野の罵声が俺の頭上から降り注ぐ。見えないけれど、きっと鬼の形相に違いない。

 俺のか細い声は、牧野には届かない。仮に届いたとしても、それを受け入れてはくれない。

 ああ、俺は。好きな人を傷つけてしまったんだ。

 

「……お、おれは」


 ただ、俺は。

 俺は、牧野の事が好きだったんだ。

 ただ、それだけだったんだ。


「……、が」

「俺は、ずっと、お前を殺そうと思っていたよ」


 それが、俺の好きな人が、俺に向けた最後の言葉だった。

 しょうがない、だって俺は、牧野を傷つけたんだから。殺されてもしょうがない事をしたんだから。

 けど、それでも俺は、少しだけ嬉しかった。

 最後の最後に、牧野の事を名前で呼べたから。





 そして俺は、意識を手放した。




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 短絡的な殺人は、すぐに露見する。

 足元に転がる馬場の死体を見て、俺は今後の事を考えていた。

 このまま逃げても、警察はすぐに俺の犯行だと気付くだろう。あまりにも白昼堂々と殺しすぎたし、きっと目撃者だっているはずだ。

 だったら、このまま自首した方がいいかもしれない。


「……ふぅ」


 後悔がないと言えば嘘になる。

 そもそも殺す必要があったのかなんて、今頃になって考えている訳だし。

 馬場は俺の彼女を盗んだ。しかもすぐに捨てた挙句、何食わぬ顔で俺と話をしていた。

 確かに馬場のした事は最悪だった。でもだからと言って、殺す程だったろうか。


「……考えてもしょうがないか」


 やってしまった事はしょうがない。その責任を取らなくてはいけない。

 ふと頭上を見上げると、ちらほらと雪が舞ってきた。この雪が、俺たちを覆ってくれればいいのにと、愛も殺意も、すべて隠して無かった事にしてくれればいいのにと、そう思った。




 こうして俺、赤神あかがみ牧野まきやは、馬場ばば利光としみつを殺したのだった。





―了―





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蛇足


この小説は、途中で視点が入れ替わっています。

赤神牧野 → 馬場利光 → 赤神牧野 →…… って感じです

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愛したかったり殺したかったり 西宮樹 @seikyuuki

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