第26話 愛を乞うたフール

 腕の中に抱きとめた彼女が弱々しく微笑みながら、徐々に瞳を閉じていく。僕が握り締めた手が滑るようにして、寝台へと落ちる。


「エレオノラ……!起きて、お願いだから……、お願いだから、僕を……」


 ーー置いて行かないで。


 ずっとずっと、予感はしていた。覚悟だってしていた。でも、そんなのでしかなかった。


 これから先、長い時間を共に歩む予定だった。

 2人の子供を2人で愛情を掛けて育てて、普通の家族みたいな幸せを掴もうって決めていた。


 ねぇ、君がどんどん痩せ細っていく姿を見て、僕はずっと健康であるはずの自分も胸に風穴が空いていくような感覚だったよ。


「誰かいないか!宮殿医を呼べ!!」


 声を張り上げて侍女に命令を下す。完全に意識の失ったエレオノラをそっと離して、寝台へ寝かせた。

 慌ててやってきた宮殿医は、エレオノラを診て表情を固くする。


 宮殿医だけじゃない。その場にいる全員が、もうエレオノラが長くない事を知っていた。





 エレオノラは高熱を出して意識の戻らぬまま、2日後にこの世を去った。

 また目を覚ましてくれるんじゃないか、そんな希望を持ってエレオノラの元に通いつめたけれど無理だった。


 朝も夜も寝ずにずっと側にいた。ほんの僅かでよかったから、もう一度目を覚まして欲しかった。


 エレオノラが亡くなったと、真っ先に彼女の実家に連絡を寄越した後、すぐにフォティオスが来て寝台に横たわったエレオノラの側に駆け寄る。

 そして、エレオノラが息をしていないと分かると、その碧色の瞳を真っ赤にして僕を睨み付けて詰なじった。


「なんで……なんで、エレオノラを解放してやらなかったんだ……?!」

「……ごめん」

「どうして……!どうして、エレオノラを帰してやらなかった?!なあ、どうしてだ?!」

「…………ごめん」


 子供の産めない王妃なんて必要ないというのが当たり前の世界で、フォティオスが言っていることは正しかった。


 僕がエレオノラを実家に帰してやれれば、エレオノラは心穏やかに過ごせたかもしれないのに。

 僕はそれをしなかった。僕が彼女と幸せになりたいと願ったから。彼女の側にいたかったから。


 手を離してしまうと、もう二度と触れられないのではないかと怯えてしまったから。


 きっとそれは、弱り切った彼女には優しくない願いだったんだろう。


 彼女と幸せになりたいと願った気持ちは、沢山の人にどんどん踏み潰されていった。

 他の誰でもない。エレオノラでなければ、その願いは叶わなかったのに。


 たった一つの、僕が望んだ願いだったんだ。



 隣国の王女がこちらに嫁いできてから微妙になっていた僕とフォティオスの関係は、エレオノラの死をきっかけに、破綻した。





 もうどんな葬式をあげたのかよく覚えていない。ただ、王妃という事もあり、盛大なものになったのだろう。


 年若いエレオノラが急に亡くなるというのは周りにとっては驚きだったらしく、側室が妊娠したばかりという事もあり、陰謀が囁かれたり色々な憶測が飛んだ。


 もう放っておいて欲しかった。


 エレオノラを失くした悲しみにさえ浸れなかった僕の元には、次から次へと国王の仕事が舞い込む。

 1人になりたいのに、疲れているのに、終わりのないすぐ側に誰かが絶対いる騒々しい日々はずっと続く。


 普通に歩いている筈なのに、疲れた身体を引き摺っているかのような感覚がずっと僕を襲う。


 無意識のうちに向かってしまうエレオノラのいた部屋は、今はもう主が居なくなって、侍女もそれぞれエレオノラの実家へと帰っていったりした。


 すっかり誰もいなくなった部屋だけれど、エレオノラの私物がまだ残されたまま。

 肝心の主だけがいない。


 どうして僕は、こんな事をやっているんだ?

 何のために?


 全部全部国の為。国民の為。


 そっと目を伏せると、今でも色鮮やかに思い出す。

 僕をではなく、ずっと名前で呼んでいた彼女を。


 昼も夜も動いて、気も、身体も疲れている筈なのに気持ちが落ち着かなくてろくに眠れやしない。

 それでも、長年通っていたおかげがここだと少しは気が落ち着く。


 部屋の主がもういないことを、何度も突きつけられながら僕はそれでもここに来るしか日々を乗り切る術すべがなかった。


 側室である隣国の王女との縁談を持ってきたペルディッカスに近い者達は、エレオノラが亡くなる前後から全く通わなくなってしまっていた身重の側室の元へ通うように言ってくる。そして、それとなく側室を王妃にするようにとも。


 ペルディッカスに近くない者は、自分の娘や所属している派閥の中心の貴族の娘を新たな側室として推したりしてきた。


 どうして僕を1人きりにさせてくれない?

 もう誰とも結婚したくはないのに。

 会いたい人の元に行きたいのに。


 僕が国王だから、王家の血を残さなければ。


 分かりきっている。全て、分かりきっている答えだ。

 僕が国王として異端なのかもしれない。


 それでもいい。国王なんてやめてしまいたい。

 愛した人を傷付ける事しか出来なかった僕には、荷が重すぎる。


 沢山の希望を背負った肩が、潰れてしまいそうだった。

 沢山の期待を背負った心が、軋んで悲鳴をあげていた。




 身重だった隣国の王女が出産した、という知らせは執務室で聞いた。産気づいたという知らせも執務室で。

 酷い父親だ。自分の子供が産まれるというのに、冷静なのだから。


 相手がエレオノラだったらどうだっただろうか。きっと執務なんか放り出して、入れもしないエレオノラの部屋の前で彷徨いていたかもしれない。きっとそうだ。廊下なんか走っていただろう。


 エレオノラは華奢で女性らしいというより、まだ少女のような感じだから無事かどうか不安だ。出産には母子ともに負担が掛かるから。


 エレオノラに似た女の子だったら、きっと可愛くて可愛くて仕方ないのだろう。とても甘やかしてしまう自信がある。


 いや、きっと、エレオノラとの子供だったら、可愛くて可愛くて仕方ない筈だ。


 何度も何度も夢見てきたから。


 部屋に通されると、生まれたばかりの赤子を抱いた寝台に横たわる母親の姿が目に入る。

 近づくと彼女は幸せそうに微笑んで、赤子を見せてきた。


「陛下に似た男の子でございます」


 手を伸ばすと、母親は僕に赤子を渡す。

 近くの侍女が手を貸してくれて、ようやく小さな命を腕の中におさめた。


 薄らと生える髪は銀色。腫れぼったいまぶたを薄く開けた下には、薄氷色の瞳。


 ああ。僕に似てしまったか。


 それでもやはり、子供は可愛らしい。

 ずっと探していたのだから。ずっと欲しかったのだから。

 エレオノラの負担になっていた世継ぎが出来てくれたのも嬉しい。


 すやすやと眠りについた子供を抱きながら、不意に思い出す。


 そういえば、母親に労いの言葉を掛けていなかった。


「ご苦労様だったね。


 そうだ。僕はなんで今まで忘れていたんだろうか。真っ先に労わなければいけない筈だったのに。


 ほら、エレオノラは華奢だから心配だ。

 世継ぎは生まれたけど、何人かやっぱり子供は欲しい。


「ゆっくり休んでね」


 赤子を近くの侍女に渡し、僕は母親に微笑みかけて執務室へ戻る廊下を歩く。


 ーーあれ、何か、おかしい。

 エレオノラは死んでしまった筈だったのに、もういない筈だったのに。


 悪い夢でも見ていたんだろうか。


 そうだ。きっとそうに違いない。

 エレオノラだけが僕の妻だ。僕とエレオノラの子供は勿論可愛いに決まってる。


 胸に大きな風穴だけが、塞がることなくそのまま残っていた。

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