第5話 愛を悔いるフール

 自分の中にある違和感が形を成したのはもう随分と前の事だった。

 幼い頃から時々感じる既視感。自分の知らない記憶が不意に蘇る時がよくあった。


 それが前世まえの記憶だと気付いたのは、第一王子であるファウスト殿下と初めて会った時だった。


 驚きなんてものじゃない。一目見た瞬間、どうしてもこの男が許せなくて、過去の強い怒りと自身に対する無力感が一気に蘇った。

 そして、激しい後悔も。


 前世の俺は今世と同じくそれはそれは高貴な家の出だった。

 美しく優しい両親にとても愛らしい妹。優秀で人の出来た親友は住む国の1番尊い家系の直系で、国一番の美少女と名高い妹の婚約者だった。


 正にこの世の幸福と羨望と期待を全て集めたかのような周囲の環境に、俺は大人になってもずっと浸り続けるのだろうと欠片も疑わなかったのである。


 とてもとても可愛がった妹が、仲の良い親友の元に嫁いで不幸になってしまっただなんて、想像もつかなかったのである。

 無邪気で真っ白で、素直だった彼女の微笑みが、本心を隠して、美しく折れそうに儚いものになるだなんて、思ってもみなかったんだ。



「……なあ、サヴェリオ。お前最近意識飛ばしすぎじゃないか?」

「……え、そうですか?」


 第二王子の執務室。第二王子の母親である王妃様の実家、クラウディウス公爵家と俺の実家であるフィリウス侯爵家が仲良いのもあって、幼い頃より第二王子に付き従っていた。


 幼馴染みという事もあってか、アルフィオ様は俺をかなり信頼して重用ちょうようしてくれる。

 俺もアルフィオ様を信頼しているし、勝ち気で負けず嫌いな性格で第一王子と張り合おうとしているアルフィオ様をずっと応援している。


 アルフィオ様は優秀すぎるファウスト殿下にかなりコンプレックスを抱いているが、アルフィオ様自身かなり優秀だ。

 ファウスト殿下がなのだ。前世も王太子で国王だったのだから、こういう事にと言っていい。


 実家の影響でファウスト殿下でなく、アルフィオ様に仕えているが、俺は主がアルフィオ様で本当に感謝している。

 ファウスト殿下だったら、背後から付き従いながら殺意を向けていたかもしれない。


 長い間ずっといるせいか、もはや家族みたいに近しいアルフィオ様に俺の様子がおかしいなんてバレバレだった。


「実は……夜会で会ったレオーネ男爵家のクラリーチェ嬢の事ですが……」

「ああ、あの令嬢か……。レオーネ男爵の愛人の娘だそうだが、随分と美人だったな。手元に置いて育てていたのもよく分かる。なんだ?惚れたか?」


 顎に手を当てて思案顔だったアルフィオ様だったが、俺を見てニヤニヤ笑う。


「惚れたなどといった、そういう感情はありません」

「素直じゃないなあ。この前の舞踏会でずっと見つめていたじゃないか」


 と言われても、彼女は俺がフォティオスだった頃の妹エレオノラであり、今でも妹のように感じている。

つまりは、家族に向ける情なのだ。兄妹の間に色恋等といったものなんてない。


 ずっと見つめていたのは、驚いただけだ。

 クリストフォロス様がこの時代に生まれ変わっていた時、心のどこかで期待した。エレオノラがこの世のどこかで生きているのではないのかと。


 実際に見たは、今世で血が繋がっていなくても可愛い妹のままだった。


 今世こそ、彼女に幸せになってもらいたい。


 何度思い出しても、妹を不幸にしたあの男と自分の無力感が強く心にこびり付いて取れない。

 きっと、俺が前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのは、俺が過去味わった後悔を取り戻す為だって、侯爵家主催の舞踏会で会ったクラリーチェエレオノラが今にも消えそうな笑みを見せた瞬間悟ったのだ。


 気まずそうに俺から視線を逸らそうとする彼女は、きっと俺がフォティオスだということに気付いていたであろう。彼女は俺にきっと見られたくなかった筈だ。


 彼女の隣に立つ肥えた中年男性であるセウェルス伯爵を。

 、妹は不幸な結婚をしようとしていると俺は察した。


 だから、俺は助けなくてはならない。

 今世こそ、妹に幸せになってもらう為に。


「クラリーチェ嬢に対しての恋愛感情を持つことはこの先もずっとないでしょう。永遠に」

「なんだ。つまらんな。色恋沙汰を見ているのは楽しいのだが」


 口を尖らせたアルフィオ様は退屈そうに頬杖をついた。この人は人の色恋沙汰を見るも聞くのも好きだが、自分の色恋に対しては興味が無いらしい。

 いや、地位の為の政略結婚をするつもりなので、諦めていると言った方が正しいか。


「しかし……アルフィオ様。お願いがあります」

「どうしたいきなり」


 真剣に頭を下げた俺に、アルフィオ様は怪訝そうな声をかけた。


 恥でもなんでも被る。

 最低だってみんなから罵られてもいい。


「クラリーチェ嬢を……クラリーチェ・レオーネ男爵令嬢とエヴァンジェリスタ・セウェルス伯爵の婚約破棄を成立させるにはどうすれば良いでしょうか?」

「お前……」


 アルフィオ様は目を大きく見開き、俺を凝視する。退屈そうに付いていた頬杖をやめ、腕を組んで難しい顔をした。


「サヴェリオ。お前、だいぶ頭のおかしい……というか、常識外れな事を言っていると分かっているのか?」

「ええ」


 当たり前だ。エヴァンジェリスタ・セウェルス伯爵が伴って婚約者であるクラリーチェを連れてきたのは、完全に彼女の実家であるレオーネ男爵家が二人の仲を認めていて、結婚話についてももうほとんどの事柄が決まっていると言っていい。


 どう考えても俺が言っているのは、家同士かもしれないがこれから予定されている結婚をぶち壊し、新郎新婦の仲を引き裂こうとしているに他ならない。


「エヴァンジェリスタ・セウェルス伯爵とクラリーチェ・レオーネ男爵令嬢か……。サヴェリオ、例え二人の結婚が白紙になったとして、クラリーチェ嬢をどうするつもりだ?」

「それは……、彼女が望むままの未来を作ってやるつもりです」


 そうだ。エレオノラの時に出来なかった道を、彼女が幸福に過ごせるためなら。

 彼女の愛する人に頭を下げて、結婚を頼むくらいは容易に出来る。


「恋愛感情はないのにか?」

「ええ。勿論です」


 俺が全く理解できないという風なアルフィオ様は、しばらく難しい顔をして唸っていたが、ポツリと呟いた。


「どうして他人の為にそこまでしようと思うのだ?」


 。その言葉が思ったよりも響いた。

 今世では他人だが、前世は確かに妹だったのだ。俺にとっては他人ではない。


「他人のように見えますが、俺は彼女の事を妹のように思っています」

「……分からないな。お前ら会ったのは昨日が初めてではないのか?」

「……まあ、一応そうなりますね」


 ちょっと引いた顔をしたアルフィオ様だったが、深々と溜め息をついて立ち上がった。


「お前は兄上と初対面の時も初対面の者にここまで悪感情を抱けるのかという位、ピリピリと敵意を向けていたが……、今回も含めてたまに不可解な言動を取ることがあるな」

「えっと……、そんなに変でしたでしょうか?」

「変だ。特に兄上関連では」


 断言されて言葉に詰まる。ファウスト殿下に対しては本当に昔の感情を持て余してしまう。

 たまにファウスト殿下に会っても憎しみが襲ってこない事があった時、初めてファウスト殿下のの存在に気付いた。


「まあ、お前がクラリーチェ嬢の結婚を破談にしたいという事に本気だということは分かった」

「はい。それは勿論です」

「破談になった後、行き場の失くしたクラリーチェ嬢を娶るつもりはあるのか?」

「……あります」


 クラリーチェが行き場を失くしたのならば、白い結婚で彼女を俺の庇護下に置くことも出来る。その後で彼女に好きな人が出来たら、可能な限りで相手に頼み送り出せる。


 俺自身、白い結婚で構わない。クラリーチェにそういう感情を抱くことは永遠にないし、子供は親戚から養子を取ればいい。


「……まあ、俺も俺達と同世代のご令嬢が政略結婚の駒で中年男に嫁がされるのを見るのは、あまり気分がいいものではないしな」

「アルフィオ様……」

「期待するなよ。セウェルス伯爵家とレオーネ男爵家の両家で決められた政略結婚だ。横槍を入れるのはとても難しい」

「はい」


 分かっている。

 一介の侯爵家の嫡男がどうこうできる問題ではない。


「一応父上に相談してみる。……だが、あまり期待はするなよ」

「ありがとうございますっ!」


 勢い込んで頭を下げた俺に、アルフィオ様は苦笑いをしながら、だから、あまり期待はするなと柔らかく俺を諌めた。

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