第4話 愛を捧ぐフール

 社交界に出るにあたり、お父様は私に何着かの新しいドレスと宝石を買い与えてくれた。本当は成人と同時に嫁がせて、買う予定など無かったのだろう。

 渋い顔をしていたお父様は、間違いなく外聞を気にし、要らないところは徹底的に削除しようとする精神ゆえに資産家として成功し続けている。つまりはケチなのだ。


 いつも私に付き従っているビアンカは仮面のような無表情で、私の支度を整える。今の流行がどんなものかは分からないけれど、体裁を気にするお父様が満足そうに頷いたのでそこまでズレてはいないのだろう。


「いいかクラリーチェ。くれぐれもセウェルス伯爵に迷惑と失礼をかけるんじゃないぞ」

「はい。未来の旦那様ですもの。勿論です」


 古くからある裕福な伯爵家の馬車が私を迎えに男爵家に来る前まで、口酸っぱくお父様は私に同じ事を忠告していた。


 初めての社交界という事で開催されるデビュタントとはまた違う。

 一応レオーネ男爵家に認知はされているが、正妻の子供ではない。普通の貴族令嬢ならデビュタントをしてから社交界に入るが、私は本来なら堂々と社交界に出入りは出来ない身分だ。


 だけれど、セウェルス伯爵の婚約者という事なら出入り可能になる。

 私みたいな愛人の子供達は、正式な貴族と婚約なり結婚なりしてから社交界にやっと入れるのだ。


 だから、私みたいな愛人の子供が年上の妻に先立たれた爵位持ちの男性後添いに事は決して珍しくはない。そして、大抵こういう場合は嫁ぎ先の前妻の子供がいて、跡継ぎを作るという重荷を背負わなくて済む。


 セウェルス伯爵も例外ではなく、私と同じくらいの年頃の子供が二男二女いるらしい。

 一度だけ会ったことがあるが、義理の息子となる男二人は貴族学校に通っており、義理の娘の方も行儀見習いとして王都の王城へと出仕しているらしい。


 伯爵家に入っても、家で滅多に顔を合わせることは無いらしいし、義理となる子供達も同世代の義理の母親なんてどう扱っていいか分からないだろう。

 顔合わせした時も、複雑そうな顔をしていたし。


「クラリーチェ。今日も君は美しいね」

「ありがとうございます。エヴァンジェリスタ様」

「年若い君を娶れるなんて、私は果報者だ」


 おおらかに笑ったセウェルス伯爵は、私に手を差し出しながら決まり文句のように私を褒めた。セウェルス伯爵のエスコートで乗り込んだ私に続いてビアンカも馬車に乗る。一応未婚の男女だから、密室に二人きりになるのは不味い。


 ……ファウスト様と会う時は二人きりだけれど。


 もし、私の元にファウスト様が会いに来ているだなんて知られれば、間違いなく醜聞だろう。私のレオーネ男爵家が王太子派だから、バレてしまってもお父様やセウェルス伯爵様が揉み消すに違いない。


 第二王子派に知られれば、あっという間にファウスト様のイメージが地に落ちてしまう。どっちにしろ私の元に通う事自体いけないことだ。


 チラリと私の侍女を見たが、彼女は何を考えているか全く分からないいつもの無表情のままだった。



 馬車の中でセウェルス伯爵は今日の社交界について説明してくれた。

 今日の社交界の会場は、第二王子派のフィリウス侯爵家主催の舞踏会らしい。


 別に王太子派と第二王子派と分かれているからと言って、表面上まで関係が悪いなんてことはない。現に王太子と第二王子どちらも来るらしい。そして、今日の社交界も私はセウェルス伯爵と一緒に行っているが、レオーネ男爵と正妻とその子共達も招待されているのだと。


 そうか、ファウスト様が来るのか。


 婚約者である公爵令嬢と踊るんだろうか。一緒に楽しく微笑み合うのだろうか。ずっと公爵令嬢の側にいるんだろうか。


 私はそれを、いつものように見ていられるのだろうか?


 社交界なんて前世でも立場的によく出ていたが、一体いつぶりだろうかと前世と今世のマナーが合っているか心配になる。前世でもしばらく行っていなかったし。


「クラリーチェ。不安なのかい?」

「あ……、いえ。そういう訳では……」


 私が緊張していると思ったのか、セウェルス伯爵はにこにこと穏やかに笑う。


「心配はいらないよ。君は私の隣で微笑んでいたまえ」

「はい」


 私の些細な心配事は、にっこりと微笑んで誤魔化した。





 侯爵家という爵位なだけあり、フィリウス侯爵家の邸宅は我がレオーネ男爵家なんか比べ物にならないくらいの大きさだ。ダンスホールもこの王国の王子二人を招けるだけあって、とても広い。


 セウェルス伯爵のエスコートで、もうかなり人のいるダンスホールに入ったが、初顔という事もあってかちらほらと私の顔を物珍しそうに、それでいて下品にならない程度に眺められる。


 隣にいるのが王太子派の中心に近い所にいるセウェルス伯爵だからだろう。

 そして、彼が妻に先立たれていることを考えたら、容易に私が次の妻になる予定であると察しているのかもしれない。


「さて、クラリーチェ。まずは主催の方と王子様達へご挨拶に行こう。君はにこにこ笑って、最低限の受け答えさえしてればいい」

「分かりましたわ。エヴァンジェリスタ様」


 微笑みを浮かべて頷くと、セウェルス伯爵は満足そうに頷き返す。

 つまり、彼にはお飾りの妻であって欲しいということか。


 セウェルス伯爵の意図を正しく察した私は、彼の隣に付いてフィリウス侯爵と王子様達がいるらしいダンスホールの一際目立つ集団の方へと歩いて行く。


「やあ、セウェルス伯爵」


 目立つ集団の中心にいた人が、セウェルス伯爵に気付いて向こうから声を掛けられた。

 たまに来るあの人の穏やかな声に、ドキリと心臓が痛い程高鳴った。


「これはこれはファウスト殿下。お久しぶりです」

「久しぶりだね。セウェルス伯爵。……そちらの女性は誰だい?」


 緩くウェーブのかかった柔らかそうな金髪は、光の当たり具合か今日は少し暗く見える。細すぎず、かといって太くもない鍛え上げられている身体。青空のような碧眼は穏やかな色を灯して、私を映した。

 を目の前にして、不思議と私は心が凪いだままであった。


 ーーこの人は、誰だ?


 ファウスト様を前にするといつも前世まえの私が叫ぶ。


 愛して、愛して、愛し続けて、それでも掴めなかった幸福が、不幸に嘆いた私が叫ぶ。


 それでもクリストフォロス様を愛し続けていると。この人だけだと。


「こちらは私の婚約者であるレオーネ男爵家のクラリーチェ嬢です。今日がはじめての社交界でして……」


 セウェルス伯爵が目配せしてきたので、膝を少し折って礼をした。


「クラリーチェ・レオーネと申します」

「知ってるとは思うが……第一王子のファウストだ。よろしくね、クラリーチェ嬢」


 仕草もほぼ変わらないし、声も同じ、見せる笑顔もそっくりだ。それなのにクリストフォロス様の生まれ変わりであるファウスト様ではなく、全然別人と話しているような感覚になる。

 不思議な気持ちを抱えながら、私は内心とても困惑していた。


「へぇ、婚約者殿は随分と若いんだな。セウェルス伯爵」

「これはこれはアルフィオ殿下。お久しぶりです」


 まだ幼さの残る気の強そうな少年が話の輪の中に入ってくる。短い金髪にファウスト様と同じ色の碧眼は切れ長だったが、母親違いでも似ていた。


「そうだな。婚約者殿の方ははじめまして、第二王子のアルフィオだ」

「クラリーチェ・レオーネと申します。よろしくお願いします」

「兄上とセウェルス伯爵の話が聞こえてきてな。社交界の方ははじめてか。なら今回のパーティの主催者の息子のサヴェリオの事も紹介しよう。……サヴェリオ?」


 アルフィオ殿下につられてそちらの方へと目線を向けて、息を呑んだ。

 滅多に外に出ない私は今までファウスト様しか知らなかったし、あまり興味がなかったと言っていい。


 ーーまさか、この時代に転生した人が私達以外にもいたなんて。


 その人も私に気付いたのか碧眼を大きく見開いて私を見る。襟足の長い黒髪を項で小さく1つに縛った姿の美青年は、前世とは外見は全く違う。


 それでも、分かった。

 だって、前世はクリストフォロス様の親友で私の大事なただ1人の血の繋がったフォティオスだったから。

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