10話 存在理由

 子供の頃、親父に野球観戦に連れて行ってもらった。

 初めて見るプロのプレーにすっかり魅せられ、俺も自然と野球をやるようになった。

 親父の教え方が上手かったのもあって、俺は同学年の子供たちよりも頭一つ抜きん出ていた。

 

 五年生でレギュラーに入り、六年生では不動の4番バッター。

 中学に入ると俺はすぐベンチ入りし、新人戦ではクリーンアップを任される。

 二年生になると肩の強さを買われ、投手をやるようになった。

 最上級生になると4番でエース。

 

 俺は、『特別』だった。

 誰もが俺を尊敬と羨望と信頼の目で見ていた。


 高校に入っても、俺は一年の夏からベンチに入った。

 秋にはレギュラー入りし、主力選手となった。


 ――俺が良かったのは、この辺りまでだった。


 二年になる頃、自分の成長に手応えを感じなくなる日々が増えた。

 同学年のチームメートたちの身長が、どんどん自分を追い越していく。

 どれだけ食べて練習しても、体が大きくならなかった。

 体格・パワーがモノをいう野球というスポーツで、それは致命的だ。


 当然のように背負うと思っていたエースナンバーは、急成長を遂げた同学年の左腕サウスポーに奪われ、打順は下位を打つことが増えていった。


 次第に口数が減り、黙々と練習を続ける日々が続いた。

 今にして思えば、周りは俺に気を遣ってくれていたんだろう。

 チームメイトたちは、俺に話しかけてくることが少なくなった。

 若すぎた俺は、自分が『特別』ではなくなったから人が離れたのだと思い込んだ。


 焦りでより視野が狭くなり、仲間と会話をすることは滅多になくなった。

 そして、三年の夏。俺は大会前の練習試合で足を骨折し、ベンチにすら入れなかった。


 逃げるように地元を出て、ゼミの新歓コンパでカラオケに行ったとき、歌が上手いと褒められた。

 酒が入っていることもあって、皆必要以上に俺を持ち上げてはしゃいだ。

 それは、懐かしさすら感じる優越感。

 

 俺は金を貯めてギターを買い、大学の軽音サークルに入ってバンド活動を始めた。

 中学・高校から音楽をやっていたような奴らにも、俺の歌は上手いと評された。

 俺には、才能があると思い込んだ。

 

 同級生の仲のいい連中とバンドを組み、サークル内でも評価はよかった。

 慕う後輩もでき、彼女もできた。

 俺は、失ったものを取り戻したんだと思っていた。


 しかし大学の外、ライブハウスでライブをしても、客はたいして集まらず、自主制作したCDもほとんど売れやしなかった。

 焦らず地道にやっていけば、結果は後からついてくると信じて、何度もライブをしては打ちのめされた。


 全国的な就職難もあって、卒業間近になっても俺は進路が決まっていなかった。

 ……今にして思えばいい逃げ道だった。


「就職難だから仕方ない」

「正社員じゃなくても生活はしていける」 

「俺はバンドに賭けたい」


 耳触りだけはいい言葉を使って、俺は逃げた。

 『普通でいる』ことから。

 『特別ではなくなる』ことから。

 

 俺はこの選択を後悔することになる。


 結局卒業後、フリーターとなった俺はバイトに忙殺され、バンド活動どころではなくなっていた。

 仕送りがあった学生時代とは違い、自分が生きるための金はすべて自分で稼がなくてはならない。

 俺は、生きるために稼ぐということを甘く見ていたんだ。

 

「もっとちゃんとしたバンドでやりたい」


 メンバー内で一番仲の良かったベーシストに言われたのは、5月の連休による繁忙期が終わり、久しぶりにバンドメンバーが集まった時のことだ。


 ちょっと待てよ。

 俺たちがお遊びでやってるみたいな言い方するなよ。

 俺だって

 もっと時間があれば。

 もっと金があれば。

 もっと。もっと。


 何を話したか、思い出せない。

 結局、ベーシストの脱退ではなく、俺たちが出した結論は解散だった。


一真かずまといても、先が見えない」


 2年付き合った1学年下の彼女に言われたのは、その日の夕方のことだった。

 考えもなく、簡単に就職活動をやめてフリーターになって。

 バンドに賭けると言いながらも碌に活動しないで。

 これ以上一緒にいても怖さしかないと。

 

 ……あまり、覚えていない。

 多分、何も言わず呆然としていて、さよならも言わず彼女は去っていった。

 

 俺は、また『特別』になり損ねた。

 俺は、また1人になった。


 後先も考えず、あるだけの金を酒に変えた。

 もう、何もかもがどうでもよかった。

 このわけのわからない感情をかき消してくれるなら、今後の何を犠牲にしてもよかった。


 ――悲劇の主人公気取りか?


「気取ってなんかいない」


 ――報われるはずないって自分でわかってたくせに


「違う、信じてた。俺ならできるって」


 ――わかってたから、本気で努力しなかったんだろ?


「俺は本気だった!」


 ――じゃあ、なんで



「全然悔しくないんだよ?」



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 小鳥のさえずりが聞こえる。

 扉の隙間から陽光が射し込み、暖かな空気が、朝が来たことを伝えていた。

 

 ふと目尻から筋を引くように涙が流れていることに気づく。

 高天ヶ原たかまがはらでの出来事を差し置いて夢にまで出るほど、昨日の出来事はショックだったようだ。

 目覚めは、最悪だ。

 

 それにしても、ああ。

 夢で自分に問いかけられて、気づいてしまった。

 俺が本当に悲しかったこと。

 俺が本当に悔しかったこと。


 俺は、本気じゃなかったんだ。

 自分では人生を賭けてると思っていた。思い込んでいた。


 バンドが解散した時。

 彼女にフラれた時。

 俺は驚きこそすれ……悲しい、悔しいという感情がほとんど湧いてこなかった。


 口では人生を賭けていると言いながら、俺は何一つ本気で向き合っていなかったんだ。

 そして、そのことに気づいていなかった。


 それが、俺は悲しくて悔しかったんだ。

 

 野球で伸び悩んだ時も、もっと必死にやっていればきっと何か活路があった。

 俺は努力をするということが、才能があると思っていた俺への否定になると思ってたんだ。

 『特別』なるために努力しなきゃいけないのに、努力をすることで『特別』じゃなくなると思い込んでた。

 

 人に才能があるとおだてられて、少し壁にぶつかると本気で向き合うことをやめて、けど自分が『特別』じゃないと認めるのも嫌だから、現実を受け入れることもしないでだらだらと続けて。


 俺は、あまりにも空っぽだ――


 隣では、大亮だいすけがまだ眠っている。

 俺はこれから、彼と一緒に葦原中津国あしわらのなかつくにに帰るための旅に出る。

 けど、帰って俺に何がある? 何ができる?

 大亮の命を危険に晒してまで守ってもらうような価値は、俺にはない。


 俺は一体、何のために生きてるんだ――?

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