9話 秘密

 俺が元いた世界——葦原中津国あしわらのなかつくにの人間は、基本的に魔術が使えない。

 しかし、ごく稀に魔術の素養を持って生まれる人間がいるという。


一真かずまと同じ、葦原中津国から来た人間だよ」


 目の前にいる瀬戸せと大亮だいすけという少年は、俺と同じ葦原中津国の人間で、俺とは違い特別な力を持った人間だった。

 大亮が高天ヶ原たかまがはらの人間だとばかり思っていた俺は、少なからず衝撃を受けた。


「こっちに来て……もうすぐ1年くらいになるかな」

「大亮はどうして高天ヶ原に?」


 さっき大亮自身が言っていたが、葦原中津国の人間が高天ヶ原にいる理由は大きく分けて、運悪く『道』に近づき迷い込んだか、こちら側から召喚されて転移するか、死後に転生するかの三つ。

 転生は前世が葦原中津国の人間だったというだけで、もはや高天ヶ原の人間にカウントされるとは思うが。

 

 俺の質問に対し、初めて大亮は返答に詰まった。


「んー……んーっとね。家族と一緒に来た」

「……は?」


 家族と一緒?

 家族と一緒に迷い込んだ? 家族と一緒に召喚された? 家族と一緒に転生した?

 ……どれもピンと来ない。あえて言うなら前者2つがギリギリ可能性あるか?


「俺らはレアケースだよ。自分たちで『道』から高天ヶ原に来て、旅をして回ってた。今は俺だけ別行動してるけど」


 ……えーと、どういう事だ?

 とりあえず大亮は家族と一緒に、自分の意思で高天ヶ原に来たってことか?

 わざわざこんなとこに?


「こんな力を持った人間が、葦原中津国あっちでまともに生きていくのはしんどいんだよ。まあ、高天ヶ原こっちでも中津国の人間って神族に奴隷扱いされたりするから、安泰じゃないんだけど」


 どうやらまた顔に疑問が出てしまったようだ。

 しかも、大亮にとって決して良くはない過去を思い出させてしまったらしい。

 その無表情な顔が少し曇ったように見えた。


 ……ちょっと意識して直そう。

 人を傷つけかねない。


「で、これからのことだけど」


 この話は終わり、とばかりに大亮が話を切り替えて来た。

 正直、家族のことや高天ヶ原に来た理由など、他にも聞きたい事はあったのだが、これ以上の詮索は避けた方がいい。

 恩人とはいえ、今日会ったばかりの人間にプライベートな話を遠慮なく聞くのは、どこの世界でも野暮だろう。

 むしろ彼は自分から質問を誘い出し、身元を明かしてくれた。

 見知らぬ異世界に1人迷い込んだ俺を、少しでも安心させるかのように。

 ならば俺は、必要最低限のこと以外踏み込むべきじゃない。

 

 なんとなくだが、大亮はひどく不器用だが優しい子なんだろうと思った。

 黙っておくことも、嘘をつくこともできるのに、不義理な選択をすることを躊躇し、自分で不利益を被る。

 所詮は俺の勝手な印象だが。


「まず何より、一真を葦原中津国に帰す。残念だけど『道』は基本一方通行だから、一真が来た森からは帰れない。この南大陸であっちに戻るための道は一つだけ」


 大亮はそう言って、どこから取り出したのか地図を広げた。

 地図を見ると、真ん中にひときわ大きな大陸があり、それを囲むように東西南北に大陸が広がっている。

 南大陸は他の大陸に比べてやや横長で、日本列島本州を横にしたような形状だった。


「ここ、南大陸最大都市にして首都『コクセキ』」


 大亮は南大陸の北西側にある、海沿いの都市を指差した。

 北東の端にあるヒガン村からはかなりの距離がある。


「これ……距離どれくらいあるんだ?」

「途中湿原とか色々通るし、森とか避けるから距離は知っても意味ないよ。それに……」


 大亮は、指をコクセキとヒガン村の中間地点ほどにある都市へと移動させた。


「ここ、学術都市『ソウエン』からコクセキまでは列車が通ってるから、それに乗れば2日で着くよ」

「え? 列車とかあんの?」


 正直、異世界というと文化や技術が比較的遅れているイメージがあったんだが……。


「科学の代わりに魔術が発達したってだけだから、それぐらいはね。この村もさっきチラっと見たら農耕用の魔道具とかあったし、服装だってデザインは和風だけど、別に全員が着物ってわけじゃなかったでしょ? 文明や技術が昔で止まってるわけじゃないよ」


 ……そういえばそうだった。

 すいません。正直異世界の技術力ナメてました。

 独自の文化が発展しただけで、別に止まってるわけじゃないですよね。


「……まあ、色々と意図的に発展されてない分野も多いんだけどね」

「ん? なんか言った?」

「……列車以上の交通技術はまだ無いんだよね。文化的に他の分野が優先されてるからさ。魔獣とか出るし」


 なるほど。こっちの世界より危険が身近にある分、そう言った部分が優先されてしまうのか。

 海外旅行を趣味にしている友人が「その国の風習や特化している技術で、その国の歴史や背景がわかる」と熱く語っていたが、今やっと理解できた。


「とりあえずあのユキって子が起きたら出してもらえるだろうし、そしたらソウエンまでは歩いていくよ。馬とかあればいいんだけど、途中にある湿原とかが馬で行くには厳しい場所だし、何より一真馬乗れないでしょ?」

「……まあ、乗ったことはない」

「ソウエンまではまあ……途中色んな村とかで休んで、ゆっくり進んでも3週間もしないくらいかな」


 覚悟はしていたが、結構歩くんだな。


 ……歩くこと自体は、別に苦ではない。ただ、魔獣だの野生の獣だのが蔓延はびこる世界で、自分が道中役に立つとは思えない。そもそも旅自体が不慣れだ。

 十中八九、大亮のお荷物となってしまうことだろう。

 それが、あまりにも情けなく、俺の心を重く沈めた。

 すべて失って、異世界にまで来て、それでも俺はあまりにも無力で凡人で。

 こんな俺に一体なんの価値があるというのだろうか。

 


 あれ、俺……。

 元の世界に帰ったって、何したらいいんだ――?



「……よし、今日はもう寝ようか。俺も疲れたしー」


 大亮はそう言って素早く布団に潜り込んだ。

 ……また顔に出てたかな。気を遣わせたのかもしれない。

 長年染みついた悪癖は、少し意識したくらいじゃ中々直らなそうだ。


「もう夜遅いし、寝られる時に寝ないと今後後悔するよ」


 大亮は、部屋の灯り――ユキが持っていた提灯のようなものと同じ形だ――に手を伸ばし、しばらくするとゆっくり灯りが消えて部屋が暗くなった。


「ぐっなーい」

「……ああ、おやすみ」


 俺は悪い方に落ちていく思考を振り払うかのように、薄っぺらい布団に横になった。

 やはり体はもう限界をとうに超えていたようで、頭の中で色々な想いをグルグルと巡らせても、意識は即座に闇へと沈んでいった――


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「……寝た?」

「寝たの」


 一真が気絶するように眠りに落ちてすぐ、隣で横になっていた大亮はむくりと体を起こした。

 そして、粗雑な座敷牢にはあまりにも不釣り合いな金髪の美しい貴婦人――ビーチェがその姿をゆっくりと現す。

 なぜか扇で顔を隠し、よよよ……と芝居がかった様子で泣いていた。


「あの素直で可愛かった大亮坊が……まさか嘘をつくなんて……妾悲しい」

「言葉が足りないのは、嘘とは言わないでしょ。人聞きの悪い」

「屁理屈よのぅ」

「約束通り、コクセキまでは連れていくよ」


 そう言う大亮の顔は、先ほどまでとは打って変わって冷たく、険しいものになっていた。

 そしてゆっくりと一真の方を見る。


「コクセキの、イズノメ神族さんの所にね――」

 

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