第3話 依頼≠掛け持ち
結局、桐島さんの厚意には甘えず、寝床も椅子に腰かけて薄い上着を羽織りにして一夜を明かした。
わざとスマホのアラームも早めの時間に設定して、桐島さんが起きて来るより早く起床した。
僕が目を覚ましてから小一時間程で桐島さんも起きて来るなり、朝食の準備をとそのままキッチンへと向かうものだから、流石に世話になりっぱなしだと気が引けるので「手伝います」と名乗りを挙げたところ、快く受け入れられた。
昨夜見せた身内に対する鬱憤溜まった様子は何処へやら。振り返りざまの表情は、清々しい程に良い笑顔だった。
「オーソドックスに目玉焼きとベーコン、トースト――といった感じで良いでしょうか?」
「客人の身で贅沢は言いませんよ」
「あら、甘えてもよろしいのですよ? なんて冗談はさておいて、私の勝手で長居をさせるのもアレですから、早いところ作ってしまいましょうか」
「ええ――っと、あの、お兄さんは…?」
昨夜の桐島さんの言い分だと、ここから外を見下ろした時、そこにあのスーツ姿があっても可笑しくはないのだけれど――などという心配も束の間、ちらと窓の外に目をやった桐島さんは直ぐに「流石に帰りましたか」と胸を撫でおろした。
それから間もなくしてトーストの焼ける音が鳴り響き、同時にベーコン乗せ目玉焼きも仕上がった。
桐島さんの指示の元に出した皿にそれらをよそって机へと持って行き、紅茶を淹れてくれと頼まれてキッチンへ戻ると、どうしたものか簡単な味噌汁までもが完成していた。
お口に会うといいのですけれど、と少し照れくさそうにしていたのは、記憶堂での仕事初日、振舞うと言っていた昼食を延期させていたからかもしれない。
「簡単なものですみませんが、一応は手作りということで」
「いえいえそんな。嬉しいことです」
「それはどうも。いただきましょうか」
手早く紅茶――記憶堂お馴染みアールグレイを二人分淹れて席に着き、ようやくとありついた朝食。
「どうぞお召し上がりください」
「遠慮なくお言葉に甘えて。いただきますね」
まず手を付けたのは勿論お味噌汁。
手作りというのであれば、簡単な中でも一番手の込んでいるそれからだ。
具材は豆腐にわかめ、細かい揚げが少々とシンプルなものだったけれど――
「美味しいです…」
一口お汁を啜った途端口内に広がったのは、ただ美味しいというよりかは、懐かしい。そう、丁度田舎で食べていた祖母の味にそっくりだった。
優しく、温かく、ほっとする。そんな味。
確か向こうでは、蔵よし味噌を使っていた筈だ。特徴的な旨味が他とは違う、食べ慣れた――
「え、全く同じだ……」
「ふふ。何か不思議にお思いのようですね」
「それは、ええ。地元鳥取は倉吉市にあるお店で作っている、蔵よしという味噌――それと、全く同じ味がします。全国発送しているとは聞いたことがありますけれど、まさか取り寄せを?」
「申し訳ありませんが、いいえです。私はその存在すら知りませんでしたから。地理には多少詳しくとも、郷土には疎くてですね。ですが……それが実はですね」
桐島さんは不敵に笑い、一度席を立ってキッチンへ。何やらごそごそと取り出してきたものを手に持ち、再び戻って来ると、
「じゃじゃん、蔵よしのお味噌です」
セルフ効果音とともに見せびらかされたそれは、勝手知ったる倉吉へよく母親と買い物に行って、家でもよく見たラベルのお味噌だった。
大きく”蔵”の字を掲げ、下に小さく”よし”と整えられたそれを、見紛うことなどある筈もない。
「蔵よしの味噌を知らなかった桐島さんが、どうして?」
「八月のあの日、実は夜にお母様から電話がかかってきまして」
「ここに直接?」
「はい。何でも、諸々のお礼にと色々送りたいので、住所と好きな物を教えてくれないかと。そうして教えましたところ――」
桐島さんは「お食事中に失礼しますね」と断ってスマホを操作し、ある画像を見せて来た。
そこにはこの蔵よしのお味噌の他、玉栄たまさかえ、五百万石ごひゃくまんごく、強力ごうりきに山田錦やまだにしきと、ものの見事に鳥取県産の酒に加え、銘菓山本堂のふろしき饅頭、因幡の白兎といった鳥取土産のフルコースが載っていた。
「大きな段ボールで運ばれて来ましてね。私は特に何もしていないのですけれど、厄介な息子を雇ってくれてる礼だと言われては……美味しく有難く、少しずつ頂いております」
「僕ってそんなに厄介者でしたか…」
「あぁいえ、そんなことは…! そこはちゃんと否定しておきましたよ、本当に! 事実色々助かってますし、慰めもしてもらいましたし、ヴェネツィアでは夜も共にしましたしと」
「言い方に気を付けてくださいよ…! 貴女の言葉を借りるなら、淫猥な響きこの上ない…!」
「あらあら、朝からそんな話題に行くのですか。ふふ、神前さんって見かけによらず――こほん、失礼」
「なんて失礼な人だ……」
もう呆れてものも言えない。
溜息を吐いて、僕はまた食事へと戻る。
流石にそこまで来ると、桐島さんもそれ以上の弄りはせずにスマホを仕舞い、同じように食事を続けた。
食べ進めていると、味噌の濃さ、目玉焼きの塩加減、味付けといったものは全て、僕の好みの薄さと似ていることが分かった。
見た目通り印象と言えばそうなのだけれど、薄味好きが同じだとは。
気を利かせて「薄いですか?」と聞いて来た桐島さんに首を横に振ると、「良かったです」とほっとした様子。男の子はもっと濃い味の方が好きなのだとばかり思っていた――というのも、兄がそうだったらしい。
と口にした瞬間、桐島さんはしまったとばかりに両手で口を塞いだ。
まさか、わざわざ自分からその人について掘り返そうとは思わなかった。
あれだけ毛嫌い、遠ざけているというのに。切っても切れぬ縁とは、こういうことなのだろう。
ふとした拍子に出てしまうのは、長年ずっと一緒にいた所為だ。忘れたくても、切り離したくても、遠ざけたくてもそう出来ないのは、そう願えば願う度に思い出し、色濃く脳裏に焼き付いてしまうから。
良かった思い出より悪かった思い出の方がよく覚えているのとよく似ている。
変にぎこちなくなった空間の中、朝食を摂り終えた。
簡単に皿洗いを手伝って身軽になる頃、ようやく思い出したのは記憶堂に置き去りにしていた僕の荷物だ。
「そろそろお暇しますね。一晩中、あそこに荷物置きっぱなしにさせてもらっちゃって、ありがとうございました」
「いえいえ、またいつでもいらしてください――と言っても、足繁く来るのでしょうけれど」
「嫌な言い方はよしてください。バイトの身としての使命感ですよ」
「ふふ。では、鍵をお開けしますから、下までは着いて行きます」
「お願いいたします」
荷物を纏め、桐島さんに続いて部屋を出る。
途中、廊下からちらと見やった開いていた部屋には――
(本当に何もない……)
本人の言っていた通り、本棚と机以外は何もない部屋。
寂しい――と言っていいものかはあれだけれど、味気無さはやはり拭えない。
例えばぬいぐるみや、例えばCDや、そんなものの一つでもあって良いのではないだろうか。どこまでいっても、一人の女性なのだから。
靴を履いて外に出て、階段を降りると見えて来た記憶堂。
店構えと同じく古ぼけた鍵で以って解錠し、僕を中へと入れてくれた。
そのまま奥部屋へとさっさと向かい、手早く荷物を纏めて踵を返す。
「ありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。身内のことで巻き込んでしまい、すいませんでした」
それだけの短いやりとりを経て、僕は桐島さんに一礼して記憶堂から遠ざかっていく。
「神前さん」
ここ最近では、もう何度目かになるであろう呼び止め。
はい、と振り返ると、
「神前さんの透明は、とっても素敵な色をしています」
そんなことを言い残して、桐島さんはまた二階へと続く階段の方へ。
笑顔で言われたその言葉の意味を少し考えて、僕は再び歩き出すまでにしばらくの時間を必要とした。
さて、そうして自宅に戻って来たわけなのだけれども。休日といえども、特にこれといってやることはない。
煮詰まってこそいたけれど、時間をかけた昨日に存外とレポート作業も進みはしたから、夜にまた少し手をつけるにしても意外と余裕はあった。
とりあえずシャワーを浴びて軽い昼食を作って、盛り付ける皿を手に取って――と、そこまで終えた頃だ。
唐突になる、メッセージやメールではない着信の音。
まだ盛ってはいなからとひとまず皿を置いてスマホの方へ。
「遥さん…?」
液晶に映し出されていた文字は『ハル』の二文字。
通潤橋の件の際、葵から勝手に貰ったと送られてきたメッセージのアドレスと番号を、そのままの名前で登録していた。
「もしもし」
『おーまことか、久しぶり』
相も変わらない爽やかな声だ。
「お久しぶりです。メールでない辺り、至急の用ですか?」
『まぁある意味で言えばな。ちょっと葵のことで頼みがあるんだ』
「葵の?」
『あぁ。っと、着て貰った方が早いから、またいきなりで悪いんだけども、うちに来てくれ。時間あるか?』
「まぁあるにはありますけれど…」
『じゃあ今から。電話切って地図送るから』
「え、ちょ、内容――!」
プツ。
ツー、ツー、ツー。
切られた。
いきなりかかってきたかと思えば、いきなり妹のことでと話された挙句、いきなり切られた。
ある意味で言えば滅多にない、面白い状況ではあるな。
なんて馬鹿な考えをしていた矢先、宣言通りにメールが一通、画像付きで送られてきた。
「地図って言ってたっけ。えっと」
画像をタップし、拡大表示。
しかし驚いたことに、以前大学へ行く際に待ち合わせた中間地点たる駅前のスタバは、その実僕の住むここより高宮家の方が随分と遠いことが分かった。
真逆も真逆、そして距離もあるそこから、わざわざスタバを選んだのは、葵の気遣いだったのだろうか。
そんなこと、男である僕の役割だろう普通は。
気付かなかった僕が悪いけれど、葵も変な気なんか回さなくても良かったのに。
「でも、そういえば――」
待ち合わせの予定を立てた時、僕はまだあの子のことを”葵”とは呼んでいなかったな。向こうからの呼び方も、そのすぐ後に”まこと”固定になった。それに、ファミレスでは「勝手に誘って断らなかったことが嬉しかった」と言っていた。
初対面すぐで緊張――いや、自分のことで巻き込んだ僕に対する、せめてもの優しさ?
「まったく…」
葵は本当に、良い子だ。
いつかに見たスタバを通り過ぎて電車に乗り、揺られること十五分。
三駅隣で降りてからは、更にしばらく徒歩での移動だ。
十分を過ぎた辺りから、一分、二分と経過していく度に、辺りはだんだんと静かになっていく。伴って人通りも少なくなっていき、ついにはすれ違う者はいなくなった――と、それはたまたまなのだろうけれど、つい数十分前までとは段違いに静かなのは確かだ。
地図の載った画像と睨めっこをしながら歩くこと約二十分。
一緒に文面で記されていた番地に”高宮”の文字が掘られた表札のあるアパートの一室を見つけた。
こう言ってはあれだが、確かに苦しそうな生活をしているらしい住まいだ。
二段ある郵便受けは、部屋の数と一致していることから恐らくは一階二階と別れているのだろう。
であれば、上段最奥にある”高宮”は、二階の一番奥ということか。
「階段っと――あった」
建物の横に回って見つけた階段を上がって二階へ。
すると、上りきったところで丁度、最奥の部屋のドアが開いた。
中から顔を出したのは、緩くスーツを着込んだ遥さんだ。
「おーまこと、来てくれたか」
「呼ばれたので。お出かけですか?」
「バイトだ、夜まで。そこで悪いが、呼び出した理由は中にいる葵に聞いてくれ」
「え、ちょ…」
「またまた勝手で悪いが、まぁ二人きりってことで勘弁してくれ、礼は必ずするから。じゃ」
片手を挙げて風のように去っていくイケメン。
残された僕は、一体どうすれば。
中にいる葵に確認してくれと言われても、こうして改めてインターホンを押そうとすると妙に緊張するな――と身構える僕の前で、
「兄貴、夕飯だけ…ど……」
バタン。
開かれた扉から一瞬葵が覗いたかと思うと、目が合って直ぐに閉められてしまった。
「なな、何でまこと…!?」
「いやいきなりで驚くのは分かるけど、たった今、遥さんから葵に尋ねろって――」
「知らない、聞いてない…!」
「聞いてないってことはないだろう。用があって呼び出されたんだから」
「いや、でも…だって……」
途端に小さくなった声は続けざまに、
「雇った家庭教師がまこととか、兄貴言ってなかったもん……」
「……え?」
はい?
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