EX:5話 鳥取しゃんしゃん祭

「――きて――起き――起きて、まこと」


 肩を揺さぶられる感覚。

 薄っすらと開いた目の前には、やや心配そうに眉根を下げている葵の顔が。


「っと、そうだった…! 僕、どのくらい?」


「三十分ほどだよ」


 それはまた、随分と眠っていたものだ。


 僕らは今、祭りの会場へ、祖父が回してくれたバンに乗って移動している最中だった。

 家を出てからの記憶が全くないということは、昨夜分の睡魔が一気にやって来て、眠ってしまっていたのだろう。母さんからあんな話を聞いた所為かな、やけにリアルというか、自分ではない他人の過去を追体験しているような夢を見ていた。

 人は、自分が何かしらで体験したことしか夢の中では再生されないと言う。

 全くの赤の他人は、その実どこかですれ違っている程度の接点はあるのだ。


 つまり、あの”たけちゃん”なる人物の声は、きっとどこかで出会った人の――しかし、姿は。


 どこへも吐き出せない複雑な感覚が、少しだけ残っていた。


「ごめん、私が勝手に寝ちゃってたから」


「あぁいや、別にそれは構わないんだけどね。それより、三十分ってことは、そろそろ着くよね?」


「そや。せっかく着込んだ浴衣やけ、こんなくたびれたバンから出るんもあれだから、ちょっと手前で降ろすけどええか?」


「ありがと、おじいちゃん」


 礼を言ったのは姉さんだ。

 葵も小さく「うん」とは言ったが、おそらく聞こえてはいまい。


 白基調に水色の花模様の浴衣とは、実に姉さんらしい。

 花飾りまでして、どうしてこれで彼氏が出来ない。


「失礼なこと考えてる顔してるわよ、まこと」


「いいや全然。浴衣着りゃそこいらの女子には負けないだろうに、どうして未だ彼氏の一人もいないんだろうって」


「それ、普段の私を貶してるわよね」


 それもそうだった。


 祖父がのトラックが見えなくなるまで控えめに手を振ると、さてとと柏手を打った姉さんの後に続いて僕らは歩き出す。

 といっても、通りを練り歩く祭りであるだけに、具体的に”どこ”とはないわけだけれど。

 要は場所取りだ。主要な所は大勢の人たちに抑えられているだろうから、見えなくもない静かな所を探していく。わいわいとただ騒がしい雰囲気は葵も苦手だと言っていたから、丁度いいと言えば丁度よかった。


 しばらく歩くと、長蛇の列の切れ目を発見した。

 一番端まで来てしまったわけだ。

 こちらから来るのか、こちらに来るのか。

 いずれにせよ、その全貌を眺められそうだ。


 しかし、百七十ある姉さんと母さんはまだしも、二回り程小さい葵には、少し垣根が高そうだ。

 必死になって背伸びしている様は見ている分には可愛らしいものだけれど、それで目的を果たせないとなれば可哀そうなことこの上ない。


「二人とも、携帯持ってるよね?」


 僕の問いかけに、姉さんと母さんは頷く動作で以ってイエスと答える。


「じゃあ、何かあったらかけて。時間にはまだちょっとだけ早いから、葵と別の場所に行くよ」


「あら。それなら、私たちは毎年見ているけん、一緒に探しに行くけど?」


「下駄だと長時間は歩きにくいからね。葵一人なら、僕がおぶれば良いし」


 と、別に嘘を織り交ぜずに言ってみると、二人は顔を見合わせてにやけて、


「母さん分かっとるけん。二人っきりの邪魔するなってことでしょ?」


「姉さんも分かっとるけん。二人で食べ物シェアするんに、私ら邪魔だものね?」


 そういった下心が無いと言えばやや嘘にはなるけれど、葵がそれを是とするとは思えない。

 ともすればジャンプしてでも見ようとする勢いの葵を、放っておいて自分だけ眺めて良しとするなんて選択肢がないだけだ。


 揶揄する二人は放っておいて、僕は先導して葵と共に来た道を戻る。

 ここまで来るに至るまでに既にどこも埋まっていようが、それはあくまで脇道の話。

 並ぶ建物は、その限りではなかった。


 葵を連れていくべきではないのかも知れないけれど、せっかく何百キロも離れたこんな田舎に来てくれたのだ、背に腹は代えられない。


 僕は、何度か見知ったとある建物を見つけると、そちらの方へと流れていく。

 そして裏口からインターホンを押し、待つこと五秒ちょっと。


「はいはいっと――って、お、まこっくんやん!」


 扉が開けられる同時に顔を出した元気で大柄なこの人は、ここの店主である大野おおの辰治たつはるさん。中学校までの縁で、祭りを見たいならここの屋上を好きに使ってくれと言ってくれていた。

 大阪育ち、地元民ではない大野さんは、隠すでも学ぶでもなく関西弁を話す。

 相も変わらず、いや当時よりも更にパンプアップした腕で僕の背中をバシバシと叩くと、


「ひっさしぶりだ! 里帰りか?」


「えっと、まぁそんな感じです。今からもうすぐ始まるしゃんしゃんを見るのに、いきなりで悪いんですけれど、屋上をと思いまして」


「そんなことなら大歓迎って言いたいんやけど…その子は誰や?」


 問われ、視線を向けられた葵は、連れてこられた猫のように瞬間身体をビクつかせる。

 うちのおじいちゃん同様、見た目はあれだからなぁ。


「向こうのバイト仲間で高校生の、高宮葵と言います。都会育ちでこういった祭りには縁がないらしく、一度見てみたいと」


 嘘は言っていない。言っていないぞ。

 藍子さん雇てくれないかなぁと言っていたし。


 大野さんは「そうかそうか!」とまた大仰に笑い飛ばして僕の背中を叩くと、勝手に上がっていいぞと中へと招き入れてくれた。

 僕はありがとうと、葵は会釈でもって感謝の意を示し、店先へと戻っていく大野さんを見送ると、早速階段を上がっていく。


 すると、丁度踊り場まで来た辺りで、下からか「そや!」と呼び止められる。

 何か、と振り返る僕に、


智樹ともきがおった筈や。久々、話したってくれ」


「そういや、ここの大学に進学したって……分かりました、ありがとうございます」


「おおきにな」


 そして、大野さんは再び店先へ。


 小、中、高とよく遊んでいた、言ってみれば幼馴染という関係性になる大野智樹は、田舎を出て都会暮らしをすると僕より息巻いていたけれど、最終県内の大学へと進学した。

 バイトをしながらアパートを借りて一人で暮らしてはいるみたいだけれど。


 階段を上りきり、屋上へと続く思い扉を開くと、風に乗って何やら香ばしい香が漂ってきた。

 その香がする方へと目を向け歩き、角へと差し掛かった時だ。


「久しぶり、マコ」


 変わらず優しい声が、耳を打った。

 たったの数ヶ月、半年も離れていなかったというのに、これほど懐かしめるものだとは露ほども思わなかったな。


 声の主である大野智樹は、屋上端四方に設けられている柵に頬杖をついて、缶コーヒー片手に焼きそばパンを齧っている。


「久しぶり、トモ。またちょっと背伸びたね」


「お前がここを出る前からだと、一センチ程度な」


 数ヶ月ではあるけれどここを離れていた僕は、幼馴染とは言え普通に話せる自信が、実は少しなかったりしたのだけれど、存外と話せていることに驚いていた。


 智樹はコーヒーで流し込みながらパンを食べ終えると、僕の後ろに控えていた葵に目を付けた。


「彼女?」


「都会育ちのバイト仲間だ」


「あぁ、そういう――田舎の祭り見学か」


「話が早くて助かるよ」


 相も変わらず察しが良いのは彼の美点だ。

 頭の中だけで自己完結せず、確認を取るところがこいつらしい。


「大野智樹。そいつと同じ大一だ、よろしく」


 にっこりと良い笑顔で手を差し出す。

 この一見わざとらしくも見える笑顔も、営業スマイルでないところが驚きだ。


 驚き、身を引きかけた葵だったけれど、少し間を置いてから、名前だけ名乗ってその手を取った。


「手、硬い」


 悪手をするなり、葵がそんなことを言い出した。

 力を入れたり抜いたりと、その感触を確かめているようだ。


 手というか、主に指先に集中している智樹の手の硬さは、父親の影響で幼い頃からギターを弾いていたせいで出来たものだ。スピードメタルばかり弾いていたのをよく覚えている。

 破れては固まってを繰り返した努力の産物である。


 なぜか本人ではなく僕の口からの説明により、葵は「へぇ」と得心が言った様子。


「ごめん、高宮さん。くすぐったいから、そろそろいいかな?」


「え…!? あ、えっと、ごめんなさい…!」


 ぎょっとして慌てて手を引っ込め、ぺこぺこと何度も頭を下げ謝る。

 そこまでして欲しいわけでもなかった智樹は逆に気を遣って「あぁいやこちらこそ!」と同じく頭を下げている。

 何なのだろう、このよく分からない光景は。


 五往復ほどしたところでそのやり取りも終わり、それと同時に下が騒がしくなってきた。

 見やった道路の向こう側からは、まだ姿は見えないけれど、確かにシャンシャンと音が鳴っている。


「来たか」


「みたいだね。あっと、今更だけど、親父さんに通して貰ったよ」


「知ってる。さっき、下にお前らの姿見えたけん。まさか女連れとは思わなかったけど」


「言い方気を付けてくれ。まだ彼女じゃない」


 と言うと。

 智樹はその一言が気にかかったようで、誰かたちと同じく悪戯な笑みを浮かべた。

 騒ぎ始めた人々の列に目を降ろしたままの葵にバレぬよう僕の肩に腕を回して組んで、小さな声でおいおいと。


「大人しいけど可愛い子じゃないか。まだってどういう意味だ?」


「……屋台の焼きそばで話してやってもいい」


「それなら安心だ」


 安心?

 そう聞くより早く、唐突に扉が開かれた。

 親父さんだと思い身構えるでもなくそちらを見やると、現れたのはものの見事にそんな想像を超えてくる者だった。


「ごめん、遅くなって…! なっかなか通れんで――って」


 その闖入者も、僕の姿を見るなり固まった。


 緩やかに天然のパーマがかかっているショートへア。前髪をピンでただ留めただけのその髪型は、ただただ懐かしいものだった。

 記憶堂入店初日、僕が桐島さんに披露した無茶苦茶な持論。

 彼女に言った”小さなことで悩んでいる近所に住んでいた女の子”というのが、正に今目の前にいるこの人、牧島まきしまけいのことだ。


 ちなみに当初の悩みとは、髪を切りに行った際、美容師がちょっと切り過ぎてしまって額が出ていたということだ。

 掘り起こす程のことはない、小さな悩みだ。

 いずれ生えるから、と端的に言ってのけず長ったらしい持論を述べた僕も僕だけれど。


「久しぶり、まこっちゃん」


「驚いた、景は本当に久しぶりだ。智樹ともども遊んでたのだって、最後は確か――」


「中一だな」


「そうそう、それくらいだ。雰囲気は変わらないけど、随分と身長伸びたね」


「当たり前でしょ。百四十から伸びてなかったら、今頃遺伝子を深く深く恨んでるわよ」


「それは怖い」


 と、そこまで話して、景が気付いたのは葵の存在だ。

 先と同じ流れで自己紹介をし合い、握手をする――と流れは同じだったけれど、智樹の時と違ったのはラグの長さだ。女の子同士とあって、葵はすんなりと景の手を取った。

 そしてまた、彼女かと問われ、言い分を述べの繰り返しだ。

 流石は悪友二号、智樹と全く同じように「可愛い子じゃん」と肩を組んで来る。


 まったく、勘弁してほしい。


 短く否定してあしらって、ようやく解放されると話題は焼きそばの話に。

 そう。僕はつい先ほど、焼きそばと交換条件なら葵とのあれやこれやを話してやってもいいと言ってしまったわけで――と気付いた時には遅かった。

 智樹が景に耳打ちし、それを受けた景は智樹ともども悪い笑みを浮かべ、手に持っていた焼きそばを僕の方に差し出した。


「教えなさい、色々と」


 ここは屋上、柵の外は十数メートル下に地面があるだけ。

 言い訳の余地はなかった。




「「記憶堂?」」


 葵とのことを話すには、まずそれだけは外せなかった。


 二人の反応は、目下の光景に夢中になっている葵に焼きそばを渡し、とりあえずと口にしたその言葉を聞いてのものだ。


「自宅近くの路地裏にひっそりと佇む店で……うーん、説明しにくいな。そこの店主が”一度見た物は忘れない”って記憶力の持ち主で、それを武器に、大切な思い出の中で忘れてしまったお客さんの記憶を思い出させるお手伝いというか、そんなことをしているんだ」


「何だか素敵ね。まこっちゃんはそこでバイト?」


「半ば無理やりだったけど。でも、そのお陰で色んなことが知れたし、色んな体験も出来てる。まだ数ヶ月だけだけど、人生の豊かさというか、経験値みたいなのは凄く増えた」


「へぇ。それで、あのえらく別嬪な高宮さんとは何で知り合ったんだ?」


「……ちょっと長くなるぞ?」


「構わないよ。どうせ、夜まではここを動かんつもりやけん」


 そんな景の返しを受けて、僕は素直に葵との過去を洗った。


 出会いは些細なことだった。

 呼び出された時間より早めに出てしまったからと立ち寄った公園で、たまたま猫を心配している葵に出会って、それを助けて。

 その呼び出しでやって来た依頼人が葵だった。

 亡くなった祖父との思い出の一枚に移った不可解な物の正体を突き止めくれ、と。

 喫茶店やファミレス、天文部、岸家で色々なことを話し、皆でその現場に向かって、道中葵から告白されたこと。

 時間はかかったけれど、その正体が結局は温かい思い出だったこと。

 ここに帰ってくる前に訪れたヴェネツィアでちょっと不思議な体験をして、その中で僕の方からまた告白をしたこと。その返答は晴れて受験に合格してから欲しいとお願いをしたこと。


 そんな経緯があって今に至り――つまり、お互いに好意は持っているけれど、それが全て恋心なのか二人とも曖昧で、けれど少しは本当に好きで、居心地が悪くはない微妙な距離感にあるということ。


 茶化してはいた二人だったけれど、話し終える頃に確認した表情は、真剣なものだった。

 お道化る様子も、揶揄する様子も、まして貶す様子も一切ない。


「ちゃんと考えてるんだ。ごめん、軽いテンションで聞いて」


「別に良いよ」


 下手をすれば、そんな状態にいる今の自分を自慢だって出来る。

 今までで一番何より勇気を出して、その結果断られてはいないのだから。


「それより、僕だって気になることがある。どうして二人が揃ってここに? まさか付き合ってるとか?」


「そのまさか――って言いたい気もするかな、景は美人やけん」


「ちょ、とも…!」


「でも残念、ただ大学の学部が一緒ってだけだ。久々会えたからって、四月からの付き合い」


 それはそれで、また良いものだとは思うのだけれど。

 お互いに色々と変わった十八で会って、変わらず一緒にいられるなんて、素敵なことだと思う。


 私の気持ち知っとるくせに、と小さく漏らした景の言葉は、聞こえないふりをした。


「そんなこんな話してるうちに、ほら来たみたいだぞ」


 智樹が顎で指した下方では、いつの間にやら盛り上がりは最高潮に達していた。


「まことまこと、ほら見て、凄く綺麗…!」


 葵はぴょんぴょん跳びはねながら僕の袖を掴んで引き、柵の方へと連れて来る。

 釣られて目をやると、先頭には毎年出ている見慣れた柄の傘の集団があった。

 一等晴れやかではあるが、大人っぽさを損なわない落ち着いたデザインのそれは、回数出ているだけでなく、客からの支持も一番厚い。


 しゃんしゃん祭とは、一九六一年に始まった例祭の行列に、四年後の六十五から”因幡いなばの傘踊り”という伝統を組み合わせて始まったもので、傘に取り付けられた鈴が”しゃんしゃん”と鳴り響くこと、鳥取駅前の温泉の湯の湧き方を”しゃんしゃん湧く”と表現することからその名前がある。

 十四年には、世界最大の傘祭りとしてギネスにも認定された。


 と、そんな情報を披露したのは智樹だった。

 先のように頬杖をついて、自慢がることなく自然に話した。


 流れていく行列に夢中になっていた葵は「へぇ…」と生返事。

 しかしそんな様子にも呆れることなく智樹は優しく微笑んで、葵が楽しんでいることを喜んでくれた。


 見物客は十万を超え、四千を超える踊り子たちがその見物客を楽しませて進む一斉傘踊りは、まだまだ始まったばかり。

 しっとりと落ち着いた舞い、華々しく活気に溢れた舞いと、団体ごとに異なる傘で披露される舞いは、観客を最後まで飽きさせることなく進んでいく。


 祭りは続く。

 陽が沈んでも、今度は太鼓やぐらに屋台だ。


 一通りの行列を見終わったら、そちらにも行かないとな。


 そして、母さんのあの話も――。

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