EX:6話 捜索、思わぬ収穫
日も落ち、辺りが帰宅や屋台やらと移動を開始し始めていた頃、葵は未だ冷めない行列の熱に浮かされたまま、柵に背中を預けて座り込み、呆然と空を見上げていた。
雲一つない快晴の夜空では、天の川がその姿を遠慮なく示している。
際限なく広がる星の海。月並みだけれど、その中の自分がちっぽけに思えてくるものだ。
「さて。あたしらも屋台漁りに行こっか」
柏手を一つ、音頭をとったのは景だ。
そうだな、と智樹が立ち上がり、うんと短く葵が腰を浮かす。
掴まりなと目で語りながら無言で差し出される景の手を取り、葵はせーので立ち上がる。
友人が少ない、か。
今更ではあるけれど、そんなことはない気がする。
確かに自分からアプローチをかけるのは苦手そうだけれど、きっかけさえあれば、葵はこうして誰とでも普通に付き合うことは出来ているわけなのだから。
お節介だと切り返されそうだから言いはしないけれど。
親父さんに礼を言って外に出ると、そのまま四人で真っ直ぐと屋台会場を目指す。
ふと確認した携帯に着信履歴は無かったけれど、念のため『屋台行く』とだけ姉さんに送っておいた。
程なくして返ってきた文面は『り』の一文字。了解、を最小限に伝えるいつもの言葉だ。
「見えたよー」
しばらく歩くと、なかなかの賑わいを見せるひと際明るい空間が見えて来た。
提灯に灯篭、日本の祭りとはかくあるべしと謳っているような、純和風の屋台に飾りの数々。
もうそれだけで、こっちに来た甲斐があったというものだ。
何から食べようとはしゃぐ景より早く動き出していたのは、僕の腕を引いてリンゴ飴の屋台を真っ直ぐに目指す葵だ。腹を満たすより、楽しむより、軽いかき氷等に手を出すより先に、一番最後まで残りやすいものを選ぶ辺り、流石は自由の権化だった。
とは言え僕は、特に断る理由もなかったのでとそのまま葵に引かれてやった。
そして店番のおっちゃんから「らっしゃい」が届くより前から、葵はじっとそこに並ぶ品々に目を凝らす。
鋭い眼光は、好きだから一番大きいのを選ぶというよりかは、物珍しさに興奮しているようだった。
「もしかして葵、食べたことない?」
僕の問に、葵は無言で頷く。
都会にも祭りの一つや二つはあるだろうに、その代表的なお菓子を食べたことがないとは、これ如何に。
「おっちゃん、一番大きいやつくれる?」
「はっは。ここまでがっついて見入る嬢ちゃんも珍しいと思ってたとこやけん、サービスな。ほれ」
「ありがとうございます。葵」
ずるい、と言いたげな目で僕と店主とのやり取りを眺めていた葵にそれを渡してやると、今度はきょとんと間の抜けた面構えで受け取った。
「良いの?」
「良いのも何も、僕のじゃなくて葵のだから。欲しかったんでしょ?」
「それはそうだけど…」
何だか申し訳なさそうな表情。
お節介が過ぎただろうか。
やや微妙な空気になりつつあった雰囲気に、店主が割って入って葵に尋ねた。
「嬢ちゃん、都会っ子か?」
「えっと、うん――は、はい」
「そうか。ならサービスだ、も一本持ってってくれ」
「え…!? い、いや、それは悪い…!」
「構わん構わんけん、何なら隣の彼に渡せばいいさ」
強引に押し付けられるように手渡されるそれを、非力で大人しめの葵には完全に断ることが出来ず、結局受け取ってその屋台を後にした。
初め渋々、嫌々といった感じだったくせに、
「ふふ」
美味しそうに食べる横顔は、無邪気な子どものそれだった。
早い、勝手に行くなと、半笑いで僕らの行動を諭す二人と合流して回っていると、やがて姉さんと母さんもやって来て、思いの外大所帯での屋台巡りと相成った。
まこっちゃんってお姉さん二人もいたんだ、と真顔で聞いてくる景に片方は母さんだと伝えるや、心底驚いたように「そんな馬鹿な!」と一言。若作りはしていないのに、なまじ肌だけは恐ろしい程潤っているからなぁ、うちの母さんは。
しかし景が「失礼しました!」と切り返した相手は姉さん。
母さんはとても嬉しそうにしていたが、当の姉さんは少しショックを受けた様子。
そういう意味ではないと思うのだけれど。
「どっちかって言うと、母さんが幼いんだよ。身長も、姉さんのが僅かだけど高いし」
「そう言えば、まことから話には聞いていたけれど、景ちゃんとこうして会うのは初めてだものね」
「私もー」
言われてみればそうだった。
よく話には出して、母さんも姉さんも「景ちゃんがどうしたって?」と返してくるものだから、すっかり面識があるものだと誤認していた。
既に”景ちゃん”呼びしている人を相手に、改めての自己紹介。
景が言うところの”日本美人”二人に囲まれて、終始固まりっぱなしだったのは見ていて面白いものではあった。
それも終わると、とりあえずの食事と手分けして好きな物を買って集合。
僕はたこ焼き数パック、葵はさっき食べた筈の焼きそば、景は人数分のフランクフルトに智樹はイカ焼きと焼きトウモロコシ。
問題児の大人二人は、アルコールを調達。
「僕ら飲めないぞ」
「え、でも大学生――って、そうだまだ一年じゃん」
「あらあら。なら二人で飲むしかないわね」
素で忘れていたのか。
身内ながら恐ろしい大人だな。
来て早々だと言うのに、ちょっと休憩と二人は空いているベンチへ。
そのまま乾杯して、美味しそうにグビグビと――
「はぁ……とりあえず、僕らも食べようか」
「だな。じきに花火も上がるだろうから、場所取りだと考えればいいか」
「そうね」
「うん」
短く応じる女の子二人を後ろに、僕らは既に出来上がりつつある大人の横に座った。
端から葵、僕、買って来た品々を挟んで景、智樹。その先に残りの二人がいたけれど、敢えて触れようとはしなかった。
一息整うと、葵は構うことなく僕の前から乗り出して焼きそばとたこ焼きを手に取り、満足してくれるかと思えば追加で焼きトウモロコシと、
「って、言ってくれたら取るから…! 浴衣の端が足に擦れて、わりとくすぐったいんだよ」
「……ごめん。でも、もう揃ったから」
「それは何よりだけれど、次から気を付けてくれ」
「分かった」
と、そんなやり取りを見ていた地元の友人二人は、顔を見合わすなりしばし硬直し、
「後でも、恋人っていうよりは――」
「兄妹、だな」
と一言。
確かに葵のことは好きだけれど、一緒にいると、こう――心配になるというか、放っておけないというか、どうしても対等な付き合いが出来ないというか。
対等で居たいと願う反面で危うい幼さがあるから、そっちに目が行きがちになってしまう。
まったくもって、二人の言う通りだった。
「まことが兄貴……それもいいかも」
「ちょ、葵まで何を…!?」
急になんてことを言い出すのだろう。
冗談を抜いて心臓が止まるかと思ったぞ。
僕の告白に対してはあれだけのリアクションを見せていたのに、兄妹という立場の話題になると、どうして前のめりな反応が出来るのか。
「兄貴、たまにしか家にいないし。私を甘やかしてくれるけど、本当は――」
「葵!」
ふと僕が怒鳴ったことで、場にいた五人だけでなく、往来する通行人の数名までもがこちらに視線を送る。
しかし今は、それに構っている場合ではない。
人目などどうでもいい。
「ま、まこと…?」
葵が遥さんのことを理解していないだなんて思っていない。事実として葵の口からは、兄がバイトをしている理由に対し「私が満足して暮らせないから」だと言っていた。
でも、それでも――疑っている訳ではないにせよ、場の雰囲気の流れにせよ、それを少しでも違えた見方をした葵の言葉が、僕はどうしても我慢できなくて怒鳴ってしまった。
本当は、そんな必要なんてないのに。
本当は、笑っていつものように流せばよかったのに。
それを理解していながら声を荒げたのは――
「遥さんがバイトの鬼になっているのは私の為だって、葵前に言ってたよね」
「う、うん…」
「遥さんは葵を甘やかしてあげているんじゃない。そう思ってもらえるくらいの余裕を与えて、葵に狭い思いをさせまいとしているんだ。分からないわけじゃないだろ?」
「……勿論、分かってる」
葵は俯き、静かに答えた。
「『マイペースだから粗相なかったか?』とか、記憶堂でのことには『マジで色々助かった』とか言ってた。言っていいものかどうか迷うけれど、この際だから言うよ。天文部のサークル費で行った通潤橋は、その実遥さんが一手に負担していた。交通費に食事代、岸家キャンピングカーのガソリン代も、事後連絡して結局払ったらしい。先輩たちには悪いから、私用で職権乱用してるからって」
「兄貴が…!?」
「うん。葵には言うなって口止めされてたんだけどね」
そんな短い追い打ちに、葵はそれ以上の言葉を持たなかった。
ただ俯き、前髪で顔に影を落としているだけだ。
「遥さんが本当は――なんて、そんなことは絶対にない。ある筈がない。あっていい訳がない。中でも葵は絶対に言っちゃだめだ。あの人はたまにお道化ながらも、いつだって葵のことだけ考えて動いてきた。ある日を境にバイオリンをきっぱりと辞めたのだって、聞けば、大切なものを護れなくなるから、らしいじゃないか。それはきっと――」
葵のことだろう、とは言わなかった。言わずとも、葵なら分かっていると思ったから。
その証拠としてか、葵は薄っすらと目に涙を浮かべ、肩を震わせていた。
流石にこれ以上は、僕の口から語るべくではない。
僕は立ち上がり、振り返りざま皆に尋ねた。
「かき氷、何味がいい?」
皆一様に固まり、すぐには答えない。
そんな中でも、良い方に空気を読んだ景は、まず葵に何味がいいか尋ねた。
こういう気遣いが出来る辺り、昔から変わらない優しい友人だ。
五人各々伝えられた味をスマホのメモに記録し、僕は「はいよ」とだけ言ってそのままかき氷の屋台を目指して歩き始めた。
「おっちゃん、えっと――」
母さんと姉さんがいちご、景がメロンで智樹がレモン、葵は「景と同じの」と言っていたな。
自分の好きなものを選ぶでもなく、かといってさらっと決める時に使う「まことと同じやつ」でもなく、景と同じものを選ぶとは。説教をしたかったわけではないのだけれど、少し強く言い過ぎてしまっただろうか。
後から謝っておかないと。
「はいよ、いちご二つにメロン二つ、ブルーハワイにレモンと。間違いないね?」
「はい、ありがとうございます」
「沢山買ってくれるのは有難いんだけどよ、それで持てるのかい?」
「まぁ頑張って……最悪、上に重ねて持っていきますよ」
「それじゃ潰れちゃうだろう。ちょっと待ってな」
と、店主のおじさんが振り返って何かを取り出す。
渡されたそれは、ここに足を運ばなくとも帰るよう、たまに作ったものを乗せては足で売りに行っているトレイだった。
「後で返してくれればいいけん。とやかく言わんと、溶ける前に持って行きんさい」
「は、はぁ……すいません」
「気にすんな。はよ行き」
明るい笑顔と言葉を受けて、困っているのは事実だったから断るわけにも行かず、礼を受け取って買った物を乗せて店を後にした。
先の場所へ戻ると、瞬間で分かったのは葵が不在だということだった。
何処へ行ったのか問いただしたところ、お花を摘みに行ってくると言って席を立ったのだとか。
これだけ広い、それも初めての場所で、初めて会う人々に自分から声を掛けてお手洗いの場所を聞ける程、こう言っては失礼だが葵の社交性は高くない。
言ったことが真実なら迷っているか、虚偽なら何処へ行っているのか。
下手をすれば、祭りの熱に浮かれる、いわゆるそういう系の面倒な男達に捕まってしまっている可能性も――
そう考えると、いてもたってもいられなかった。
「勝手に食べといて。何なら僕の分も良いから。トレイは横に置いておいてくれたらいいから」
「ちょ、マコ…!?」
「……すぐに戻る」
それだけ言って事情も話さぬまま、僕は再び皆の元を離れた。
わざとらしくないよう、見えなくなる角度に入ってから走り始める。
何もなければ、それでいいのだけれど。
軒を連ねる数々の店に全て目をやりながら一通り歩く頃、数十分が経過していた。
葵は依然として見つかっていない。
未だお手洗いか。去り際の表情から察するに、一人で屋台を練り歩こうだなんて考えは浮かばない筈だ。
だとすると――
最悪な事態だけが想像できてしまって、自分に対する聊かの怒りも湧いて来て。
もう一周だけ回って見つからなかったらそこいらの人を頼ろう。
誰でもいい、いつでもいい、見かけた情報さえ手に入れば、それで。
「どこだ、葵。はぁ、一体どこ――」
駆けだした足が止まる。
一番端にあるお祭り屋台から数メートル離れた所にひっそりと構える、緊急の医療用テント。
賑わうこちら側より少ない照明で薄っすらと照らされるそこの裏に、一つの小さなシルエットを見つけた。
確証はない。けれど、間違う筈もない。
何度も見た、小さな背中だ。
「……………………」
真っ直ぐに歩いてそこまで行くと、テントの中から、向こう側にいるその背中を押してやった。
「わわ、っと…!」
倒れ、すんでのところで両手をついて踏みとどまったその人は、闖入者たる僕の方へと回り込んで来て目が合うや、すぐにまたテントの影に隠れてしまう。
「やっぱり葵だった。どうしてそんな所に?」
「それはこっちの台詞……何でここにいるの?」
「捜しに来た」
隠すことなく、臆することなく、僕はただ目的をそのまま伝える。
「トイレなんて迷うだろうし、かと言って屋台を見るとも限らない。だから、野蛮な男に捕まったのかも――って、凄く不安で」
「それで、捜しに…?」
「うん」
それは一切の偽りない、正直な言葉だった。
自分に怒りを覚えながら走っている最中、同時に”もしそうなったら”と不安で仕方がなかった。
見た目には凄く綺麗で可愛らしく、おまけに大人しい葵のことだ。厄介な男に捕まることも無い話ではなさそうで、大勢人がいるここにも人目につかない所は沢山あって――悪い考えだけが先行して、ただただ焦りを感じていた。
小さく蹲るその影を見た瞬間、僕は言葉を失っていた。
見つかった嬉しさ半面、既に何かされた後で膝を抱えているのかもと思う半面、両方の気持ちがあったからだ。
「安心した。何もなさそうで……本当に、良かった」
「まこと……」
恐る恐る、けれど確実にテントから手を離し、僕の方へと顔を出した。
ゆっくりと視界に入って来るその顔には、狐のお面がしっかりと――
「って、葵…!? 何でお面なんか」
「は、恥ずかしいから…!」
「恥ずかしい?」
「うん…」
外さないで、とでも言いたげに両の手でガッチリと押さえ、しかしそれでも足りないようでついにはそっぽを向いてしまう。
回り込むとその反対側へ、また回り込むとまた反対側へと顔を向け、目を合わせないことを徹底する。
「な、情けなくて。兄貴のこと、知ってたのに……ずっと見て来た私が、一番よく分かってる筈なのに…まことに気付かされたことが情けなくて、自分が不甲斐なくて。お面でもしていれば、とりあえずは一緒に居られるんじゃないかって、景からアドバイス貰って……」
「花摘みっていうのは?」
「そ、それも本当……だけど、一番の目的はこの狐。素直に謝る自信も、お礼を言える自身もなかったから、とりあえずって思って」
そういうことだったのか。
一方的に勝手に喋って傷つけたと思っていた僕と同じく、葵も色々と考えるところがあったのか。
それは、申し訳ないことをしたな。
かき氷なんかに逃げないで、ちゃんとその時にもっと言葉を交わしていれば良かったのだ。
「ごめんね、まこと……それから、ありがとう、兄貴のこと」
素直に言葉を尽くされる初めが女の子だなんて、情けないのは僕の方だな。
おまけに大人げないときた。どうしようもない。
「……ほら」
差し出したそれは、すでに半分溶けているかき氷。
夏の外気に挟まれたカップは相当量の結露がつくられていて、葵は受け取った瞬間「つめた」と思わず両手に持ち替えた。
「かき氷……ブルーハワイ?」
「えっと――ごめん、葵はメロンだっけ」
「……良い、これで」
「そ、そっか」
そう言ってかき氷に目を落とすも、葵はなかなかそれに手をつけない。
分かっている。僕がまた話し途中であることを察してくれていることは。
「謝るのは僕の方だ。勝手に怒鳴って、必死になって――遥さんのことだって、本当は葵の方がちゃんと分かってるのに。ごめん、よく知りもしないで」
「う、ううん…! 私も、軽率な言葉だった……兄貴にも、色々と謝って、お礼言わないと」
「そうしてあげると嬉しいかな。ともかく、やっぱりごめんね」
「……いいよ。ありがと」
そこまで言葉を交わしてようやくお面を外して、葵は少しぎこちなさを残した笑みを浮かべると、かき氷を一口頬張った。
ぬるい、と文句を言われるのも、今は仕方のないことだと笑えた。
何口か食べた所で、そろそろ戻ろうかと腰を上げる。
テントを出て、そういえばとその裏手に回った。
「さっき、向こうから葵の影が見えたんだ。裏に照明があるらしいね」
「影絵?」
「みたいなシルエット。どこに――」
回り切ったところで、僕の中で何か、繋がる音が鳴った。
白いテントに浮かび上がっていた葵のシルエット。
綺麗な形をしていたそれは、僕との直線状に照明がなければ歪んで見えた筈だ。
そしてその照明は、事実先の僕の位置から葵へと引っ張った線の延長線上にあって――
(そういうことか)
葵を連れて帰るついで、思わぬ収穫も得られた捜索だった。
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