第22話 ありがとう

 少し外へ出て辺りを歩いてみても、何を考えても一向に案の出なかった昨日の六日目を終えた今日、僕らは日本への帰国日を迎えていた。

 僕はどうにも煮え切らない感覚を覚え、葵は今にも決壊しそうに瞳を潤ませている。


 対して、一人何か事情を知っているらしい桐島さんは――


「久しぶりの日本ですね」


 と、母国への思いを馳せていた。

 僕はさて置いても、葵の前では軽率が過ぎるそんな態度に、僕は控えめに耳打ちをする。


「ちょ、ちょっと桐島さん…! ショックのあまり聞こえていないようですけれど、この部屋には葵だっているんですよ…!?」


「ええ、分かっていますとも。しかし――」


 一瞬溜めて、


「もう、分かってしまうことですから」


「は……?」


 何を言っているのだろう。

 最終日、これからせめて何かと思っていたところなのに。


 それに、分かるって――?


「とりあえずチェックアウトです。お話は、宿を出てから」


 そう言う桐島さんに促されて、僕は固まる葵の手を引いて、一先ずはと部屋を出て下に降りた。


 昨日、葵が覗いていた角から顔を出すと、受付の若い女性店員が目に入る。

 忙しそうにパソコンをタイプしながら、受話器を肩と耳で挟んでどこかと話しているらしい。


 邪魔をしては悪いからと少し待って、やがて店員が作業を終えると。


「Perdonami, ma Makoto?」


「まこ……え、あ、はい、っと――Si…!」


「La lettera indirizzata alla mia età.」


 と、何を言っているのかは分からなかったけれど。


 差し出された”それ”を見て、僕は直ぐにその言葉の意味を理解した。


「差出人…! えっと――Chi è?」


「Gabriel Venini.」


「がぶ…!? ぷ、プリーズ…!」


 半ば奪い取るようにして受付からそれを受け取ると、手荒さなど忘れて封を破く。

 出て来た中身の便箋には、一面を埋め尽くすイタリア語がびっしりと綴られていた。


 僕では読めないからと桐島さんに私、翻訳を頼む。




『日本では、拝啓と言うのでしたか、こういう時。ガブリエル・ベニーニです。


 この手紙を読まれているということは、もう帰国する日になってしまっているのですね。


 今回このような物を準備したのには、ちゃんと理由がありまして……それを以下に綴ります。


 先ず語るべくは、どうして私が貴方達の前に現れたか。


 答えは申し上げた通り、二人の仲が気になってしまったからです。


 これはもう”分かってしまう”としか言いようがないのですけれど、お二人は心が通い合っていながらも距


離がある。お節介にも、その後押しをさせてもらおうと思い、姿を見せたのです。


 子どもの悪ふざけと、そう思っていただいて構いません。


 二つ目、どうしてマコトさんの言葉に乗って、嘘を吐いたのか。


 簡単な話、私はもうここに存在しない者だったからです。


 この世の者であれば、あなた方の助けになれるやもしれません。幽霊では、恐れられても信用はされにく


い。ですが、天使だと――と。


 生前、私はこの街を守護する大天使と同じ名前を両親から授かりました。それは、同じくこの街を優し


く見られるような子に育って欲しいという願いからです。


 自慢ではありませんが、親戚からは”天使だね”と言われた程なのですよ?


 ですから、大天使の地位を借りたのは、ただ嘘を吐きたかったのではない。ちょっとした、見栄のような


ものです。笑って飛ばしてくださると光栄です。


 サン・ミケーレに連れていかれた時は、少し驚きました。まさか、ちゃんと正体に気付かれていたので


は――と。まぁ結果として、約一人は気付いていたようですけれど。


 アオイさんを、マコトさんを、それぞれをざわざわ一人で呼び出して会話をしたのはそのためです。


 その人と一緒では、すぐにボロが出てしまいますから。


 ガブリエル・ベニーニと刻まれた墓石なら、この位置に。と言っても、そこの眼鏡のお姉さんに聞けば


一発でしょうが、一応。




 最後に、アオイさん。


 貴女は、見ず知らずの私の為に涙を流してくれる、とても優しい人です。


 貴女に話した事全て嘘だったわけではありませんが、やはり謝っておかないといけません。


 利用するような真似をして、すいませんでした。ただ、私は貴女を、本当の友人だと思っています。


 齢十と少しでこの世を去った私にも、友人はあまり多くはいませんでしたから。


 その心は、今度は私ではない誰かに、お裾分けしてあげてください。


 最大の敬意と愛情をこめて、いつか私の墓の上に落ちて来た物を貴女の為に同封しておきます。


 どうか、何かに役立てて。


 大嘘吐きの天使より。


 P.S.ミケーレで見せたあの羽は、手品です。帽子から取り出す要領で、背中に鳩を仕込んだだけですの


で、どうか怒らないで』




「な……んて、無茶苦茶だ」


「リル…」


 額に手をやり呆れる僕に、困りながらも無理矢理笑みを浮かべる葵。

 桐島さんは微笑み、目を閉じていた。


「友達。なら、ちゃんと言葉で言って欲しかったな。もう一回くらい、話したかった」


 そう語る葵の手には次第に力が入り、桐島さんから受け取っていた紙面上に皺を残す。

 それを傍らに、桐島さんは封筒を傾けて何かを取り出した。


「乗船チケット――期限は本日一杯ですね」


「それが気持ちですか。なるほど、確かに何かには役立ちそうだ」


「これを使うか否か。決めるのは葵さんですね。いかがいたしましょう」


 桐島さんが視線を寄越すと、葵は涙を拭って振り向き、


「少し、寄りたい所が…」


 僕らは顔を見合わせて頷き、手早くチェックアウトを済ませて宿を出た。


―――


 再び訪れたサン・ミケーレ島。

 変わらず美しく並んだ命の石は、一度目よりもはっきりとその存在を示していた。


 あの時は、リルの墓石を探すことに躍起になっていて、一つ一つの命を見ているようで見ていなかったから、今日は一段と映えて見える。


 リルが残した地図のマークを求め歩くこと数分。

 見てもいない桐島さんが「ここです」と声を上げ、立ち止まった。


「”ガブリエル・ベニーニの墓。ここに眠る”とありますね」


 しゃがみ込んだ桐島さんが、その掘られた名前を指先でなぞる。

 葵も倣ってその隣でしゃがみ、幼子の頭を撫でるように、墓石に優しく触れていく。

 短い対話を終えると、手に持っていた花――イタリアには珍しい、どうしてあったのか不思議ではある”ダンギク”の花を墓前に供えた。


 葵曰く、立ち寄った花屋で一番綺麗だったからだと言うが。

 その花言葉は図らずも、


「”忘れ得ぬ思い”。それが、ダンギクの花言葉だ」


 ギリシャ語でカリオプテリスというそれは、”翼の実を持つ果実”を意味している。

 同時に”悩み”といった花言葉もあるけれど、それも今は、葵の心を映し出しているようだ。


「まこと、物知り」


「田舎者だからね」


「忘れ得ぬ思い――とっても素敵ですね」


 優しく微笑む桐島さんの横顔に浮かぶ瞳も、どこか潤んで見える。

 桐島さんだって、この件に関しては例外じゃないものな。


「楽しかったな。短い時間だったけど、私、誰かとあんなに話したのって初めてかも」


「そんなに話したんだ?」


「うん、色々。私のことも話したよ」


「ふぅん。何て?」


「私の願い――藍子さんとまことに叶えて貰ったんだよって」


 急にそんなことを言い出すものだから。

 胸が急に苦しくなって、思わず視界も霞んで。


 そんなことを話せる程に気を許していたなんて知らなかった。

 そんなことを思っているなんて、想像もしていなかった。

 本当に、リルのことを――


「飛行機、何時だっけ?」


「昼過ぎですから、まだ少し時間はありますけれど」


「そっか」


 と言いながらも、葵は早くも立ち上がって荷物を手に持った。


「もう良いの?」


「……うん。もっと長く居ると、また泣いちゃいそう」


「そっか。なら――行きましょうか」


「そうですね」


 桐島さんの言葉と葵の頷きを以って、ミケーレを後にする三人。


 ふと向けた背後から、あの時のように不思議な風が吹いたような気がして、


「ん?」


 振り返っても、そこにはただ静かに、リルの生きていた証が置いてあるだけだ。


「気のせい――」


 だろうと正面に向き直った刹那。


『――ありがとう――』


 そんな声が耳を打った。

 風に乗って流れて、僕の耳に届いた。


 そろそろ十二年。

 その言葉が嘘でないのなら、年内にはこれが別の場所に移されるということ。


 ならば。


「気を付けて。これは返しておくよ」


 帰りのフェリー代くらい僕が持てばいいと、リルからの気持ちとして手に持っていた乗船チケットを、そっと墓前の花に並べて置いた。

 新しい地への旅路に、不幸のないようにと小さく願って。


「まこと?」


 ふと遠くから呼ぶ葵には黙って、僕はそのまま二人の下へと戻っていく。

 きっと、僕らの帰国もリルの旅路も、大丈夫な筈だ。

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