第21話 落ち着いて考えても


 葵が落ち着くまで少し待って鐘楼を降り、フェリーに乗ってサン・マルコへ。

 ホテルに戻る頃には、宣言していた一時間を優に超えていたようで、玄関先まで桐島さんが出てきて出迎えてくれた。

 事の経緯を話すと、いつものように「そうですか」と一言置いて、何も言わずにホテルの中へと誘いざなう。


 とりあえず葵をベッドに寝かせ、ちょっと買い出しにと小さく嘘を吐いて、僕は桐島さんと部屋を出てロビーへと向かった。受付の人は日本語が話せないようだから、わざわざ外へ出ることもないだろうと選んでのことだった。

 話す内容は、勿論リルのことだ。


「神前さんの話――ではなく、リルちゃんの話でしたね、それが正しいのであれば、先ずは鐘楼の彫像が本当に新規になるのか、確かめる必要がありますね」


「それなら問題はありません。ここヴェネツィアで大きな催しがある際には、ネットの――っと、このページに載る筈ですから。予定、実行日時、そのレポートと」


 僕はスマホをスリープから起動し、予め開ておいたページを見せた。

 ヴェネツィア観光に関するそのサイトは、小さなことでも何か起こる時にはニュースとして取り上げているようなところだった。


「なるほど。では、答え合わせです」


 桐島さんは平然とその言葉を口にした。


「え、答え合わせって――ちょっと待ってください、あいつは天使だと名乗ったけれど彫像に作り替わりは起こらないと、それが分かって、じゃああいつは何者なんだって話ではないのですか…!?」


「いいえ。もう、答えは出ました」


「そ、んな…」


 それはまた、何ということだろうか。

 散々首を捻ってようやく辿り着いた答えが外れたと分かったたった今、他に何がと混乱しているというのに。

 この人は、早々に辿り着いたと言うのか。


 それだと、僕の考えて来たこととは。


 この人の常識は、そんな思考を一呼吸の間に打ち砕くものだった。


「まず、あの子が天使かどうか。答えは、ノーです」


「当たり前に言わないでください。理由は?」


「追って話しますから、焦らないで」


 桐島さんはジェスチャーで僕を制すると、次いで人差し指を立てて続ける。


 理由その一、サン・ミケーレ島の墓石。

 あの中にあった、一般人が見られる全ての墓石に”ジブリール”という名前が刻まれているものはなかった。それは確かに確認済みで、桐島さんが断言するのだからまず間違いはない。

 それを理由に、僕は彼女が、読み方を変えた大天使”ガブリエル”であると辿り着いたのだけれど。

 それが間違いだったらしい。


 ジブリール・ベニーニという墓石はなくとも、ガブリエル・ベニーニなら――


 字を見せれば一発だったのだろうが、名簿管理者が”ジブリール”という名前に反応しなかったのは、その為だったのだ。

 名前の綴りを見せていれば、あるいは――ということだった。


 理由その二、マスク。

 リルが手にしていたのは、オーソドックスなヴォルトタイプだった。

 これはあくまで噂、仮説の域を出ないものではあるのだけれど――街を見守る、民を護るといった象徴として崇められているのが天使像。言ってみればその存在自体は、”まもる”ということを掲げている。

 守る、護る、救う。そういったものに分類される者は、かぶるマスクは決まって”プラグ・ドクター”だ。 立場を示すようにといった意味合いもある故に大きく異なるデザイン。それは、カーニヴァルの最中に誰か倒れた時、誰でも気軽に声をかけられるようにとされているのだ。

 何か――そう、例えば医者なら、皆が同じマスクをかぶっていれば、本人が名乗りを上げない以上、誰も医者を医者だと認識できない。しかし、ある程度の枠組みを作っていれば、話は別だ。

 プラグをかぶった者だけに絞って声をかけていけば、高い確率で医者に巡り合える。

 民を護る象徴である天使が一般人に化けるのに、ヴォルトは選びにくいと言う。


「確認してみないことには、これは確実とは言えませんけれど」


 桐島さんはそこで「ふぅ」と一息ついて、手にしていたコーヒーを一口飲んだ。

 確実とは言えない、と保険はかけていたけれど、しかしそれが間違いだとは考えにくい。

 彼女が推論を披露する時は、決まって裏がしっかりと取れている時だ。


「ガブリエル・ベニーニという名前のお墓なら、ミケーレに確かにありました。もう一度行って確認すれば、分かりますよ」


「幽霊――じゃあ、リルは、確かに死者であったと…?」


 桐島さんは目を瞑り、首を縦に振る。


 しかし――そうであるならば、色々と訳が分からなくなってくる。

 一番大きなことは、リルがどうして「バレちゃってたのか」と嘘を吐いたのか。

 わざわざそんな回りくどいことをしなくても、理由が確かであるならば正直に、僕らの仲を良くしたいのだと迷惑なことを言えばよかったものを。

 それが結果、葵を悲しませ――何より、リル自身が傷ついた。


 いや、そうじゃない。僕は確かにこの目で見た。


「リルはミケーレで、天使を証明するに足る翼を出してみせました。あれは、どう説明をすれば…?」


「本人に確認するのが一番でしょうね。大方、手品でも披露されたのでしょう」


「そう言い切れる理由は?」


 桐島さんはコーヒーカップを置き、僕の目を見て、


「彼女、ずっと嘘の色が出ていましたから」


 それは、何を語るよりも確かな証拠で。

 何を置いても覆されないもので。


「出会った時から、どこか淀んだ色をしていました。それは次第に確かな灰色になって、あの子が嘘を吐いているのだと、ずっと私に知らせていたのです」


「嘘、ですか……必要性はないのに」


「ええ、まったくです。一度でも”何か悪い者”だと疑った私を叱りたくなるくらい、あの子は良い子ですから」


 苦く笑って桐島さんはまた、何かを飲み込むようにコーヒーを喉へ送った。


 この人がそれほどまでに言う良い子が、どうして嘘を吐いたのか。

 いや、思えば本当にどうして、天使でもないのにわざわざ僕らの前に現れたのか。


 考えれば考える程に、その全てが疑問に思えてきてしまう。


「今は考えても仕方のないことなのでしょうが――貴女は、その答えにも辿り着いていそうだ」


「正直申し上げますと、はい。しかし、それは私の口から語るべきではありません。じき、二人にも分かるものです」


「また意味深な言い方をする」


 とは言え、それも事実ではあった。

 彼女の口から聞いたところで、それはリルの言葉ではないからだ。


 ちゃんともう一度あって、確かめて、その上で理由を聞いて――そうしないと、僕も葵も納得できない。

 合点がいった想像で満足出来る程、単純ではない。


「とりあえず、今は葵のところに――」


 と、腰を上げた刹那。


「必要ないよ」


 そう声を上げたのは。

 ロビー角――ここからは見えないその先から顔を出していた葵だった。


 いつからいたのか。といった話し合いは無駄だった。

 このロビーの床は、例え足音を殺して忍び寄っても小さくは鳴り響く素材であり、僕らがここに降りて来てからというもの、誰も出入りしていない。

 葵が後から来たのであれば、足音は確実にその角で消え、不審に思えた筈だ。


「リルの正体については、そういうことだよ。除け者にするつもりは無かったんだけど、ごめん」


「良い。それより、だったら色々と確かめないと」


 角から出て僕らの方へ歩み寄ると、ベンチの端にちょこんと腰かけて前のめりに話に参加した。


「落ち着いてください、葵さん。急いては事を仕損じるものです」


「善は急げ。まだ陽は出てる」


「どこにいるかも分からないのにですか?」


「……分か…らない」


「正直でよろしい。あと二日あるのです、何とかなりますよ。それにヴェネツィアの夕刻は、か弱い女の子二人にもやしっ子では、少し安全性に欠けますから」


「それって僕のこと言ってます?」


「すいません。優しいもやしっ子さんでしたね」


「根本が直ってません…!」


 こんな状況でも――いや、こんな状況だからこそ、だろうか、彼女が僕をいじって笑うのは。

 これは、彼女なりのユーモアなのではないかと、最近では思い始めている。


 あと二日も、か。 

 ものは言いようだと、前に桐島さんに僕は言ったけれど、それは同時に、ものは捉えようだとも言える。

 あとたったの二日と捉えてしまえば、一週間の実に七割を既に終えていると捉えてしまえば、時間はもうほとんど無いようにも思えてしまうものだ。

 あと二日で何が出来ようと考えてしまう。


「神前さんも」


 不意に、桐島さんが僕の肩に手をやって、


「そう焦らないでください」


 心の中をまるで覗いていたかのように諭す。

 彼女の場合、それは色として見えてしまっているわけではあるけれど。


「取り乱して無駄な案を百個出すより、落ち着いて、いい案を一個出す方が効果的ですよ」


「それは、分かってはいるんですけどね……さっきの葵の様子を見てしまった後だと、どうしてもこう、落ち着かないと言いますか。あれで本当に、あいつが生を全う出来たのかどうか、はっきりしないと言いますか」


「それは、その葵さんが一番よく分かっているみたいですけど?」


 そう言いながら僕の視線を寄越させた方では、葵が強い瞳で構えている。


「葵さんは、諦めてはいないみたいですね」


「……ですね。考えましょうか」


 意気込み、席を立ち、部屋へと戻っていく。


 軽く夕食を済ませ、交代で風呂に入り、夜を更かして頭を捻って。

 気が付けば朝になっていて、それでも不思議と眠気は起こらなくて。


 六日目、僕らは何の答えにも辿り着けぬまま、再び夜を迎えた。

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