第20話 少なくても
そろそろ出てくるか、訪ねてくるか。どちらかのアクションはあるだろうと思ってはいたけれど。
まさか堂々と、僕ら二人の前に現れるとは。
僕が桐島さんや葵に話したことを、まさかどこかで見ていたなんてことは。
「いえ、見てはいませんよ?」
「心を読むな」
「ここいらで何にもないと、流石にチャンスはないでしょうと思ってのことです。でも…そうですね。一歩どころか、結構踏み込みましたね」
けしかけたのはそっちだろう、とは突っ込まない。
「こんにちは、葵さん。それと、嘘ついててごめんなさい」
リルは礼儀正しくも、自分から頭を下げて謝った。
葵は無言で首を横に振る。
一応話してはおいたけれど、改めて考えるとどうにも可笑しな話ではあった。
大天使様が、高々我が身可愛さのあまりに僕と葵の関係を深めようと考えようとは。
「リルは、その……本当に?」
葵は遠慮がちに尋ねた。
「はい。この街で天使をやっております。サン・マルコ鐘楼にある彫像が触媒というのでしょうか」
「触媒って。降霊術的なシステムでここにいたの?」
「あくまで比喩表現なんですけどね。と、重要なのはそこではありません、あなた方のことです」
と柏手を打って目を輝かせるリルの興奮ぶりに、僕らは急に恥ずかしくなって目を逸らした。
振り返る十数分前に、僕は葵に告白をした。
その事実が、どれほど恥ずかしいものか――
「踏み込んじゃいましたね」
リルは悪戯に笑って僕の方へと擦り寄る。
「ほ、本当は祭りの誘いをするだけだったんだ」
「それはまたどうして告白に?」
それは問われても分からない。
あの時、僕は確かに葵を祭りに誘うつもりだった。結果として告白をしてしまったものだから後回しになったのだけれど、ではなぜそんなことになったのか。
流れ?
雰囲気?
両方否だ。
タイミングが良いから、雰囲気が良いからというのはただの言い訳だ。
率直な感情には、タイミングや空気や状況が付いてこない。
溢れるようにして流れて、言葉になって、自然と僕は葵に告白をしていたのだ。
つまり。
「何となく……」
そう答えるしかなかった。
それは、何となく告白をしてしまったという曖昧な意味を含んだものではなく、そのタイミングが何となくであったということ。
葵のことを好きだと思っている今の感情に嘘はなく、ただそれが溢れ出すタイミングがあの時であったというだけだ。
それは葵も勘違いをしていないようで、俯いた所為で見えない表情の代わりに、耳は赤く、肩が大きく震えていた。
「ご馳走様、です」
「人の色恋を吸収するな」
「天使云々無しにして、単純に人の恋路が好きなだけなので、あしからず」
それはまた都合のいい。
「何か一つ――という私の目的は、十二分に達成されたようですね」
「目的って。いや、ただの君勝手な願い事じゃなかったかい?」
「そうでしょうか?」
リルはお道化てはにかんで見せた。
どこか作ったような笑みはぎこちなく、口元には力が入って自然な曲線は描いていない。
その変な様子の理由は簡単だ。
リルが僕に変な指令を下したのは、自分が消えてしまう前に何でも良いから最後の仕事をしておきたかったからだ。僕に何でも良いから一つ素直になってもらって、その上で自分の役目を終える。
そしてそれが成された今、同時にリルがここに留まる理由がなくなったということに他ならず。
「消えちゃうの…?」
そう、心底寂しそうに、悲しそうに尋ねたのは葵だ。
他でもない、誰より彼女の助けになろうと走った、葵自身だった。
そんな問いかけに、リルもやや寂し気な表情をしたが、しかし出て来た言葉は「そうですね」と存外さらっとしたものだった。
元より人でない身である天使に情を抱くなんて、変な人だなとリルは葵に言ったが、
「そんなの関係ない」
と、葵は強くそれを否定した。
「植物でも動物でも、人でないものだって家族だと思ったら家族であるように、私が友達だと思ったら友達。人じゃないからとか言われても、私は絶対に離れてあげない」
「離れない、か。でも、もう離れちゃいますけれど」
「物理だけがこの世の全てじゃないよ。見えないものだって、いっぱいある」
心、感情、言葉。
ただ肉体がなくなろうが、残るものはいくらでもある。
葵がそう言うと、リルは少し躊躇いがちに、
「……嬉しいなぁ。嬉しいから、嫌だなぁ」
「嫌?」
「ええ。せっかく区切りがついたのに、ここを離れることが出来なくなっちゃう…もっとお話しがしたいって、そう思えちゃう……そんなに優しいこと、言ってくれなきゃ良かったのに…」
それは、とても嘘には聞こえない、リルの本当の言葉。
天使だ何だと言われて疑心暗鬼になっていた僕にもあった、溢れ出した感情だ。
どう受け止めるのが正解なのか。
葵は言葉を失い、ただリルと向かい合っている。
「でも、やっぱり行かないと。どこか分からないですけど」
再び見せたぎこちない笑みに、今度は葵が耐え切れなくなって、
「せっかく、知り合えたのにね…」
「仕方ないですよ。こればっかりは、私でタイミングを計れませんから」
「でも…!」
「いいえ、十分です。一目で良い人たちだと分かったお二人が繋がれて、私はそれだけで幸せなのですから」
幸せ、か。
それなら、悪い気はしないな。
「無理矢理感は否めないけどね」
「まぁ、そうですね。すいません」
素直に謝られるのも、何故か新鮮だな。
僕が葵のことを思っているのは事実だったけれど、それに素直になれたのは、誰あろうリルのお陰だ。
キューピッド作戦なるものを提案されていないまま今に至っていれば、おそらくはただ祭りの誘いをするか、それすらも無かったやも知れない。
そういった意味では、感謝をもしていい立場だった。
「まぁ、悪いことは何もなかったから。謝らなくていいよ」
「…ありがとうございます」
リルはそう言って、また頭を下げる。
そして上げると同時に、「さて」とまた柏手を打って空気を切り替えた。
「本当に、そろそろな気がします。そろそろ、私は消えちゃいます」
「やり残したこと、もうない?」
親切に尋ねる葵に、リルは強く首を振った。
薄っすらと笑みを浮かべるそれを見て、葵はそれ以上は何も言わない。
「たったの数日だと思いますけれど、随分と濃い数日でした。これまで、こんなに満たされたことはない」
「それは僕らだって同じだ。素敵な街で、素敵なことが沢山あった。その一部は、リルに貰ったものだよ」
「それは有難いことです。キューピッドも成りましたしね」
「図らずも、ね」
そう言って、僕らは可笑しくて吹き出して。
隣では葵が、やはり寂しそうに、行き場のない両手をわなわなとさせていた。
今にも泣き出しように、瞳も潤んでいる。
そんなものを見てしまったものだから、必死に堪えていたように見えたリルの方が早く、決壊して雫を流し始めた。
「たったの、数日なんですよ……それなのに、どうしてこんなに…離れたくないのでしょう…」
「時間じゃないよ。私だって楽しかった。だって――」
葵はリルの手を取り、
「私、友達少ないから」
冗談めかして笑って細められた目から、一滴の涙を流した。
葵は普段、多くは自分のことを表に出さない。
それ故、同じことを言っていた遥さんの言葉を、僕はそのまま捉えて、しかし本人はあまり気にしていないのだろうと勝手に思い込んでいた。
浅はかだった。
クールで静かで大人しいから、友人の多さに拘らないのだと思っていたのだけれど――
「楽しかった。しりとりも、相談も、今も。楽しかったよ」
「葵さん……私も。私もです…楽しかった」
繋いでいた手を離し、どちらともなくそれをお互いの肩に回し、強く抱き合う。
そのまま一分、二分と涙を流し。
やがて、リルの姿が薄れ、消えた。
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