第15話 シリアスから

 教会を――と伝えてしまった手前、そのまま戻るわけにもいかず、教会を一目見て「綺麗だろ?」なんて誤魔化してみた。が、リルは「うん」と中身のない返事をするだけで、どこか満足していない様子だ。

 それはその筈。目的の達成はおろか、確認すらも成されなかったのだから。


 本来であれば、ここで”ジブリール・ベニーニ”の名前が削られたそれを見つけ、リルをどうにかしてやる筈だったのだ。

 それが、手段が思いつかない訳でなく、まさか存在すらしていないとは――


 まったく。

 一番面倒な予想が当たってしまった。


「リル」


「……なぁに?」


 やや遅れた返事を漏らした口元は、何かを察しているらしかった。

 僕の周りにいる人たちは、話が早くて助かる人ばかりだ。


 これは、葵には勿論、桐島さんにも話してはいないことだ。

 なぜなら、幽霊や悪霊、死霊なんて目じゃない程に、突飛が過ぎる発想だと自覚しているから。

 ただ一つの可能性、いや言ってしまえばそれ以下に信憑性の低い話ではあった為に、自分でもそれが答えの選択肢になり得るとは思いもよらなかった。


「葵さんと藍子さんなら、まだ当分は来ないと思うよ」


 リルは断言した。

 断言できるだけの理由が、そこにはあった。


「なら丁度いい。これで幕引きだよ」


「うん。聞かせて」


 リルは目を伏せ、穏やかに吹く風に身を任せた。


 本当なら、こういった場面は桐島さんの手番なのだろうけれど。

 流石に、こんな無茶な話を信じてはくれないだろう。

 そも、それすら間違いであったならば本当に手詰まってしまうわけだが。


 疲労しないわけにもいかないな。


「日本的な見解ではあるんだけど、幽霊っていうものは、そうそう大勢の目に付くものではないと思うんだ。例えば人の行き交うような賑わいを見せる所に出て来ても、誰もわざわざ気にも留めない。いや、誰かが気付いても、それを全員が共有できるわけじゃない」


「日本では、だよね」


「まぁ海外でも似たようなところはあるけどね。得てして、個人撮影中だとかホームビデオだとか、監視カメラに写っても人気のないところだとかその程度。スーパーマーケットの監視カメラに写っても、それをに目をやっている人はまずいないだろう」


「ふうん。それで?」


 幽霊、と一言置かれても、リルは動じない。


「二つ目、誰もがリルに”触れられる”ということだ。葵や桐島さんにくっつくだけでなく、まったく接点のないジェラート屋のおじさんにも視認され、触れられていた。実体を持たない幽霊に出来ることじゃない」


「特殊な幽霊だっている筈だよ。それこそ、お兄ちゃんが今考えていることのように」


「そういうものだとは思うけど、そこで三つ目だ」


 僕は手で後方、墓石が並ぶ方にリルの視線を誘導する。


「まだ十二年に満たない棺がないのは可笑しい。なんてことは、あの二人も分かってはいることだろうけれど。とは言え、それすら勘違いなら意味はないんだけどね」


「うん。嘘を言う可能性だって大いにある」


「語るべくでないのは分かってるんだけどね。それでも、敢えて言うしかないんだ」


 余裕そうに微笑むリルに。

 それを自覚している、ジブリールという人物に。


「君は”死者ではない”って」


 勿論、これはただの推論――いや、言うなれば妄想だ。

 死後の世界の存在を何人にも理解できない以上、その域を超えることはない。生者の妄想、ただの妄言だ。

 しかし、そうであるなら、そうでなければ説明がいかない。


 リルは幽霊でも、生者でもない存在なのだという説明が。


 僕の姿をはっきりと映しだしていた窓ガラスがリルを映さなかったのは事実。触れられるのも事実。会話も出来て、大衆の目に留まることも事実。

 そんな曖昧な存在を説明するには、このくらいの無茶がなくてはいけないのだ。


「さっき、鐘楼をまるで慈しむかのように見ていたね。あれは?」


 リルは答えない。


「ジブリールといいう名前の、本当の読み方は?」


 リルは微笑む。


「葵ではなく、僕の周りで変な現象を起こさせた理由は?」


 リルは、大きく息を吐いた。


 なんだ、バレちゃってたのか、と。


 まさか、それが答えだとは思えないだろう。

 しかしそれが起こりうるのは、このヴェネツィアという街なのだ。


 リルはここからサンマルコの方角に目をやって、一つ大きく深呼吸をすると、がらりと口調を変えて僕がした一つ目の質問を砕いていく。


「サン・マルコ広場を見下ろす鐘楼、その頂上にはとある彫像がありますよね」


 僕は頷く。

 それこそ、彼女を証明する理由の一つだ。


「三つ目から先に答えましょう。あの中で一番あなたが、私のことを見つけてくれそうだったからです」


「見つける、か」


「ええ。物理的にではなく、こういった風にね」


 リルの正体に、ということだ。

 未だ底の分からない桐島に関してはどうかは分からないが、葵が一人で動き続けたならば、きっとここに来てそのままエンドだったことだろう。


 そして、残した二つ目。


 リルは一瞬間だけ眩い光を発し、やがてそれが収まると――


「ちっさ!」


「ちょ…! 大天使が必ずしも大きな羽を持っていると思ったら大間違いです…!」


 背中から小さな、お世辞にも大空を羽ばたけそうにはない羽を広げ、憤慨していた。


 ジブリール。

 どうせ名乗るのであれば、もっと違う名前にしておけば良かったものを。


「”ガブリエル”。それが君の名前の、本当の読み方だよね?」


 僕の言葉に、リルははっきりと頷いてみせた。


 死者でないリルがここに誘導した理由も、どうせここに来れば何かしらの予想もついたものだろうからだろう。

 まったく、人が悪い天使様だ。


「なんて話、信じても良いのですか? ライトを貴方の目に向け、その隙に羽のおもちゃを付けた可能性だってあるんですよ?」


「そうやって自分から言ったことは大抵嘘のものだ」


「まぁ。貴方も人が悪いですね」


 無茶にも程があると弁えてはいる。

 仮にこれが日本であれば、照明も何もなかっただろう。


 幽霊、悪霊といった類のものがしばしば目撃されるこんな土地には、天使や妖精の一人いたって何ら不思議ではない。

 という曲解だった。


「君が本当に天使様だとして、だ。君は僕に――いや、僕らに、一体何をしに来たって言うんだい?」


「それは――」


 リルは少し溜め、


「”受胎告知”です」


 強く言い放った。

 刹那、僕以外にはまだ誰もいないこの空間が、文字通り凍り付く。


 この女は、天使は、一体何を言っているのか。

 たしかに神話上で、ガブリエルは処女マリアに受胎告知をしたという話はあるけれど、これまで生きて来た中でまだ経験のない僕に、どうして子どもが出来ようか――いやそれ以前に、男である僕に受胎など出来ようはずもない。


「バカなの、とは言わせません」


「心を読まないでくれるかな」


「バカだと思っていたんですね…!?」


 しまった。


 つい数分前までのシリアスな展開を一蹴して、空気は完全にコメディ映画のそれだった。

 無茶な展開に無茶な台詞、これをコメディと呼ばずして何と呼ぼうか。


 リルは「うーんと」と悩み、やがて、


「恋のキューピッド的なそれですよ…!」


 と、また変な事を言い出した。


「それは置いておいてだ」


「戻してください…!」


「あれだけ心配して動いてくれた葵、それを助けてくれた桐島さんにどうやって説明するよ。それにここはお墓の聖地、そんな会話をする場所じゃない」


「そ、そんななんて言い方はよしてください…!」


「必要?」


「……不必要ですけれど」


「なら決まりだ。とりあえず本島の方に戻ろう」


 即決。

 必死になってせき止める小さな身体を払いのけて、僕は随分と離れて後続してきていた二人に声を掛けてフェリーに乗ろうと言いながら歩く。

 どうしよう、といった表情で俯くリルに「大丈夫!?」と声をかける二人に、小さい子に何をしたの、とあらぬ疑いの目を向けられながらフェリーに乗り込む。


 僕はどうなっても知らないぞ、ガブリエル。

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