第12話 決定と報告と地雷と自爆
「観光しましょう!」
起き抜け、寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こして声のした方を見ると、桐島さんが立っていた。
いつの間にか自分のベッドに戻っていた葵も、唸りながら起き上がって桐島さんの方を見る。
すぐには状況の理解が出来ない僕らは、顔を向かい合わせて疑問符を浮かべ、今何が聞こえたかすら曖昧な脳を必死になって回転させる。
「ですから、観光ですよ、観光。ヴェネツィアの街並みを見て回って、記録にも記憶にも残そうっていう、あれですよ」
「いや、それは言葉通りの意味というか何と言うか……そも、それが目的で来たのではなかったです?」
「違います、違うんです…!」
比喩表現無しに小さく地団駄を踏んで興奮を隠し切れない桐島さん。疑問が大きくなった僕らは更に首を大きく傾げる。
と、少しの間を置いて、葵は何かに気が付いたらしく声を上げた。
「リルの…?」
「そう、それです!」
観光と、リル。
その二つの単語が、どうにも噛み合わない。
リルの依頼はサン・ミケーレ島に行くことで、葵の思いはそれを助けたいということであって、それがどうう観光と結びつくのだろう。
「葵さんが悩んでおられる理由、葵さん自身ははっきりしないようでしたので、私なりに考えてみたのです。それは、ただサン・ミケーレ島に言って自分の亡骸に「さよなら」を言うだけなのが辛く、何も残らないのではないか、ということです」
「残らない?」
「ヴェネツィアの人々は、やがて移される墓場でさえ、始めは必ずこの地に残します。この国を愛する故、むざむざと離れることが出来ないのです」
「だから、観光?」
「はい。例えば十二年前と変わっている所や、当時から変わっていない所、何でもないような景色を時間をかけて見て回って、思い出に残してあげるんです。そうしてこの国に今一度触れて、確かめて、清々しい気持ちで棺の場所を変えられたら、それはとても素敵なことだとは思いませんか?」
「藍子さん…」
もっともな言い分だ。
同時に、そんなことにも気がつけなかった自分の無能さも思い知らされる。
昨日とは打って変わって笑顔になった葵は、飛びつくようにして桐島さんに抱き着いた。
がっちりとホールドして猫のように頬を擦り付けて。
そうだ。ただ見送ってさようならなんて、悲しすぎる。
せっかく仮面まで持ち寄ってこっちに来たのなら、一緒になって楽しんで、思い出を育んでから気持ちよく別れた方が良いに決まっている。
抱き着いたまま離れない葵の頭を優しく撫でながら、桐島さんは僕に目を向けた。
「同時に、私の目的も達成されますから。神前さんにも来ていただけると、リルちゃんも葵さんも、もちろん私も嬉しく思います」
聖母のように、慈しむように優しく微笑まれて、誰が断れようか。
「行きますよ。なまじ関わってしまったものとして、最後まで」
「ふふ。素直じゃありませんね」
と、急に悪戯な表情になって、
「葵さんのことが心配で気になるって、どうして最近の男の子は素直に言えないんでしょうか?」
「ちょ、馬鹿…!」
達者なその口を塞ぐべくベッドから滑り落ちるように走り寄る僕。その様を見て、それがどうやら嘘ではないらしいと分かると、葵は真っ赤になって顔を逸らした。
覚えていろよ桐島さん。
心の中で唱えたのは、人生で初めての呪いだった。
「と、いうことがあったのです。如何でしょう?」
早速とやってきたここは、溜息橋を眺めるに最適な向かいの橋。
一人で出た葵とリルが待ち合わせていた、あの橋だ。
今日も今日とてリルと待ち合わせ、おしゃべりでもしながら街を歩こうという話になっていたところにお邪魔している。
開口一番、桐島さんは「貴女は幽霊です」とは言わずに、事の経緯いきさつを簡単に説明したところ、リルは存外快くそれを受け入れてくれた。
「楽しそう。葵姉さんと二人も楽しい。でも、いっぱいだと、もっと楽しい!」
「決まりですね」
満足げに微笑みながら、桐島さんは僕と葵の方を振り返る。
何だか騙すようで少し気が引けるけれど、やはり解決策はそれしかないのだろうか。
知っているのか知らないのかが分からない状況でそれを隠したのは、やはり桐島さんの心遣いだ。
急に出て来た僕らを疑わず、受け入れたリルもリルだけれど。
しかし、葵”姉さん”とは。
「まこと、失礼。今、子どものくせにーとか思ったでしょ」
「いや決してそんなことは」
「藍子さん」
無駄な抵抗をする僕を他所に、葵は桐島さんの注意を引く。
目的は勿論、
「嘘の色が出てますね」
「ほら」
その目の前には、小さな嘘の一つもつけなかった。
「夫婦めおと仲を見せつけていないで、リルちゃんのことが優先ですよ」
「め、夫婦じゃない…!」
頬を染めながら反論すると、その逆に取られてしまうのだけれど。
以前に一度、少し違うが告白の言葉を口にしてしまっている手前、否定するにし切れない様子。
あの場に桐島さんは居なかったのだから、気にする必要はないと思うが。
今回も、桐島さんが本気で言っていてるのではないのが幸いか。
そんな中、恋を経験する前の年頃で亡くなったらしいリルは、首を傾げて「彼氏?」と僕に言い寄る。
「んー……まぁ、違ってはないかな?」
「全然違うよ…! 告白、流したくせに…!」
と言うや。
それは地雷ではなく爆弾――僕の方にも被害が出てしまう結果となる。
それを聞いたリルは「断ったの!?」と、桐島さんは「詳しく!」と顔を近付けてくる。
「ちょ、やめ…! 葵、後で話があるぞ…!」
「ふーん」
葵は子どものように顔を逸らした。
どこまでが思惑の内でラッキーパンチだったのか。
詰め寄る二人の猛攻を凌ぎ切るのには実に三十分を要し、結果、根掘り葉掘り洗いざらい話す結果となって――一番恥ずかしそうにしていたのは葵だった。
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