第7話 すれ違う

 リルさ去っていくのを見届けた僕は、一度通りの角まで戻って、仕切り直しをたった今やって来た風を装って葵に声をかけた。

 演技や嘘なんてやったことがないものだから、すぐにバレるものだと思っていたのだけれど、存外と鈍い葵は「わざわざごめん」と頭を下げてきた。

 しかし、やはりそこには寂しさやそれに似た色は感じられず、どこか清々しい程の顔をしていた。


 僕があんなことを言った故に飛び出していった手前、葵はリルのことを一切口にせず顔を逸らし、共に黙ったままで宿へと歩いた。

 しかし、それが功を奏して、僕が桐島さんに向けてメッセージを送っているのを葵は気に留めなかった。


 そんな僕らを出迎えてくれたのは、まだ全然冷めていないコーヒーを三人分淹れて待っていた桐島さん。

 皆で楽しめるものをと思い酒を諦め、近くの店まで買いに行っていたらしい。


「淹れたばかりですから、まだ熱々ですよ」


 そう言って僕らを席に座らせ、自身も姿勢を整えなおした。


 一口つけたそれの熱は、仄かに残った興奮の熱を、返って冷まして落ち着けてくれる。

 もう一口、もう一口と進めていく僕に、桐島さんは満足そうな笑み。


 しかし、


「……………………」


 黙ったままでカップに手を付けない葵。

 せっかく淹れたそれを手にしない葵に満足いかない――という理由でないのは分かっているけれど、須戸sい寂し気なその表情は、忘れ得ない程、心に刺さった。


 この状況を作り出したのは僕なのだから。


 自覚すると、コーヒーの味は感じなくなった。

 やがて美味に対する表情も薄れていくと、それに呼応して桐島さんの表情も暗くなっていった。


 何とも言えない時間を過ごし、取材も出来ぬまま夕餉を終えた。

 過程中ずっと葵は黙ったきりで、桐島さんも隠してはいるが浮かない表情で、僕はそんな二人に罪悪感を抱えたままで夜は更けていく。




 葵が風呂に入ると、僕は桐島さんをソファへと呼んだ。

 岸家では急ぎだったけれど、それでもやや時間のかかっていた葵のシャワーだ、湯もはっているここでは更に時間もかかるだろうから、時間はたっぷりと言っていい程はある。


 桐島さんは、昨夜に飲み切らなかったワインとグラスを持ってきて机上に置くと、僕の横に座って「ふぅ」と小さく息を吐いた。

 葵が入る前、既に先に風呂を終えていた桐島さんは、そのまま寝間着に着替えているのだが――


「目のやり場に困ります」


「全部隠していますよ?」


「そうじゃなくて……なんで、某姉妹が着てそうなローブチックなやつなんですか」


「そんなに気になります? 自宅では全裸なものですから、これなら安心だと思ったのですが」


「全然安心じゃな――全裸!?」


 と過剰な反応を見せる僕に、桐島さんはすぐ「冗談です」と笑う。

 眼鏡で品が高くておまけに年上であるこんな人の冗談って、かなり心臓に悪いと思う。

 そこのところ、少しは自覚をだな。


「まあ、下に何も着けていないのは事実ですけれど」


「そんな情報はいりません。野蛮な男に襲われたって自分の責任ですからね」


「生憎とそんな人、ここにはいませんよ。ね?」


 無論、そんなことをするつもりはないのだけれど。


 そんなことより、と桐島さんが指揮を執り始めた。

 僕が桐島さんをわざわざ呼んだのは、そんな少し大人な会話をする為ではなく、ここに戻って来る道中に桐島さんに送ったメールのことだ。


「『話します』だけでは分かりませんよ? 葵さんがいない時を狙ってわざわざ声をかけてきたことで、それがあの子に聞かせられないことだというのだけは分かりますが」


 それはそうだろうな。

 ずっと、葵がお手洗いか風呂か、何かしら僕ら二人だけになる機会がないかと窺っていた様子を、桐島さんは気付いていた様子だった。


「夕刻の件ですね?」 


 桐島さんの声音が変わった。


「――そんなところです」


「そうでしょうね。優しくて自分のことは後回しな神前さんが、あそこまで強く意見を言ったのです。何か訳はあったのでしょう?」


「察しが早くて助かります」


 そう僕が言うのを受けて、桐島さんはボトルを手に取り、僕に渡す。


「お酌をしていただけますか?」


「なんて自由な人だ。構いませんけど」


 受け取って、昨晩と同じようにボトルを傾け、ボウツ・カップの中程までワインを注いだ。

 大事そうに受け取って「ありがとうございます」と一言、少なめに口に含んで喉に送る。


 余程僕が思い詰めているように、あるいは焦っているように見えたのか、桐島さんはその一口だけでグラスを置き、僕に向き直って真剣な表情を浮かべた。


 これから僕が語ることは、それはそれは突飛な話で、普通なら到底信じられるものではない。ともすれば笑われるような内容だと分かっているから、変な緊張感が襲ってくる。

 しかし、それでも、葵本人には話せないのなら、せめてこの人にだけは話しておかなければならない。


 下手をすれば、下手な結果になりかねないから。


「今からする話は、まったく現実味のないものです。それでも、聞いてくれますか?」


 桐島さんは真剣な表情を変えず、無言で頷いた。


「安心しました。本題から入ります。あの子、リルは――」

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