第11話 『方言』と書いて『叱咤』と読む

 結局その日は、また僕は大通りまで葵を送ってから帰った。

 それからすぐにシャワーを浴びて、最近は濃い日々を送っているな、なんてことを考えながら、スマホを充電器に挿すのも忘れて泥のように眠りについた。


 そして今日、


「作る料理なのだけれど」


「チョコレート入れるー」


「とにかく橋へ」


 例の多目的室にて、はしゃぐ年上二人と一個下。

 黄色い声が三つ響く、土曜の夜。


 事は、昼下がりまで遡る。


「メッセージ――って、琴葉さん!?」


 液晶に映し出されていたのは、先日の遥さんの時同様、登録されている筈のない”岸琴葉”という三文字の名前だった。

 ロック解除前の画面に表示できる限界を超えて語尾が『……』となっているということは長文なのだろうけれど、それを見越してか、一番上にはこれが表題だと言わんばかりに『緊急招集!』と綴られている。


 知らない名前ではなかったから良かったものの、こういったことは出来れば事後承諾にしてほしくはないのだけれど。

 まぁ済んでしまったことはもういいか、と無理矢理落とし込んで、僕は『表示』ボタンをタップしてロックを解除する。


『緊急招集!

 本日、夕刻は五時半頃、翌日持って行かんとする物品を持参の上、第三多目的室に来られたし。

 尚、服装も同様の条件とする。

 ついでに葵ちゃんにも言っといて。そんじゃ』


 何故最後だけいつも通り。

 どこから突っ込んだものか迷った僕は、とりあえず気になった最後の一文に呆れておいた。

 葵には、遥さんから連絡が行っていそうなものだけれど――まぁ、ついでか。


 こちらがまだ登録していない琴葉さんとのメッセージ部屋から一旦出て、葵の場所を表示させる。

 手短にその旨を伝え、知っていたかと問うたところ、いつぞやと同じ『(・_・ 三・_・)』といった否定を意味する顔文字だけが送られてきた。


『じゃあ、伝えたから。またスタバまで迎えに行こうか?』


『今日は、いい』


『そっか。じゃあ、時間に』


『うん』


 といったやり取りを経て数時間、


「カレーにチョコって、隠し味程度で済んでないじゃないいつも」


「済んでますー! 甘口が好きなんだよー」


「何でもいい。橋」


 ちょっとは興味持ってあげようよ、葵さん。

 と内心突っ込んで、収拾のつかなくなってきた女子会に割り込んで大き目の柏手を一つ。

 三人揃って身体をビクつかせ、同じように睨みをきかされる。


「せめて殺気は隠しましょうよお三方。第一、夜の大学が怖いのは分かりましたから」


「何を言っているのかしら?」


「そうよ一年坊、しっかりなさい!」


「帰りたい」


 良かった、葵は通常運転だ。

 もういっそ抱きかかえてでも出ていって帰りたい気分ではあるのだけれど、それをみてまた「可愛い!」抱き着く二人に、そんな思考も失墜してしまう。


「そうじゃなくて。聞きたいのは、どうして遥さんがいないのか、ですよ」


 勝手に呼び出されてお泊り会に強制参加させられているのはいいとしよう。

 ならなぜ、僕までもが呼び出されているこの場に、あの人がいないというのだろう。わざわざ僕経由とう回りくどい方法で葵を呼び出した理由も気になる。


 と何か裏があるのではと勘繰りを入れる僕に対し、答えたのは葵。

 その遥さんはというと、


「三十八度。ぶっ倒れてる」


「こりゃ明日の遠征は無理そうだ」


 ということだった。

 昨夜、葵に付き合ってテレビゲームに興じていた最中に倒れて、残り一食分のお金を使って丁度家の前を通るタクシーを捕まえ、最寄りの病院まで運んでもらったところ、特に重篤なものではなく”風邪”だと診断されたということらしい。


 まさか、妹の願いが叶うであろうイベント事の直前に、そんなことになろうとは。

 不運というか、とにかくも可哀そうだ。


「だから、このメンバー」


「なるほど事情は分かりましたが、ではもう一つ。呼び出した理由と、どうして琴葉さんが僕の連絡先を?」


「三つだよね、それ。まぁいいけど…アカウントはハルから。で、呼び出した理由だけど――乙葉」


「もう実際は本題に入っていたのだけれど、まあいいわ」


 カレーの隠し味チョコレート戦争は本題の一環だったのですね。


 と、乙葉さんは先日のようにホワイトボードを引っ張って来て、またわざわざ表題をババンと示してくれた。


「題して”明日の遠征に電車賃及びバス代は不要になった。なぜならうちの親がキャンピングカーを回してくれることになったからなのよ編”といったところかしら」


「口で言ってください回りくどい…!」


 聞き返す必要なく、事の詳細が全て分かってしまったではないか。

 編、というからには幾つかバリエーションが――と気になってしまうのは僕の悪い癖だ。


 ともあれ、今日集まって貰ったのはそういうことらしい。

 明日の日曜、遠く離れた九州の地へ行くという旨を親に話したところ、丁度このタイミングでご両親が使う為にレンタルしていたキャンピングカーを借りられることになった。

 というのも、その二人も日曜から月曜にかけ出かける予定をしていたらしいが、天文部を収める双子の娘同様どこに行くかまでは決めておらず、ふらっとドライブ気分で――と思っていた矢先のことだったので、僕らの送迎をご両親の方から名乗り出てくれたということだった。


 六人乗りだから、ご両親に天文部三人プラス僕と葵なら無理な話だったが、遥さんが行けないだろうということで決定した話。


 すいません遥さん。


「土曜なら、ご両親は……乙葉さん、ご自宅にかけてもらえますか?」


「いいけど」


 短く素っ気なく返して、手早くスマホを操作。

 最後に通話ボタンまで押して、僕に寄越してきた。


 一コール目の切れに聞こえて来たプツっという通話音に続いて、耳に届いたのは男性の声。


『どうした乙葉?』


 低く落ち着いた、渋い声。

 遠慮なくタメで名前を呼ぶということは、この人が乙葉さんの――って、自宅にかけているのだから当然か。


「あ、えっと……娘さんと同じ大学の一年、神前真と申します。乙葉さんの携帯をお借りしてかけさせていただいております」


『こうさき……あぁ、明日の』


 名前まで出して予定を伝えてくれていたとは、諸々手間が省けて有難い。


「はい。当日になってから頭を下げるのも違うなと思いまして。かといってご自宅にズカズカと踏み込むのもあれなので、電話で大変申しわけなく思うのですけれども、前日の内に挨拶、及び今回の件に関してお礼をと」


『そんなことでわざわざ? いや何、たまたまタイミングが良かっただけのこと。すまないね、名乗りの一つも出来なくて』


「そんな、とんでもない…! 正直に申し上げると、今回の遠征に僕は直接の関わりはないのですが、それでも大変助かるのは事実ですから…! 改めて、お車を回して頂けることにお礼を申し上げます」


『随分としっかりした十八歳だな』


 それを言うなら、貴方はとても腰の低い方だ。

 自分から娘たちだけでなく僕らの助けにもなるような名乗りを上げ、ただでさえこちらに得があるからとせめての礼を言ってみれば『すまない』ときた。普通は、そちらがそんなことを言う必要はないだろうに。


『母さんが隣で代われ代われって。大丈夫かい?』


「え、あ、はい、問題ありません…!」


 言われてみればさっきから、この人の後ろか隣か、少し離れたところから女性の声が薄っすらと聞こえてきている。

 お父様の声が途切れたかと思うと、受話器を取る音をほぼ同時かやや食い気味に、明るい女性の声が耳を打った。


『やっほ、君が真くんだね?』


「は、はい、神前真と申し――」


『まぁお父さんどうしましょ、しっかりした男の子がハル君だけじゃなくてもう一人!』


 遠巻きに聞こえるのは『まぁまぁ落ち着いて』というお父様の声。


『うちの娘たち基本自由だから、迷惑とかかけてないかしら?』


「それは全く――と言いたいところですが」


『あら何か粗相を?』


「僕にではありませんが、高宮葵という高校生の――」


『あぁはい、葵ちゃんね、名前だけは。その子に何か?』


「ええ、まぁ。今でこそ打ち解けているようですが、初対面でお胸を責められかけたことに、心底驚いてました」


 コンプレックスだと自分で語った胸を凝視されて、おっとり何を考えているのか正直分からない葵が『帰る』とまで言っていた。

 それに堪えてかもう胸を責めることはなくなっているけれど、まだ少し警戒心は残っているようで、両腕で胸を押さえて闖入者の侵入を許さない。


 まぁそれが実は逆効果、腕により返って大きさを強調するハメになっていて姉妹が尚熱い視線を送っているわけだが。


『あらまぁそれは大変。触れなかったのね』


「教え込んだのはあんたか!」


『やだ、冗談よ』


 貴女もその境界線が分からない。


『ところで、何時頃にうちに来る予定なのかしら?』


 ……は?

 うちに?


「すいませんが、何の話です?」


『あら? この際だから夕飯をうちで食べてそのまま泊まって、明日纏まって出ようって。ねえお父さん?』


 と、それに続いてまたも遠巻きに聞こえるのは『ああ』という返事。


 これは――


「乙葉さん?」


「な、何かしら…?」


「琴葉さんも」


「ひゃ、ひゃい…!」


 声が裏返っているが構うものか。

 お母さま、この二人は自由というよりアバウトと言った方が正しい。


 遥さんがいないと、本当に酷い。


 僕は通話が繋がったままなのも忘れて、


「変な文面で凝った演出しながらメッセージ送って挙句ずっとウダ言って進まんくらいなら要点だけ短くまとめて電話しんさい!!」


 怒鳴りました。


 十八年というまだまだ短い人生ではあるけれど、その中で初めて。

 勝手にアカウントを云々したのは遥さんも褒められたところではないけれど、この人たちの場合は何の詳細も語らぬままだ。

 そもそも、このホワイトボードに書かれた内容だけを伝える為だというなら、呼び出す必要は全くない。

 僕が電話をかけなければ、さっきのように菓子をつまみながらズルズル話し合いを続けて、挙句遅くなってから「ただいまー」ということになりかねなかった。


 時刻は既に七時を回っている。

 そういうことなら、わざわざ夕飯を作って待ってくれている親御さんに申し訳が立たない。


「すぐに向かいます。すいません、急に怒鳴ったりして」


『そいぎこつば、おばさんに任し。お客さん二人には夕飯を食といて貰うて、脳みそうっかんぐつまで、ばらい絞っておくけぇ』

「お願いします」


 こちらも、耐え切れず方言が出てしまった様子。

 お母さまの地元は、九州は佐賀県か。


 二人には、お灸を据えて貰うくらいが丁度いい。


「葵、行こう。お二人、はやく誘導を」


「わ、分かっているわ…」


「ごめんよマコっちゃん…」


 今更しおらしくしても無駄――とまで言うつもりはない。

 涼しい顔をして冷や汗かく姉と泣きじゃくる妹の様子に、流石の僕も溜息一つ。

 せめてものご機嫌取りに僕が持ってきていた飴玉を一つずつ手渡して、すぐに大学を後にした。


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