第9話 天文部へ
随分も目紛しく、色々と展開しながら過ぎて行く日々を、果たして無駄にしてはいないだろうかと思う。
自分のことでないから無駄にしてると言えばしているし、それが葵という知り合ったばかりの他人に影響し、運良くいい方向に進んでいるのなら、無駄にはしていない。
要は、焦点をどちらに置くか。
最終それを決めるのは、採点する本人の人柄だ。
自分が第一、あるいは他人は後だというような、似たような意味だがそういった方向なら前者、人好しかマザーテレサのような人なら後者。
ざっくり分けてこんな感じだとは思うのだけれど、果たして僕は――
桐島さんに言わせれば僕は余程の人好しらしいのだけれど、その自覚というか、そうであるとはあまり思えない。
嘘は極力吐かない主義だけれど、それがイコール他人の為に時間を割いてるのかと問われれば、それもまた違うような気がしてならないのだ。
「と、そんなことを考えて待ってた」
語りかける相手は、となりでちょこんと丸まって座りながら蒸したてほやほやの肉まんを頬張る葵だ。
待ち合わせたスタバで何か暖かいものを頼めば良かったものを、わざわざコンビニに立ち寄ってこれがいいと愛おしそうにショーウィンドウを眺めていたものだから、つい財布の紐が緩んでしまった。
とは言っても百円と少しなので、払うと言われた時には断った。
何して待ってたの、との問いかけに返した僕の答えは、葵の表情を曇らせるには十分過ぎたようで、
「何それ、変」
と素っ気ない反応を見せられてしまった。
言われてみれば確かに、スタバで人を待ちながらわざわざそんなことを考えているなんて、変わっている。
けれど、時間の使い方なんて人それぞれだと僕は言いたい。
二つ目の「変」を貰ってしまうことが容易に想像できるから言わないけれど。
愛想笑いのような苦笑いをして、再び前を向いて歩き始める。
目指すは自分の通う大学、その中の一室だ。
「お兄さん、暇なの?」
ふと、葵が失礼なことをダイレクトに聞いてきた。
どう返したものか、と迷う時点で既にそれを肯定している。
「暇というか、本当ならあの店に行ってるんだけど、今はこれが仕事の範疇だからね」
「ふーん。お兄さんってお人好し」
お人好し――だろうか。
僕の中では、頼まれた仕事をこなしているに過ぎない。
と、何となく出会い頭からの呼び方が気になって、
「そのお兄さんっていうの、何だかむず痒い」
「どうして?」
「高三と大一なんて全然差もないし、何よりあんまり言われ慣れないから」
「じゃあ何て?」
「え、うーんそうだな…」
人の名前の呼び方、あだ名なんて、呼ぶ側に一任されることだと思う。
まさか本人に任されることになるとは。
「いや、やっぱり呼びやすい呼び方で」
「何、それ。下の名前は?」
「え? あぁ、真だよ。真実の真」
「熱っ…ふうん。じゃあまことで」
「呼び捨てなのね」
別に構いはしないのだけれど、葵の中の目上目下タメの分類はどんな境界線をしているのだろうと気になってしまった。
それに口いっぱいに物を詰めたまま言われても。
歳が上であるからの「お兄さん」呼びではない可能性もあるわけか。
遥さんの言う通りマイペースと言うかなんと言うか。自由な女だ。
と、なぜか呼び捨てでの呼称が決定したところで、葵は肉まんを食べ終えた。
満足そうに頬を緩める様子はどこか猫っぽい。
「と、見えて来た。あれが僕と君のお兄さんが通っている大学だ」
「へぇ…」
リアクションは短く、あまり表情も変わっていない。
けれど、その語尾は少し間延びして聞こえた。
多少は興味を示してくれていると取ってよさそうだ。
正門から入って中庭を歩いて、西棟へと足を運ぶ。
途中、入学式後に少し見知っただけの人から挨拶をされた。誰かはおろか、先輩か同期かも分からない僕は「こんにちは」と返した。目上にもタメにも通じる便利な言葉だな。
そんな僕の様子を横から眺めていた葵は、友達多いのねと。
まだ一人もいないというのに。
背の高い校舎と校舎の間を縫って、辿り着いたのは西棟の入り口。
すぐの所にあった案内図を眺めて足を止める葵に声をかけて、先へ先へ。
格好つけるつもりはないけれど、行き当たりばったりで挙句迷ってしまうよりはと、前日の内に”第三多目的室”の場所を確認しておいてよかった。
そもそも、棟名も言わず部屋だけ指定される新入生の気持ちになって欲しいというものだ。
「三階、と。この突き当りだ」
ようやくと辿り着いた三階は、二階までと打って変わって物静か。
静寂といった極端な表現も、ここにはよく当てはまりそうだ。
あれだけ明るい遥さんを手籠めにする先輩がどれほど喧やかましい人たちだろうと思っていたけれど、存外それほどでもないのだろうか。
誰の声も聞こえない。
何だか居心地の悪い空気の中、僕らは一歩一歩、その部屋へと近付いて行く。
そしてついに、目の前までやってきたのだが――
「いる?」
「さぁ」
扉の窓はモザイク仕様で、中の様子は窺えない。
仕方なく、直接目で確かめることに。
「失礼しま――」
と、言い終えるより早く。
「「いらっしゃい!」」
耳を劈つんざく二つの黄色い声。
同時に鳴り響いたのは、声の主たる二人の女性が手に持つクラッカーだ。
何が起こっているのかと整理をつけようにも、唐突な轟音により速くなる鼓動の所為で頭が回らない。
どころか、少しふらふらと――
「まこと?」
「うわっと…! な、何…!?」
「倒れそう」
そう言いながら、背後から肩に手を添える葵。
どうやら本当にふらついてしまっていたらしい。
我ながら情けないったらない。
促されるまま足を踏み入れた室内は真っ暗。
そんな中でソファに座らされ、何が始まるのかと思いきや、一気に明々と電気が付けられた。
「いやー、ちょっと予定より早くて慌てたぞ」
肩を竦めながら歩み寄って来る遥さん。
設定した時間通りにクラッカーがオートで打ち出される玩具をわざわざ購入していたが、再設定が間に合わずそれをお披露目出来なかったことを嘆いているのだという。
何だってそんなことを。
「ともあれ、いらっしゃい――っと、どうした葵?」
遥さんが尋ねた目線の先では、音と空気と雰囲気に圧された葵が不機嫌な表情を浮かべていた。
「私がこういうの苦手だって、兄貴知ってる筈でしょ?」
「待て、説教はこの人たちにだ。俺は破裂させてないだろう?」
言われてみれば――いいや、大好きな妹の為にそれを止め切れていない時点で共犯である。
苦笑いする僕と怒り心頭な葵の正面、机を挟んだ反対側のソファに、二人の女性が腰を降ろした。
片や黒髪ショートぱっつん眼鏡、片や茶髪ロングくるくるといった、何とも相いれ無さそうな二人が違うテンションで同様の表情をしている。
それなりに名のある大学だけに、茶髪の方のメイクは五月蠅くなく、抑えられた雰囲気は清楚系と言えなくもない。
テンションは別として。
「
「次女の
見た目通りのキャラでした。
「姉妹?」
ぶっきらぼうに聞いたのは葵だ。
小首を傾げて向き合っている。
それに対し次女と名乗った茶髪、琴葉が「と言うか」と置いて、
「双子だね、あたしら」
「そうね。忌々しいことにね」
「ああん、酷いわ!」
お姉さん、妹嫌い過ぎじゃありませんか?
と敢えて口には出さなかった僕と対称に、正直な葵はド直球で聞いてしまう。
「仲悪い?」
その短い一言に凍り付いた――のは、僕だけだった。
当の姉妹はおろか、遥さんも微笑んだままだ。
あの、と声をかける僕に対して、遥さんは「いつも通りだ」とだけ。
益々の疑問符を浮かべて首を傾げる動作を、珍しくシンクロさせる僕と葵。
そんな二人の前で、
「冗談よ琴葉。貴女が一番よ、彼氏なんていらないわ」
「あぁもう、素直じゃないなあ乙葉は。あたしだって彼氏なんていらないよ!」
「……嘘よ。やっぱり彼氏は欲しいわ」
「一秒でフラれた! 記録更新じゃない? ねぇハル!」
「はいはいそうっすね、めでたいめでたい」
茶番というか寸劇というか、そんなものが繰り広げられていた。
なるほど、本当の喧嘩が始まったわけではなかったのだな。と思ったのは葵も同じらしく、「ふぅ」と小さく息を吐いた。
葵のそれが聞こえたのか一段落ついたのか、強く抱きしめ合って顔を背けられた妹の方が僕らに向き直った。
「まぁ見た通り変な姉妹だから」
「自分で言うの?」
「キャンパス内では有名よ、面白姉妹って」
「不本意だけどね」
と姉が小言を放ったことで繰り返される寸劇。
傍から見ている僕には付いていけないノリと勢いだ。
そんな僕に助け舟を渡したのは遥さん。
優しく肩に手を置いて振り向かせて、葵にはギリギリ聞こえない程度の声量で、
「ありがとな」
「肉まん分の礼を期待します」
「またか……すまん」
どうやら真正の真面目者らしい、ちょっとした冗談は受け入れられるでも流されるでもなく、真に受けられてしまった。
と、慌ててかぶりを振っていらないと弁明するや、遥さんは吹き出して「冗談だ」と楽しそうに一言。向こうの方が一枚上手だった。
慣れないことを言うものではないな。
しかし、真面目なことに変わりはなく、葵を待って誘導してくれたことに対する礼はちゃんと尽くされた。
楽しそうな岸妹の笑い声が聞こえる方に振り返ると、姉込みで二人して葵を取り囲んでいた。
初対面の時と似たような服装でちんまく座っている葵を撫で回して喜んでいるようだ。
まさぐられている当の本人は必死になって何かを堪えている様子。
あの自由きままな葵に、反撃の余地すらないとは。
「太もも柔らか、ほっそ!」
「顔も小さくて可愛らしいわね」
「お胸の方もおっきくて――」
と、岸妹が葵の胸部に触れんとした時だ。
「や、やめて…!」
まだまだ短い付き合いとはいえ、当分聞くことはないだろうと思い込んでいた蒼の大声が木霊する。
流石にやりすぎた、と冷や汗を流しながら額に手をやる姉妹は、存外正直に「ごめん」「調子に乗り過ぎたわ」と頭を下げた。
女子同士のスキンシップとは、どこまでも自由なものなのだな。
この二人だから、だろうか。
「こんなこと話しに来たんじゃない。帰る」
やや本気で膨れて立ち上がる葵に、流石にヤバいと見たのか遥さんが通せんぼ。
チョコレートを手渡すと、一瞬にしてソファへと引き返していった。
「安い怒りだね」
「まことうるさい。それより、本題」
突き刺さる一言に退く僕を無視して、早くも立ち直ってホワイトボードを転がしてきていた岸姉が指揮を執り始めた。
掲げられた表題は”岸と高宮と時々少年”なる奇妙なもの。
「いや待ってください、まだ名乗ってもないから別に構いませんけど、扱いが――」
「大丈夫だよまこっちゃん、分かってるから!」
一体何を。
……まこっちゃん?
「遥さんから聞いたんでしょうけど、いきなりあだ名呼びとは。いいですけど」
「そうよ琴葉。ナマコ君に失礼でしょう」
「姉は姉で失礼ですよ」
「そうね、ごめんなさい。言い間違えたわタバコくん」
「誰が肺に悪いって?」
「冗談よ。そう怒らないでちょうだい、まこと君」
「……っ……」
ふと、急に名前で呼ばれて言葉を失ってしまった。
親以外、こっちに来てから一番関係の深い桐島さんにすら「神前さん」と呼ばれているだけに、慣れてはいないのだ。
唯一僕のことを下の名前で呼ぶのは誰あろう葵なのだけれど、彼女は異性の女の子という気がしないと言うか――どちらかと言えば、世話を焼きたくなる本当の妹であるかのよう。そう、妹なのだ。
黙ったまま反論しない僕に意味深な笑みを送るだけ送って、岸姉は「さてと」と柏手を打った。
「表題変更。”岸と高宮と時々タバコ”よ」
「柏手の意味は何なんですか…!?」
「冗談よ――って、こら琴葉、真に受けない」
指摘した眼下では、そーっとペンに手を伸ばす岸妹。
軽くデコピンを見舞われると、「あいたっ」と額を押さえながら退散し、しれっと葵の真横に陣取って座った。
「近い」
「お胸触らないから許して?」
「……チョコくれたら」
「いくらでも! ハルー!」
「了承するなら自分で持ち合わせてなさいよっと。ほれ、葵」
呆れながらも、やはりと優しい遥さんは、投げてではあるがチョコを葵に寄越して嘆息。
受け取った葵は葵で、幸せそうに頬張って岸妹の左腕ホールドを甘んじて受け入れていた。
そこで、ようやくと再会される本題。
そのまま岸姉が指揮を執って、話し合いが進められる。
「大方の話はいっていると思うけど、今度の日曜のことよ。内容は――」
きゅぽんと音を立ててペンのキャップを外し、すらすらとその概要を綴っていく。
簡潔かつ綺麗な字は読みやすく、内容がすんなり頭に入って来る。
「こんな感じかしら。詳しい時間帯はこれから決めるとして、妹ちゃんの希望である”通潤橋”付近にも行ってその日は野宿。翌日の月曜は祝日だから問題ないわ。私たちは私たちで、サークル活動である星見をする、と。間違いは?」
「ありませんね。流石に纏めが上手だ姉先輩」
「初顔合わせの人たちの前でその呼び方はよして頂戴。まったく、あれほど乙葉”様”と呼びなさいと」
「死んだ方がマシなので今のままで継続。っと、マコトも葵も、それでいいな?」
振り返りざまに尋ねられ、僕らはそれぞれ「はい」「うん」と頷く。
新幹線、バス、電車と乗り継ぎ乗り継ぎ、九州自動車道御船インターから更にバスで一時間強かけて井無田高原キャンプ場へと向かい、テントを張って小休止。そこから片道二時間、徒歩にて通潤橋を目指す。
改めて図示されるととんでもなく手間と暇のかかる計画だけれど、葵は一切の間を置かず「分かった」の一言。それほど、通潤橋という場所に――祖父に思い入れがあるのだろう。
他界してから一年だと言っていたが、遥さんが言っていた「長年」という言葉、葵はずっと探し求めていたのであろうことが伺える。
「集合はどこに何時にしようかしら?」
「分かり易いから、とりあえず場所は駅でいいんじゃない? 時間は――」
「橋、日中には辿り着きたい」
「なら、朝の九時辺りかな。キャンプ道具一式は私らが持っていくから。おいっしい料理もお楽しみに!」
「野菜切るのから調理まで私がやるというのに、自分の手柄のように言わないでくれる?」
「双子なんだから、私がやったも――」
「一緒じゃない」
ぶった切られてしょげる岸妹。
今のは自分が悪いと思うな。
指を合わせてぶつぶつ言いながら葵に擦り寄る妹を放って、姉は手早くメモを残す。
と、連絡や話はすぐに出来る方がいいからと、この五人のメッセージグループを作ろうと遥さんが提案した。
珍しく役に立った、たまにはいいこと言うのね、と感謝とはとても言えない賛辞を口々に言われる遥さんは、存外まんざらでもなさそう。
普段、どれほどの言い分で日々を過ごしているかは聞かないでおこう。
「これでよしっと。そうだ、葵」
作成した”仮キャンプ部”なるグループに他の四人を招待し終えた遥さんが葵を呼ぶ。
「なに?」
呼ばれて、猫のような軽やかさでソファから遥さんの元へ。
「今日、これとは別にまだ話し合いがあって帰れん。悪いが――」
「大丈夫、勝手にやっとく」
それがいつもの会話なのか。
驚く様子もなく、かといって呆れる様子もなく。
葵は素直にそう言って、財布を取り出して残金を確認する。
「二食分くらいは持ち合わせあるから、平気」
「……悪いな」
「いいよ」
一人で食べる夕食を余儀なくされた葵ではなく、それをしなければいけない状況に置かれている遥さんの方が眉の端を下げる。
それを傍から見ていた双子の姉妹は、一様に唾を飲み込むと、
「やばい。いい子過ぎるね葵ちゃん」
「ええ。二人目の妹として迎えたいわね」
二人で手を組んでうっとりと葵を眺め、こんな空気の中で好き勝手言っていた。
遥さんが嫌味の一つも言わない辺り、それは二人なりの気遣いなのだろう。
それに気付いてしまっては、何故か僕も、どうにも退けなくなったというか。
「安いところなら連れてくけど?」
気が付けばそんな言葉が口をついていた。
しかし、葵は考えることもなく首を横に振り、今日はいいとだけ返してきた。
そして未だキラキラとした目で自身に視線を送り続けている姉妹の元へと歩み寄り、
「ありがとう…ございます」
精一杯、感謝の気持ちを伝えた。
対する二人はまたも「可愛い」「是非うちへ」と引き込もうとするが、葵はやんわりとお断り。
荷物を纏め、一礼だけして部屋を出る。
ふと見えた寂し気な横顔を、今限りは見ていないふりをした。
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