第7話 喫茶店での一幕

 特に何かするでもなく記憶堂を後にし、家に帰った僕を待っていたものは。


「メッセージ?」


 液晶に浮かび上がってきるのは、”新着メッセージ:高宮葵”の文字。

 記憶堂での話し合いの後、結局本当について行かされることになった僕と連絡先を交換しておいたのだ。


 何か動きがあったのだろうか、と勘ぐる僕に反して、表示したメッセージは何ともまぁ変わったものだった。


『明日の夕方六時、星屋』


 とだけ短く。

 わざわざ呼び出すということは、何か話したいことでもあるのだろう。

 僕も短く『了解』とだけ送ると、直ぐに読んだ形跡が。以降何も返って来ないままだった。


―――


 二日目の過程をとりあえずと終えた僕は、記憶堂に顔を出していた。

 メールでやり取りしても良かったのだが、見ないとも限らないからと、直接桐島さんに今日の仕事の有無を確認する為だ。


「特には……はい、ありません」


 確認を取るや、返ってきたのはお暇通知。

 今日は珍しく昼間からパソコンを打っている桐島さんが、振り返り様に考えながら言った。


 勝手知ったる奥部屋だなんて勝手に思っていた扉をノック無しにいきなり開けたことに驚かれ、叱られ、アールグレイでもてなされる。

 落ち着く空間を求めてやって来た訳ではないのだけれど、出された飲み物に罪はない。


 いただきますと一言、いつもより少し早めに喉に送ったそれは存外熱く、無意識の内に噎むせてしまった。


「気をつけて飲んでください、火傷でもしたら大変ですよ?」


 そんなことを言いながら手渡されるハンカチ。

 借り受けたそれで口元を拭うのは気が引けるけれど、せっかくの厚意を無駄にするのも無粋が過ぎる。

 しかしやっぱり、折り目のしっかり付いたそれを見ては、僕の汚い口元に使うのは勿体無い。


 感謝の後に謝罪文を置き、僕は机上のティッシュを二枚ほど取って処理した。


「座りもせずに飲み始めたかと思えば、噎せて。慌てている様子ですが、どうかしたのですか?」


 無くなった分の紅茶を足しながら、桐島さんが聞いて来た。

 そこでようやくと思い出した、高宮妹の存在。


 待ち合わせまで時間はまだあるけれど、早めに行っておくに越したことはない。

 遅れて怒られることの方が、バツが悪い。


「高宮妹…っと、葵さんに呼び出されまして。要件は分からないんですけど」


「あら、そうでしたか。では行ってくださっても構いませんよ。すいません、引き止めるような真似を」


「い、いえそんな…! ご馳走様です」


「お粗末さまです。お気をつけて」


 わざわざ体全体で振り返り、微笑を浮かべる。

 何度見ても慣れない、眩しい笑顔だ。


 柄にもなく「行ってきます」なんて言って記憶堂を後にした。


 途中、自宅に立ち寄り荷物を置いて、財布とスマホだけを持取り出して星屋を目指す。


 店が見えて来た辺りで腕時計を確認すると、待ち合わせまでは二十分程の余裕があった。

 これで怒られることは無いだろうと思いつつ、店内へ入った。


 が。


「遅い」


 向けられたジト目。

 余裕があるにも程がある時間に来たというのに、その言い草は何なのだろうか。

 そう思ったのも束の間、葵は四十分も遅刻していると言い張った。


「いや待って、待ち合わせは確か六時じゃなかった?」


「私は五時って……あ」


 むすっとしながら慣れた手つきでスマホを操作し、手を止めるや締りの悪そうな顔をした。

 そのままスマホをスカートのポケットにしまい直し、水を一口。


「その「あ」は何?」


「……な、何でも」


 葵はわざとらしく目を逸らしてもう一口。


 大方、五と六が隣で近くて押し間違えたのだろうと容易に予想はつく。

 ボタンと違って液晶は、触った時に確かな反発がないから。親への返信で「?」を打ち間違えて「る」と送って逆に聞き返されたことがある自分には、葵の間違いに強くは言えない。


 逆ギレして口を聞いてくれなくなるよりマシだと思えば、いくつか気も楽だ。


 そこでようやく、葵がボーイッシュな私服とは違い、綺麗な紺の制服に身を包んでいることに気がつく。

 とは言え羽織られた茶色のカーディガンは、やはり些かの大人っぽさを醸し出してはいた。


「なに?」


 席にも着かずじろじろ見ていた僕に、先の理不尽な怒りをやや戻した葵が見上げて言った。

 いやらしい目で見ていたつもりはない。

 しかし、それを受け取るのが年頃の女の子とあっては。


「ごめん、私服と全然違うなって」


「そりゃそうだよ。誰が着たってこうなるんだから」


 そういうことではないのだけれど。

 まぁいいか。


 遅ればせながら椅子を引いて腰掛け、マスターを呼びつけブランドだけ注文。

 葵にも何がいるかと尋ねたところ、返ってきたのは「オムライス」の一言。

 かしこましました、とマスターが引っ込んで行くのを見届けて、


「飲み物じゃなくて?」


「高い?」


「いや一人分くらいならまぁ別にいいんだけど。夕飯食べられなくなるんじゃないかと思って」


「あぁ。それなら大丈夫。今日は兄貴帰ってこないから」


 兄貴…遥さんか。

 帰ってこないとは一体、どういうことなのだろう。

 それに、だからと言って夕飯が食べられなくなるわけでは。


「聞かれる前に言っとくけど、うち両親いないの」


「へ…?」


 聞き返す僕に、葵は底に少しだけ残っていた水を飲み干す。

 そして両手をカーディガンのポケットに突っ込んで、背もたれに全体重を預けて脱力し、やや俯きがちにため息を吐いた。


「四年前に事故で。夜の山道を走らせてたみたい」


「事故…」


「この間私が記憶堂に行った時、思わなかった? そんなにすぐに行く必要があるのかって」


「それは、まぁ…うん」


 バイト代全て注ぎ込むにしても、来週などと随分早計だなとは思った。


「いわゆるおじいちゃんっ子なんだけどさ。それは、両親がいなくなったあと、ずっと面倒見てくれたのがおじいちゃんだったんだ。迷惑かけたくないから物は一切強請ねだらなかったけど、折に触れて


「欲しいもんは無いか?」って。すごく優しかった」


 途切れ途切れ。というよりかは一言一言ゆっくり話す印象だった葵がスムーズに話すのは、それが余程大切な思い出だからだろうか。

 普段は緊張の糸を張っていないからああなだけで、一度ひとたびスイッチが入れば、感情が止まらなくなる。


 僕は彼女を誤解していたようだ。


「今は親戚からのちょっとの仕送りで何とか。でもそれじゃあ私が満足して暮らせないからって、兄貴は塾講師やってる。今日帰らないのはそのため」


「そう…」


「暗くならなくてもいいよ。嫌な思い出話じゃないから」


「分かってるけど……何て言うか、苦労も知らないであれこれ勝手な想像してたなって」


「何だか嫌だから聞かない。けど、それが別に、私を不快にさせてるわけじゃないし」


 それはそうなのだけれど。

 高宮葵。随分と強い、逞しい女の子だ。


 と、変に空いた間にタイミングよくやってきたのはマスター。

 お待たせしました、と注文した品を並べる。


「今日は藍子ちゃんと一緒じゃないんですね?」


「四六時中一緒にいるとでも? 住み込みでもない通いのバイトですから」


「ほっほ。それでは」


 軽く上体を倒して礼。

 もはや定位置てるカウンターへと戻って行った。


 他の客こそいないが、それだけに今の会話も少しは聞こえていたことだろう。

 ああやって冗談を言うのも、気遣いの意味もあったのではないか、と思うのは僕の自惚れだろうか。


「冷めないうちに食べな。デザートも品揃えはいい」


「……点数稼ぎ?」


「親切心だよ」


 せめて家から離れたここでは、好きな物を。

 そんなことで役に立てるとは思わないけれど、このくらいのことしかできないし。


「ありがと」


 真顔は変わらないが、うっすら細められる目。

 彼女にも少し気を遣わせてしまったのだろうが、


「じゃあ遠慮なくチーズケーキ」


 食い気には負けたようだ。

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