第6話 入学式

「で、あるからして、新入生諸君には――」


 もう、何十分になるだろう。

 理事長が登壇してから、かれこれ三十分は優に超えているのではなかろうか。


 この後に、まだまだやることが控えていると来た。

 大学の入学式も、楽ではないな。


 何とか眠気に耐えて迎えた、小休止。

 とりあえず飲み物を仕入れようと、僕はエントランスホールか学食、歩きながら近い方を探して彷徨った。

 その甲斐あって、


「どこだ、ここは?」


 迷いました。


 皆、隣に居たやつだとか見知った顔だとかでグループになり、あれやこれやと話ながら歩いていたが――これは早くもボッチの予感がしてならない。

 それが嫌だ、悪いとは思わないけれど、せっかく新しい所に来たからには新しい出会いの一つでも、あっていいのではなかろうか。


 とりあえず真っすぐ、同じ道を通らないように気を付けて宛てなく歩く。

 いずれどこかには辿り着こうといった甘い考えだ。


「どうした――っと、新入生か」


 西館と東館を繋ぐ一階通路にさしかかった時だ。

 眼鏡の男性が話しかけて来た――茶髪、茶髪だ!


 大学生って、本当に茶髪にするんだ。


「どうした?」


「すいません心の声です」


「こころ?」


「え、あぁ、いえ」


 ふと口をついた言葉に更なる疑問符を浮かべられ、僕は慌ててかぶりを振った。


 男性が言う事には、この先には何もないらしかった。


「休憩時間だろ? 飲み物か食い物の調達といったところか」


「せ、正解です…! 道に迷ってしまって…」


「そうか。ならこっちだ」


 着いてこい、と手招いて僕を後ろに歩かせる。

 先輩と思しき男性は、慣れた足取りで先へ先へ。遅れていないかたまに後ろを振り返っては向き直りと、中身は見た目ほど厳つい感じではなさそうだ。


 程なくして、僕も見覚えのある道を違えた方に曲がって少し歩いたところで『食堂』の文字が。

 おぉ、と声を上げる僕を見て、男性は微笑んだ。


 越して来たから僕、いろんな人に笑われている気が…。


「わざわざ誘導までしていただき、ありがとうございます。助かりました」


「いやなに、俺も丁度飯にしようかと思ってたところだからな。気にするな」


「はぁ。ともあれ、ありがとうございました」


「……そう、気にするな」


 と、男性は途端に顔色が悪く――いや、怒り心頭といった風に様変わり。

 大きく吸った空気を深く深く吐き出して、


「いくら負けた奴が買いに行くって罰ゲームでもよ、払いまで負けたもんだなんて、聞いてなかったら嫌だよな?」


「は、はい…?」


 罰ゲーム?


「まぁついでだから聞いてくれや。サークルの先輩と、罰ゲームは『購買のパンを人数分買ってくる』ってことで簡単な賭けをしたんだ」


「はぁ…」


「するとどうだ。俺はいざって時に弱くてな、よく負けるからって甘んじて受け入れたんだが……先輩ら、金持って来てねーってよ」


「負ける人が決まってたからって、その人に集ろう的なやつですか?」


 地元でも似たようなことが昔あった。

 対象は駄菓子のガム一つだったけれど、メンコで勝負して負けて、お小遣いがなくなってたからって結局払わなかった友人の事件。


 古い小学低学年くらいの記憶を懐かしんでいると、


「そう、まさにそんな感じ。いくらなんでも酷くねぇか? あの人ら女なのにバカほど食うんだぜ?」


「それは何というか…ご愁傷さまです」


 南無。

 先輩後輩って、所により怖いからなあ。

 ちょっと何かあっただけであれこれ言われるし。

 断らない辺り、その人たちとの関係を拒絶しているわけではないのだろうから、大人しく払って、長く関係を続けてほしいものだ。


「っと、引き止めて悪かったな」


「あぁいえ。なかなか個性的な先輩方なんですね。何のサークルなんです?」


「『天文部』。いいだろ。夜空に浮かぶ星を、普通買えない値段の望遠鏡で覗くんだ。遥か上空が身近に感じられるぞ」


 天文。

 興味はある。


 向こうにいた頃は、しょっちゅう縁側から星を眺めた。

 部屋の明かりを全て消して寝転がって、自由に。

 こっちには街灯が多いから、あまり見られないなと思っていたところだ。


 が、他のサークルも見てみたい手前、魅力的だが即決は出来ない。


「良いですね、天文。星は眺めていても飽きませんし」


「お、分かってくれるか。いつでも歓迎するぜ。二年の高宮遥だ」


 受け入れる体制がある旨に続き、名乗りとともに手を差し出してきた。

 社交的ではあるけれど押し付けがましくない、話しやすい人だ。


 僕は迷わずその手を取って、


「一年、神前真です」


 と名乗った矢先のことだった。


「こ、神前…!? それに真っつったか!?」


 急に力が込められた手を寄せ、興奮気味に巻き舌で聞いてきた。

 苗字は確かに珍しい方だとは思うけれど、名前込みで、それに驚かれるような有名人でも――高宮?


 僕が気付いたすぐ後で、深く頭を下げて言った。


「妹が世話になった。公園で猫助けて、話し相手になってもらったって」


 高宮遥。

 やはり、高宮葵の兄だったか。


 高宮さんなんでごまんといるし、それがこの大学にいても決しておかしくはない話だけれど、妹葵が近所だとそれが身内である可能性だって十二分にある。


 葵は語らなかったけれど、兄がいたとは。


「マイペースが過ぎるからな…粗相とか、なかったか…!?」


「え、? い、いえ、とんでもない…! それに、僕は途中で寝ちゃってますし…話し相手になれていたかどうかもぶっちゃけ怪しい…」


 事実、葵も「ずっと猫を撫でていられた」と言っていた。

 どちらかといえば、猫の方だけでも十分だった気さえしてならないのだけれど。


 兄遥は、それでも僕を恩人にしたがるようで、「そんだけでも十分だ、あんなんだから友達も少ないし」と首をぶんぶん横に振って言った。


「それにバイト先の、何つったか…ナントカ記憶堂? そこで、俺らが長年首を捻ってきた写真の場所も分かったって話じゃないか」


 それも、僕ではなく桐島さん――あの人と僕の働きを割合で言えば完全に十ぜロだ。

 透明だからと採用されたけれど、何で彼女の役に立てるか見当もつかない。


「まぁともあれ、色々ありがと。マジで色々助かった!」


「いえそんな……と、昼休みが――」


 気付き、言いかけたところで。


 無情にもスピーカーから鳴り響く、予鈴の音。

 午後からの説明開始を知らせると同時に、食料摂取という行動を奪う。


「うわ、鳴りやがった……すまん、この謝罪は今度絶対に…!」


 高宮兄は、音がなる程強く両手を合わせて謝った。


 何となく、やることもないから食事でもと思い、ふらっと出てきただけだったので、そう謝られることでもなかった。


「気にしないで――って、それよりも待たせてる先輩方…!」


「やっべそっちも忘れてた…!」


 慌てて身を翻して走り去って行く。

 と、パン類の並ぶ陳列棚に差し掛かったところで振り返り、


「んじゃ今度、諸々の礼ってことで飯奢るわ!」


 大きく右手を高らかに掲げて振って、高宮兄は笑う。

 妹思いと言うよりは、妹馬鹿とも取れそうだ。

 祖父の思い出を辿る妹が、可愛くて仕方がないといった様子。


「早く先輩方にパンをー!」


「おう、んじゃまた!」


 そう言い残して、少し遅れた他人の昼食買い。

 使いっ走りの後輩が、時間超過で戻った時に何を言われるか。あまり考えないようにしよう。


―――


「と、いうことがありまして――」


 放課後。

 諸々のガイダンスに続くサークル勧誘を何とか避けて、やって来たのはバイト先。

 いつもの奥部屋で、桐島さんは小説の頁を捲っている。


 西日が射しこむ夕刻、ゲリラ性のある仕事上、家にいても暇だからと足を運ぶとアールグレイでもてなされ、それを少しずつ口に含みながらそんな話をした。

 まるで親にでも話すかのように。


 ぱらぱらと一ページ、また一ページと捲りながらも、ちゃんと僕の話は一言一句逃さず捉えている。


「それは数奇な巡り会いですね」


 と、詩的な言葉を持ってきて小説をパタン。

 穏やかな笑みを浮かべて向き直った。


「幼少の頃、バイオリンの子供全国大会でトップに立った人が居たそうですよ?」


「急にどうしたのですか?」


「とある高宮少年のお話です」


「たかみ――って、バイオリン日本一!?」


 敢えてそれが高宮兄のことではないか、とは尋ねなかった。

 この人が悪戯な笑みを浮かべる時、また完全的な記憶力を前に、それが間違いや勘違いでないことは火を見るより明らかだからだ。


 しかし、バイオリンとは。音楽的なイメージは全くと言っていいほど感じなかったのだけれど。

 加えて天文部だという話であるし――うーん。


「高校一年だったでしょうか。腱鞘炎の悪化が原因なんだそうですよ」


 不意に、桐島さんは僕の心を読んで言った。


 驚き勢いよく顔を上げた僕に、もうひと笑い。

 考えていることなどお見通し、と言った具合だ。


「腱鞘炎って、ちゃんと治療すれば治るものじゃないんですか?」


 冷やす、場合により温める、湿布の使用、使わないといった対処で、快方に向かうと聞いたことがある。


「早期なら、です。放っておくか無茶をするなどで悪化すれば、熱感や腫れを伴い初め、更に放っておくと手術適用になるのですが、これがまた厄介で」


「厄介?」


「ええ」


 短く頷いた後に放たれたのは、複数の後遺症が伴うということ。


 一番起こりやすいものでは握力の低下。

 これはリハビリで回復が見込めるが、継続することが必要。

 次に、神経痛や痺れ。

 こちらも、温浴や理学療法にて、およそ一年くらいで完治する。


 が、最後。


「手術にて神経がよほど傷ついた場合に限りますが、反射性の交感神経萎縮症を発症してしまいます。これは、ちょっとした刺激により強く興奮作用が起こり、血管収縮に伴い神経萎縮、最終は筋肉の拘縮といった症状が出ます。早期であれば治療の効果も出やすいですが、出やすいだけです。確実とは言えないのが現状ですね」


「そ……」


 んな、と続かない乾いた喉。


 リスクこそあれ、どうしてそれだけの腕を持っていながら、前向きに検討しなかったのか、僕には不思議だった。

 ”持っている”ものに憧れているわけではないけれど、”持っている”者がそれを自ら切り捨てる決断たるや、好きでもないのに才能だけでやってきた――なんて人でもない限り、そうそう踏ん切りのつくものではない。


 というのも、結局僕の勝手な持論なのだけれど。

 しかし、勿体ないことに変わりはない。


「最期の演奏会で高宮少年が放った一言は、『大切なものが守れなくなるのは困る』というものでした。それなら手術をして――とも思いますけれど、それで後遺症でも残れば成せなくなる。だから、バイオリンを捨てて、治すのではなく悪化させないという道を選んだのだそうです」


 大切なもの――


『あんなんだから友達も少ないし』


 ふと、高宮兄の言っていた台詞が脳裏を過った。


 おそらくは、何かしら関係があるのだろうけれど――。


 深く追求すれば、何かを侵してしまいそうな予感があった。

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