第10話

(十二)

 午後の陽射しの下で、毛越寺の境内は深閑としていた。私は、これで四度目だと思った。

何故、毛越寺に心を惹かれるのかは定かではないが、どうしても皆が皆中尊寺ばかりに出かけるのか私にはわからなかった。

あんな人ごみの中で天台宗の寺など見物している人々の気がしれなかった。毛越寺には、その千分の一ぐらいしか参拝人が来なかった。

そこがいいのだ。大きな池の側で私と恵美子が掛けているベンチのすぐ前方に松の木が二十本ほどあり、その一角は池に向かって枯滝石組になっていた。

その前に花舟が沈められている。空は何処までも青かった。

 もう少し時期をずらして来るべきかなとも思ったが、紅葉に彩られた情景より緑の深い今のほうがより良いものに思えてくるのは何故だろう。

そのうしろ一帯は穏やかな山の斜面で山つつじが初夏を彩っている。池の面には、縮緬のような波が立っており、そこに昼の月が白く映って揺れていた。

「平安時代にも昼の月は、ああして映っていたのかしら」

恵美子が言った。

「そうだろうね。」

中尊寺に寄らず、私達は毛越寺から帰って二ヶ月経っていた。

 その日も、私達は銀座の喫茶店に居た。

「聖路加病院へ一緒に行って貰いたいの!」

恵美子は、店へ入るなりそう言った。いつもの彼女に似つかわしくない強い口調だった。

「理由はその時言うから!」

私は訳がわからず、「判った」と答えていた。

 私は、早急に理由を聞きたかったが、彼女は私の口を閉じるように伝票を取り、レジに向かっていた。私はただ後に着いていくだけだった。

恵美子の顔は引きつっていた。三十分二人で歩いたが、恵美子は口をきかなかった。

彼女は一途に早足で築地の方へ歩いていくのだった。二人が病院へ着いたのは、午前十時半だった。

私は、いったい何があったのか知りたかった。私は何度か口に出かかったが、恵美子の顔が強張っていたので止した。

「あなたは待合室で待ってて!」

強い口調だった。私は、そんな口調で命令する彼女を見たことはなかった。

私は、ただ待合室のイスに座って待ち続けるだけだった。

 私は、彼女が何科の診察を受けているのかさえ教えられず、二時間待ち続けていた。『もしや産婦人科では?』と思ったが、私はそれを打ち消すだけの自信があった。

「こんなところ、早く出よう。」と彼女から声を掛けられたのは、昼の一時過ぎだった。

 恵美子は混乱の極みに身を置いていた。私は、恵美子に手を引きずられるようにして待合室を出た。

「私、産婦人科で診察を受けていたの……。」

 二人でナも知らぬ喫茶店に入り、座るや否やそう告げられた。そこでようやく、彼女は安堵の色を浮かべた。

「あまりに恥ずかしい診察だったので、急いだの」

恵美子の表情がいつもの落ち着きを取り戻していた。

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