第9話

(十一)

 尚更に東京でしかできないのだ。どう計算しても今の条件である一千五百万円が私の出資、あとの残りの一千五百万円は株式会社トミタの富田社長の身を頼るしかないのだ。

私一人では、銀行も動いてくれない。トミタの潰れかけた巣鴨店も渋谷店も私の手によって再建させたこの手腕。これらの出来事が富田社長の信頼に答えていた。

 後に御徒町店を買い取ることは、見えていた。富田社長との約款では、最初の五年間はトミタの経営、その後は私自身の身に戻すという約束だった。

 私の予感が的中したのは、日光から帰った二ヵ月後に決まった。別件で上野不動産からの連絡で、その場所を見に行ったが、その物件はダメで、私はあたりをブラブラ散歩していた。

その日はダメだと思って歩いて上野駅へ歩いていた時のことであった。その途中、今まさに竣工しようとしている工事中のビルを発見した。私は咄嗟に「これだ」と思った。

取扱いが上野不動産と書かれていたので、そのまま歩いて上野不動産へ向かった。その物件は二十五坪で普通の計算ならその二、三倍の客席を作れるので、五十席は越えられる物件だった。

あくまで私の『感』だが、そこなら毎日十万円越えの売り上げが望めそうで、保証金も七百五十万円と安い。私は雀躍りしたい気分になった。

一ヵ月後、工事が終わり次第内金として三百万円入れてくれとのことだったが、勿論私はOKサインを出して決定した。家賃が高かったが、その分は出前で何とかクリアできそうなビル郡が並んでいた。私は、

 内金の三百万円を来週中に持ってくることを約束し、銀行へ向かった。私の取引先は、茨城銀行の御徒町支店だった。そこに、私は五百万円を預けていた。

 私は、恵美子に店舗を発見した旨を伝えると、銀座の喫茶店で待ち合わせした。そして、すぐに彼女を上野不動産に伴った。

 その後の付近の調査は、彼女に頼んだ。私は朝から近隣の飲食店を渡り歩いた。一軒隣に喫茶店があり、百メートル先にも喫茶店があった。

私は、彼女に昼間のランチ時間帯の調査を頼んだ。私は、御徒町の六曜館の立て直しを頼まれていて、好都合だった。その物件まで、五分で行けた。

朝の様子も、昼のランチも、両方見ることができた。

 近隣の飲食店には、ランチタイムはかなり混みあっていた。恵美子の反応も良かった。

 私は、それ等の調査の結果、はっきりとその場で営業することを決定した。私は早速、上野不動産に行き、内金の三百万円を支払った。

その契約書には、それが履行されなければ三百万円は返却しない旨が書かれていた。私は決意を新たにし、気を引き締めた。

 その店舗の引渡しは翌年の一月と決まった。その年は、昭和五十六年だった。

 それから内装工事に一ヶ月、坪六十万円の工事の発注は、富田社長に任せた。ただ一つ私は、アール・ヌーボーのクリムトやロートレックが一番活躍していた時代の雰囲気を持った内装工事を一ヶ月と区切って注文した。

 その頃には、ちょうど御徒町の六曜館の再建も終わりかけていた。後は店長だけを決める段階に入っていた。私はその任に川崎から通う佐久間さんに声を掛けようとしていた。

それを富田社長に伝えると、あまり良い返事が返ってこなかった。

 私は、自分の店が出来たら、二・三週間休みを取りたかった。それが叶わずその年も暮れていった。

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