第8話
(十)
ホテルに着くと直径二メートルはありそうなけやきの太い柱が玄関の真ん中にあり、ホテルそのものが重厚で歴史を感じさせた。
部屋は二回で、ボーイが手荷物を運び入れて案内してくれた。部屋からは沼が見え、それが丸沼であた。沼の周りは白樺の林が見事に紅葉していた。
その景色を見た恵美子は、
「なんて素晴らしい佇まいなんでしょう。」
「何も無いのがいいね。」
「貴方から先に温泉に入って来て……。私はしばらくこの景色を堪能してから入ることにするから。」
その夜の食事はイワナの塩焼きと舞茸の天ぷらがメインで刺身やすき焼きも出ていた。それらは申し分なかった。
恵美子も満足した様子だった。
「毎年一回は来てもいいね……。」
と彼女が言った。私は己の計画が間違いでなかったことに満足していた。
その夜恵美子は、いつにもない程体を密着し、甘えてきた。
「私の父が肺がんになってしまったの。後一年の命だそうなの。それが可哀相で……。」
「いや俺の方が迷惑をかけてしまい、中途半端な生き様を見せてしまって申し訳ない。」
「いや、そんなことないわ。相性がいいと思っているの。私はB型の血液の人が嫌いなの。その点貴方はA型、私との相性もいいし、同じ人生が歩めるなら満足だわ。
私は、なるべく早く会社を辞めたいの。貴方の店で使ってくれない?」
「でも、水商売の男は止めておけと言われているんだろう?」
「出来たら、父が生きているうちに会わせておきたいのよ。」
私は、恵美子の都合のいいようになれないでいた。私は恵美子となら将来結婚したいとは思っていたが、彼女は先の先ばかり見ているのが嫌だった。
何故子供を二人生みたいとか、養子に入ってくれだとか言い出すのがわからなかった。
人間、永遠性や連続性を縁に何十年も生きていけるものではないのだ。芸術や文化ならその普遍性を見ないではないが、人間はいつか死ぬ。
人間の一人や二人では、永久などありはしない。
私自身、兄弟がいるが、それまで家や実家の事などあんまり考えずに来ている。
それ故、何故に彼女が自分の家に固執するのか、その上、親が嫌いな商売で、今すぐにでも手を出そうとしている風来坊にどうして興味があるのか、今一つ理解できなかった。
男と女の関係を結んでしまった、という今になったら尚更だと思っていた。
「私、初めてよ!」
と彼女は言った。私は、ここまで来てしまった事実を思うと少し可哀相な気がしていた。
私は人形町の物件を見て思っていたのだが、近いうちに求める物件が見つかるような気がしていた。ただの嗅覚でしかないけれど、何とかなりそうな気がしてきていた。
「それぐらいの金額なら田舎に帰ってはじめた方がいいですよ。」
と、神田の不動産の足立さんに言われてしまった。
「いちいち従業員の連帯保証人になっていたら俺の命がいくつあっても足りないよ。」
と言い返された銀座の「珈琲船団」の安藤社長。私は四十五万の給料が稼げるような売り上げ計算をしてある。
それには五十席以上取れそうな店舗スペースが、どうしても必要だった。田舎では、どの飲食店でも無理な計画であった。特に龍ヶ崎では無理だった。
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