第3話

(三)

 私と恵美子が最初に出会ったのは、二人とも二十歳頃だった。私の姉と恵美子がアメリカへ二ヶ月間ホームステイをする時だった。

私は彼女達の運転手だった。姉は喜んでいたが、恵美子は「ジャップ」と呼ばれたことに腹を立てていた。早いもので、もうあれから十年近く経つ。

その時は天王台の駅で「行って来ます。」「行ってらっしゃい。」の言葉しか発しなかったような気がする。

そんなある日、初めて結婚の話が彼女から出てきた。もう既にお互い三十歳になろうとしていた。私の己の店を三十歳までに持とうとしていた。彼女は彼女で、己の行く末を考えていた。

彼女は自分で、今の仕事に熱が持てなかったらしい。他の同僚が皆独身というのも気になった。その中には、彼女が嫌っている血液型がB型の人物が多かった。

自己中心で自意識の強い同僚と一緒の仕事が、苦痛だった。恵美子に彼氏ができたということだけで、それを阻もうとする女性などの言動が浅ましくも淋しくも心根に感じていた。

 私は、そんな連中を理解しようとも思わなかった。そこまで現代主義の思考を持っているだなんて……。

「あなただってそうでしょう?いずれ両親の面倒を見るつもりでしょう?」

「いや、具体的には何も決めていないんだ」

私は、『このまま一人暮らしを続けていくのも悪くないな。』とも思っていた。


(四)

 翌週また恵美子と会う約束をした。現代画廊でも訪ねてみたいと思った。

 私が先に画廊へ行ってみると、州之内氏が真剣な眼差しで床に並べられた絵を眺めていた。私に気づいてか、

「鴻巣さん、これらの絵をどう見ますか」

私はそれに沈思黙考を決め込んでいた。州之内さんの見ている絵が誰のものか知っていたから……。

「手の無い作家で、口で絵を描いているんだ。」

私は、思わず作家の名前を口に出しそうになった。その時、恵美子はダークグレーのオーバーコートを着て現代画廊に現れた。

私は州之内さんと差しで話している最中だった。

「技術的に未熟ですね。でもミクソンレッドの色は綺麗ですね」

「私もそう思うんだが……。」

州之内さんはパイプをいじりながら、

「小さな作品は何とかなるんだが、八号以上の大きさの絵はものになっていない部分があるんだ。」

「私もそう思います。」

「それでも個展をやってやりたい…との思いのほうが強いんだ。」

恵美子は黙って私と州之内さんの話を聞いていた。水村氏の個展は年が明けて二月に催されることが決まった。

水村氏と私は縁の深い間柄で、彼が鴨川に引っ越す際には、私が運転手として同行した。

 私は、もしも義理で買うならサムホールにしておこうと思った。それでも私の給料一か月分になった。

 私は現代画廊で三点の絵を買ったが、義理で買うのは二度目だった。出店を目前にした私には高すぎた。後々銀座歌舞伎町の裏の汲美で水村氏と喧嘩別れをしてからは、私が買う作品は渡邊氏一本槍になった。

しかし、何せ渡邊氏の作品は売れない。そのことを恵美子に問うと、

「私にはわからない世界だから」と一蹴されてしまった。

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