幕間 出会い


 初めて会ったのは二月の半ばのことだった。

 もっと言えば高校受験の日のことだった。

 


「あー、緊張するなー」


「マジかよ。たろーお前さっき駅の売店でガム買うくらい余裕あったろ」


「何そんな観察してんだよ、お前オレのこと好きすぎだろ」


「もー、男子達ちゃんと来てよ!」


 先頭を歩いていた女子が眉を顰めて振り返ったのを見て俺達は空いていた距離を慌てて詰めた。試験当日に信じられない!なんて女子達が話してるけど、俺達にしてみればそんなにピリピリする理由が分からない。だって道のりは出願提出のときにみんなで覚えたし、学力がギリギリのヤツはもう1ランク下の学校を受験させられている。そんなに神経質になることはないじゃないか。……まぁ、そりゃあ、流石にちょっと遠足気分が過ぎるとは思うけど。


「教室一番上かー。なんでこんなはじっこなんだ?」


「全員の提出が一番遅かったんじゃね? たろーとかギリギリだったろ」


「あー、違いねぇなそれ」


 先頭の女子が今度は言葉もなく振り返って睨んだのを見て、今回は互いに口元に人差し指を立て合いながら校舎の中に進入する。流石にここまで来て騒ぐほど子供じゃない。

 校舎は二棟ありどちらも四階建てになっている。その内のA棟の四階三年六組が俺達の中学の受験会場だ。


「たけちゃん、筆記用具ちゃんと持ってきた?」


「今更聞くなよ、ちゃんと持ってきてるよ」


 漫画や小説でありがちな「入れたはずなのに!?」みたいな事態はそうそう起こらない。現にカバンの中にはちゃんとペンケースが入っているし、その中にもちゃんとシャーペンと消しゴムと入ってる。予備の芯も完璧だ。


 教室の中に入ると俺達は順番に机に着いていく。出席番号順で男子が先で女子が後。

 だから、自分の左隣が他校の女子だったことに驚いて思わず二度見してしまった。長い髪を後ろで一つに結いたような髪型の子はいなかったはずだ。うん、確かに違う。

 その一つ前はうちの学校の女子で、つまり彼女の中学からは男子は受験しないのだということになる。……男子が一人も受験しないなんてことあるんだろうか。それによく見たら後ろはもうずっと空席だ。彼女一人だけ、というのは公立なのになんだか変な感じがする。


「たけちゃん、あんまきょろきょろすんなよ。怪しまれんぞ」


 後ろの山田が背中を突く。確かにそれもそうだ。まだ試験が始まるにはまだもう少しあるけれど、すでに試験管が教壇のところにいる。変な印象は持たれないに限る。

 気を取り直してペンケースを取り出してシャーペンや消しゴムを机の上に出す……そうとしたところで足に何かが当たったことに気がついた。なんだろう、と足元を見てみるとそれは消しゴムだった。俺のじゃない。まだペンケースから出していない。じゃあこれは誰の?

 ふと、件の彼女がきょろきょろと辺りを見渡しているのが目に入った。何かを探している……ということはもしかしてこれだろうか。少し考えてから机の端を軽く叩き、消しゴムを彼女に示してみせる。一度、気付かない。二度目、気付かない。もう少しだけ大きく、三度目。

 三度目の正直とはよく言ったもので、ようやく彼女はこちらに気が付いた。驚いたように目を見開くと、座ったまま何度も何度も頭を下げる。そんなにしなくてもいいのに。ちょっと、気不味い。

 いいよ、と手を振って椅子を軽く引く。そうして半身だけ乗り出して彼女の机の上に消しゴムを置いた。これでよし。

 また何度も頭を下げだして俺はもう一回手を横に振った。そんなに恐縮されると逆に困るというかなんというか。

 今度は頭を横に振って気にしないで、と言外で伝えて視線を自分の机に戻す。もういい加減シャーペンや消しゴムを机の上に置かないと。


 その後はすぐに試験の説明が始まったこともあり、そのこと自体はあまり印象に残らなかった。寧ろ帰り道で執拗にたろーが「試験の日によその子に粉かけてんじゃねーよ」とからかってきたことの方が印象深かったぐらいだ。悪い意味で。


 印象に残ったのは合格発表のときだった。

 合格番号を張り出している掲示板の前だった。


 俺も同じ学校のみんなも全員当たり前のように受かっていて、それどころか周りにいた受験生みんなも受かってたかのようにはしゃいでいて、その中で一人泣いていた子がいた。彼女だった。

 自分の後ろの番号は最後まで残さず書かれていた。だから落ちたわけではなかったろう。それなのに泣いていた。もしかしたら嬉し泣きだったのかもしれない。だけど思い詰めたようなあんな表情で嬉し泣きなんてするものだろうか。

 分からなかった。気になったけれどその場でなんて声をかけられなかった。なによりみんなも周りにいた中で初対面に近い子に声なんてかけられるはずもなかった。向こうが俺のこと覚えている保証だって、ないのに。


 あの横顔だけが引っかかっていた。

 声もなくただただ泣いていたあの横顔が。


 春になったら。

 もしかしたら同じクラスになるかもしれない。そうしたら少しずつ仲良くなって───来年の今頃にでも「そういえば」なんて軽く聞けたらいい。そんなことをぼんやりと考えた。同じクラスになれなかったらどうにもならないけど、でも。


 長いような短いような春休みが過ぎて、入学式の朝。彼女を見かけた俺は、もう多分、きっと、あの時のことを聞けないんだろうということを知った。



  気付かず自分の前を横切った彼女の、

  長い髪がまるで男子かのように短くなって  いたから

 

 

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