30話【誘】
その日、雅達はいつも通り学校にいた。雅や灯を通して徐々にNOAHの活躍が広まっているのか、以前と比べて幾分柔らかくなった差別の視線を背に、雅は首を傾げた。
―もうあと一限で放課であるのに、千尋の姿を見ていない。
嫌な予感がして、雅はA組の教室へ転がるように向かった。生徒達が自分に気付き、こちらを見たが、構わず雅は近くにいる生徒に尋ねた。
「あの、桐生くんって」
「ああ…あの人もNOAHなんだっけ……今日は来てないよ」
訝しげに生徒はこちらを見たが、やがて思い出したようにそう言い、そそくさとその場を去った。雅は膝の力が抜けるような感覚がしたが、まだ諦めるには早いと今度は女子トイレへ向かった。
雅はまず千尋に通信を繋げようとした。だがどういう訳か、千尋との回線が開かない。いよいよ雅も焦りを感じ始めた。
「…因幡さん、森山です」
耳にはめた通信機のダイヤルを因幡のチャンネルに合わせる。因幡はすぐに応答した。
〈こちら因幡だ。どうした、まだ学校だろう?〉
「ええ…もう少しで終業です。あの、千尋くんって、今日はもうそっちに行ってますか?」
雅が祈るようにそう尋ねると、因幡は少し考え、返答した。
〈桐生か?…いや、NOAHでは見てないな〉
今度こそ雅は目眩がした。
「実は…」
雅は千尋が恐らく今日登校していない事、通信も繋がらない事を伝えた。因幡は外に音が漏れかねない程大きな声で動揺を示した。
〈なんだって!…桐生……まさか嵐に…?〉
因幡とは対照的に、雅は冷静に言った。因幡からの意外にも突飛な返答に、却って頭が冷えたのだ。
「いえ…多分、自宅にいるとは思うんですけど…」
〈そ、それもそうだな…すまない、取り乱した。NOAHに来られないようであればまたこちらに連絡がくるんじゃないか?〉
あくまでも呑気な因幡の口調に雅は内心苛立ちを覚えた。それをぐっと飲み込み、雅は言った。
「その…何となく、嫌な予感がするんです」
〈…というと?〉
「千尋くんあんまりお父さんと上手くいってないみたいなので…考え過ぎかも知れないんですけど、もしかしたら、って」
因幡は少し逡巡したが、何もなければないに越したことはない、確認するだけした方がいい、と許可を出した。
〈……そうだな。よし…森山、放課後桐生の自宅に行ってみてくれないか〉
「はい…!」
今回は任務ではない。千尋の様子を見に行くだけだ。とはいえ一人で向かうのは少々心細く、雅はいつも通り灯と共に向かうことにした。
通信を切り、灯を探しに行こうと女子トイレから出ると、目の前を通る
「あ、森山さん。よかった、探してたんです」
「私を…?」
「はい。まずは、初めてお話した時に嫌な態度をとってしまってごめんなさい」
躊躇いもなく頭を下げる束を見て、雅は一瞬動きが止まった。わざわざ自分を探してまで謝りに来た事を思い出し、我に返った雅は慌ててそれを止めた。
「ちょ、平塚さん、頭上げて…!全然気にしてないし、それにあの時は私も失礼な事しちゃったし…」
「…分かりました。これ以上の一方的な謝罪は自己満足になってしまいそうなので、この件に関してはもうやめにしますね」
内心ほっとした雅は、用件はもう済んだのだろうかと様子を窺うように束の方を見ると、まだ他に何か言いたげにしていた。早く灯を探しに行きたいところだが、ここで彼女を蔑ろにするのも心が痛む。雅は諸々を天秤にかけ、束を取った。
「どうしたの?」
「実はもう一つお話があって、もうすぐ文化祭じゃないですか」
「ああ…そういえばもうそんな時期だっけ」
行事には基本不参加を貫いている雅には実感が無かったが、気が付けばあと2週間ちょっとで当日である。それがどうかしたのだろうか。雅は話の続きを促した。
「昨年からコンテストが催しに追加されて、これがすごく好評なんです」
手を胸の前で合わせてにこりと微笑む束。対照的に雅は口元が引きつった。
「コンテストって…もしかして、見た目とかを競うアレ…?」
「はい。私も誘われたんですけど、来月号掲載分の写真を撮り終わったらモデル卒業だからって断ったら、記念になるから出てくれって頼み込まれちゃって…」
「まさか…」
本当であれば、そこから先を言わせたくは無かったが、最早止める術はない。果たして束は雅に乞うた。
「お願いします、代わりに出てください!」
「む、無理!無理だよ…Hanataba.の代わりなんて…!」
「大丈夫です。森山さんがお化粧やファッションに自信がなくても、2人までならスタイリストとして他の生徒と組むことが出来るんです」
束は続けた。
「私がその内の一人としてつきますから。裏方に回ると言えば周りも無理矢理出ろとは言わないでしょうし…お願いします、森山さんだけが頼りなんです」
「私じゃなくても、灯ちゃんとか、他にも可愛い子はいるでしょう…?」
縋る気持ち半分と自身に卑屈な気持ち半分でそう言うと、束はむっと眉を寄せた。
「森山さん!」
細い指で順に指しながら束は雅の身体的長所(束の主観ではあるが)を述べていった。
「その長いまつ毛、白い肌、華奢な手脚…女の子らしさ満載の容姿なんですから、活かさないと。…女の子でいられる時間って、結構短いんですよ?」
「平塚さん…?」
「ともかく、この用紙に名前書いて下さい」
「なんかいつもとキャラが違うような…それに、私なんかが出たら雰囲気壊しちゃうよ…」
心の中だけで「だって字持ちだし」と続け、本心では出場したいからではない、と雅は誰かに弁明してみせた。それすら見透かしたように、束が言う。
「森山さんも気付いてるでしょう。もう、みんなそれほど字持ちに嫌悪感も恐怖心も抱いていません。これは森山さん達がNOAHで頑張っているからですよ」
「私、たちが…?」
雅は心臓が熱くなる思いがした。NOAHに入って失いかけた自信を少し取り戻せたように感じ、自然と一歩、前に踏み出していた。
「そうですよ。…本当は、本気でNOAHに入りたいなんて思っていなかったんです、私。森山さん達の事を知って、私も字を誰かの為に使いたいって思ったんです」
束は目を伏せた。等しく上を向いたまつ毛がまるで、束の心まで隠そうとしているようだ。
「もう嘘はつきたくないから」
何かを話す時、彼女は決まって最後にこう言う。雅にはそれが何故か分からなかった。だからつい、とうとう、雅は尋ねてしまったのだ。
「平塚さんはいつもそう言うね。嘘って、何の事?」
「コンテストに出てくれたら話します」
にこりと笑う束に隙はない。分かってはいたが。
「…そう来ると思った」
「ふふ。あ、長々引き止めてしまってごめんなさい。エントリーは来週までなので、ゆっくり考えてくれると嬉しいです」
「……分かった。最後のHanataba.の写真、楽しみにしてるね」
踵を返して、束と別れた。
我ながら、ずるい返事だと思った。どちらとも取れる答えで、束は困っただろうか。それとも期待しただろうか。
窓に映った森山雅は、きっと
―今は、灯を見つけて千尋を探しに行かなければ。タイムリミットを告げるように、チャイムが鳴った。
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