27話【請】

「……ふぅ」


雅は字を使った事で火照る身体を冷まそうと、トレーニングルーム横のシャワー室に入っていた。

足元から徐々に冷たい水を浴びると、頭も冴えてくるような気がした。


「雅ちゃんいる?」

「いるよ」


灯が来たなら待たせるわけにはいかないだろう、と雅は勢いよく冷水シャワーを頭から浴びた。


「うっ…冷たい…」


当たり前か、と苦笑しつつ、汗を流し終えた雅は充分身体もクールダウン出来たことを確認し、個室のドアを開けた。


「この後どうする?」


髪から滴る雫もまだ新しい雅は、軽く全身を拭きながら灯に尋ねた。

あの後休憩を挟み、再び6人は組み手及び撃ち合いに臨んだのだが、千尋と灯が数分程過負荷オーバーヒート状態になり、体力的にも限界を迎えた事で終了となったのだ。


「灯ちゃんが動けそうなら今日は局内でも見て回ろうかな。初めて来た日からまだ全然探検出来てないし」

「アタシはもう平気。じゃあ一回更衣室戻ろうか?」

「そうだね」


雅が同意すると灯が手を差し出した。【移】の字が刻まれた、右の手である。

まさか、と雅が思う間に灯は堂々と字を解放し始めた。


「いっくよー!【移】!」

「ちょっと待って私まだ服―」


足元が不安定になった事に気付き、雅は青ざめながらタオルを巻き、慌てて脱衣かごから下着を引っ掴む。何とか下着も灯のセンサーに掛かったようで、雅は無事に更衣室まで転移することが出来た。

2、3時間ぶりに戻ってきた更衣室は幸いなことに誰もいなかった。


「…あ、ごめん雅ちゃん」


ようやくそのあたりが頭から抜け落ちていた事に気付いた灯がてへ、と自分の頭を小さく小突いた。

そんな灯に雅は何か言いたいことが無いわけではなかったが、結局まあいいかと許してしまうのであった。2人は来た時と同じようにそれぞれの服に着替え、コートを羽織った。


「…あれ、通信機が」


雅がふと左耳に手をやる。灯もそれに倣うと、微かにノイズが聞こえた。携帯電話でいう着信音のようなものだ。はっとしてチャンネルを合わせると、因幡の切羽詰まったような声が飛び込んできた。


〈森山、武藤、N県でトンネルの落盤事故が起きた!緊急任務だ、出るぞ!〉

「落盤!?」

「すぐ行きます!」


2人の間に一気に緊張が走った。遠藤の時のように捜査を経ることなく唐突に目の前に現れた任務の二文字に、動揺しつつも2人は応答した。


〈ロビーに集合だ!現場へは黒宮の字と武藤の字で―いや武藤はまだ本調子ではないか…〉


因幡は先程灯がオーバーヒート状態になったことを気にかけているのだろう。灯はそれをはっきりと否定した。


「いえ、行けます!」

〈しかし…!〉


因幡には答えず灯は雅の方を向いた。


「雅ちゃん、忘れ物ない!?」

「な、ないよ!」


最早構うものかと灯は右手を構えた。雅が口を挟む間もなく視界が歪む。


「【移】!」


一瞬にして2人の姿は更衣室から消えた。



*



雅と灯がロビーに現れると、コートを脇に抱えながら黒宮が駆けてきた。

他のメンバーは既に集まっている。


「黒宮も来た!これで全員だね、因幡さん行きましょう!」


急かすように灯が言う。当の因幡は戸惑っていた。


「武藤、君は…それに桐生も体調は万全ではないし…そんな2人を現場に連れて行くわけには…」

「今更何言ってんだよ」


ここに来て迷う因幡に、千尋は苛立たしげに言った。因幡は自身の見事な金髪をくしゃりと掴みながら、灯と千尋に告げた。


「っ、やっぱり駄目だ!二人は残ってくれ」

「はあ?」

「ど、どうしてですか!」


納得がいかない。灯は猛然と抗議した。

食い下がる灯に因幡は言い含めるように話し出す。


「現場では何が起こるか分からない。またオーバーヒートしてしまったら、混乱する現場では対処しきれないかも知れない…事故に遭っている人達を守る為にも、ここは言うことを聞いてくれないか」

「―そんな……」


頭では理解したのだろう。ただでさえ慌ただしく動いている現場で、救う立場に立とうとしている自分が負担を掛けたのではまるで意味が無い。こうしている間にも、トンネル内にいる人達のデッドラインは刻一刻と迫ってきているのだ。

千尋もまた、自分が過負荷状態にある以上仕方がないと判断し、漸く首を縦に振った。


「分かった。足手まといになるってんなら今回はその指示聞いてやる。ただし」


一瞬ほっとしたような顔を見せる因幡だったが、最後の言葉に再び表情を強ばらせた。


「現場には同行する。万が一の為に俺らはトンネルの外に待機してる。お前らが滞りなく任務を終わらせればいいだけだ、そうだろ?」


半ば挑発するような口ぶりだが、それは反面、信頼しているともとれる言い方であった。


「…ああ。頼んだ、桐生。…武藤もそれで構わないな?」

「…はい」

「では、移動は黒宮―負担を掛けるが、宜しく頼む」

「あいよ。んじゃあ、こっちの物陰から行くぜ。はぐれんなよ」


黒宮は皆を誘導すると、腕に刻まれた【影】の字に熱を集めた。


「―【影】」


六人の体は、まるで水の中に沈むように影の中へと落ちた。

影の中、灯はそっと第二の目である空間認識で様子を伺った。今自分達がどこをどう移動しているのかを知ることが出来るのは、【影】の字持ち本人である黒宮を除いて灯しかいない。他の4人はぎゅっと目を瞑って何かに耐えるような表情をしていた。


(そう言えば黒宮の字を実際に体験したことがあるのってアタシだけなんだ。…因幡さんもなのかな?)


それにしても今回は長距離移動なだけあって、いつもより潜っている時間が長い。そう思って4人以外にセンサーを拡大すると、灯はその光景に思わず声が出そうなほど驚いた。

尋常ではない速度で景色が移り変わっていくのだ。灯はまだ未熟なせいか、空間認識能力を使って外界を視る時はやや色彩を欠いた状態となるが、イメージは殆ど新幹線の窓から外を見ている時と同じである。


「もうすぐ着くぜ」


どこか遠くにいるようにも聞こえる声で黒宮が告げた。他の4人にこの声は聞こえているのだろうか。

やがて、洞窟を抜けるように光が見えてきた。そこへ真っ直ぐ進んでいく。

眩しさに目を細める。そこは山間部を拓いた大きな道路から少しずれた、林の中であった。


「お疲れ様でしたー料金は620円でーす」

「初乗り運賃ですか?」


暢気な会話を交わしているが、実際は距離にして200km以上を恐るべきスピードで移動してきたのだ。


「お前達なぁ…」


因幡の呆れたような視線に気付き、一同はさっと真剣な面持ちに変わった。

林を抜け、土煙の気配がする道路へ降り立つ。道路は通行止めになっており、その奥では救命救急士や他の医療関係者が落盤による瓦礫と格闘していた。

救命救急士の一人がこちらに気付き、駆け寄ってきた。その表情は酷く疲れており、事故の規模の大きさが伺える。


「NOAHの方々ですね」

「ああ。要請を聞き、飛んできた。…何人だ?」


唐突な因幡の問いに、救命士は虚をつかれたように目を丸くした。


「は…?」

「何人、埋まっているんだ?その内何人救い出せた?」


因幡が続けると救命士は漸く意味を飲み込み、現状を報告した。


「き、今日は平日で人は少ないので…8人。瓦礫の隙間を縫って、救助出来ているのは、3人です…」

「半数以上まだ中にいるのか…」


因幡の表情には焦りが見えた。それを察してか黒宮が言う。


「俺が中から救助すれば早いな」


すかさず救命士がそれを止める。医療関係者だからこそ抜け目なく気付く点を突いた。


「待ってください、動かしては危険な状態の患者がいるかもしれません」

「黒宮さん、中の様子分かりますか?」


雅は中の様子が分かれば効率的に、かつ素早く救助活動に入れるのではないかと考えた。だが、黒宮の返答は雅の期待通りとは言えないものであった。


「俺は透視は出来ねぇよ。視えるのは瓦礫の山だけだ」

「やっぱり瓦礫をなんとかするしか…」


決まりかけた話を因幡がまとめた。


「ではそちらは森山と私で何とかしよう。黒宮、蒼亜と一緒に救命士を連れて中へ入ってくれ。怪我の軽い患者だけ外へ連れ出して、そうでない患者は中である程度の処置をしてもらう」


空間転移が可能な黒宮がモニター代わりに中へ入り、火力面ではトップクラスの雅と因幡が通路確保に専念するという方向で話は決まり、意気込んだ雅は力強く言った。


「はい。私達は一秒でも早く瓦礫を処理して道を拓きます」

「了解っす。それじゃあまた後で。通信機は俺と繋いでおいてください」


黒宮が別の救命士に話を付け、トンネルの残骸へと近づいていった。

ガスなどが漏出していれば、中の酸素も減っているはずだ。ここからは時間との勝負だと、雅はトンネルをきっと睨み付けた。

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