20話【真】
「ここが例の路地だな」
NOAHのコートに身を包み、一行は路地へやって来た。薄暗いそこは見る人が見れば『そういう場所』だとすぐ分かるだろう。
「では行くか―」
「おい」
雅達を引き止めた声の主の拳が、振り返った灯の目の前に迫ってきた。
「え―」
「随分と行儀が悪いな、ガキ」
その拳が灯に届く前に、黒宮がアスファルトの上に引き倒した。
「っいッてぇ!」
そのまま黒宮は立ち上がり、引き倒されたいかにもな風貌の少年の肩を踏みつけた。
「リュウ!お前ら俺のダチに何しやがる!」
騒ぎを聞きつけた別の少年達が駆け寄ってきた。リュウと呼ばれたのは黒宮が今踏んでいる少年だろう。
「そっちこそ俺のダチに何しようとしたよ」
黒宮はあくまで穏やかな口調で凄んだ。だが怖いもの知らずの少年達は自分の『国』を守ろうと怯まなかった。
「そっから先は俺らのシマだ!近寄んな!」
「君達もここに出入りしているのか」
「は?お前ら俺らが何なのか分かんねぇのかよ」
千尋はわかりやすくバッジを見せつけた。
見た目だけならどちらが不良か分からない。
「NOAHだろ?知ってるよ―」
少年の一人はこちらを嘲るように口角を上げて言った。
「要は国の犬だろ。俺ら一般人には手が出せねぇもんな!」
彼の言う通り、雅達NOAHの
―それにしても国の犬とは。雅も以前似たような事を
「お前らに俺たちの居場所を奪う権利はねぇんだよ!大人しく帰るか、サンドバッグになるか…」
「いいよ、アタシが相手になる」
灯はそう言って不良少年達の前に出た。
「灯ちゃん!何考えてるの」
雅が止めようとするが、灯は短く突き放した。
「大丈夫」
「女を殴るのは気が引ける―とでも言うと思ったか?字持ちにはンなこと関係ねぇよなァ!」
容赦なく2人は灯に殴りかかってきた。雅は思わず手が出そうになった。カッと熱くなる額を必死で抑える。
―全力で戦うとしても、それは字持ちを目の前にした時だけだ。法で簡単に身動きが取れなくなる自分の立場が歯がゆかった。
「【移】」
そんな雅を他所に、灯は2人の拳に一番勢いが乗った瞬間にその場を転移した。
「うおっ!?」
「あぶねッ―ぐあっ」
その勢いは止めることが出来ず、まるでアメリカンクラッカーのようにお互い頭をぶつけると、2人はその場にうずくまった。
「くっ…そ、お前ぇ…字使いやがったなぁ…!」
「アタシは避けただけだよ?そしたらあんた達が勝手にぶつかったんでしょ」
灯は勝ち誇って言った。
黒宮の足元にいる少年の前にしゃがみ込む。
「―リュウくんだっけ?この子、知ってるでしょ?」
携帯端末から律の画像を表示して見せると、少年ははっとして目を伏せた。
「…ここに来てるんだよね?」
「あいつ…最近おかしいんだ」
「おいリュウ!」
頭を押さえたままの少年がリュウと呼ばれる少年を咎める。だが、彼はもう全て話す気でいるようだ。
黒宮はようやく彼の上から退き、起き上がらせた。
「そこにいる男とそっくりな奴が来たと思ったら、今度は眼鏡の教師みてぇな奴が来て…それからだ。あいつ、何かに取り憑かれたみてぇにあの男に従うようになって…」
そこにいる男、とは蒼亜のことだろう。紅麗は一度、素のままで律と会ったことがあるようだ。その後何らかの理由で筑紫和也の姿を借りて再び律の元を訪れ、行動を共にするようになったのだろう。
「お前ら字持ちなら、あいつのこと何とか出来るだろ?」
リュウが縋るような目で因幡を見た。
「ああ、それが私達の任務だ」
「…律は先週来たのが最後。眼鏡の男について行ったきりだ」
「居場所に検討は?」
「それは分からない…」
「嘘じゃねぇだろうな?」
「本当だよ」
千尋が目付きを鋭くするが、リュウの方が不良としての度胸はあるようだ。恐れる様子はない。
「それならもうここにいる必要は―」
雅が踵を返すと、その前に蒼亜が立ち塞がった。
「おい、いつまで黙っているつもりだ。俺がいる以上、化けていても意味がないだろう―紅麗」
蒼亜は先程灯にいなされた2人の内の―倒れたまま立ち上がらない方を指した。
「【真】―せいぜい大人しくしていろ」
起き上がった少年はもう少年ではなかった。暗い髪色と、一房の
薄く微笑むその造形はやはり、対峙する
「昨日は縮こまって震えていたようだが、どうやら今日は逃がしては貰えなさそうだな」
「ああ、そのつもりだ。もう逃がさん」
「タツヤ!?いつから―」
先程の姿ではタツヤと呼ばれていたらしい。リュウが驚愕の顔を浮かべていた。それはNOAHのメンバーも同様である。―まさか、こんな目の前にまで近付いて来ていたとは。
そんな様子を見てか、紅麗は嘲るように鼻で笑った。
「最初からだよ」
「一つ聞こう。なぜわざわざ姿を現した?」
「…話をしにきた。そこのなんちゃって正義の味方連中には話しても無駄だろうが蒼亜、お前なら来てくれると思ってな」
「お前は何をするつもりだ―死人にまで化けて、その教え子まで巻き込んでッ!」
蒼亜がここに来て初めて声を荒らげた。
雅は肌がざわつくような感覚がして、これが殺気だとしたらそれは恐らく蒼亜から発せられているのだろうと思った。
「お前らはさっさと逃げろ。―緊急だから黙っとけよ」
その殺気にいち早く気付いた黒宮は【影】の字を解放すると、丁度ビル影になっていることを利用し、リュウをどこか離れた場所へ転移させた。
これでもう心配することはない。雅達は再び紅麗と対峙した。
「何を…か。蒼亜、俺達字持ちは本当に人間共と共存出来ると思うか?」
「それは…」
「ほらな」
ほんの一瞬だが、蒼亜は紅麗から目を逸らした。その隙を狙って再び紅麗は姿を消すと、そこは一瞬で竹林へと変わった。
葉擦れの音の中、どこからか紅麗の声が響く。
「それがお前の弱点だ」
「これは―また幻覚か!」
「分かっていても対処出来なければそれは同じことだ。あまっちょろい正義に酔って本物の字持ちとの戦い方を学んでこなかったお前らの愚かさを恨むことだな」
「余計なことを随分とまあよく喋るんだな。弟の蒼亜はもっと物静かだぞ」
「因幡さん」
これ以上の対話は無駄だろう。因幡も頷いた。
「ああ、始めよう。―浅井紅麗、お前を未成年者略取及び特殊能力使用法違反で逮捕する」
「やれるものならな!」
紅麗の声が一段と大きく響いた。
「では手筈通りに。―森山」
「はい。【音】―……反響定位、開始」
雅は昨日と同じように反響定位でこの場が変わらないことを確認した。―だが今回の狙いはそこではない。
黒宮は周りをぐるりと見ながら言った。
「へぇ…話は聞いてたけどよく出来てんな、俺の目も効かない」
「―空間、把握」
雅にはもう何がどこにあるのか把握出来ていた。―律がどこに隠れているのかも。
雅は通信機に手をやった。チューニングを一番下まで下げる―全員と通信を共有する。
「―」
「了解」
黒宮は短く答え、竹林の中では陽の差している場所に立った。そして、いつものように影を伝ってどこかへ転移した。
「次はアタシだね。本当なら空間認識能力は幻覚を前にしたら意味がない…でも、それを逆手に取れば!」
灯や黒宮のような空間移動を行う字持ちは視覚によって空間を把握する。今のように幻覚を見せられている場合その感覚は上手く働かず、目に見えているものをそのまま現実の空間として上塗りして感知する。
―つまり、今、灯はこの竹林を現実として見て空間を把握している。
「因幡さん!右!」
竹を掻き分け、一頭の虎が飛びかかってきた(勿論千尋ではない)。
「任せろ、虎を蹴るのには慣れている!」
因幡は【脚】の字を解放し、自身の脚の強度を上げた。そのまま虎を薙ぐように蹴り飛ばす。
虎はいつかの千尋のように、その体重のままに吹き飛んで消えた。
「俺はあんなん食らったのかよ…」
「あの時はちゃんと手加減したぞ?」
「っつーか、幻覚でも攻撃すれば消えるんだな」
千尋の疑問に雅が答える。
「私達が視覚に引っ張られているのと同じように、向こうだって私達の行動で幻覚が左右されるんだよ。もし今【炎】の字持ちがいたとして、ここを燃やしたら当然幻覚だって燃える。…ううん、燃やさないといけない」
それにしても竹林に虎とは。紅麗はなかなかに古典的な人間なのかもしれないと雅は思った。
「なるほど―紅麗は自分の字に翻弄されるという訳か」
「その通り。―私が現実を、灯ちゃんがこの幻覚を、両方の空間が私達には見えている。―」
雅は最後に何かを、黒宮にしたのと同じように声に出さずに伝えた。
「……上手く気配を消してはいるようだが」
「武藤、いけるか」
「はい。蒼亜さん、行きましょう」
「ああ、頼む」
灯は蒼亜と共に、雅の指定した場所へ転移した。
「彼女は私達で相手をしなくてはならないが、2人とも怪我が痛むなら下がっていてもいいぞ」
「何言ってんだお前、その脚ズタボロにされてぇのか」
「そうですよ、この中で中距離攻撃が出来るのは私だけなんですから」
「フッ…頼もしい限りだ」
因幡がふと足元を見ると、3人の影の重なった部分から、2人の人間が飛び出しきた。
黒宮と―遠藤律である。
「お待たせっす、いてて…引っ張ってくるのに手間取ったぜ」
黒宮はところどころに切り傷を作っていたが、そのどれもが軽傷だ。不意をついたのもあるが、やはり対人での立ち回りには慣れているのだろう。
そして無理やり連れて来られた律は不機嫌極まりないといった様子だ。
「ちょっと!何よアンタ!!―アンタ達は昨日の…またセンセーの邪魔しに来たの!?」
「そうだね。このまま遠藤さん達を放置しておく訳にはいかない」
その時、竹林がぐにゃりと歪んだ。蒼亜の字が効力を持ち始めたようだ。
「お、作戦は今のところ上手くいってるみたいだな」
「センセーの幻覚が…センセーに何したの!」
「何したっつーより、逮捕するんだけどな」
千尋の一言で律は本気になったようだ。
「させない!―【
雅達もそれぞれ字を発動出来る状態にする。体を駆ける熱は既に沸騰寸前といってもいい。
「全員まとめて殺す!」
律のそれが合図になった。
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