10話【仲】

週が明け、任務と共にまた学校生活も始まる。

テレビのニュースでは現首相の政策の是非について意見を交わしていた。


「……ふむ。まだ動きは無い―か」


不意にインターホンが鳴った。聖が立ち上がり玄関へ向かった。


「はい」

「あっ、お兄ちゃんですか?武藤です!雅ちゃんを迎えに来ましたー!」


溌剌とした声がインターホン越しに響いた。寝起きの良い聖も、この声にははっとさせられる。


「おはよう。今、雅はシャワーを浴びているから、中で待っててもらえるかな?」


そう言って聖はドアを開けて灯を迎えた。


「はい、お邪魔します〜」


灯は靴を揃え、聖の後からリビングへ入った。

途中廊下脇のドアの向こうから水音が聞こえた。きっとあそこがバスルームなのだろう。何故だか灯はそわそわとした気持ちになり、聖に勧められるままテーブルに着いた。


「朝ごはんは食べてきたかい?」

「はい、それはもうしっかりと!」

「はは、偉いね」


一度キッチンの方へ向かった聖が、紅茶を持って戻ってきた。


「あ、ありがとうございます―雅ちゃんは少食っぽいですよね」

「うん、偏食は無い代わりに食が細いんだ。それに、ウチの雅は朝も弱くて…起きてからは早いんだけれどね」


聖ははぁ、とため息をついた。

共に任務に当たる千尋や黒宮達の知らない雅の情報ことを聞き、知らず灯は口元が綻んでいた。


「へえー、アタシは割と早寝早起きタイプで、あと…割と食べる方だから、雅ちゃんとは真逆だなぁ」


紅茶をひと口飲む。灯は紅茶には詳しくないが素直に、美味しい、と呟いた。


「良かった―武藤くんは健康的だね。雅にも見習って欲しいよ」

「私は夜型なの」


振り返ると、以前一度だけ見た部屋着の雅が立っていた。菖蒲あやめ色の髪を濡らし、首元や肩口を彩っていた。


「み、雅ちゃん…」


浮いた鎖骨、ほの赤い細く引き締まった脚、薄らと開いた唇。そのどれもが雅のものだと思うと、灯は何故か動揺してしまった。

雅が灯に気付いてあっと慌てた。


「灯ちゃん、来てたんだね。おはよう、急いで支度するから、待ってて」

「あ―うん…」


ぱたぱたと部屋へ戻り、雅は身支度を済ませに行った。

灯の目には、どことなく扇情的な雅の姿が、すっかり焼き付いてしまっていた。

何故、友達―親友である雅に対して、このように動揺してしまったのか。灯には分からなかった。


「まったく…だらしないな。髪くらい乾かしてから出てきたら良いのに」


そんな聖の小言すら、今の灯には聞こえていない。


(雅ちゃんは朝風呂派なのかな―いい匂いした)


雅が制服を着て出てくるまで、灯は必死に妙な雑念を振り払った。

気付かぬ内に、紅茶も飲み干していた。


「お待たせ、灯ちゃん」

「あっうん!!」


慌てて立ち上がった灯の横を雅はすり抜けた。


「お兄ちゃん、これもらっていくね」


雅はいたずらっぽく、聖の皿からひょいとサンドイッチを一つ取った。


「今朝はまだ食べてなかったのかい?」

「ううん。食べたけど足りないから」


先程少食と聞いたのに雅がまだ食べるというのは珍しい、と灯は思った。

聖はあまり不思議そうにはせず、また別の話題を用意した。


「そうかい。―ああ、今日は僕も遅くなるかもしれないから、夕食は外で食べようか。武藤くんもどうかな?」


聖の誘いに、灯は二つ返事で答えた。


「いいんですか?是非アタシも行きたいです!」

「全然いいよ、一緒に行こう灯ちゃん」


リビングから繋がる廊下を歩く間、灯は羽が生えたような足取りだった。

玄関まで来て、聖が以前のように二人を送り出した。


「じゃあ、またNOAHで。行ってらっしゃい、二人共」

「行ってきます」



*



通学路を二人はまた歩く。以前は灯の方から話題を提供することが多かったが、今日は雅の方から話し始めた。


「私最近、筋トレ始めたんだ」

「筋トレ?」

「うん。いくら字が使えても、体がついてこなかったら意味無いなぁって思って。今朝もランニングしてきたの」

「だからシャワー浴びてたんだね」

「そう。あと、運動したらいつもよりお腹も空いちゃって」


そう言って雅は照れくさそうに笑った。

それで、全て合点がいった。そして、雅のそんな努力に対し本意ではないにしろ邪な感情を抱いたことを灯は恥じた。


(雅ちゃん―こんな危ない親友でごめん!)


心中の懺悔と雑談を繰り返し、やがて学校へ到着した。

―と同時に幾つもの視線が二人に刺さった。これが視線でなく矢か何かであれば、二人はとっくに針千本ハリセンボンになっているだろう。


「う……視線が痛い」

「やっぱり先週のこと……かな」


千尋は大丈夫だろうか―雅がふと心配していると、灯の友人と思われる女子生徒が何名か、灯を見つけて走ってきた。


「灯ー!」

「あ、お、おはよ…」


先日問い詰められて連絡を絶ったこともあり、灯は気まずそうに応えた。

もしかしたら絶交を言い渡されるかもしれない―あんな真似は自分からそう宣言したようなものだ。灯は観念したように友人達の方を見た。


「ごめん、灯がNOAHに入ったって聞いてびっくりして…この間は…」


顔の前で手を合わせ、申し訳なさそうに友人の一人が言った。灯は目を丸くした後、慌てて話し出した。


「ううん。アタシも、黙っててごめん。落ち着いたらアタシの方から話しに行こうと思ったんだけど…」

「いや…こっちこそ、勝手に騒いで本当にごめん」

「いいって!ほら、見て。アタシの字!【ウツリ】って言うの!」

「―アカリンが字持ちって聞いてちょっとびびったけど…なんか目の前にしたら超人畜無害そうじゃん!」


字持ちは怖いものというイメージが、彼女達の中では幾らか和らいだようだ。雅は灯を囲む輪を見て、内心ほっとした。


「そっちの紫の子もさ、字持ちなんでしょ?」


一人が雅の方を指した。突然話を振られて驚きながら頷く。


「えっ?あ、ああ…うん」

「そっちも灯の友達ってことは、良い人ってことでいいよね?」

「えっと…」


自分から良い人ですと言っていい物かも分からず返答に困っていると、灯が代わりに最上級の答えを返した。


「もちろん!雅ちゃんはアタシの大切な親友だよ」

「仲いいよねぇほんと。教室でも雅ちゃん雅ちゃんって、灯うるさいんだよ〜」

「ちょっ、それは!」

「そ、そうなんだ…」


なんだか気恥ずかしい。雅はつい俯いてしまった。


「今日はさ、アカリンもミヤビンも一緒にお昼食べようよ」


ミヤビン、という聞き慣れない愛称も付けられ、益々雅は照れてしまう。元々社交性に自信も無い為、雅はすっかり無口な人形になってしまった。

返事だけはせねばと何度も頷く。


「オッケー!雅ちゃん、お昼にまた迎えに行くね」


昼食を共にする約束を交わし、それぞれ別れた。

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