第8話【風】

雅は、千尋と二人、ぽつぽつと話をしながら行き交うゲスト達を眺めていた。


「そういえば千尋くんってさ」

「…なんだ?」

「恋人いる?」

「……はぁ?」


仲の良さそうなカップルが視界に入ったせいか、雅は気付けばそんな質問をしていた。千尋は怪訝そうな顔で雅を見ている。


「あ、ごめん。…なんとなく」

「…いねぇよ。欲しくもねぇし」


そっけなく返され、その先を特に考えていなかったこともあって、雅は何と言えばいいか分からなくなった。仕方なく、相槌代わりにただ呟く。


「…そっか」

「今は―ダチの方がいいわ」

「友達?」


繰り返すと、千尋はふっと笑った。


「おう。…こうやってさ、くだんねぇ話出来るダチ」


こうやって、ということは雅も友達だと思ってもらえているのだろう。つられて雅も笑った。


「くだらない、か…うん。千尋くん」

「なんだよ」

「また今度遊ぼうね」

「おー」

「さしあたって、来週からテスト期間だから勉強を…」


雅がさりげなく勉強を教えて貰おうとすると、千尋が手を振って言った。


「いやお前そんなに順位悪くねぇだろ?前も48番くらいにいたし」

「記憶力いいね…うん、そう、48番。でも、今回の範囲あんまり自信ないから」


爆発的にとは言わないが、少子化がほぼ解消されつつある現代において、槍ヶ崎特科高校では一学年だけでも300余人の生徒が所属している。その中でこの順位は大健闘とも言えるが、ここ数日の雅はNOAHでの活動を優先していたこともあり、予習復習を欠かしていた。ノートもあまり綺麗にまとめられていない。雅は正直に言って今回は100位を下回る覚悟さえしている。

ところが千尋は大きくため息をついた。


「はー、出たね優等生の自信ない。俺は騙されねぇから」

「そういう千尋くんは21番だった。いつ勉強してるの?」


鼻で笑った千尋に雅がムキになって言い返すと、身を乗り出した雅を押し返した。


「俺は……いた」

「いた?」


言葉を途中で切り、首を動かさずに千尋が言った。

その瞳は狩りをする前の猛獣のように、ぴくりとも動かず、ある一点だけを見ている。


「長篠芽々だよ。―行こうぜ」

「あ…千尋くん待って…」


立ち上がりかけた千尋を雅が制した。それを苛立たしげに振り払おうと千尋が言う。


「なんだよ、この人混みじゃまた見失っちまう」

「みんなとも合流しないと」

「因幡…あいつが来れば問題ねぇだろ」


そう言って、千尋は因幡に通信を繋げた。


「おい、俺だ」

〈―桐生か。長篠芽々は発見出来たか?〉

「ああ。人が多くて見失うのも時間の問題だ」

〈今どこだ?〉


雅も通信機をオンラインにし、内容を共有する。


「場所?あー…フードコートの近く。俺らは先に接触する」

「因幡さんからはみんなに通信出来ますよね?」

〈ああ、見失わないよう二人は先に接触してくれ。すぐに全員合流する。では〉


通信を切り、雅達は長篠芽々の元へ向かった。



*



はじめちゃんもうさ耳付けようよ〜」


ポニーテールの髪を揺らしながら、その少女―長篠芽々ながしのめめは連れの男子にカチューシャを付けようとしていた。

「基ちゃん」と呼ばれる男子はそれを迷惑そうに払い除けながらまくし立てた。


「俺はそんなものに興味はない。大体なぜこんな場所へ誘った、高3だぞ?受験を控えている身だ。いくら首席だからといってそこに胡座をかいていたらすぐに堕落するぞ」


「あ〜あ…また始まった。お説教はテーマパークに似合わないよ?それに、来たくなかったら断れば良かったのに」


躱し慣れているのだろう。軽口を叩きながら基を見上げた。その手には未だ、カチューシャが握られている。


「ぐ…」

「素直じゃないなぁ…私と遊びたいなら基ちゃんから誘ってくれてもいいんだよ」


そこで基も何かが切れそうになったのか、芽々の持つカチューシャをひったくった。


「芽々!」


傍から見ればただの恋人同士の痴話喧嘩―にしか見えない会話を、千尋が強制終了させた。


「おい、メガネ」

「ちょっと千尋くん!?」


雅が慌てて千尋を引っ張ったが、既に芽々のからかいによって機嫌を損ねていた基は目つきを鋭くした。


「初対面でその物言いか。余程礼儀を知らない馬鹿のようだな」

「名前知らねぇからメガネって呼んだんだよ、トンボ野郎」

「ほう…?」


最早売り言葉に買い言葉状態である。そんな状況に見かねた芽々が雅に話を振った。


「彼は基ちゃんのお友達…ではないんだよね?あ、あと…」

「あ、えっと私…森山雅です。もう知ってると思うけど字持ちで、NOAHの局員で…」


まだ慣れない自己紹介をすると、芽々はぱあっと明るく言った。


「あ、そうだそうだ森山雅ちゃんだ!昨日学校でこっちの子と派手にやってたもんね!」

「ああ…やっぱり見てたんだ」


休日が明けた次の登校日が一層憂鬱になる一言であった。


「かっこよかったよ、雅ちゃん!」


素直に喜んでよいものか分からず、雅は唸る。


「う…」

「ほら基ちゃん、喧嘩はおしまい!話聞くよ」


この言い争いのおかげか、周囲に人は少なくなっていた。今なら話しやすいだろう。だが、そのためにはまずこの二人を落ち着けなくてはならない。


「うるさい、芽々は黙っていろ」

「またそうやって…」

「おいメガネ、イチャついてねぇでさっさとやんぞ」


字持ちと普通の人間では勝敗など分かりきっている。そもそも手を出すのは御法度であり、雅には何としてもこの場を穏便に収める義務があった。


「望むところだ」

「千尋くんも落ち着いて!相手は民間人だよ!」


雅がそう言うのとほぼ同時に、芽々が衝撃の事実を口にした。


「基ちゃん、こんなところで字使っちゃだめだよ!」


その瞬間、全員の動きが止まった。


「…え?字持ち?」


念の為雅が聞き返すと、芽々は昨夜の夕食の話でもするように、更に続けた。


「基ちゃんも字持ちだよ、後天性の」

「はっ、なら思う存分やれるじゃねぇか」


言うが早いか千尋が字を解放し、虎化した手を基に向かって凪いだ。


「随分とでかいドラ猫だな。芽々、下がっていろ」


千尋の動きと同時に基は鎖骨の辺りに刻まれている【フウ】の字を解放すると、周囲一帯に風を起こした。

突然の強風に、まだ近くにいたゲスト達は一目散にその場を去り、更にその風圧で千尋は弾き飛ばされた。

基は無傷である。


「ッてェ…っ」

「千尋くん!」


駆け寄ると、腕を擦りむいたのか、赤く傷が付いていた。思わず雅が顔を顰めるが、千尋は構わず雅を押し退けて立ち上がろうとした。


「どけ、平気だ」

「ちょっと待って!私達は話を―」


雅が再び交渉に入ろうとしたその時、逃げていったゲスト達とは逆にこちらへ向かってくる者がいた。

黒宮と灯である。


「雅ちゃん!千尋くん!」

「おい、大丈夫か!」

「二人とも!」


雅が呼び掛けに応えると、目の前に何かが突き刺さった。

反射的に雅が衝撃波を生み出し攻撃したが、それは異常なまでに硬質化していて、レンガ状に敷き詰められた地面を完全に貫いたままびくともしなかった。


「な…」


唖然とする雅を他所に、それはどこかへ戻っていく。その行方へ視線を向けると、豊かな長い髪を大胆に下ろした女が立っていた。―それも、園内の照明の上にだ。

基の起こした風に靡く薄柳色の髪を見て、あの物質が髪であったのに気付くまでそう時間は掛からなかった。


「誰!」

「喧嘩は…やめなさーい!!」


雅の言葉には聞く耳も持たず、女はその長い髪をひと房掴むと、それを鞭のようにしならせた。そのまま女の髪は千尋を目掛けて猛スピードで伸びていく。


「おいおいなんだありゃァ…!?…っう、ぐ…」


髪は千尋を捕らえると、首や手足へ巻き付き、ぎりぎりと締め上げた。


「千尋くん!」

「こ…ッの、はなっせ…」


千尋が字を解放し抵抗するが、髪は再び硬質化し虎化した爪を通さなくなった。

呼吸の浅くなった千尋の顔が苦しそうに歪む。


「基ちゃん!」

「ああ、下がれ!」


悲鳴じみた声を上げる芽々を庇い、基が風を起こして千尋と女を引き剥がそうとするが、やはりびくともしない。

雅も応戦しようと構えるが有効打が浮かばず動けずにいた。


「かっ、は…」

「おい、そいつを離せ!」


黒宮も基に続いて、女から生まれた僅かな影の中に潜り込み、一瞬で女の後ろに回った。


「逃がさねぇぞこら!」

「嘘!?って、きゃあ!?」


そのまま腕をひねり上げると、驚いた女が気を取られ髪の拘束を解いた。


「まずいッ…桐生―!」


宙に浮いていた千尋は何の緩衝もなく地面に落とされるところであったが、間一髪基が風で勢いを殺してくれたおかげで打撲はせずに済んだようだった。


「げほっ…」

「千尋くん大丈夫!?」


灯が駆け寄り千尋を助け起こした。千尋は薄らと跡の残る首を晒して吠える。


「くっそ―てめぇ!」

「千尋くん押さえて!」


完全に頭に血が上っている。灯だけでは押さえきれず雅と二人がかりでギリギリといったところだ。

変わらず黒宮に掴まれた女は髪を振り乱した。


「いたた…ちょっと眼帯くん、レディにいきなり何するの!?」

「そっちこそ子供にいきなり何してんだよ。とっとと名乗れ、お前は何者だ」

「私は吉川小鈴きっかわこすずよ。あなた達こそ、こんなところで喧嘩なんてやめなさい」


女―吉川は憤慨した様子でこちらを指差した。


「喧嘩なんかしてません。…いや、最初は口喧嘩はあったけど。私達はNOAHの局員で、任務の最中にあなたが妨害してきたんですよ」


珍しく雅が表情からして怒っている、というオーラを出していたため(もしくはNOAHの局員だと分かったため)、黒宮は思わず身を引き、照明の上で優位に立っていた吉川も地面へ降りてきた。


「……あら?喧嘩してるのかと思って早とちりしちゃったわ、ごめんなさい」


表情も仕草も一転してしおらしく謝ると、吉川は詫びのつもりなのか現れた目的を話した。


「私、実はちょっと人探しをしてるんだけど…ここにはいないみたいね。じゃあ私はこれで」


そう言って、まさしく逃げるように吉川はその場から去った。

その場の全員が暫し呆気にとられたが、遅れてやってきた因幡の声で我に返った。


「すまない。ゲスト達を誘導していたら遅れた。突風が吹いて危険だったみたいだが―」


全員が一様に基を見た。


「…何だ?」



*



吉川が去ったことで場がいい意味で白けたのか、芽々と基は因幡の説明を黙って聞いていた。


「―というわけで、私達NOAHは字持ちと民間人が共存できる社会を作るために字持ち達をNOAHに引き入れてまわっているんだ」


因幡の説明に雅が一言添える。


久代くしろくんと長篠さんも入局してもらえないかな?」


雅は束や千尋のように頷いてくれるものだと思っていた。だが、実際は違った。基は気に食わないと言わんばかりの表情でこちらを睨み据えていた。


「断る。字持ちと民間人の共存だと?お前達の話を聞いている限りでは到底実現出来るとは思えんな。自ら国の奴隷になる気はない」


基はそう吐き捨てると、まるで命令するように芽々を見た。芽々は多少乗り気であったようだが、基の様子をみて諦めたようだ。苦笑いを浮かべながら言う。


「ごめんなさい、私は面白そうだと思うんだけど…」


芽々は最後まで言わずに言葉を濁した。


「ならやっぱ実力行使だな。あの変な女のせいでこっちは腹立ってんだ」


再び喧嘩腰になる千尋を灯達の代わりに黒宮が押さえ、羽交い締めにして拘束した。


「落ち着けこの小虎が」

「なっ…離せ眼帯野郎!」


その隙に基は千尋の前を通り過ぎていった。


「話は終わったな。帰るぞ、芽々」

「あ…うん。ごめんね、みんな」


芽々は早足で基を追いかけていき、やがて二人は三々五々戻ってくるゲスト達に混じって見えなくなった。

その場にはNOAHのメンバーだけが残された。

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