第2話【移】

みやびあかりがNOAHに入局した翌日の昼休み、二人はいつものように集まった。ただ、今日はがあるため、屋上へ繋がる階段での合流である。いつも通り昼食を広げると、早く話したくて仕方なかったのだろう。先程から口元をモゴモゴとさせている灯が、勢いよく右手を突き出した。


「雅ちゃん!これ見て!」

「どうしたの?…あ―」

「字が出てきたの!アタシの字!」


灯の右掌に、しっかりと【移】の字が刻まれていた。今日からはこの字が灯の剣となり、盾となる。覚悟はとっくに出来ているだろう。


「おめでとう。…で、いいのかな」

「うん!ありがとう雅ちゃん!」


満面の笑みでそう言うと、はぐはぐとロールパンにかぶりついた。灯はいつも何かを食べる時、本当に幸せそうな顔をして食べる。雅は、その表情を見るのが好きだ。

あ、と思いついたように、ふと雅が箸を止めた。灯が聞き返す前に、雅が問いかける。


「身体に異常はない?の人には偶に発熱したり、体調を崩す人もいるんだけど…」


生まれつき字を持っている者を【先天性】、思春期など後から字を発現させた者を【後天性】と、NOAHでは便宜上そのように呼んでいた。それらの専門的な用語は、入局が決まったことを理由に昨夜付け焼き刃で身に付けたものだ。実際、後天性の字持ちは体質の変化からか、体調を崩す者もいたとひじりから聞いていた。


「それは大丈夫。でも、どうやって字を使うのか分かんないんだよね」


灯がモグモグとパンを咀嚼しながらうーんと唸る。雅は先天性―生まれつき字持ちであったため、使い方は体で覚えていた。だから、字の使い方と言われても、頭で教える事が出来ない。となると、解決策は一つしか思い浮かばなかった。


「なら、一度NOAHに行こっか。お兄ちゃんに報告がてら相談してみよう。それに、一応検査もしておいた方が安心だしね」

「うん、分かった」



*



放課後、二人は再びNOAHへやってきた。聖は忙しくて出てこられないのではないかと道中考えていたが、杞憂だったようだ。今は丁度時間が空いているらしい。

二人は3階の応接室に通された。質の良いソファを勧められ、経緯を話すと、聖は特に困った顔をする訳でもなくただうんうんと何度か頷いた。そして、灯の顔を見て、にこりと笑った。


「なるほど…大丈夫、君と同じ後天性の字持ちの多くは字の使い方を覚えるところから始まる。同じ空間移動系の字持ちが一人いるんだ、彼をトレーナーとしてつけよう」

「本当ですか?すっごく助かります」


灯は雅と顔を見合わせ、ほっとした。これで、昨日のような事件に巻き込まれても、少なくとも自分の身を守ることは出来る。雅の足は引っ張らないで済む、と灯は思った。


「その前にまた検査を受けてもらうよ、字を使いこなすのと同じ位大切な事だ。その間に彼に話を付けておくよ」


聖がそう言い終えるより先に灯は立ち上がった。


「医務室の場所は分かるね?」


昨日行って覚えたのだろう、灯の足はもう既に半分廊下の方を向いていた。聖はそれ以上何も言わずに灯を送り出した。


「はい、行ってきます!」


軽い足取りで出ていく目線で灯を追っていると、聖におい、と声をかけられた。


「雅は残って。話がある」

「あ、うん」


話がある、という言い方に思わず居住まいを正す。聖は端末を取り出した。覗き込むと、そこには雅達の通う槍ヶ崎特別科高校全校生徒の名簿が表示されていた。灯や雅も勿論載っている。

髪を振り乱す勢いで聖を見ると、目でそういう事じゃないと訴えられ、雅はひとまず乗り出した上半身を引っ込めた。


「今日改めてもう一名加わったが―槍ヶ崎高校には二人を除いてあと5人の字持ちがいるね」

「うん」


雅は頷いた。その内一人がちょっとした有名人である事以外、5人の情報は持っていない。肩身の狭い字持ちだからといって、集まって慰め合っているという訳でもないのだ。聖から端末を向けられたが、ぱっと見てもその一人しか顔を探せなかった。


「5人全員、可能ならNOAHに引き入れたい。字持ちを無所属にしておくのは危険が大きい」


要は、社会的に地位の無い字持ちにはバックに付く組織が必要である、と。無闇に手出しをさせないよう、守るための手段なのだろう。NOAHには多くの字持ちが局員という肩書きで匿われている。


「それは初任務って事かな」

「そうなるね。後で正式に任務を発令する。僕は黒宮に話を付けた後、少し抜けるから適当に時間を潰しておいてくれ。詳しい話もする、また後で集まるとしよう」


今日は比較的ばたついてはいないが、周りの大人が仕事をしている中、何をしろというのだろう。雅は、とりあえずは頷いたものの、内心途方に暮れた。


「了解。じゃあ局内散歩でもしてようかな―」


今後世話になる場所だ。一応迷わないように慣れておくのは悪いことではないだろう。雅はとりあえず案内図を目指した。



*



検査を終えひと心地ついた灯は、医務室を出てため息をついた。


「ふぅ…」


検査といっても病院の検診と大差のないものだったが、早く字を使えるようになりたいと気を急いていたため、いつも以上に長く感じられた。

さて、と灯が前を向くと見たことのない青年が目の前に立っていた。黒髪を少し長めに伸ばし、片目には眼帯の着いた、一見ヴィジュアル系とも言える出で立ちだ。

青年は片手を上げて灯に声を掛けた。


「お疲れさん、異常なし?」

「うぎゃっ!!あっ、は、はい」


目の前に人がいるなどとは思っていなかった灯は間抜けな声を上げつつも、問いかけには頷いた。


「そりゃ良かった。じゃあ改めて。俺は同じ空間移動系って事で君のトレーナーとして呼ばれた、黒宮誠治くろみやせいじだ、よろしくな」

「武藤灯です、よろしくお願いします」


ぺこりと軽く頭を下げると、黒宮はじれったそうに言った。


「よしよし、じゃあ移動するか」

「はい」


隣の部屋へ入ると、テレビなどで見る芸能人の楽屋のような内装だった。ベッドも無い事から、仮眠室という訳でもない事が分かる。待機部屋か何かだろう。

黒宮はずんずんと中へ入り、置かれていた白いソファの前で止まった。灯も急いでついて行き、隣に立った。


「んー…まあ、このソファでも充分だな。ちょっと失礼」


そう言うと、黒宮は灯の肩に手をまわした。黒宮の左腕が熱を持ち、黒宮は【エイ】と呟いた。その瞬間、二人はソファから伸びる影に呑み込まれた。


「な、何を――したの?」


言い終える頃には、二人が先程までいた部屋とは別の場所にいた。


「はい、到着」


にこりと笑って黒宮が言う。内装は先程の部屋と変わりないが、テーブルや上座のソファには誰かの荷物らしき物があった。黒宮のものだろうか。


「―い、一瞬真っ暗に…しかも、ソファの下に…」


遅れて心臓が鳴り出した。遊園地にある、ジェットコースター特有の興奮と恐怖を混ぜ合わせたような、あの感覚と似ていた。


「隠し通路って訳じゃない、これも字の力だ」


思い切り息を吸い、灯は一言、やっとのことで絞り出した。


「…すごい……」


これくらい大した芸当ではないのに、と黒宮は苦笑しながら言った。


「俺の字は【影】、君と同じ後天性だ。それで、君の字は―」


ようやく興奮が治まり、灯は右掌を見せた。


「【移】の字です。まだ使い方が分からなくて…」

「そうだったな。よし、じゃあまずイメージの仕方だ。目を閉じて」


もしかして、ここでこのままトレーニングをするのだろうか。灯はてっきりジムのような場所で行うものだとばかり思っていた。というより、むしろ先程の空間移動の時点でトレーニングは始まっていたのではないか。


「はい…」


雑念を振り払えていないことに気付かれたのか、黒宮がこら、と叱った。そして灯にも分かるように言葉を選んで付け加えた。空間認識感覚を研ぎ澄ませろ、などと昨日今日の素人に言っても仕方がないのだ。


「字の刻まれた右手に意識を集中するんだ」

「……あ、少し…熱い…?」


ぽかぽかとした熱はやがてはっきりとした熱に変わってきた。少し辛いとさえ思う熱さだ。

黒宮は、灯が眉間に皺を寄せたのを見て少し懐かしんだ。昔は自分も字を使うのに慣れず、そんな顔をしばしばしていた。


「その調子。もう少しで君の字が目を覚ます」

「…わっ!」


不意に灯が声を上げた。目は閉じたままだ。


「どう?」

「目を閉じてるのに…部屋が、見える…!」


灯には、やや色彩を欠いてはいるが、目を閉じながらにして今いる部屋が視えていた。


「よくやった!じゃあ、そのまま…あのクッション―見えるか?それを、右手で吸い込む感じでイメージ」


色はよく分からないが、クッションが一つ、床に転がっているのを視た。この感覚を逃さないように目をきつく閉じながら、再び右手に意識を集中させる。


「クッション…クッション、来い!―わっ」


磁石の極が引き合う要領でイメージする。クッションが辿るルートを明確に想像すると、右手がまたカッと熱くなった。それと同時に手にはぼふっとクッションが当たる感触がした。そのまま重力に従ってクッションは落ちた。それを合図に灯も目を開ける。


「成功だな。これが基本の型だと思って、慣れるまでやってみな。そのうち目開けてても使えるようになるから」


「はい。あの…」


灯の言わんとしていることが分かった黒宮は笑い交じりに言った。


「分かってるわかってる、自分を移動させる方法だろ?」

「やっぱそれが強みかなって…」


灯が尻すぼみになりながらもそう伝えると、黒宮はうんうんと言いながら落ちたクッションを拾い上げた。


「そうだな。けどその前に今度はこのクッションを戻す方法だ。吸い込んだ右手から、打ち出すイメージ」

「目を閉じて…部屋が視えたら…打ち出す」


一度やったおかげで少し慣れたのか、先程よりはスムーズに空間認識のスイッチが入った。最初よりも部屋がはっきりと視える。

今度は逆に、磁石の同じ極同士を当て弾き飛ばすイメージをする。演算とまでは言えないが、軌道まで想像することで、見事クッションを戻すのにも成功した。


「やっぱお前才能あるなぁ!」

「…」


頭をくしゃくしゃとかき混ぜられた事と、急にお前と呼ばれた事に驚き、言葉が喉で詰まってしまった。それを黒宮はショックを受けていると思ったのだろう。眉尻を少し下げバツが悪そうに言った。


「ああ、ごめんな、俺結構口悪いんだ。不公平だから、お前もタメ口でいいよ」


「でもあの…」


学生らしく年上には敬語をと思って言うと、黒宮は今更収まりが付かないといったふうにそれを断った。


「いいって一つ位しか違わねぇし。俺19な」

「ええ!?1個上なんだ…わ、分かり…分かった」


黒宮の背が高いせいもあってかもう少し年齢が上だと思っていた灯は今度こそショックを受けた(勿論がっかりしている訳ではないが)。

うん、と一度大きく頷くと、黒宮はまた何事も無かったようにトレーニングを再開した。


「よし、それじゃ自分を飛ばすにはな―行きたい場所にいる自分をイメージするんだ。向こうの自分の右手に吸い込まれる感じでな」


黒宮の教えに従い、まぶたの先に視える世界の中に自分を置く。向こう側にいる自分も同じように右手を構えている。そこを目指してイメージを固めた。


「こ、こうかな…?あっ」


手探りではあるが、黒宮の指導を素直に聞いたおかげか、またしても一度で成功させた(もっとも、成功させられなければ座標から外れた場所に飛ばされたりするのだが)。


「お?…どこいった?…あー、隣か」


後を追おうと黒宮も周りを視ると、どうやら隣の部屋に飛んだようだ。黒宮は、手頃な影を見つけ、そこへ飛び込んだ。移動を終え立ち上がると、灯が自身の両手を見つめるようにして震えていた。


「…よっ、と。おーい、大丈夫か?むと…」


なにか怪我でもしたのか、と黒宮が駆け寄ろうとすると、灯が黒宮の胸に飛び込んだ。


「やった!出来た!飛べた!!黒宮〜!!」


2、3歩よろめきながらも受け止める。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。照れ隠しに、間抜けな声を上げてみた。


「ぐえっ…」

「ありがとう!これで雅ちゃんと一緒に戦える!」


感動を体全体で爆発させている灯に尋ねた。黒宮は、灯が字の使い方を習いたいといったのはこのためなのだと悟った。


「…た、戦う?」

「昨日、事件に巻き込まれた時、雅ちゃんだけが立ち向かったんだ…アタシはまだ字が発現してなかったから…何も出来なくて」


灯は当時を思い出して申し訳なさそうに俯いた。


「ほー」


それに対して黒宮は気のない返事をする。一般人が字持ちに適う訳が無いのだから気に病むことはないだろう、と思ったのだ。だが言ったところで灯が益々気にするということも何となく分かっていたので、それを口に出すことは無かった。


「雅ちゃん、本当は怖いと思うんだ。だから…もう、一人で戦わせたくない」


そう言った灯の目には強い光が宿っていた。穢れたものの全てを寄せ付けないような、潔白を表す光だ。黒宮は内心、灯に対しまるで後ろめたいような感情を覚えた。それほどまでに、灯は眩しかった。


「友情だねえ」

「大事な友達だしね」


ぱっと顔を上げ、黒宮に微笑みかけた。黒宮はふと思いつき、考えたふりをしてから灯に言った。


「…んー、なら、俺もお前の友達にしてくれよ」

「ん?勿論!」

「俺も友情ってやつでお前を守るからさ」


黒宮がわざとらしく灯を抱き締める―灯を受け止めていた腕に力を込めただけだが―と、灯がやっと体勢が変わっていないことに気付いたらしく、慌てて黒宮から離れた。


「な…」

「また必要になったら稽古つけてやるよ。じゃーな」

「あ……」


出ていく黒宮を、灯は呆然と見送る事しか出来なかった。



*


我に返った灯が覚えたての【移】の字を使い、雅を認知し転移して来る頃、雅もまた局内を一周し終え聖と合流していた。


「みやっ、雅ちゃん!」

「わっ。―灯ちゃん、字が使えるようになったんだね。おめでとう」


雅の祝福を受け、照れくさそうに笑う。

転移場所が床より少し高かったためか転移直後は宙へ浮いていた灯は、NOAHの白い床に降りると、制服のスカートの裾を直しながら言った。


「まだぎこちないけどね!そ、それより…」


簡単な前置きの後、ことの顛末を雅達に話し終えると、話を聞いた二人は別々の表情を見せた。

雅は眉を寄せ、唇の端を吊り下げた。


「…ありえない。初対面でフラグ立てる奴とか信じられないんですけど」


反対に聖はさも可笑しそうに笑った。


「黒宮は普段からそうやって他者を庇護したがるが、それなりの理由があるんだ、いつか話してもらえるだろうから許してやってほしい」


それを聞いた雅は尚も訝しげな顔をしつつ、聖の言葉を信じた。


「…要するにナンパではないと?」

「そういうことだ」

「二人がそう言うんなら…」

「ああ、ここにいたのか」

「うわっ金髪美女」


廊下での立ち話を遮ったのは、肩までの金髪をさらりと靡かせる美しい女だった。

顔や髪だけでなく、そのプロポーションも抜群であり、タイトスカートから伸びる白く長い脚が一歩また一歩と雅達に近付いた。


「君達が新しく入った子達か。因幡涼いなばりょうだ、よろしく」

「森山雅です、よろしくお願いします」

「アタシは―」


武藤が今日二度目の自己紹介をしようとするのを制し、因幡は雅と灯を一人ずつ指した。


「ああ、大丈夫。話は通ってるよ。そっちの子が音の字で、君が移の字、だろう?」

「君達の任務では彼女が基本的に指揮を執る。3人が揃ったところで任務を伝えようと思ってね」

「初任務!」


灯がガッツポーズをしてはしゃいだ。やる気は充分なようだ。


「ああ―明日、君達の通う槍ヶ崎高校にいる残り5人の字持ち、彼女達の字について調査及び可能であればNOAHに引き入れてもらいたい」

「了解」


雅が頷く。左手をそっと額に添えた。


「頑張ろう!雅ちゃん、因幡さん!」


灯が二人の腕を掴み、交互に顔を見合わせた。二人も応えるように微笑む。


「ああ、必ず成功させよう」

「会議室は8階だ。打ち合わせが必要なら使用してくれ。では解散」

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