エピソード2 実況者とファン

『やっぱり笑真の子どもを産みたい。結婚して』

「チッ」

 若い男がスマホを見ながら舌打ちをした。チャットアプリで女性が結婚を迫っているようだが、男は面白くなさそうな顔をしている。

『井伊歌とは結婚できない。つーかおろせ。金は出すって言ってるだろ』

『本命の彼女がいるからでしょ? だったらそいつと別れて私と結婚して』

「はぁ~」

 若い男が面倒くさそうに頭を抱え、ため息をついた。

『お前は遊び相手って何度も言ってるだろ。だから結婚できない別れろ』

『酷い。私は笑真を愛してるのに』

『酷い? 紅笑い隊の俺と付き合えたんだ。むしろありがたく思え』

『死んでやる。結婚してくれなきゃ死んでやる』

『勝手にしろ』

「メンドくせ」

 浮気相手を妊娠させた笑真は呟いた。最悪の事態が起こると知らずに……。










「デュフフ。夕莉ちゃん……下着、何色?」

「……」

夕莉ゆうりと呼ばれた少女は、やや茶色がかった黒い髪を肩まで伸ばしている。清楚で儚げだが、どことなく芯の強さを感じる。

「部屋、綺麗。ゲームある。俺ゲーム、好き。デュフフ」

「……」

夕莉は困惑した顔で汚物を見るような目をしている。なぜなら先程から、ぶ厚い唇に潰れたような鼻、純真な心を持っていそうな瞳の太った男が自分の部屋に居座っているからだ。

無断で入ってきた初対面の男なので警察に通報するのが普通だが彼女は通報する訳にはいかない。

「デュフフ。なんで、黙ってるの?」

「早く来て……美夜」

 夕莉は小さい声で誰かの名前を呼んだ。

「夕莉ちゃん人見知り。デュフフ……ん?」

「待たせてごめん」

「美夜!」 

 懐中電灯を持った少女が部屋に入ってきた。

 彼女は平坂美夜ひらさか みよ。マンガやゲームが好きで祖父は幽霊を研究している。飛び降り自殺を図った男の巻き添えで死亡するが、幽霊となり現世を生きている。幽霊となった際に「歌」で現世を彷徨う幽霊をあの世へ送る能力を得た。

食事や睡眠が必要ないがお金がなければゲームやマンガを買うことができないどころか自堕落な生活をする幽霊になってしまう。焦りを感じた美夜は自身の能力でお金を稼ぐ―悪霊に取り憑かれている人からお金を貰って浄霊をする―ことにした。

 



「オオ、可愛い子キター。デュフフ」

夕莉はスーパーマーケットで買い物をして帰る途中で太った悪霊と遭遇した。不快な声を出しながら自宅までついてきて傍から離れようとしないため美夜に助けを求めた。

「でも夕莉ちゃんが可愛い。デュフフ」

「気色悪い気を放ってる悪霊だ……」

「コイツ、さっきから下着の色とか胸のサイズを聞いてきて鬱陶しいんだよ」

「うわっ、キモ」

「デュフ」

 太った悪霊が美夜の言葉で喜んだ。

「そこのデブ、夕莉から離れろ」

「やだ」

 太った悪霊が夕莉を嘗め回すように見た。

「今から夕莉ちゃんとデュフフ」

「きゃあ」

「うぎゃあ」

太った悪霊が夕莉を押し倒したが美夜に蹴り飛ばされた。

「さっさと浄霊しよう」

 美夜が懐中電灯の持ち手の先端に付いているマイクを口に近づけて歌い出すと太った悪霊が白い光に包まれた。

「おおお。きも……ち、いい」

 歌い終わると同時に太った悪霊が消えた。

「悪霊は成仏したよ」

「ありがとう。もし美夜がいなかったら……」

「ま、成仏したからいいじゃん。じゃ、私は帰るね。近くのマンションから悪霊の気配を感じたから」

美夜は悪霊の気配を感じることができる。夕莉の家に行く途中で見かけたマンションから悪霊の気配を感じたため、そこに行くことにした。

「気をつけてね。今度、なんかおごるよ」

「よろしくね」

 そう言って美夜は部屋を出で悪霊の気配を感じたマンションに行った。


 


「この部屋から気配を感じる」

美夜は3階建てのマンションを訪れて無断で2階の5号室に入った。

「名前は……なまぬし、しょうま?」

郵便物の宛名は全て『生主笑真』と書かれている。

美夜が入った2階5号室は洋室が2部屋あり、片方の部屋はデスクトップパソコンを操作している若い男と彼を見つめている女性がいるが美夜の侵入に気づいていない。

 もう片方の部屋にはビデオカメラやマイク、大型のテレビや様々な種類のゲーム機が置いてあり誰もいない。

美夜は2人に見つからないように誰もいない部屋で監視をすることにした。

「(あの女が悪霊だ)」

「まだ炎上してやがる」

「フフフ。このまま引退」

「引退するわけないだろ。どーせ、しばらくしたらほとぼりが冷める。問題はお前だ! とっとと成仏しろ。お前がいると復帰できねぇ」

「やだ。笑真が死ぬまで一緒。何度も言わせないで」

「はぁ~」

 疲れ切ったような溜息が聞こえてきた。

「どうすればいいんだ……」

「簡単。私を好きになればいい。笑真に近づく女は殺す」

幽霊の女は抑揚がない声で淡々と喋っていた。

「(よし! 幽霊が見えるんだ。あの人と交渉できる)」

 幽霊が見えない人間は美夜も見えないため浄霊を持ち掛けることができないが、笑真は幽霊が見えるようなので美夜は喜んだ。

 



監視を始めて数十分後、長身の男とガッチリとした体格の男が入ってきた。

「新しいカメラを買ってきたぞー。動画を撮らせろ」

「意味ないと思うけどなぁ」

 笑真が小さい声で言った。

「なんか言ったか?」

「いや何も。早く撮影しろよ」

「おう、そうだな」

「(ヤバ、見つかる)」

 監視をしている部屋に笑真達が入ってきたため美夜は咄嗟に隠れた。

「お前は映らないようにしろよ」

 長身の男が笑真に注意をした。

「分かってるよ」

「よし! 始めるぞ」

 笑真以外の男達が覆面を被りゲームを遊びだした。何故か自分たちをビデオカメラで撮影している。

「みなさん、おはようございます。紅笑い隊べにわらいたいのベニショウガです」

「こんにちは、ヒガッチです。この度はラフーマが騒動を起こしてしまい申し訳ございませんでした。現在、ラフーマは相手の女性と話し合い中なので復帰までしばらくお待ちください」

 ガッチリとした体格の男がベニショウガ、長身の男がヒガッチと名乗った。

「というわけで今日はイカ大戦争というゲームを実況したいと思いまーす」

 男達は終始、騒ぎながらテレビゲームを遊び、撮影を終えた後動画を確認した。

「だー、カメラを変えたのに映像が乱れてやがる」

 撮影した動画を確認したベニショウガが叫んだ。

「俺の家で撮影した時はちゃんと撮れてたのになぁ」

「はは。不良品じゃないのか?」

 笑真が笑いながら言った。

「いや、そんなはずは……。なんかお前が傍にいると上手く撮れないんだよなぁ」

「えっ!? 偶然だろ」

「そう思うだろ? 実はお前が傍にいない時は乱れないんだよ」

「(動画が乱れる?)」

美夜は試しにスマートフォンで動画を撮影した。

「(確かに乱れてる。あの悪霊のせいかな?)」

「不思議だよなぁ。お前、呪われてるんじゃないか? 井伊歌とかいう女は生きてるよな? もしかして自殺して……」

「バカなこと言うなよ」

 笑真が焦りながら否定した。

「冗談だ。ま、お前がいると動画が乱れるのは本当だからしばらく俺の家で撮影するか。ゲーム機借りるぞ」

「おう……。壊すなよ」

「お前は井伊歌とかいう女と話し合って早く解決しろよ」

「お、おう」

 2人の男が帰った。

「はぁ~、コイツが死ななければこんなことには……」

「やっぱり引退」

「うるせぇ。お前が成仏しろ」

「やだ。笑真、愛してる」

「(この人、実況者かな? 炎上とか引退とか言ってたけど、ネットで調べれば何か出てくるかもしれない)」

 美夜は部屋を出てスマートフォンで「紅笑い隊」を検索した。

「べにわらいたい……」

 紅笑い隊はベニショウガ、ヒガッチ、ラフーマというハンドルネームを名乗る3人組みで構成されているグループで本名は非公開。主に歌ったり喋りながらテレビゲームを遊んだりしている姿を撮影した動画を動画サイトに投稿している。覆面を被っているため素顔が分からないが女性のファンが多い、ということが分かった。

「うわぁ……」

 紅笑い隊に関する「ある記事」を読んだ美夜は呆れ果てた。

ラフーマがファンである女性―井伊歌―妊娠させた挙句、中絶を強要したという記事だ。

笑真の素顔や本名、チャットアプリのやりとりなど井伊歌が証拠付きで一連の経緯をインターネット上に書き込んだため多くの人が知ることとなった。

現在、ラフーマ(本名は生主笑真)は活動を休止している。

「ベッド写真まで晒されてる……。アイツだ。アイツで間違いない」

 美夜は先ほど監視をした生主笑真が紅笑い隊のラフーマと確信した。

「う~ん……成仏してほしいみたいだから浄霊を持ち掛けてみよう」

 

 

 その後、美夜は井伊歌の死因や笑真達の行動を調べた。その結果、井伊歌が事故で亡くなったことや笑真が書店「アイヴィ」でアルバイトとして働いていること、仕事中は井伊歌が事務所にいることなどが分かった。

 美夜は井伊歌に浄霊の話を聞かれないよう仕事中の笑真に会うことにした。




「すみません」

「はい。なんでしょうか」

 美夜が作業をしている笑真に話かけた。

「幽霊に取り憑かれていますね」

「なんだコイツ……」

 笑真は呟いた。

「う~ん……取り憑いている幽霊は出口井伊歌さん。事故で亡くなっていますけど成仏できず、大好きな生主さんの傍にいる。違いますか?」

「おい、なんで分かった?」

 事故で亡くなった井伊歌が自分に取り憑いていることは誰にも知られていないはずなので笑真は何故、取り憑かれていることが分かったのか聞いた。

「霊能力があるからです」

「……」

 笑真が美夜を警戒しながら見つめている。

「すみませんがプライベートな話はご遠慮ください」

「そんなこと言わないで話を聞いてください。このままだと、いろいろ支障がありますよね?」

「お前には関係ないだろ」

「そんなことないですよ。私が井伊歌さんを浄霊します」

 話を聞かない美夜に笑真はうんざりしたが浄霊という言葉は無視できなかった。

「浄霊だと? ちょっと待て」

 笑真は、きょろきょろと見回した。

「ん? 井伊歌がいない」

「井伊歌さんなら事務所にいますよ」

「そんなことまで分かるのか。防犯カメラを見てるから女の子と話してると事務所から出てくるんだよ」

「大丈夫ですよ。私はカメラに映りませんから」

「え?」

 美夜は壁や笑真をすり抜けた。

「私も幽霊ですから」

「マジかよ。勘弁してくれ……」

笑真は悪霊となった井伊歌に取り憑かれているので今さら幽霊が現れても驚かないが厄介なことが増えそうで少し気力が失せた。

「現金38万円を前払いしてくれれば井伊歌さんを浄霊します」

「たかっ」

 笑真が何かを言いたそうに美夜を見つめている。

「ちょっと質問していいか?」

「いいですよ」

「幽霊が幽霊を浄霊するってギャグか? お前は成仏しないのかよ」

「ギャグって……。その話は長くなるので突っ込まないでください。私は成仏できない特殊な幽霊なんです」

「そうか。じゃあ、もう一つ質問していいか? 幽霊のくせになんで金を取るんだ?」

「訳あってお金が必要なんです」

「そうか。幽霊の世界もいろいろあるんだな」

「そうなんですよ。で、浄霊の方はどうしますか? と言っても信用できないと思います」

「うん。信用できない」

「では、これを見てください」

 そう言いながら美夜は笑真に懐中電灯を見せた。

 この懐中電灯は幽霊にダメージを与えることが可能で、製作者である美夜の祖父はビューティーナイ灯という名前を付けた。

「懐中電灯じゃねーかよ」

「普通の懐中電灯ではありません。これで幽霊にダメージを与えられるのです」

「本当かぁ?」

「実際に井伊歌さんを攻撃して能力を証明します」

「待て! 余計なことをするな。ネットで浄霊師って奴を探そうとしたら殺されかけたのだ。浄霊されるくらいなら俺を殺して私も成仏するってな。下手したら俺が殺される」

「そうなん……あ、軽く攻撃するだけなので大丈夫だと思いますよ」

 美夜は調査では井伊歌が浄霊される時、笑真を殺すつもりということまでは分からなかった。

「……まぁいい、やれるならやってみろ。その上で判断してやるが、いきなり攻撃するのか?」

「そうですねぇ……生主さんは紅笑い隊のラフーマですよね? 炎上してるの知ってますよ」

「あ? だからどうした?」

 笑真がムッとした表情になり美夜を睨んだ。怒りを抑えているようだ。

「ファンを装って生主さんに声を掛けます。そうしたらデートに誘ってください」

「なんでだよ」

「井伊歌さんが嫉妬して私を襲うはずです。そうなったら、これで反撃します」

「そうか。じゃあ、その通りにしてやる。その代わりどうなっても知らねーぞ」

「大丈夫ですよ。そうだ! これ連絡先です。1週間以内に返事がなければこの話はなかったことにして二度と姿を見せません」

「お、おう」

「じゃ、バイトが終わるまで待ってます」

 そう言って美夜は書店を出た。

「厄介なのにからまれたな……。ま、アイツを何とかしてくれるなら誰でもいいか」






「あの……紅笑い隊のラフーマさんですよね?」

 美夜が書店から出た笑真に話かけた。

「えっと……君は……?」

「私、ラフーマさんの大ファンなんです。よかったらサインをください」

「へぇ~、俺のファンなんだ」

「いいよ。書いてあげる」

「やった! ありがとうございます」

「笑真!? 何しようとしてるの?」

 井伊歌が殺気立っている。

「サインくらいいいだろ」

「だめ」

「その人は彼女ですか?」

「そうよ。フフフ」

「違う。ただの友達だよ。そうだ! これからどっか行こうよ」

「ああ!?」

「いいんですか?」

「いいよ」

「笑真、他の女に……」

「うるせぇ。この子の方が可愛いから、お前はどっか行け」

 井伊歌が怒りで震えた。

「……コロス。笑真に手出す女コロ、ス」

 井伊歌が美夜を襲った。

「きゃ、何をするんですか」

 井伊歌に攻撃された美夜はビューティーナイ灯で反撃をした。

「ふぎゃあ」

「ッ!?」

 笑真が驚いた。

「今の、なに……」

「幽霊にダメージを与える道具ですよ。寺生まれなので常に持ち歩いているんです」

 美夜は寺生まれという嘘をついて再びビューティーナイ灯で攻撃をした。

「ひぎゃあ」

「おお、すげぇな」

 美夜がマイクで歌い出した。直後、井伊歌が光に包まれた。

「おお。気持ちいい。この感覚……」

「ふぅ……」

 美夜が歌をやめて笑真を見た。

「ラフーマさんとデートしたいですけど気持ち悪い幽霊がいるので今日は帰ります。その人の浄霊、お願いしますね」

 と言い残して美夜は帰った。

「……アイツ、見逃してくれた。もう、会いたくない」

「大丈夫か?。どんな感じだった?」

「あの光、痛い。アイツの歌、癒された」

「……そうか」


 美夜の力を目の当たりにした笑真は彼女の力を信じた。

30万円という高い料金だが笑真は井伊歌が邪魔をして他の浄霊師を探せないことや一刻も早く井伊歌が消えてほしいという理由で美夜に浄霊を依頼することにした。



「お待たせしました」

笑真は得体の知れない幽霊に住所を知られたくないので美夜を公園に呼び出した。

「おお、本当に来てくれたんだ」

「笑真、男と会うって言った。嘘ついた。しかも、あの時の女」

「女と会うって言うと邪魔するだろ」

「当たり前。笑真は私だけのもの」

「あの~お金を……」

「あ、そうだな。はい」

「ありがとうございます」

 美夜は受け取ったお金を確認した。

「なんでお金、渡してるの?」

「お前が知る必要ねーよ」

「……」

 井伊歌が美夜を睨んでいる。

「あれ、襲わないのか?」

「この女、怖い」

 井伊歌が美夜を警戒しているのか睨んだまま動く様子がない。

「井伊歌さんが警戒してる……。今の内に」

 美夜が歌い出した。

「ああ……。消えそう。まさか、この女、私を……。やだ、成仏やだ。」

 美夜が攻撃されそうになったが歌いながらビューティーナイ灯で反撃をした。

「ぎゃ。この女に勝てない。笑真、一緒に死んで」

「ぐええ。おい、なんとか……しろ」

 笑真が井伊歌に首を絞められているが、美夜は歌い続けている。

「苦しい……」

「フフ。笑真、あの世でも一緒にいようね」

 美夜が歌い終わると井伊歌が消えた。

「ごほっ、ごほっ。はぁ……はぁ……」

「井伊歌さんは成仏しましたよ」

「本当か?」

 笑真はあたりを見回した。

「井伊歌がいない……」

「成仏しましたからね。では私は帰ります。さようなら」

「おい、待て。本当に成仏したんだろうな?」

「しましたよ。安心してください」

 美夜はしつこいと思いつつも井伊歌があの世に行ったことを再度、告げた。

「これに懲りてファンの子に手を出すのは自粛した方がいいですよ。未成年にも手を出してますよね? 逮捕されちゃうかもしれませんよ」

「うるせぇ」

 


 


 数日後、笑真は動画を投稿した。


「みなさん、おはようございます。紅笑い隊のベニショウガです」

「こんにちは。ヒガッチです。そして……」

「みなさん、お待たせしました! ラフーマです。相手の女性と真摯に話し合って解決したので復帰しました。この度はお騒がせして申し訳ございませんでした。」

「というわけで今日はスーパー乱闘というゲームを実況します!」

「うわぁ……コイツ、嘘ついてるよ。解決したのは本当だけど」

 何事もなかったかのように復帰した笑真に美夜は少し呆れたが、ラフーマの復帰を喜ぶファンは多かった。

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