天空のレストラン(猫短3)

NEO

ストラトス・レストラン

 気象がめまぐるしく変わる対流圏、その上にあるのが成層圏。ここはたまに強風は吹くものの、常に天候は晴れでした。地表からの高度は、大体一万メートルくらい。

 その「小島」は成層圏にありました。高度一万一千五百メートル。旅客機の巡航高度とほぼ同じです。

 気圧は低く気温も常に氷点下数十度というこの島に、おおよそ住みたがる者などいそういそうにありませんが、なんにでも例外があるもので、またまた猫が住み着きました。

 この猫、その昔は腕を鳴らしたシェフとかで、あろう事かこんな島の上に建物を建て、レストランをオープンさせてしまったのです。高空を飛ぶ渡り鳥ですら、成層圏は飛ばないのに、誰を相手に商売をするつもりなのでしょうか?


 このレストランで食事をするためには、何年も先まで埋まっている予約を、辛抱強く待たなければなりません。その予約も、以前来店したことのある人の紹介がないと受けてもらえません。これは、お高く止まっているからではなく、一日に一組二名様しか受けられないため、仕方なくそうしているのです。

 ああ、適当に「誰々さんの紹介で~」というお約束は通じませんよ。悪しからず。


 そして、予約日。お客様は街の大きな空港ではなく、郊外の小さな空港で待機する事になります。そして……あ、来ました。何のヒネりもなく、「猫の料理店」と書かれた中古の小型ジェット旅客機が。小型といっても、元は百名近くを乗せて飛んでいた機体です。最大でも二名のお客様を運ぶには、少々大きすぎるのですが、猫はこれを気に入っているので仕方ありません。


 さて、飛行機に乗り込みましょうか。小ささな空港なので、飛行機までは歩きで向かいます。

 飛行機の開け放たれたドアからせり出した階段を登ると、ここからおもてなしスタートです。大幅に改造された機内は、ホテルのスイート並といったら言い過ぎでしょうか?

 たった数時間の飛行にしては豪華過ぎます。この猫、徹底的に凝り性のようです。

 お客様二名がたった二席しかないシートに腰を下ろし、猫は機内を走り回って出発前のチェックをします。実は、スタッフが他に誰もいないので、これも仕方のない事です。

 最後に救命胴衣や酸素マスクの使い方を教え、猫はコックピットにダッシュして左側の機長席に滑り込みます。今著ている服は、国営猫航空のものです。ツテを使って仕入れたのですが、どこまでも凝り性です。


『ランウェイ15 クリア フォア テイクオフ……』


 どうやら、離陸許可が出たようです。猫の小さな手がゴツいスロットルレバーを全開の位置までいどうさせ、送迎用ジェットは滑走路を爆音と共に加速していきます。そして、離陸すると緩やかに旋回しながら高度を上げていきます。なお、目的地のレストランまでは、二時間のフライトを予定しております……。


 島の滑走路に着陸させるのは、並大抵のパイロットでは刃が立ちません。猫の凝り性な腕により、送迎ジェットは最終着陸態勢に入っていました。真っ正面には、猫が手作りした全長三千メートルの滑走路。もちろん、こんな場所に着陸するように飛行機も出来ていないので、全ての安全装置をカットして、猫の勘だけの着陸となります。

 このレストランの常連さんは、これも一つの「味」だと言ったりするのですが、命の保証がない絶叫マシンのようなものです。猫の神業的テクニックにより、無事に着陸した送迎ジェットはレストランの脇にある駐機場に向かいます。そこには頑強な金属製の連絡通路があります、

 ここは高度約一万メートルの高みです。普通の人が、普通に出歩けるような環境ではありません。そこで、送迎ジョットから建物までは、飛行機の機内とほぼ同じ気圧に設定された与圧通路を歩いていきます。その通路を、機体から離したりくっつけたりするのも猫の仕事です。コックピットからリモコンでやるのですが、なかなか器用な猫です。


 さて、やっとレストランに到着しました。いつの間にか制服を着替えていた猫が、丁寧にお客様を案内します、つくづく器用な猫です。そして、動きが速いです。

 お客様が席に着くと、今度は厨房に猛ダッシュ。もう一度言います。スタッフは他にいません。送迎から料理、サービスまでこの猫が一人でこなしています。

 これが、一日に一組しか受け入れられない理由です。何組も受け入れたら、猫が死んでしまいます。

 このレストランにはメニューはありません。なぜなら、提供される料理はスープ一品のみだからです。

 そのためにこれだけ大騒ぎするのかと、大半の人は思うでしょう。しかし、このスープ。この店を知る人に言わせれば「至高のスープ」または、「魔法のスープ」です。

 さて、このお客様は……。


「全くさ、あなたったら、今の職場に変わった途端、不幸の連鎖だもんね。車で事故るわ、事故った相手が悪くて恐喝されるわ、しまいには家が燃えるわ……」

 段々シャレにならない方向に行きそうなので、適当に切り上げましょう。

 相手の女性は俯いたまま、今にも泣きそうです。いえ、もう思い切り泣いちゃって下さい。そのくらい悲惨です。

「だから、二年待ったけど、この店に連れてきたわけ。下手な厄払いより効くわよ」

 そこにタイミング良く、猫がスープを運んで来ました。琥珀色のお皿の底が見えるほど透き通ったスープ……コンソメ系でしょうか?

 非常にシンプルですが、とてもいい匂いが漂います。

「あら、前とまた違う。本当に気まぐれね」

 もう一方の女性が猫に言って片目を閉じて見せた。猫はなにも言わず一礼するのみ。可愛いのか格好いいのか微妙なラインです。

「ほら、冷めないうちに」

「はい」

 不幸な女性がスープを一口飲んだ瞬間、スプーンが止まりました。

「……美味しい」

「ほらね、あなたの笑顔なんて久々に見たわ」

 先ほどまで、泣きそうだった女性の顔には、満面の笑顔があります。

「全く、相変わらずいい腕「しているわね。レシピ教えて欲しいわ。冗談」

 猫は一礼しながらホッとしました、ここは、場所柄もあって頻繁に食材が手に入りません。今回のスープに使った材料は、冷蔵庫の片隅にあった痛むスレスレのものだったのです。加熱すれば大丈夫神話に基づき使ったのですが、今のところ異常はないようです。 

 こうして、根本的には何も変わらなくとも、緩やかな時間は過ぎていったのでした。


 本日のお客様は男性一名。かなりお酒が入っているようですが、泥酔して暴れるような事はありませんでした。

 このレストランのルールとして、持ち込みは問題ありません。まあ、滅多にいませんが、この男性は高そうなワインのボトルを三本ほど持ち込みました。

 このレストラン内は、気合いを入れて地上と同じ程度の気圧に保たれています。変に酔っ払ってしまう心配は少ないです。

 男性は黙々とスプーンを進め、ワインを飲み……食事を終えました。

「ああ、相変わらず美味しかったよ。ありがとう。これで、もう思い残す事はないな……」

 ん? 男性の様子がおかしいです。来ていた少し年季の入ったスーツの上着を脱ぐと、そこには無数の配線が張り巡らされたなにか……いや、もう確実に爆弾だと分かるベストを着ていました。

「巻き込んですまないと思っている。本当だ。しかし、確実に死ねる場所が他に見当たらなくてね。ここなら、確実だ」

 それはそうでしょう。ここは高度一万メートル。爆弾ベストで即死でしょうが、なにかの拍子で生き残ったとしても、レストランのどこかに穴でも開けば、気圧差でパンクした風船よろしく中身はメチャメチャに吹き飛ばされ、そのまま地面に向かって吹き飛ばされるでしょう。

 男性が起爆装置と思われる黒い何かを手にした時、猫は素早く爪を出して飛びかかり、起爆装置の配線を叩き切りました。しかし……。

 ピッ!!

 小さな電子音が聞こえ、タイマーと思われるものに「10:00」の数字が表示されました。

「悪いな、近所の爆弾マニアに作らせたんだ。起爆装置が切断されると時限装置に切り替わる……って、なにをする!?」

 猫は男の話を聞いていませんでした。男のお腹にへばりついたまま、爆弾の解除作業を開始したのです。

 実は、こういうお客様も希に来店するので、定期的に訓練を受けている猫でした。日々役に立たないことを祈っているのですが、今日は祈りが通じなかったようです。

「よせ、下手に触ると瞬時に起爆する!!」

 おかしいですね。先ほど爆発しようとした男性が必死に止めますが、猫は全く話しを聞きません。素早く作業を進めていきます。

 ……よく出来てはいるけれど、所詮は素人のお遊びレベル。あとは。

 赤か青かなんて悩みません。最後のワイヤーをサクッと切断した時、タイマーの表示は「00:12」で停止していました。コンプリート!! っと、こっそり胸中で呟く猫でした。


 完全に爆弾を無力化してゴミ箱に捨てると、猫は客席に向かいました。そして、放心状態で椅子に座っている弾税の前に、そっとスープを差し出しました。

「これは?」

 男性は心底驚いて猫に言いました。

「ここはレストラン。僕は料理人。お客様を楽しませるのが仕事。どうぞ、ごゆっくり」

 全く、今日のお客様は元気がいいな。猫が思った事は、その程度でした。

 あんな事をした理由は聞きません。料理が不味くなるだけ。

 「あ、ああ、ありがとう」

 どうしていいか分からない様子の男性に一礼して、猫は厨房に引っ込んだのでした。

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