第2章 第8話 反撃

悪魔の神殿と化したホテルの廊下は薄暗く、壁面は生き物の内臓を思わせる生々しい形状に変貌していた。


それは見た目だけでなく、よく見ると時折細かく蠢動し自分が何か巨大な生き物の体内にいる気分がした。


幸い床だった箇所は歩くのに支障が無い程度の固さがあったため

杏華はメフィストに導かれるまま暗い奥へと進んだ。



「さっきは君の脳をいじっていたから、まだ眩暈がするのは仕方が無いよ。」

メフィストは励ます様な口調でさらりと恐ろしい事を言った。



どうして道が分かるのが不思議だが、メフィストはホラー映画のセットじみた異形の通路を、迷いなく進んでいく。


壁の気泡がはじけて細かい粒子が空中に漂うのを見ながら、杏華はメフィストの言葉を無視した。



「いいかい、悪魔は自分を維持するために、定期的に人間の魂を喰らう必要がある。」



「僕たち堕天使は契約者の魂を貰っているから、その魂が有る限り存在できるけど

 悪魔は人間を喰らって魂を補充する必要があるんだ。」


「でも、それは一時凌ぎでしかないから

 時間が経てば、また別の魂が必要になる。」



「だから悪魔は人が集まる場所に神殿を作り、そこに入り込んだ人間を喰う。

 このホテルもそんな神殿の一つさ。」



「定期的に神殿を実体化して、その中に居る人間を取り込んで喰らう。」



「でも、それには当然リスクがある。

 僕達に見つかるリスクがね。」



「実体化していない神殿を見つけ出すのは困難だが

 場所さえ分かってしまえば侵入する方法はいくらでもある。」


メフィストの説明では杏華がホテルの部屋から消えた事で

ここが神殿だと判断しここまで潜入してきたらしい。




「場所さえ分かれば実体化していなくても侵入できるの?」


杏華は気になったので聞いたが、特段考えがあって聞いた訳ではなかった。



「そうだね、この程度の神殿なら侵入は容易いね。

 外部からの侵入をまったく警戒していないお粗末な神殿さ。」


「恐らくここの主は僕が侵入した事にすら気づいていないだろうね。」

メフィストは鼻で笑うように言った。



「だといいけど…。」

自信たっぷりなメフィストに一抹の不安を感じて言った。



「信用がないな。」

メフィストは肩を竦めた。


「僕が見るにここの主は、まだ日の浅い悪魔だ。

 顕現して数年といったところかな?」



「まあ、他の国でこんな目立つ場所に神殿を造っていたら

 1年も経たずにご同業に狩られていただろうね。」



パーティーでは参加者が口ぐちに日本には堕天使や契約者が少ないって言っていたけど

結構深刻な問題なのだと改めて感じた。



「でも、それも今日までの事さ。」

メフィストは杏華を見て微笑んだ。



杏華は真剣な顔でうなずいた。



「そうだ、私以外の人達はどうなったの?」

杏華は重要な事を忘れていた事に気が付いた。


「捕まる前に、他の人達の叫び声が聞こえたの。

 多分私と同様に悪魔に捕まったはず。」


「まだ無事だといいけど…。」

だがそれは甘い期待だと自分でも思い、辛い気持ちになった。



「それなら大丈夫。

 あの悪魔が君と遊んでいる時に神殿内を見て廻ったが、昨日囚われた客はまだ生きていた。」


別に遊んでいた訳ではないと思ったが、それ以上に他の人達が無事だという事にほっとした。

でも、急がなければそれも意味がない。



「僕たちは非常に幸運だよ。彼らはまだ魂を補充していないんだから。」

メフィストは上機嫌でいった。


「ええそうね。」

少し以外だったが、メフィストも他の宿泊客の無事を喜んでくれたのが嬉しかった。



「魂を補充していない悪魔なら、魔力が不十分だろうから戦闘を有利に進められる。

 妙なこだわりのある変な悪魔だが、そのおかげで楽出来そうだ。」


どうやらメフィストは、犠牲者が出ていない事よりも

悪魔の力が十分でない事を喜んでいるようだった。



まあ、そうよね。

元悪魔に人間への心遣いがあるはずは無いのだ…



今は他の宿泊客が無事だという事に満足すべきた。

杏華はこの戦いの意味を再確認し、戦う事への決意を改めて固めた。


「絶対負けられない!」

気合いを入れるため両手でほほを叩いた。


そういえば試合の前はよくこうして自分に気合いを入れていたっけ…。

痛覚を戻した身体から感じる痛みを味わいながら思った。



「準備は整ったみたいだね。」

メフィストは微笑むとそう言った。



暫く通路を進むと大きな広間の入口が見えてきた。


その中からは先ほどの悪魔の声が聞こえため

ここが目的の場所だと分かった。



メフィストは入り口の手前で立ち止まると、そっと中の気配を探った。


「どうやら間に合ったみたいだね。」

そうささやくと、杏華にも中を覗くように促した。


杏華が中を覗くと、広間の奥に設置された檻に囚われた宿泊客が閉じ込められていた。


人数は全部20人ぐらいだろうか、ホテルの宿泊客の数にしては少ないが

まだ犠牲者がいないといいのだがと杏華は心配した。



檻の前には囚われた人達の苦悶の叫びを聞きならが悦に浸っているあの悪魔がいた。



「オードブルとデザードはこれで良いですから

 メインディシュが届くまでに下拵えを終わらせておきましょう。」


周囲にいる無数の使い魔に指示をだし、一人の女の子を牢から出した。

年は中学生ぐらいだろうか、必死に抵抗するが使い魔に殴打され無理やり牢から引きづりだされていた。


その両親だと思われる大人もなんとか娘を守ろうとしたが

同じく使い魔によって痛めつけられていた。



「そんなにあわてなくても大丈夫です。

 宴会は何日も続くのですから、遅かれ早かれ腕によりをかけて調理してあげますよ。」


悪魔は上機嫌でそういうと 少女をみて舌なめずりをした。



「この良き日に調理されるあなたは非常に幸運です。

 なにせ記念すべき日の食材になれるのですから。」


少女の顎に手をやると、調理のイメージを膨らませながら悪魔は言った。



「おっと、失禁するのはまだ早いですよ。

 体内の水分はできるだけ最後まで残しておきたいのです。」



「まずあなたを煮えたぎる湯に全身をさっと浸し、爛れた皮膚を丁寧に剥ぎます。

 次に取り出した内臓と切り落とした四肢のミンチで飾り付けをして素敵な前菜に仕上げるのですから。」



「大丈夫、多少痛みはありますが活き作りにしますので、食されるまでは生きられます。」


「我が主が美味しくあなたを召し上がる様を十分堪能できますよ。  

 このニスロク手にかかれば、どんな食材も至高の一品に早変わりです。」



悪魔が名乗りを上げた瞬間メフィストは無言で杏華の手を引き、元来た通路を一気に駆け戻った。


「何!?」

驚く杏華がメフィストの手を払いその顔を見ると、いつもの余裕の光をたたえる眼に焦りが見て取れた。



「いったい…」杏華が言いかけると


「これはダメだ。早くこの神殿から抜け出そう。」

遮るように言った。



メフィストが何を言っているか理解できず聞き返そうとするが、その前に背後から別の声が聞こえた。



「おやおや折角ご招待いたしましたのに、もうお帰りですか?」

振り向くとそこにはニスロクと名乗ったあの悪魔が、すぐそこに佇んでいた。



「これからお食事の準備を整える所ですので、暫しお待ちいただけませんでしょうか。」


「主もあなたとのご歓談を楽しみにしております。

 このままお帰りになられては、私供がご不興をいただいてしまいます。」


悪魔はこちらに危害を加える風も無く、慇懃に申し出た。



「それはそれは。 お申し出はかたじけないけど、何分多忙な身でね。」


「この新米契約者を一刻も早く立派な悪魔狩り(デモンスレイヤー)に育てて

 この世界の悪魔達を根こそぎにしなきゃいけないのさ。」


メフィストはジェスチャーを交え残念そうな演技をしながら返答した。



「それは残念です。主からはご一緒できないのなら、またあの牢獄に送り返すよういいつけられておりますので…。」


そういうと、奥の通路の壁が風船の様に膨張して逃げ道を塞いだ。


「心苦しいですが、ここで調理させていただきます。」



そう言い終わらないうちに、悪魔の背後から使い魔が2体突進してきた。


小さな身体の頭部は、不似合な巨大な角に変貌しこちらを串刺しにしようとしていた。



メフィストが咄嗟に手を手前にかざすと、半透明の青い文様が浮き出だし、突進する怪物を盾の様に押しとどめた。


「いけ杏華!」

そういわれて、自分が攻撃するのだと悟ったが、恐怖で脚が竦み動けなかった。




青い盾は怪物を十分足止めしているので横からの攻撃出来そうだが、頭はでは分かっていても身体が動かなかった。


「ははは、そのお嬢さんには戦闘は荷が重いようですね。」


「無理もありません、人間が悪魔と戦うなんて前提からして無理な話なのです。」



「あなた様とあろう者が、何故この様な少女と契約をなされたか謎でしたが

 その叡智も枯れ果ててしまっていたという訳ですね。」

 


そう言うと、広間から来た別の使い魔にもジェスチャーで突撃を指示した。 



メフィストを見るとさっきまでの必死さは無く、余裕の笑みを浮かべ杏華の頭をなでた。



「ついているぞ杏華、相手は油断している。

 君の力を見せる絶好のチャンスだ。」


「雑魚は僕がひきつけるから、あいつに君の一撃をお見舞いするんだ!」



メフィストの笑みを見た瞬間、何故か身体に力が入るのを感じた。



「うん。」

軽く頷くと、両足に力を籠め身体の重心を落とした。



それは陸上部時代に短距離走のスタートダッシュを決めた感覚を思い出させ

その影響か、身体が内側から熱く燃え上がる感じがした。



身体が熱さを感じたまま地面を蹴り、手前の怪物には目もくれずニスロク目がけて飛び出した。



蹴った勢いで身体が加速するのを感じたが、その勢いは予想した物を遥かに超えていた。



「え?」


最初の一歩で10Mはあったニスロクとの距離が、手を伸ばせば届くほどまで縮まり

ニスロクは勿論、杏華自身も驚きで何もできなかった。



二人は激突の備える事もできず、そそまま正面から激突した。

ナイフを抜くどころか避けることもできず、杏華の頭がニスロクの胸部に頭突きをした形になった。



「ぐはっ」

二人は激突の衝撃で弾け飛び、床に倒れ込んだ。



頭を強く打ったため、目がグルグル回り眩暈がしたが

視界の隅で、立ち上がろうとしているニスロクが見えたため、なんとか踏ん張って立ち上がった。


「目がまわる…」

立ち上がったはいいが、以前眩暈でふらふらしていた。



「ナイフをつかうんだ!」


メフィストの声に自分が何をすべきかを思い出した。

なんとか脚を踏ん張ると胸のホルダーからナイフを取り出した。



ナイフの持つ禍々しさに一瞬心が怯むの感じたが、恐怖に歪んだ少女の顔が脳裏によぎった瞬間

怒りにも似た感情が恐怖を押し潰した。



「うぉおおおおお!!」」

両手でナイフを握ると、身体ごとニスロク目がけて飛び込んだ。



ニスロクはふら付く脚を踏ん張り横に避けたが

杏華は脇をすり抜ける瞬間腕を伸ばしナイフを振りぬいた。


そのせいでバランスを崩し、床に倒れ込んだ。



「ぐはっ」と悪魔の苦悶の声が聞こえた。

慌てて振り向くと、ニスクロは右側の脇腹が削り取られ、二の腕から先も消滅していた。



「この私に傷をつけるとは!

ゆるさんぞ、このゴミ虫め!!」


先ほどの慇懃さを脱ぎ捨て、すさまじい怒気を孕んだ叫びをあげた。



「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


ニスロクが唸り声をあげると、身体のあちらこちらが

風船のように膨張しはじめた。



人間の形状は膨張する肉の塊に埋もれ

通路をまるまる塞ぐほどの巨体に変貌した。



その身体は尚も膨らみ続け、膨張の圧力で

通路の壁や天井を押し潰した。



通路の床もまたその重圧で亀裂が入り

ひび割れが床一面に広がった。



破壊の元凶である肉塊に変貌したニスロクの巨体の床は

真っ先に崩落し、それに引きずられるように周囲の床も崩れ始めた。



「う、うそぉぉぉ!!」



杏華は崩れ始めた床の上を、逃げるようと足掻いたが

その前に床が抜け、瓦礫と共にまっさかさまに落下した。



「いやああああああああああ」


杏華の声は床下に広がる暗闇吸い込まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る