第2章 第5話 神殿再び

「疲れた…」


杏華はそう言い放つとヒールを脱ぎ捨て

ドレスが皺になるのも構わずにソファーに倒れ込んだ。



部屋に他に誰もいなく、明かりもつけていないが

大きな窓から差し込む夜景の煌めきで、ぼんやりと明るかった。



慣れないパーティーに疲れ切った杏華は

メフィストを残したまま一人ホテルに帰ってきたが、その疲労は思った以上だった。



スイーツや高級食材を使用した料理は美味しかったが

それを差し引いても暫くパーティーに参加したくなくなった。



ドレスを脱いで、それからお化粧も落とさないと…

髪も解いてお風呂に入りたい。



そう思うのだが、ソファーの魔力に囚われた杏華は

少しも動けなかった。



思い返せば、昨日から一睡もしていない上に着なれないドレスを着て

何時間も見世物の様に色々な人間から好奇の目で見られまくった。



更に知らない人達の興味の無い話を、笑顔で何時間も聞かされる

正に精神の処刑場だった。



「もう何もしたくない…。」

そう呟くと、またたくまに眠りに落ちた。






それからどれくらい経っただろうか、辺りの騒がしさに目が覚めた。



一瞬自分がどこにいるのか分からず慌てたが、ここはメフィストに連れてこられた

ホテルの部屋だと思いだした。



どうやらソファーの上で寝落ちしてしまったらしい。

まだ眠気が抜けず寝足りなかったが、何かが気になり寝ぼけ頭で周囲を見渡した。



部屋は薄暗くあまり良く見えないが

まだメフィストは戻ってない様だ。



メフィストが気を使って別に部屋を取っていたのかなとも考えたが

とてもそんな事をする性格では無いなと思った。



「メフィストいないの?」

居ないとは思っていたが、心細さがそう言わせた。



耳を澄ましたが、近くで反応する気配はなかった。

まだパーティーに出てるのかな?



時計で時間を確認しようとするが、ソファーの上からではどこにも見つからなかった。


「まあ、いいか…」



窓の外の暗さからまだ夜明けにほど遠いと思った杏華は

そのまま眠気に任せて横になった。



明日起きたらお風呂に入ろうと思いながら眠りにつこうとした時

遠くから悲鳴のような声が微かに聞こえた気がした。



「!」


何?



気のせいかとも思ったが、胸がざわついたため

目を閉じたまま耳を澄ました。



耳を澄ますと様々な雑音に紛れ、確かに叫び声が幾つも小さく聞こえた。


「!!」

杏華は飛び起きると、真っ暗な部屋の中を音のする方に向かって進んだ。



少し進むと微かな明かりが見えた。



明かりは恐らく部屋の入口辺りから漏れていたが、その明かりに照らされて見えた部屋の内装は、昼間見た高級なものからグロテスクな形に変容していた。



杏華は見覚えのある光景に身震いした。

ここは悪魔の神殿だ…



昨日見たばかりのグロテスクに変容した内装は、まさくしあの廃工場と同じだった。



杏華は驚きと恐怖で身動きできなくなった。

その場に静かに蹲ると、激しい動悸と眩暈に必死に耐えた。



その間にも微かな叫び声が何度も聞こえた。

その声は、一人の物ではなく複数の人間の叫び、悲鳴、怒号だった。



今この瞬間、沢山の人間が悪魔に襲われている!

その事実に気が付き杏華は慄いた。



メフィストは自分は不死身で魔法が使えると言った。

今この瞬間彼らを助けられるのは自分しかいない。



だが、そう思っても足が竦んで動く事すらままならなかった。



昨日の悪魔との大立ち回りでは、悪魔に一撃を与える事ができたが

何故あの時あんなにも戦えたのか、今はまったく分からなかった。



震える手をギュッと握りしめ、自分に何が出来るかを考えたが

思考が上手くまとまらず、焦りだけが増すだけだった。



メフィストが戻ってきたら、作戦を考えて…。

そんな都合の良い展開を期待して、杏華は目をつぶって永遠と思える時間を耐えようとしたが



「だめだ、やっぱり私がなんとかしなくちゃ。」


悪魔に襲われている人達の事を考えると

ここで何もせずにメフィストを待つなんて、許され無い事だと思い始めた。



杏華はゆっくり慎重に立ち上がると

再び明るい光が差し込む、部屋の入り口に近づいた。




部屋の入口はドアが跡形も無く消えており

明るい廊下からの光が部屋に差し込んでいた。



杏華は慎重に明るい廊下側を覗きこもうとそっと顔を出した。



廊下も部屋同様に、異様な形に変貌しており

生物の内臓を模した様な内装がわずかに蠢いていた。



先ほど絞りだしたなけなしの勇気は、それを見た瞬間に

飛ぶように霧散し、慌てて部屋の奥に頭を引っ込めた。



「無理無理、絶対無理…。」



廊下からの光が届かない部屋の奥に戻ると

地面に座り込み頭を抱えて震えた。



いくら不死身だと言われても、その実感が無い今

無謀に突撃していく勇気は無かった。




「メフィスト…。」

ここにきて自分が彼が居ないと何もできないのだと

改めて実感した。



「はやく戻って来て…。」

その言葉を呟いた時、杏華の意識は突然途切れた。

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