第2章 第4話 祝宴

杏華達を乗せたリムジンが止まったのは、都内では珍しい広大な敷地を持つ豪邸だった。


あまりの広さに最初はホテルか何かかと思ったが、メフィストが言うには、個人所有の邸宅らしい。


世界有数の大都会の真ん中に、こんな豪邸を持っているなんて、想像を絶するお金持に違いない。 そう思うと浮ついた気持ちは鳴りを潜め、緊張が身体を包んだ。


リムジンはゆっくりと敷地内を少し進み、屋敷前の広いロータリーで停車した。



「さあ、着いたよ。」

メフィストがそう言うのと同時に車のドアが自動で開いた。



「う、うん。」


杏華は我に返ると、何故か急いで降りなければという想いに駆られ

慌てて車から降りようとしたが、ドレスの裾とヒールが邪魔で一人あたふたした。



何とかドレスの裾をひっかけないように気を使いながら

車からを下りようとすると、執事風な男性がドアの外から手を差し伸べた。



「いらっしゃいませ。 

 お待ちしておりました。」


男性はそう恭しく言うと、戸惑う杏華の手を取り降車を手助けしてくれた。



「少し遅くなってしまったかな?」

メフィストはその男性から杏華の手を引き継ぎながら質問した。



「いいえ、調度良いお時間です。

 会場まで私がご案内いたしますので、どうぞおいでください。」



「それは良かった。

 では、行くとしようか。」


メフィストは杏華の手を軽く握るとゆっくりと進み始めた。


「ではこちらへ。」

男性は恭しく頭を垂れると、そう言って二人を案内した。



執事風の男性は古めかしい燕尾服を着ているが

その顔は青年といってもおかしくないぐらい若く見えた。



「こっちもイケメンだ…。」

杏華は心の中でそう思うと、好奇心が刺激され注意深く観察した。



日本人にしては彫が深く、釣り目がちな黒い瞳は理知的な印象を受けた。

背筋をピンと伸ばし姿勢ただしく歩く姿は、とても精悍で凛々しかった。



「ねえ、もしかしてこの人も悪魔なの?」

杏華は執事には聞こえないようにメフィストに小声で尋ねた。



「いいや、僕も初めて会うが彼は普通の人間だと思うよ。」

メフィストの答えに安堵すると同時に、少し落胆した。



「ふふふ、そんなに同業者に興味があるのかい。」

杏華の微かな表情を読み取ったのか、メフィストがそう聞きいてきた。



「ううん、別にそういう訳じゃないけど…。」

自分でも何故こんな気持ちになったか分からないため、杏華は言葉を濁した。



確かに自分と同じ境遇の人がいたら、色々聞いてみたい事が沢山ある。


もちろんメフィストに聞くのが一番早いのだろうけど

自分を嵌めた張本人なので、無条件で信用するにはまだ抵抗があった。



今日のパーティーには自分達以外の堕天使やその契約者も居るらしので

その出会いに期待していたのだ。



男性に導かれ屋敷の玄関を入ると、そこは天井が吹き抜けになっており

古風なシャンデリアが薄暗い室内を厳かに照らしていた。



ぼんやりと照らされる屋敷の内装は、歴史を感じる荘厳な作りになっており

豪華さよりも重厚で厳めしい印象を受けた。



「まるでホラーゲームに出てきそうな洋館ね…。」


パーティーに来たはずなのに、まったくそんな気配を感じさせたない暗く重苦しい周囲の雰囲気にあてられ、思わず独り言が口をついた。



決して広いとは言えない長い廊下を進むと、そこは更に薄暗く

古めかしい調度品や中世の鎧が、先ほどの印象を更に強くした。



一体この先に何があるんだろう…

いまだに繋いでいたメフィストの手を強く握り締めた。



「こちらでございます。」

執事風の男性は杏華達にそう告げると、大きな両開きの扉の前で立ち止まった。



「既に皆様お揃いになっております。」


そう言って扉を開けた瞬間

薄暗かった廊下にホールの喧騒と眩しい光が流れ込んできた。



楽隊が奏でるクラシック曲、グラスを片手に歓談する人達の会話や歓声。

暗闇に慣れた目には眩しいほどの照明と、それに照らされた女性達の色とりどりのドレス。



それが先ほどまでの重苦しい気分を一気に吹き飛ばした。



「はー。」

杏華は感嘆の声を上げた。



そこにはTVや映画で見た事のある光景がリアルに展開していた。

女性は一様に杏華の様なドレス姿で、高級そうな装飾品で自分を飾っていた。


男性はスーツ姿が多いが、中には袴姿の老人、クラシカルな洋装の男性

ビジュアルバンドを彷彿とさせる奇抜なファッションの若者もいた。



先ほどの執事は会場にいる大勢の人達の中の一人に歩み寄ると恭しく話し掛けた。

その男はこちらを見ると、大げさな笑顔とジェスチャーで喜びを表現した。



「ようこそおいでくださった。」

男は執事を伴いふくよかなお腹をゆさゆさと揺らしながら近寄ってきた。



「君が天元殿の言っていた守護天使かね。」

パーティーの喧騒に負けない大声な声でそう言うと、メフィストを舐め回すように見た。



「なんでもあのバストゥール殿と親交があるとか。

 是非そのコネクションを使って、私とかの御仁を引き合わせていただけないだろうか。」


男は満面の笑みでそう言うとメフィストの返事を待った。



「これはミスター九條。

 この度は私達のためにこの様な場を催していただきありがとうございます。」

メフィストはにこやかにそう言うと静かに頭を下げた。



「そのお話ですが、近いうちに彼の居城を訪問する予定ですので

 その際に是非お口添えさせていただきましょう。」



「おー! そうかそうか、それはありがたい。

 わしの不躾な願いにそう言っていただけるとは、心から感謝する。」 


男は舞い上がった口調でそう言うと、メフィストの手を掴み強引に握手した。



「実はこの国にも彼の軍勢の力をお貸しいただきたいと、常々考えておったのだ。

 そうなれば、この国に潜む悪魔共も恐れをなして逃げ出すじゃろう。」



「ええ、それは良い考えです。

 ですが、彼がその気になる説得材料が必要になりましょう。」

 


「金銭の多寡では決して動かない御仁ですので

 その辺は十分ご配慮いただいた方が良いかと思います。」



「そうか、なるほどなるほど…。

 御年400才を超えると聞いているが、そんな御仁が満足する貢物とは難しいのぉ…。」

男はそういうと渋い顔をして悩み始めた。



「それはそうと、是非九条様に私のパートナーをご紹介させていただきたいのですが

 宜しいですか?」


「おっと、これは失礼した。」

九条と呼ばれた男はそう言うとこちらの方を向いた。



「おーこれはこれは、この若い御嬢さんが君の執行者なのかね。」

九条は驚いてそう言うと、信じられないという顔でメフィストを見た。



「はい、ですが若いからと侮ってはいけません。

 私達はすでに奴らの神殿を1つ消滅させております。」



「なんと、それは凄い! まだ契約したばかりと聞いたがそれが本当なら

 あの高名な悪神殺しに匹敵する逸材かもしれん。」



「美しさと実力も兼ね備えてた、将来有望な執行者の誕生に立ち会えるとは

 今日は実に良い日だ。」


九条と呼ばれた男は、先ほどの話をメフィストが快諾したためご機嫌だった。



「そうだ、これから他の方々にも紹介しよう。

 今日は私以外にも有力な支援者達が沢山来てくださっている。」



その後は九条に連れ添われ、各界の重鎮と呼ばれる人達との挨拶巡りになった。



杏華達が挨拶をしたのは、大企業の経営者、政府の高官、政治家と

上流階級の関係者や親族ばかりだった。



相手は青年から老人まで幅広く、最初の数人は何とか名前や肩書を覚えようとしたが

5人を超えた時点で自分には無理だと諦めた。

 

 

どの相手も一様に高級ブランドや高そうなアクセサリーで身を固めていた。

見ただけではその価値は分からないが、目が飛び出るほど高価な品々なのだろうなとは想像がついた。



彼らはメフィストや杏華を好奇溢れる眼で見た後

やれ美しいだの、人形の様に可愛らしいだなど褒め称えた。



最初はそんな言葉に天にも舞い上がる様な気持ちになったが

直ぐにそれは杏華を煽てるためのお世辞だと気が付いた。



彼等の話はお世辞が一段落すると、ほとんどが自分達を悪魔から守って欲しいという嘆願に変貌した。


自分の立場や資産の紹介から始まり、もし自分と取引が成立すればどんなメリットがあるかを力説した。


冷静にこちらを分析しながら話を進める者から、強引な押しの一手で攻めまくる者

泣き落としでこちらの同情を引こうとする者など、その手法が様々だった。



ある中年女性などは、突然自分の身に着けているアクセサリーを強引に手渡し

プレゼントすると言い出した。



おもわず見ず知らずの人から貰う訳にはいかないとなんとか拒絶したが

後で品物の値段を聞き、その金額に手が震えた。



だが「あんなはした金で守護者の庇護に預かろうなど勘違いもはなはだしい。」

後で九条がそう吐き捨てるのを聞き、杏華の金銭感覚では測れない世界なのだと痛感した。



誰も彼もが若くて懐柔し易そうな杏華の気を引こうと血眼になったが

最終的には九条やメフィストに、やんわりと窘められて引き下がるという事が繰り返された。



どんなにお金があっても、悪魔の前では何の役にも立たない。

財産の半分をあげても良いので、悪魔から自分の家族を守ってほしい。


そう言うといきなり杏華に土下座をして頼み込む男性も居た。



最初は彼らの悲痛な願いに杏華の心は揺さぶられたが、彼等が願っているのが、自分達だけの安全だという事が分かると徐々に嫌悪感が湧いてきた。



彼等の言い分は、守護者の数が圧倒的に足りないのだから

財政面で守護者を支援できる自分達を優先的に庇護してほしいとの事だった。



それは裏返せば、貧乏人などどうなっても良いという事だ。

そんな金持ちの理屈は、庶民の杏華から見ればとても受け入れられない物だった。



そんな人達を相手になんとか作り笑顔で堪えていたが、心の中では怒りの炎がメラメラと燃え上がるの感じていた。

そんな杏華の心中を察してか、メフィストは時折金持ちの暴論をジョークで笑い飛ばして杏華の溜飲を下げた。



九条からの紹介が一段落した時には、身も心も磨り減ってしまい、ここに来た事を後悔た。



社交界と聞いて想像していた華やかで楽しいパーティーは表面的な物でしかなく

その下で渦巻く人々のエゴや欲望を目の当たりにた今は、素直に楽しめなかった。



ここで心の摩耗の対価として得たのは、メフィストの様な堕天使は守護天使、自分の様な契約者が執行者と呼ばれる事と、今日の集まりに自分達の同類は居ないと言う事だった。



どうやら日本では自分達の様な堕天使と契約者(総称して守護者と言うらしい)は少ないらしく悪魔の存在を知る一部の人間から引く手数多らしい。



自分と同じ境遇の人間と話してみたかった杏華にとっては

このパーティーは期待はずれな結果だった。



「私なんでこんな所にいるんだろう…。」

初めての社交界への期待と興奮は、失望と疲労感に取って変わった。



「早く部屋に戻ってだらだらしたい…。」

澄ました顔で微笑みながら、ただただそれだけを願った。



そんな気持ちの自分とは違い九条とメフィストは

心からパーティーを楽しんでいる様だった。



周囲から欲望と嫉妬に満ちた視線を受けても

気にも留めない二人はある意味大物なのかもしれない。



二人の会話から察するに、このパーティーの主催者である九条は

守護者とその庇護に預かりたい資産家のマッチングをビジネスにしている様だ。



更に日本に新しく守護者の集団を作ろうと目論んでいて

このパーティーはその資金調達のためという目的もあった。



複数の守護者が連帯して活動する集団を、総称して騎士団と言うらしいが

日本では小規模な騎士団が数えるほどしか無いらしい。



私達もその新しい騎士団に参加するかな?

メフィストを見ながらそう思ったが、なんとなくそれは無い気がした。



「あまり彼等の言う事を気にする必要は無いよ。」


「君は上位者として、儚き者の小さな願いを

 暖かい気持ちで見守っていればいいのさ。」


メフィストはホールから離れた中庭に杏華を連れ出すとそう言った。



「ん? それどういう意味?」

何を言っているか分からず、首を傾げた。



杏華にはメフィストの言葉の意味がさっぱり分からなかったが

メフィストが彼等を対等に見てないのは明らかだった。



「なに、君が手に入れた力に比べたら

 彼等の持つ物など大した事が無いって事さ。」


「だから無力な彼等の言う事に腹を立てるのは、少しかわいそうだと思ってね。

 彼等を無力な子犬だと思えば、むしろ可愛らしいと思えないかい。」



「はあ…」


今度は何となく理解できたが、自分よりも遥かに大人な人間達を、子犬に置き換えて想像するのはムリがあると思った。

 


メフィストから見れば人間なんて自分も含めて小動物的扱いなんだろうが

まだ高校生の自分がそんな大層な上から目線で世間を見るなど困難だ。



「いきなりそう思えって言っても、君には無理だろけどね。」

確かにそうだが、そうはっきり言われると何だか腹がたった。



「まあ、君が別段そう思う必要は無いさ。

 気に入らない奴がいたら、叩きのめしたり暴れてもらっても僕は一向に構わない。」



「君は僕や九条に気を使って色々我慢しているみたいだけど

 それはいらない配慮だよ。」


「僕としては君に楽しんで貰いたくてここに来たのだからね。

 君が望むならこのパーティーを無茶苦茶にしてもらっても構わない。」


「それで君の気が晴れるならね。」


その言葉には、杏華には絶対無理だろうという見透かしを感じたが

そんな事よりも、好きに行動して良いという方が重要だった。



「そう、ならこの会場で暴れまくろうかしら。」

杏華はふてぶてしくそういうと、メフィストを見た。


「どうぞご自由に。

 そうだ、この屋敷に火を放って盛大なキャンプファイヤーを楽しむのも一興だね。」


「ちょっと、私がそんな事する訳ないでしょ!

 嘘よ、嘘!」


自分を止めるどころか、火に油を注ぐメフィストに

自分が何かで暴走しても、メフィストは止める気が無い事を知り慄いた。

 


「じゃあ、私の望みはホテルに帰る事よ。

 もう足もクタクタだし、帰って早く寝たいわ。」


今度は正直にそう言った。


これ以上ここに居ても、新しいデザートを食べる以外の楽しみは無さそうだったので

早くホテルに帰って、窮屈なドレスと無駄に高いヒールとおさらばしたかった。



「OK、来る時に乗ったリムジンを用意しよう。

 僕はまだやる事があるから、用事が終わり次第帰るよ。」



杏華はその言葉に一瞬不安になったが

一人の方がホテルでリラックスできると思い直した。


「それとも僕が一緒でないと眠れないかな?」


「一人で帰れますのでお構いなく。」

杏華はあしらうように言った。

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