第2章 第3話 変身

僕は少し外に出てくるから、その間にシャワーを浴びておいてくれ。

帰ってきたら僕と一緒に出掛けるからそのつもりで。」


そう言うとメフィストは部屋を出ていこうとした。


「ちょっと、一体どこに行くの。」

突然一人にされる心細さで、思わずそう言った。



「パーティーに参加するための準備さ。」


「ゆっくり出来るのは今の内だけだから、僕が戻るまでは休んておいた方が良いよ。」


そう言い残してメフィストは部屋から出て行った。



「…」


さっきまで運命共同体など言ってはずなのに…

杏華は部屋に一人取り残されてしまった。



「まあ、いいか…。」


部屋から出なければ何の心配も無いし

それにこの部屋をもっと色々見ておきたかったのだ。



気を取り直した杏華は部屋を物色したり

ひろい湯船にのんびりとつかってセレブ気分を満喫した。



化物との戦いで全身血まみれになった身体は

メフィストが謎の魔法で綺麗にしてくれていた。



だから、血の臭いや汚れはないのだが

気持ち的にお風呂で穢れを洗い流したいとは思っていたのだ。



長めのお風呂を済ませ、ベットのフカフカな感触をゴロゴロ楽しんでいると

思ったより早くメフィストが帰ってきた。



後少しお風呂に長く入っていたら

メフィストにあられもない姿を見られていたかもしれないと考えると、ぞっとした。



「うん、さっぱりしたね。

 さっそくだけど僕について来てくれ。」


「いよいよシンデレラの誕生だ。」


杏華の考えなど知らないメフィストは

上機嫌で杏華を部屋から連れ出した。



「いったいどこに行くの?」

杏華にはなんとなく予感があったが、そう聞かずにはいられなかった。



「着いてからのお楽しみさ。」

メフィストの口調から、杏華の予感は確信に変わった。



「まあ、いいけどさ…。」

杏華は期待でドキドキしてきた気持ちを悟られたくなかったので

そっけない返事になった。




杏華が連れられて来たのは同じホテル内にあるビューティーサロンだった。


美容院を更にグレードアップした様な店舗は

大人の女性が好きそうな、シックで高級感のある空間を演出していた。



「やっぱり。」

ここでパーティーにいくための着替えやメイクをするのだ。



メイクして、ドレスを着て…

そんなオシェレに変身した自分を想像すると、胸がドキドキしてきた。



普段オシャレやファッションにはあまり興味が無い杏華だったが

別にそれが嫌いな訳では無い。



ただ、自分には似合わないとやる前から諦めていただけだ。

まあ、毎日それを維持するのが面倒だというのも、少なくない理由だが。



だから、パーティーみたいな特別の場で

何時もの自分とは違う自分に少し変身なら全然ありだ。



しかもプロに全部お任せなら、メイクに自信の無い杏華にも安心だ。


この先に何が待っているか分からないが

パーティーに参加するだけなのだし、化物との戦いと違い気楽に楽しめばいいだけだ。



これは全てを捨てて悪者を倒した自分へのご褒美だ。

そう考えると、気持ちが少し楽になった。





メフィストは年配だが綺麗な店員さんに杏華を預けると



「準備ができたら迎えに来るね。」


と言ってまた一人でどこかに行ってしまった。



まあ、メフィストが居ても仕方が無いのだが

ここまで放置されると、少し腹がたってきた。



「さあ、こちらへどうぞ。」

店員さんにそう言われて杏華は我に帰った。




更衣室に通されると、そこにはメフィストが注文したと思われる

ドレスやアクセサリーが用意されていた。


光沢のある深紅のドレスは、滑らかな肌触りが気持ちよかった。

事前に寸法取りなどしていないのに、何故だかサイズは杏華にピッタリだった。



アクセアリーはネックレスに指輪にブレスレット、それにイヤリング。

本物をつけるのは初めてだったため、付けてもらう時は物凄く緊張した。


どれも宝石があちらこちらにちりばめてあるが

シンプルなデザインだったので少し安心した。



幾らするのが気になったが、知ったら恐ろしくなりそうなので

あえて聞かない事にしようと心に誓った。



その後はヘアセットにメイク、マニュキュア、ペデュキュアと杏華への大改造が始まった。



最初は自分がどんな姿に変身するのか期待に胸が膨らみ、わくわくが止まらなかったが

自由に身動できない状態が延々と続くうちに、はやく終わって欲しいという願望に変わった。



自分でも、じっとしているのがこんなにも苦手だったのかと、はじめて気付かされた。



TVで見る女優さんやタレントを見て、楽しそうな事でお金を貰えて良いなと思っていたが

毎回こんな苦労があるのなら、自分には無理だと痛感した。



永遠に続くと思われた時間もようやく終わり、杏華は解放され自由になった。

全てが終わった杏華の姿は、別人と言って良いほど変貌を遂げていた。




寝癖がちな短い髪はシャープにセットされ、ウィグで追加された編み込みがアクセントになっていた。

髪色も少し赤く染められ、外国のセレブの様な雰囲気が出ていた。


地味な作りの目や鼻も、整形したかと思えるほど劇的に変わって見えた。



高価なドレスを着せられ、完璧なメイクで装飾された杏華の姿は

自分が見ても信じられないほど綺麗だった。



自分が言うのもなんだが、この外見なら芸能界にスカウトも夢じゃないかも。

鏡に写る自分の姿を見ながら、悦に入りながら思った。


少し化粧が濃い気もするが、これはメフィストの好みなのかもしれない。




「素晴らしい。

 これならパティーで大人気間違いなしだ。」


何時からそこに居たのだろうか、メフィストが背後から賞賛の声を掛けてきた。



「もう、今までどこ行ってたの!」


杏華は照れ隠しと今までの我慢を発散するように

メフィストに強く当たった。



「ごめんごめん、本当はもっと一緒にいてあげたいんだが

 ほっておけない案件が多くてね。」



杏華のあからさまな八つ当たりに

メフィストは申し訳なさそうに返答した。



「そんなの知らない!

 もう私を置いて一人でどっかいかないでね!」


我ながら無茶な事を言うな思ったが

勢いにまかせて最後まで言い切るとメフィストに背を向けた。


多分褒められたのが嬉しい反面、つい照れくさくて

感情的になったてしまったのだろう。


発散した事で冷静になった頭でおそう思った。



「ああ、約束するよ。」

メフィストは少し困った笑顔で行った。



ああ、これは面倒な彼女をもった彼氏みたいだ。



ん?

彼氏?


いや、メフィストが彼氏って…

有り得ないと思ったが、少し気になり横目でメフィストを見た。



見た目だけなら、杏華がこれまで見た男性の中では断トツだ。



これが普通の出会いで、メフィストの正体を知らなかったら

間違いなく一目ぼれしてもおかしくないと思えるほどに。




確かに見た目は良いのはプラス材料だ。

元々悪魔なんだから外見なんて作り物だとしても、生理的に受け付けない外見で来られるよりましだ。



それにやっている事はともかく

普段の物腰は柔らかく、杏華以外にも極めて紳士的に振る舞っている様に見える。



彼氏を作るなんて遠い未来の事だと思ったが

表面だけ見れば、メフィストは決して悪い相手じゃないかもしれない。



人間でなくなった自分には、もう同じ境遇の人間か

メフィストの様な堕天使ぐらいしか選択肢が無いのだから。



それに恋人関係だって男女間の契約みたいなものだ

なら魂の契約をした自分達も、それに似た関係なのかも…。



「やめやめ!」


杏華は自分の考えに恥ずかしくなってしまい

無理やりその考えを頭から振り払った。



「お取込み中に申し訳ないけど

 車の準備ができたよ。」



一人で盛り上がっている杏華に

メフィストが声を掛けた。



「!」

顔を真っ赤にした杏華は、自分の醜態を見られたと思い焦った。



「今日は僕達が主役なんだから、遅れちゃ先方に悪いだろう。」

どうやらメフィストは杏華の態度に全く気付いていない様だった。



「うん。」


杏華はほっとした様な、少し残念の様な複雑な気持ちになり

そんな自分に戸惑った。



「それではお嬢様はこちらへ。」

メフィストはお店のスタッフと話を済ませると、杏華の手を取ってエスコートした。



「ちょっと、大丈夫だから…」


杏華はそう文句を言ったが、履き慣れないヒールのせいで

上手く歩けない事は自分でも分かっていた。



「なに、少しの辛抱さ。

 それに、パーティーに行ったら注目度は今の比じゃないよ。」


メフィストが笑っていったが、杏華は何を言っているか分からなかった。



「え、何?」


恥ずかしくて顔を俯いていた杏華が火照った顔を上げると

すれ違う周囲の人達が、自分達に注目している事に気が付いた。



「何あのカップル、美男美女すぎない?」

「今日は映画の撮影とかなのかな」

「外国のタレントさんよきっと」



周囲がざわつき、何やら杏華達を見て小声で言っているのが聞こえた。

 


杏華は羞恥心で頭に血が上り眩暈でクラクラした。

その拍子にバランスを崩し足をもつれさせた。



倒れると思った次の瞬間

杏華の身体がふわりと浮き、メフィストに抱きかかえられた。



「どうやらお疲れの様だね。」

メフィストはそういうと、あっけにとられた杏華を抱いたまま歩き出した。



「車の中で少し休むといい。」



「!!!」

杏華はなんとか反論しようとするが、驚きと混乱で上手くしゃべれなかった。



「おや大分身体が熱いな。

 会場に付く前に魔力で回復しておかないとね。」


メフィストは杏華が風邪でも引いたと誤解している様だった。



そのまま杏華を抱えホテルのロビーを出ると

ロータリーで待っていたやたらと長い車に杏華を抱えたまま乗り込んだ。



「ちょっと離して!」

ようやく混乱から回復した杏華は、そう言いながら長いシートの上を転がるように逃げた。



「おや、もう回復したのかい。

 その元気ならもう自分の足で歩けそうだね。」



「別に体調が悪かったわけじゃない!

 ちょっと…」


「ちょっと?」


「もう何でも無い!」


反論しようとしたが、メフィストの事を意識したからだなど

言えるはずも無かったので、後半は尻つぼみになってしまった。



「はいはい。」

メフィストはそういうと肩を竦めた。



「向こうについたらお歴々達との長丁場になるから

 今の内に休んでおいた方が良いよ。」


そう言いながら車に設置されたミニバーからグラスとボトルを取り出した。



「もう未成年とか関係無いのだから、一杯行ってみるかい?」


メフィストはグラスを2つ置くと、杏華に問いかけた。



杏華は心を落ち着かせるために1回深呼吸すると、改めて車内を見渡した。


車内には長いシートとテーブルがあり、映画などで悪者が使っているやつに見えた。


広い車内はたった2人で乗るには広すぎてもったいないと思ったが

そんな考えしかできない自分はつくづく庶民なんだと実感した。



「やめておくわ。

 苦いのは苦手なの。」


昔好奇心で飲んだビールの不味さを思い出した杏華は即答した。



「OK。

 では君にはノンアルコールを。」


メフィストは別の瓶を取り出すと、杏華のグラスに注いだ。



「それでは、僕達の門出を祝して。」


メフィストはグラスを杏華に取らせると、そう言って乾杯した。



「別に何もめでたくないのに…」

杏華は文句をいいつつ、グラスに口をつけた。



窓の外は既に真っ暗になっており、煌めく街の灯りが光が帯となって流れていた。



薄暗い窓ガラスに反射した自分の姿は

普段見慣れた姿とはかけ離れていて、まるで別の人間になってしまった様に思えた。



これは本当に現実なのだろうか?

実はまだ夢を見ているのだろうか?



そんな取り留めのない事を考えながら、流れていく街の灯りを見つめた。



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