第1章 エピローグ 永遠の始まり

杏華…



杏華…



誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。


誰…?



朦朧とした意識で返事をしようとしたが声にはならず、もどかしい思いだけが意識の中を彷徨った。

何だかさっきまでとても嫌な夢を見ていた気がしたが、何も思い出せなかった。



怖くて、痛くて、とても悲しい夢を…。


「もう終わったよ…。」



次第に意識が鮮明になり、誰かがすぐ近くにいる感覚がした。


「お父さん?」



なんだかあたたかくて優しく力強い言葉に、父を思い浮かべたため思わずそう言った。



「ははは、お父さんか。 まあ、あたらずとも遠からずという所かな?」



その笑い声に、一気に意識が鮮明になった。



目を明けると、見知らぬ男の両腕に抱きかかえられていた。


「!」



お姫様だっこなどされたのは、小学生以来だ!

それも見た事もない怪しげな男に!


驚きと気恥ずかしさのあまり腕から逃れようともがいた。



「ちょっと何しているの! 離しさない!」

そう言って暴れたが、以外に強く抱えられているため逃げ出す事は出来なかった。



「よしよし、気持ちは分かるが今はいい子にしておくんだ。」

男はまるで子供をなだめる父親の様にいった。



「このチカン、変態、警察を呼ぶわよ!!」

男の言葉に頭にきたので、ありったけの罵詈雑言をぶつけた。



男はそんな杏華の顔をみると、やれやれとした表情になり

「それだけ元気なら、もうサービスタイムは終了かな。」



そういうと杏華をゆっくりと立たせた。



以外に素直に解放された事に意表をつかれつつ、どこかでこれは罠かもという警報が頭の片隅で鳴った。

地面に立つと、男と距離を取り自分が一体どんな状況かを確認しようとした。



辺りを見渡すと同時に、自分がどこにいるかを一瞬で思い出した。



「!!!」


慌てて自分の身体を確認するが、いつも通りの何の変哲もない自分の身体だった。

手で胸やお腹、左足を確認するが、怪我一つない完璧な状態だ。



自分の身体の無事を確認すると、こんどは周囲をまじまじと見た。

場所はあの化物と戦った場所だが、化物の姿はどこにも無かった。



「も、もしかして、あなたがあの化物だったり…?」

少し後ずさりしながら、怪しげな男にこわごわ聞いた。



「おいおい、いくら僕でもそれは傷つくよ。」

男はいかにも心外だという表情を作って言った。



「まあ、なにげに的は得てるのは流石だけどね…。」

苦笑いをして言ったあと、急に真面目な顔になり



「あの化物は倒したよ。」


「君の望みはかなえられた、もうあの化物が人を襲う事は無い。」

きっぱりと言い切った。



「ほんとうに…?」

杏華は信じられないという顔で言った。



「もちろん」



「…あなたが倒したの?」

こんな優男に倒せるはずがないという思いを、怪訝な顔で雄弁に語っていた。



「君の協力のおかげさ。」

男は優しく言った。



「あんなに大きくて強かったのに?」


「それほどでもないよ。

 あの程度僕にかかれば一捻りさ。」


男は調子よく言うと、軽くウインクした。



もの凄くうん臭い物を感じたが、静寂さを保つ周囲の状況を見ているうちに、徐々に信じても良いかと思えた。

そう感じた瞬間、緊張の糸が切れその場にへたり込んだ。



「はあっ…」

大きなため息とも、安堵ともつかない声が漏れた。



これでこの事件もひと段落だ…、と思った瞬間大事な事に気が付いた。

「そうだ!遼子ちゃんは!?」



そもそもここに来たのは彼女を助けるためだったのだ。


まだ、全てが終わったわけじゃない!

勢いよく立ち上がろうとしたが、床の何かに足を滑らせて転びそうになった。



「おっと」

男は転びそうになった杏華のそばに駆けよると、優しく受け止めた。



「ほらほら、まだ本調子では無いのだろう、無理しないほうが良い。」



「でも遼子ちゃんが!」


「ああ……私絶対助けるって言ったのに……」


杏華は男にしがみつくと、両目に涙を浮かべて言った。

必死の形相の杏華た男はしかたがないなと肩をすくめた。



「彼女はもう大丈夫だ。

 もうすぐこの神殿は消えるから、そしたら彼女も元の世界に戻れる。」


「今回の件についての記憶も消しておいたから、すぐに元の生活に戻れるさ。」


「ホントに?」

杏華は涙を浮かべたまま縋るように言った。



「ああ、僕を信じたまえ、ハハハ。」

男は杏華を元気付けようとしてか、三文役者のように言った。



この見知らぬ男は少しうん臭いが、何故か信じて良いかなと思えた。

杏華は涙を手で拭うと、無言でうなずいた。



「まあ、実際に見た方が安心できるだろう。

 詳しい話はその後ゆっくりと。」



長い通路を進み遼子の居た奥の部屋に行くと、破壊された檻の奥で遼子は横になっていた。


「遼子ちゃん。」


杏華が近づいてみてみると、彼女は健やかな寝息をたてていた。

見たところ外傷の様なものも無く、男の言う通りなんともなさそうだった。



「この神殿は主が消えたから、もうすぐ消滅する。

 そうすれば元の場所に戻るから、その後救急車でも呼べばいい。」



男はそういうと杏華を見た。

「安心したかい。」



「うん…」

杏華はうなずいた。


「ほんとにあなたが助けてくれたんだね。

 ありがとう…」



杏華は男の顔をみて微笑むと、顔を引き締めと深々と頭を下げた。

「色々うたがってしまってごめんなさい!」



「おいおい、やめてくれ。

 言ったろ、僕だけの力じゃない君の協力があったからこそさ。」



「でも私、あの化物に…」

と言いかけて、杏華は不意に思った。



この男は…。


杏華はまじまじと男の顔を食い入るように見つめた。



さきほどから、まるで杏華の事を知っている様な態度だが

杏華の記憶には、こんな顔の知り合いは居なかった。



何故こんな場所にいるのか、何故この現状にこんなに詳しいのか

そもそも何故自分は生きているのか、先ほど死にかけていたはずなのに…。



男は今更ながら自分に疑問をいただいた杏華に呆れた。



「やれやれ、まだ分からなかったのかい?」



「え?え?、もしかして知り合いの方ですか?」

親戚の叔父さん?それともクラスメイトのお父さん?教育実習生のお兄さん?



あたふたする杏華をみて、男は少し不安な顔をした。



「あー、お悩みの所ちょっといいかな?」

自問自答する杏華を見かねて、男は杏華を現実にひきもどした。



「いまさら説明するのもなんだが、僕は君と契約した者だよ。」


「え? 契約? なにそれ? 私印鑑なんて押してないよ?」


「いや、君の世界の契約とは違う、悪魔と結ぶ魂の契約さ。」



「悪魔…。」

杏華は今更ながら思い当った。



自分がここに来る事になった経緯を…。



「あなた、もしかしてあの声の人なの?」

そう考えてば辻褄があう。



だから初対面のはずなのに、何故かそんな気がしなかったのだ。



「そう、理解してもらえて嬉しいよ。」



「君は僕と契約して望みをかなえた。

 無事友達は救われ、あの化物は滅んだ。」



「君の魂と引き換えにね…」



「魂?」



「そうだ、僕は君の魂を憑代にこの世界に降り立つ事ができた。

 君の魂は今僕の中にある。」



そういうと男は自分の胸に手を当てた。


「魂? それって私の命って事?」



魂なんてオカルト的な事を言われても杏華にピントこなかった。

それが何か重大な事の様な気はしたが…。



「命とは少し違うかな。」

男は少し考えてから言った。



「そうだな、魂とはこの世界が定めた存在の証というべきものかな。」


「魂の無いものはこの世界に存在できないし、なにも行使できない。」



「いわばこの世界に存在を許されるための証明書だ。」


「僕達悪魔は、神に敗れた際にその存在証明書を神から奪われ

 この世界の外側に追いやられたんだ。」



「だから、僕達悪魔がこの世界に存在するためには

 存在証明たる魂が必要になる。」



「さっき倒した化物のように、人間を喰らって無理やり魂を奪う方法や

 僕のように人間と契約して魂を譲渡してもらうみたいにね。」



あまりに突飛な話に、杏華はいまいち理解できなかった。

魂が無いとこの世界に居られないと言いながら、杏華は普通にここにいるのだから。



「じゃあ、魂が無くなった私はどうなるの?」



「君はどうにもならないさ、悪魔に魂を喰われた人間は存在ごと消滅するが

 君は僕から魂の一部を共有されているから、君自体が消える事は無い。」


「変わるのは世界の方さ。」



「世界?」



「そう、世界は変えなければいけない。

 存在しない者が残した痕跡をね。」



「だから霧崎杏華が影響をあたえた過去の出来事は、全て無かった事にされた。

 家族、友達、学校、社会。 そこにあった君の全てがね。」



「もうこの世界に君を知っている者は居ない。」



「霧崎杏華は世界から消滅したんだ。」

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