第1章 第9話 堕天使の残骸


それは無数の死体が散乱した血なまぐさい空間には似つかわしくない光景だった。



「感謝の言葉もないとは正にこの事だね。」

男は微笑みながら、演技じみた大げさなジェスチャーをして言った。



化物は杏華に背を向け、突然現れた闖入者を胡散臭げに見た。



男は数歩化物の方に歩み寄り立ち止まると、肩を竦め残念そうに言った。

「でも、残念ながら君にはもう退場してもらわなければならないんだ。」



一体何時からいたのか?どこから来たのか?そもそも何者なのか?

化物の脳裏に様々な疑問が浮かんだ。



その答えは分からなかったが、こいつは危険だという事だけは直感した。


先ほど息の根を止めた、この小娘とは比べられほどの脅威。


男をいつでも殺せる様、全身に力を籠め必殺の攻撃を行う体制を整える。




そんな化物の雰囲気を察っしてか、男は茶化すように口笛を鳴らした。



「あわてない、あわてない、人の話は最後まで聞くもんだ。」

男は背後に隠し持っていた箱を取り出した。



「でないと、これがどうなってしまうよ。」

その箱は少女の頭部が入った箱だった。



箱の中の少女はこの展開に驚いた表情をしていた。



「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


化物は怒りで全身を震わすと、厚く膨れ上がった肉体内から

無数の鋭い角状の突起を生やした。



濁った緑色の皮膚は赤黒く光り、全身が高熱に包まれているのが分かった。

皮膚に触れた空気はその熱で加熱され、蜃気楼と蒸気を生み出した。



「おっと怒らせてしまったか、どうやら交渉は失敗の様だ。

 もっと知恵のある奴かと思ったけど、僕の買い被りだったみたいだね。」


男は残念そうに肩を竦めると、化物に背を向け走り出した。



「これが欲しければ僕について来るんだね。」

男は走りながら化物を振り返り、手にした箱を軽く叩いた。



怒りで我を失った化物は、赤黒い焼けた身体を凄まじい勢いで跳躍させると

男を一気に飛び越え、逃げ道である通路前に飛び降りた。



「巨体に似合わず機敏だね。これが君の本性って所か。」

男はそれでもなお、相手を煽るように笑って言った。



「でも、大事な彼女が一緒では、流石の君も僕に手出しできなだろう。

 万が一攻撃がそれたら、彼女はひとたまりもないだろうからね。」



男は少女を人質にしているのだ。なんという卑怯で残忍な行為だ。

化物の怒りは最高潮に達し、更に身体を真っ赤に燃え上がらせた。



身体から無数に飛び出た突起は炎を纏い、翼の様に広がった。

それはまるで地獄の業火を纏った天使の様だった。



炎の熱気は周囲の空気を焼き焦がし、近くにあった金属製の物質は

その熱で液体の様に溶けた。



「あちちち、怒るのは良いが熱いのは勘弁してくれ。

 熱いのは余り好きじゃないんだ。」



男は軽口をたたくと、表情を一変させた。

「それじゃこれで幕引きだ。」




男は右手を掲げると、指を鳴らした。

その音と同時に化物の足元が光に包まれた。



「君が僕の相方と遊んでいる間に、こっそり罠を仕掛けさせてもらったよ。」

「ちょうど今君が立っている場所にね。」



光につつまれた化物は、足元から一気に凍りつくように固まっていき

最後に大きな氷状の像が完成した。



「大した魔法じゃない、君なら直ぐに解除できるさ。」

「でも、その頃にはこの中だけどね。」


そう言うと男は懐から手のひら大のメダルの様な物を取り出し

手の上で器用に回した。



「それ!」


男はメダルを手の平に握ると大きく跳躍し、氷像と化した化物の頭部にその手を叩きつけた。手はまるでゼリーのように化物の頭部を貫通した。



男の手が化物の頭頂部の中心に達した時、メダルからまばゆい光が溢れ

その光の中に化物の身体は霞の様に溶けていった。



溶けた霞は、男の持つメダルの中央に空いた窪みに吸い込まれ消えた。

全てを吸い込んだ時、メダル全体に施された文様が鈍く光った。



あたりを静寂が包んだ。

男はメダルを懐にしまうと床に置かれた箱を見た。



そこには目を丸くして驚いている少女の顔があった。


少女は男の視線に気が付くと、男に向かい喋りかけた。



だが、口は動くが声は一切でず、必死に語りかけているようだったが何を言っているが分からなかった。

少女は自分の無力さに絶望の表情を浮かべ視線を落とした。



「奴はもうこの世界から消えた。だからこの場所ももうすぐ魔力切れで消滅する。

 君にかかった魔法も消えるだろうから、この退屈なショーから解放されるだろう。」



少女は男の声にはっとして再び男を見た。

この男は一体何者なんだという疑問と、新しい何かを見つけた嬉しさが入り混じった顔だった。



「愚かな奴だったが、あの純粋さは本物だった。 

 君も次があるなら、その意味を考えてみるといい。」



男はそれだけ言うと、足早に立ち去った。


少女は立ち去る男に何かを叫んだが、ついに最後まで男が振り返る事はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る