第1章 第7話 神の望み
化物は部屋を出て、長い通路をゆっくり移動すると
最初に杏華達が潜入した部屋に戻ってきた。
そこには沢山の機械が並び、そのどれもがどす黒い血にまみれていた。
化物は美夕の入った箱を床に置くと、機械に設置された透明状のケースを開けた。
ケースは大人がギリギリ入る程度の大きさで、杏華をその中に無造作に放り込んだ。
それは大型のミキサー状の機械だった。
あの悪夢で見た惨劇、杏華のおぼろげな意識にその記憶が蘇った。
このまま私は殺されんだ…
杏華は他人事の様に思った。
自分が殺されたら、次は遼子ちゃん、その次は先輩
その後も沢山、沢山、沢山殺されるの?
学校のクラスメイトや先生の顔が次々と浮かび消えていった。
その後はこの街の人達、そして…自分の父や母、弟も…
そんなの許せない!!!
そんな絶対にさせない!
不器用だけど優しい父、いつも笑顔を絶やさない母、なまいきだけどかわいい弟…
こんな化物に殺させたりしない!
化け物がケースの蓋をしめ、床に置いた箱を大事に抱えた。
箱の中には、無表情な顔をした美夕の顔があった。
どうすればあの化け物を止められるの…
どうすればあの化け物を…
どうすれば…
…
………
………………………
どうすれば、あの化け物を殺せるのか
杏華はここに来て確信した。
これは罠だったのだ。
杏華がどうあがこうと、これは仕組まれた出来事だったのだ
杏華はその手のひらの上で、踊らされていたのだ…
ここでの出来事、いやその前の悪夢の時、いや更にその前から…
そうあの悪魔の手の上で
「メフィスト!」
杏華は叫んだ。
「あなたの策略に乗ってあげるわ!
それがあなたの望みなんでしょ!!」
「そしてあの化物を殺しなさい!!!」
杏華の叫びは、虚空に空しく消えた。
化物は杏華の突然の叫びに少し驚き、小首を傾げてあたりを見渡した。
だが何も起こらないとしると嘲笑するように笑った。
化物が巨大なミキサーのスイッチを押し、それに応じて機械が唸りを上げた。
ケースの中のスクリューが徐々に回転しはじめ
杏華の足の軟肌を切り裂いた。
その傷から鮮血が飛沫となって噴き出し
透明なケースの内側を赤く染めた。
赤い飛沫の跳ね返りが、杏華の頬を濡らした時
世界が大きく歪み杏華の意識は、ケースに閉じ込められた肉体から飛び出した。
意識は一瞬で工場の天井を突き抜けた。
更にその上空の雲をつき抜け、地球の大気圏すら超えた。
加速は尚も止まらず、地球を離れ太陽系を離れ銀河すら超え
無数の銀河群が小さな光の粒と消えた時、この宇宙の果てすら超えた。
そしてどこともつかない場所に降り立った。
永遠とも思える闇が広がる世界。
そこは地獄の底を思わせる、暗く寒く悲しい場所だった。
一瞬とも永劫の時とも思える時間が過ぎ去った後、その声が響いた。
「ほんとうにそれでいいのかい?」
杏華の意識の前に光とも闇ともつかない何かが現れ蠢いていた。
「君はそれを望むのかい?」
「君は全てを失い、殺戮の傀儡となる事を。」
「一時の願いは満たされるが
その代償は終わりなき地獄と僅かな希望だけだ。」
「この契約が覆る事は、神が望む以外にありえない。」
「それでも僕と契約するかい?」
それまでの軽薄さを感じられない慈愛に満ちた声がした。
「ええ、私はそれを望む!
あなたと契約するわ、メフィスト!」
杏華は躊躇いなく宣言した。
「どうせこのまま消えるぐらいなら
悪魔とだって契約してあげるわ!」
「我が意を得たり!」
蠢く何が杏華の意識に触れた。
瞬間杏華の意識は弾け飛び、バラバラになった意識が世界中に拡散した。
意識は流星の様に宇宙の端々まで駆け巡り、何百、何億光年の旅の後再び1つに統合した。
「今契約は結ばれた。
そなたの魂は我が魂となり、潰える時まで共にあらん。」
統合した意識からは光があふれ出し、一人の男が蜃気楼の様に浮かび上がった。
男は恭しく手を広げると、その背中からは光の帯が拡散し巨大な翼を象った。
…盟友よ
今こそ戦いの時…
神に仇なす者達に、等しく滅びをもたらさん…
神はそれを望まれる
拡散する光の翼が全宇宙を覆い、杏華の意識は消滅した。
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