第1章 第6話 捕囚

メフィストと名乗る悪魔に、恐ろしい悪夢を見せられてから数日たった。

あの日以来、悪魔の声は聞こえなくなった。



僕と契約して欲しいとかなんとか言っていたが

私が拒絶したから諦めたのかもしれない。



悪魔だか怪物だか知らないが

悪夢を見せて契約を結ばせようなんて、悪徳商法以外の何物でもない。



あの悪夢が杏華と契約するためのものなら、とんだ逆効果だ。



自分にとって大切な人をあんな風に扱われたら

私じゃなくても拒絶するだろう。



結局あの悪夢を見せられてから最初の2日間、杏華は学校を休んだ。

あの廃工場に近寄るのが怖かったのだ。



その次の日は流石に仮病を突き通すのが困難になったため

こわごわ通学したが、特に変わった事は何もなかった。



あの殺人が本当にあったのなら、もっと大事になっているはずだが

そんな感じは少しもしなかった。



念のため友達や先生に、この辺で何か事件が起こらなかったか聞いてみたが

何も知っている様子はなかった。



あまりの手ごたえの無さに拍子抜けしたが、あの悪魔が見せた夢が全て幻だったとほっとした。今思えば、あんな嘘を少しでも信じた自分がどうかしていた。



得体のしれない能力を持つ相手なので、注意するに越したことは無いと

とりあえず防犯グッズを一式取り揃える事にした。



通販サイトを巡って催涙スプレーに、防犯ブザーや

護身用のHOWTO本をとりあえず購入したが、思ったよりも高くついた。



これで暫くは節約しないとと、とほほな気持ちになった。

だが、何かあってからでは遅いのだ。



備えあれば憂い無し!

防犯グッズが届くまでは危険な事に近づかない様にしようと決意した。



その決意も何もない日が何日か続くと

すっかり忘れ去られ、折角購入した防犯グッズの数々は部屋の片隅に追いやられた。



最近はあの声から解放されたおかげで、毎日安心して寝る事ができた。

慢性の睡眠不足から解放されたためか、朝も時間通りに起きれる様になった。



何時もより早めの電車に乗ると、遼子達と一緒に登校できるのだ。



その日何時もの車両に乗り込むとクラスメイトの理緒が

「杏華ちゃん!」と目を輝かせて飛びついて来た。



その後ろでは遼子は少し困ったような嬉しいようななんとも言えない顔をして「おはよう」と挨拶した。



杏華は二人の様子に少し面食らったが

「聞いて聞いて杏華ちゃん!!」

テンションの高い理緒に身体を揺さぶられて、それどころではなかった。



「遼子ちゃんが昨日告白されたんだって!!」

理緒は廻りの乗客が眉をひそめるほどの声で言った。



「ちょっと理緒、声が大きいって」

遼子が回りを気にながら、困った顔で言った。



杏華は突然すぎる事に、頭が理解できていなかったが

理緒の言葉の意味を理解すると



「えええええ!!」と理緒さながらの大声で驚いた。



「え?え?ほんと!?一体誰から!!!???」

理緒のテンションが伝染した様に、杏華のテンションも最高潮に達した。



「杏華まで…」

二人の友人の舞い上がりに、遼子は頭を抱えた。



「3年の先輩だよ。昨日部活が終わった後に呼びだされたんだって!」



「きゃー!」

杏華と理緒は友人に起こった大イベントに、手に手を取って舞い上がった。



「その人生徒会の副会長で、頭も相当良いらしいよ!」



「え!あの人?! 結構女子に人気があるって皆言ってたよ!」



「そうそう!その人だよ!」

二人は辺りの迷惑を顧みず騒いただ。



「ちょっと二人供!いい加減にしないと怒るわよ!」

その言う遼子の顔は真っ赤で、恥ずかしさで泣きそうだった。



「ごめんなさい…。」

遼子の顔に気が付き杏華は謝った。



最近周囲で浮いた話が無かったため、思わず舞い上がってしまったのだ。

「ごめん」理緒も浮かれすぎた事に気付き遼子に謝った。



「もう…」

遼子は少しむくれた顔をしたが、最後にはなんとか許してくれた。



「で、何て返事したの?」

理緒は遼子が機嫌を治したのを見ると、即座に遼子を問い詰めた。



そうだ、それが重要だ!杏華は遼子の返事をドキドキしながら待った。



「えっと、だって突然だったし…、返事は待って貰ったの…。」

二人の熱い視線に抗えず、遼子は白状した。



「え~、もったいない!優良物件なんだから、とりあえずキープしておきなよ!」

理緒は身も蓋も無い事を遼子に言った。



「遼子ちゃんは、その先輩の事好きじゃないの?」

杏華も勿体ないという気持ちになり、つい聞いてしまった。



「前から知ってる先輩だし、凄く良い人だって分かってるんだけど。

 それと付き合うのはまた別だと私は思うの。」



「自分の気持ちを整理して、きちんと考えてから返事をしたいの

 そうでないと相手の人にも失礼だし。」



遼子の非の打ち所の無い返答に、流石遼子ちゃんだと杏華は改めて感心した。



性格が良いだけでなく、考え方もしっかりしている。

とても自分と同じ年とは思えないほどだ。



優しくてかわいくて、こんな良い子と友達でいられるなんて

本当は凄い事なのかもしれないと思った。



彼女みたいな人間は絶対に幸せにならなきゃいけないと、杏華は心から思った。



その日から学校では文化祭に向けての準備が始まり

杏華のクラスは何のてらいも無く、定番の喫茶店を行う事に決まった。



クラスの女子は調理係か接客係のどちらかを交代で行う事になったが

まずは希望者を募り、残った係を抽選で決めた、



杏華はその結果調理担当となったが、家の手伝いなどした事がないため途方に暮れた。



本当はコスプレ風な衣装が着れる接客係がやりたったが

自分の外見に自信の無い杏華は、立候補する事を躊躇してしまったのだ。



そもそも衣装は予算の都合で、各自が自前で用意する必要があるので

裁縫なんてした事の無い杏華には、最初から無理な話だったのだ。



クラスでもかわいい子が、率先して立候補し

その度に男子から歓声が沸いたが、杏華の気持ちはその度に暗く落ち込んだ。



「あーあ、私ももう少しかわいく生まれたかったな…」



陸上部に所属していた時は競技優先で、髪は常にベリーショート

お洒落なんてまったく縁がなかった。



陸上部を辞めてからは、髪も伸び多少お洒落にも気を使うようになったが

同世代の女の子みたいにはできそうも無かった。



今週末はお母さんに、料理の基礎を教えてもらわなきゃと杏華思った。



そんな日々の小さな出来事に心を苛まれて何日もの日が過ぎた。




あの忌まわしい悪夢から1月ほどが経ち

杏華は悪魔の事などすっかり忘れてしまった。



その日は友達に借りた漫画が意外に面白く

かなり遅い時間まで起きていた。



明日を考えると早く寝た方と思うのだが

先の展開が気になり、なかなか寝れなかった。



「やあ、久しぶりだね。

 今日は大事な話があるんだ。」


突然あの声が聞こえた時

杏華は驚きのあまりベットから転げ落ちた。



「あははは、そんなに喜んで貰えるなんて嬉しいね。」

愉快に笑う声が聞こえ、猛烈に腹が立った。



「びっくりさせないで!」



落ちた拍子にベットの端に頭をぶつけたため

痛む頭を抱えながら言った。



「おやおや大丈夫かい?」

まったく心の籠っていない声で言ってきた。



「誰のせいだと思ってるの!

 絶対契約なんかしないんだからさっさと消えて!」



相手の姿が見えないので、部屋の天井を睨みながら叫んだ。



「まあ、まあ、それはいいとして、今日はちょっと急ぎの用件なんだ。」



「そんなの私には関係ない! もうほっておいて!」



「君の友達があの悪魔に捕まったと聞いてもかい?」

悪魔の声は、思いもしない事を言った。



「え?」



「確か…遼子って言ったかな?」



「遼子ちゃんが…?」

不意に出たその名前に、杏華は動揺した。



「彼女あの廃工場に入ってしまったんだよ。」



「まあ、入ったら即喰われるって訳じゃないんだけど

 今は運悪くあの悪魔が餌を狩る時期なんだよ。」



「今はまだ大丈夫みたいだけど、それもいつまで持つか…」



また私をだます気だ!と頭では分かっていても

それを完全に否定する勇気が杏華には無かった。



「そうだ!」

杏華は携帯を取り出すと、遼子へ電話をかけた。



電話はコール音がする前に「おかけになった電話番号は現在電波の届かない…」と人工音声に切り替わった。



「君も見ただろう、あの廃工場が一変したのを

 あれは、あの場所が既にこの世界から隔離された証さ。」



「この世界とは隔絶された世界、いわゆる魔界さ。」

 そんな所には電波は届か無いし、そこから人間が自力で脱出するのはまず不可能だ。」



杏華は再度遼子に電話をかけるが、携帯からは人工音声が流れるだけだった。

杏華は携帯を握りしめると、どうしていいか分からず眼から涙が溢れた。



「あきらめるのはまだ早い。

 奴の習性からすると、一人目を食べた後直ぐに二人目を食べる事は稀だ。」



「今行けば、彼女を助けられる可能性は非常に高い。」

悪魔の囁きが彼女に告げた。



まだ本当にあの悪魔が現実だとは思えない、だけどどこかでそれを信じている自分が居た。このまま見過ごして、後で後悔するなんてとてもじゃないが耐えられない。



「まだ、助けられるの?」止まらない涙を流しながら、杏華は声を絞り出すように言った。



「君の協力があればね。」



それは悪魔の誘いだった。



罠、これは罠だ。

頭の中に警鐘が鳴り響いたが、遼子が殺されるかもしれないという事への恐怖がそれを掻き消した。



「お願い遼子ちゃんを助けて!

 遼子ちゃんはあんな化け物に食べられていい娘じゃないの!」



だが、そう言った瞬間あの化物が自分の前に立ちはだかるイメージが浮き出た。

手足が、硬直し身体がブルブル震えだした。



「あなたがあいつをやっつけてくれるんだよね…。」

 唾を飲み込むと、か細い声で見えない悪魔に聞いた。



「僕だけでは無理だ。」

それは絶望的な返答だった。



「言ったろう、君の協力が必要だって。」



姿は見えないのに、さしだられた手と熱い視線を感じた。



「でも、私には何も出来ない!

 今だって、怖くて震えてる…」



自分でも身勝手な言いぐさだと思ったが、無理な物は無理なのだ。



「そんな難しい話じゃない。君にもちゃんとできるさ。

 本当に彼女を救いたいならね。」



悪魔は優しく囁いた。



「どうすればいいの?」

杏華は溢れる涙を拭いながら聞いた。



「まずはあの廃工場に行こう。

 なに僕の言う通りにすれば、彼女を救うのは容易い。」



杏華は涙をふくと決意して頷いた。



真夜中に一人で外出などいままで一度もしたことが無いため少し気が引けたが

人の命がかかっている、これに勝理由などない。



家から出る時、両親や弟の顔が浮かんだが、振り払うようにして家を飛び出した。



何時もは学校まで電車で行っているが、この時間には電車はとっくに終電を迎えている。杏華は駅前でタクシーを捕まえ、廃工場跡地を目指した。



タクシーの運転手は、杏華を見ると不信げな顔をしたが

幸い何も聞いてこなかった。



隣町とはいえ、タクシー代だけで結構な金額になった。

お小遣いだけでやり繰りしてる高校生には、かなりの出費だ。



そんな思いが顔に出たのか、タクシーが去ると悪魔は

「今はお金なんかよりも大事な事があるだろ。」とはっぱをかけた。



杏華は無言でうなずくと、暗い廃工場の敷地内に足を踏み入れた。



幸い今夜は満月のため、工場の建物内でも壊れた屋根から差し込む月灯りで十分視界は確保できた。



工場の中は、あの悪夢で見た通りだった。

あれは本当に現実だったのかと、今更ながら実感がわいてきた。



「奴は今は意識を閉じている様だ。

 この隙に奴の神殿に潜り込むとしよう。」



声は独り言のようにつぶやいた。



「いいかい、これからあの時と同じ奴の作り出した神殿に潜り込む。

 あそこは君にとってはかなりきつい場所だ。」



「だが安心してほしい、僕が一緒にいる。

 だから何があっても大声を上げたり、取り乱さないようにしてくれ。」



声は杏華にそう注意を促した。



「わかった。」杏華はこの後待ち受けるであろう恐怖に耐えるように言った。



「よしいい子だ。」

悪魔は杏華の緊張をほぐすように笑った。



「いくよ」

少し間をおいて悪魔が言うと、辺りの景色が黒い霧に覆われた。



強烈な眩暈が杏華を襲い、目をつぶってそれに耐えた。



どれぐらいそうしていたか分からなかったが

眩暈による吐き気が現界に達しようとしたとき



「もう大丈夫だ。」

との声と共に眩暈は収まった。



吐き気もなんとかギリギリ堪える事ができた。



涙が溢れる目を明けると、そこは薄暗い部屋だった。



最初は暗くてよく分からなかったが、目が慣れるにつれ

元の廃工場の雰囲気を残しつつ、部屋全体をなんとも言い難い形状の模様が覆っていた。



「ここは…。」

あの悪夢で化け物が出てきた場所だった。



「いいかい、回りには死体やらバラバラになった手足などが散乱している。

 足元に気をつけないと転ぶからね。」

悪魔は軽い感じで恐ろしい事を言ってきた。



杏華は泣きだしそうなるのを必死に耐え、できるだけ触れないため爪先立ちになった。



「それと、死体を踏んでも気にしない。

 もうそれは人間じゃない、単なる物だ。」



人外の悪魔からみればそうだろうが、今まで普通の生活をしてきた杏華にとっては生理的に無理だ。



こわごわ一歩を踏み出すが、早速何かをグニャリと踏み潰した。



恐怖、嫌悪、怒り、悲しみ、そんなありとあらゆる感情が杏華の中で渦巻き

先ほどの眩暈の後遺症もあってか、杏華は嘔吐した。



自分にも突然の嘔吐で、避ける事も出来ず脚や靴が汚物にまみれてしまった。



涙でぼやけた目で、お気に入りの靴が汚物に汚れたのも見ても

一瞬で摩耗した杏華の心には何も感じなかった。



「君の友達はまだ、無事のようだね。」

嘔吐でしばらく嗚咽をもらしていた杏華に言った。



「!」

杏華は自分が何のためにここに来たかを思い出した。



「耳をすましてごらん。」

その声に口を塞ぎ耳をすますと、聞き覚えのある声がかすかに聞こえた。



それは助けを乞う遼子の絶叫だった。



「遼子ちゃん!」

そう叫びたかったが、再び喉にこみ上げた吐き気のため後半は嘔吐に変わった。



「彼女の声のする方にいきたいんだが、いけるかい?」

杏華は嘔吐の気持ち悪さに耐えながらうなずいた。



「よし、無理はしないでゆっくり進もう。」



声は部屋の奥の扉の先から聞こえてくるようだった。

すでに目は暗闇に慣れていたうえ、部屋のあちこちで薄暗く光る何かの明かりもあって周囲が良く見えた。



床に散らばる肉塊を出来るだけ見ないようにしながら、避けて進んだ。

時折小さな肉片をぐしゃりと踏みつぶしたが、今度は心を無にして耐えた。



「遼子ちゃんを助けるんだ。」

その思いだけが杏華の足を進めせた。



20M程度の距離をゆっくり進むと

なんとか目指す扉にたどり着いた。



扉の奥は長い通路になっており、いくつもの扉や通路に繋がっていた。



悲鳴は今も途切れ気味に聞こえてきた。

か細い嘆きの声は通路で反響し、より悲痛さを掻き立てた。



声は通路の更に奥から聞こえて来るようだった。



メフィストが言うには、化物は近くには居ないらしいので

慎重に音をたてず通路の奥を目指した。



先ほどの部屋に比べれば、こちらの通路は肉片もまばらで避けて移動しやすかった。

あと少しで扉だという所で、気が抜けたのか自分が来た道を何気なく振り返った。



暗い通路はおぼろげな光で薄らとしか見えないが、ホラー映画の様な光景だった。



そう思った瞬間、杏華は自分が一人っきりでこの猟奇的場場所にいる事に気が付いた。



それまで遼子を助けたい一心で進んできたが

冷静に考えれば自分も遼子も無力という意味で違いは無い。



違いがあるとすれば自称悪魔のサポートだが

化物に襲われた時に、この悪魔は自分を守ってくれるのだろうか。



「ねえ、もしも、もしもだよ。

 あの怪物が現れたらどうすればいいの?」



杏華は震えだした手を握りしめ、すぐそこにいるであろう見えない相方に聞いた。



「そうだね、逃げるのが一番だけど…まあ、難しいだろうね。」



なんだそれは!

私が協力したらなんとかなるとはなんだったのだ!



無責任とも思える発言に杏華は怒りに震えた。



「今はそんな事より、お友達を助ける事を考えた方いい。

 扉を明ければそこに居るはずだ。」



「ちょっと話を逸らさないで!」

杏華は少し声を荒げて言った。



「もし怪物が起きていたらどうするつもりだったの!」

恐怖のせいか冷静さを失い声を張り上げてしまった。



大声を上げた事に気が付きすぐに口を付くんだが、声は通路で反響し遠くまえ響きわたってしまった。



「声が大きいよ。奴は意識は消していても感覚は消していないはずだ。

 知らない声がしたら飛び起きてくる可能性が高い。」



自分の行いが取り返すのつかない行為をしてしまった事に気が付き

杏華は膝から崩れ落ちた。



「今動くのは危険だ。少し様子を見よう。」

悪魔がそう忠告した時



「誰!? 誰かいるの!?」

遼子の叫び声が強く響いた。



「お願い!私をここから出して!

 怪物がいるの!次は私が!!」



「嫌!そんなの嫌! お願いぃぃぃぃぃ!」

悲鳴じみた助け声が建物中に響き渡った。



杏華はたまらず扉を空け中に入った。

部屋の中にはいくつもの金属の塊が並び、その奥に設置された檻の中に遼子はいた。



「遼子ちゃん!」

杏華は遼子が閉じ込められた檻の前まで猛スピードで駆け寄った。



遼子は杏華の顔を見ると、驚きと希望が入り混じった顔をこちらを見た。

「杏華!!!」



二人は牢屋の鉄格子ごしに抱き合った。

遼子は大粒の涙を流しながら、杏華の腕の中で小さく震えた。



「感動の再会の所すまないが、余り時間が無い。

 急いで彼女をそこから出してやるんだ。」



いつまでも抱き合う二人に、呆れたような悪魔の声が聞こえた。



「そうだ、急がなきゃ。」

杏華は遼子から手を放すと、慌てて牢屋を空ける方法を探した。



「まってて、遼子ちゃん。

 今すぐそこから出してあげるよ。」



牢屋は最初見た時の印象と違い、金属では無く何か得たいのしれない素材で出来ていた。



それはこの空間の壁やオブジェと同じで、薄く光り辺りをぼんやり照らしていた。

牢屋なら鍵穴があり、その鍵をなんとかすれば出せる筈だが、それらしき物は見つからなかった。



「ねえ、どうすればいいの?」

杏華は見えない声に問いかけた。



だが声からは返事が無かった。



檻は頑丈にできていて、とても素手で壊せる様なものでは無かった。

杏華は鉄格子状の物を破壊できないかと、手頃な道具を探すが近くには何もなさそうだった。



「悪魔さん、聞いている?」

杏華はそう言いながら道具を探すため、部屋の壁際にある棚状のオブジェに歩み寄った。



そこには様々な形状のガラクタが置いてあった。



ガラクタの中に何か使える物がないかさがしていると、ガラクタの奥に金属製のスパナが見つかった。これで殴れば壊せるかも、そう思い手伸ばした時、棚の上に無造作に置かれた箱に気が付いた。



どこかで見覚えのある箱…


杏華はスパナを手に取ると箱の正面に立った。



横から見た時は、暗くて分からなかったが正面が空いており

中に何か入っているようだった。



箱に何か入っている?



そう思ったとき、杏華は思い出した。

あの悪夢で見た箱の事を…。



見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない…

見たら正気をたもてなくなる…



頭では必死に思っても、身体が言う事をきかなかった。

杏華がゆっくり箱の正面を覗き込んだ。



箱の中には頭だけの女の顔が入っており、こちらをジロリと見返した。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」杏華は叫び声を上げて、その場に崩れ落ちた。



それでも杏華の目は箱の中の顔から目が離せず、箱の中の顔が嬉しそうに笑う姿に見入った。



「杏華どうしたの!?」

遼子の声が聞こえたが、杏華は自分をコントロールする事ができなかった。



美夕先輩の顔だ、間違いない、間違えるはずが無い…


去年行方不明になった杏華の先輩。



学校で一番美人で、頭もよく、だれにでも優しかった。

杏華の自慢の先輩…。



釘付になった目は、美夕の変わり果てた姿を食い入るように見た。

美夕は何かを喋るように口を動かしたが、声を出せないのか何も聞こえなかった。



ああ、首から下が無いから声が出せないのか。

杏華は何故か冷静にそう思った。



「杏華ああああ!!!!」

遼子の泣きそうな叫び声で、杏華は我に返った。



そうだ、今は遼子ちゃんを助けるんだ!

さっきまで制御の効かなかった身体が、急に支配が解けたように動ける事を感じた。



杏華は逃げるように美夕の首から目を逸らすと、遼子のいる檻の前まで駆け戻った。



「杏華大丈夫?」


「うん、なんでもない大丈夫。」

息を切らして遼子の前に戻った杏華は誤魔化すように言った。



「なにがあったの?」

尋ねる遼子を無視して、杏華は手にしたスパナで鉄格子を思いっきり殴打した。



異形の素材でできた鉄格子状の物は、少しヒビが入り破片が散った。

いける!!



「遼子ちゃん、直ぐこの檻を壊すから待ってて!」



そういうと無心でスパナを何度も何度も叩き付けた。

ヒビは徐々に大きくなり、10回も殴らないうちにコキンっと音を立てて折れた。



「やった!!」


「あと1本折れば出られるよ。」

そう言って遼子を見ると、遼子は呆然とした顔で杏華の背後を凝視していた。



杏華も釣られて振り返ると、先ほど杏華が空けた扉から何かが入ってくるのが見えた。


それは暗い緑色の皮膚を持ち、ずんぐりした太い身体から長く不格好の手が生えていた。それはあの悪夢に出てきた化物だった。




「メフィスト!メフィスト!!」

杏華は初めて名前で悪魔を呼んだ。



さっきから一向に返事をしない悪魔に嫌な予感がしていたが

その予感通り、悪魔は一向に返答してこなかった。



「どうして黙っているの! ねえ答えて!」

ゆっくり近づく化け物から目を離さず、何度も呼びかけるが返事はまったくなかった。



化物はゆっくり近づいて来たが、遼子を置いて逃げる事はできなかった。



「もうあんたには頼らない!」

意を決した杏華は、再びスパナで折った隣の鉄格子を猛烈に叩き始めた。



先ほどと違い、焦りがあるぶん狙いが定まらないせいか、叩いても叩いてもなかなかヒビが入らなかった。



恐怖で涙が溢れ、視界がグチャグチャになりながらも

あきらめずに叩きつづけた。



杏華の執念が通じたのか、遂にコキンっと音を立て鉄格子が折れた!



「やった!」

そう叫んで背後を振り返ると、すぐ目の前に化物の姿があった。



「!!」

杏華が絶句した瞬間、怪物の野太い腕が猛烈な勢いで振り払われた。



グワァァァァーン

金属が拉げる様な音か頭に響くとと、杏華の身体はボロキレのごとく宙に舞った。



吹き飛ばされた身体は数メートル吹き飛び、床に叩き付けられた。



「ぐはっ」

着地と共に口から大量の血が噴き出た。



杏華はかろうじて意識は保ったが、全身が焼けるように痛み

見ると左腕が不自然な形にひしゃげていた。



「う、腕が…」

杏華は絶望の声を漏らした。



明らかに骨が折れ、皮膚から白い骨が飛び出しているが

何故かまったく痛みを感じなかった。



どうにか身体を動かそうと力をいれるが、まるで全身が麻痺してしまったかの様に

力が入らなかった。



かろうじて動く首をひねり、檻の方を見ると

化物は遼子には目もくれず、こちらに向かっていた。



「動いて、お願い。」

祈るように呟くが、杏華の身体は壊れた機械の様に痙攣するのみだった。



目の前に迫る化け物に気持ちは焦るが、自分の身体すら動かせない杏華に

なすすべはなかった。



化物は身動きの取れない杏華を見下ろすと、その頭を掴み持ち上げた。



「あああああああ」

悲鳴とも、嗚咽ともしれない声が自然と漏れ、同時に失禁した。



化物はそんな杏華には目もくれず、先ほど杏華がみつけた箱の所まで行くと

反対の手でその箱を大事そうに抱えた。



頭を掴まれ、身動きもとれず化物に運ばれる杏華から

檻の中で倒れ伏した遼子が見えた。



「逃げて遼子ちゃん…」



檻が破壊された今なら自力で逃げ出す事ができる遼子に向け

絞り出すように言った。

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