第1章 第1話 霧崎杏華
まだ残暑の残る朝の日差しが、薄暗い部屋のカーテンの隙間から差し込み
少女の寝姿をスポットライトの様に照らした。
部屋は年頃の少女のものにしては飾り気が少なく
あるとすれば、壁や机に数点の友達との写真が飾られているだけだった。
それ以外には、かなりボロボロになった猫のぬいぐるみと
必要最低限の私物がある程度だった。
少女はベットの上で寝苦しそうな顔をしながら、仕切りに声にならない声で何かを呟いていた。
朝日のスポットライトが徐々に少女の顔を照らした時
「いやあああああああああああああ!!!!!」
大きな声を響かせ、少女は厚めの毛布を跳ね除けて飛び起きた。
起きた勢いで少し短めの髪が揺れた。
少女はしばらく自分に何が起きたかを理解できず、寝ぼけ眼で放心していたが
徐々に意識が戻ると、急に頭を抱えて布団に倒れ込んだ。
「またあの夢だ…」
霧崎杏華(きりさききょうか)は布団を抱きかかえながら、心の中で呟いた。
最初にその夢を見たのは半年ほど前のことで
それ以来、杏華はその夢に振り回されっぱなしだった。
1年前にも同じように悪夢に悩んでいた時期があったが
その時の理由はハッキリしていた。
敬愛していた1つ年上の先輩が、突然失踪して行方不明になったからだ。
当時の杏華は、慕っていた先輩の身を案じ不安な日々が続いていた。
その精神的ストレスが原因で、悪夢を何度も何度も見たのだ。
夢の内容は様々で、先輩が殺人鬼に襲われる夢、恐ろしい怪物の出る夢、知らない場所を一人で彷徨う夢など、当時の不安や恐怖がそのまま具現化した恐ろしい夢だった。
女性の杏華から見ても綺麗で、品があり、自分達に優しくしてくれた先輩が
突然なんの痕跡も残さず消えた事件は、学園を震撼させ、事件のショックで塞ぎこむ生徒は多かった。
だが、杏華の症状は更に深刻で、日常生活すら満足に過ごせないほどの影響を受けていた。眩暈、吐き気、頭痛、全身がけだるく、食欲は皆無になった。
寝れば悪夢を見、起きていれば様々な症状に襲われる、そんな地獄の様な日々だった。
余りに重い症状だったため、杏華は学校を休学し通院しながら1月以上自宅療養をした。
小学生の時の交通事故に比べれば、全然大したことなかったと母は今では笑って言うが当時の杏華は「自分は一生このままなんじゃないか」と泣いた記憶がある。
その後通院や友達のお蔭で、なんとか再び学校に通えるまで回復する事が出来た。
だが、結局先輩は戻らず事件は迷宮入りしたまま1年以上が経過した。
それからは平和な日々が続いたが、2年に進学し夏休みを心待ちにしていた初夏に
再び悪夢を見る様になった。
最初は見覚えがある夢を見たという程度だったが、1月後、更に2週間後にもまた同じ夢を見た。それが1週間おき、4日おき、2日おきと段々頻度が上がっいくにつれ、これはただ事では無いと怖くなった。
ただの夢ならば同じ夢るくらいなんとも無いだろうが記憶が無いのに、同じ夢だと分かると同じぐらいに
その夢は自分にとって良くない夢だと分かるのだ。
何故ならその夢を見た後は、決まって身も心も消耗して目覚めるからだ。
今日の様に、自分の叫び声で目が覚めることも珍しくない。
また病院に通う事も考えたが、今度はそう簡単では無かった。
何故なら同じ夢を見たという記憶があるのだが、それがどんな夢だったかは起きると全く覚えていないのだ。同じ様な夢を見たことは分かるのだが、起きると夢の内容をすっかり忘れてしまうのだ。
内容は覚えていないのに、同じ夢見たという記憶だけは残る。
そんな雲を掴むような話をした所で、医者に出来る事は無いだろう。
状況は日に日に悪化し、今ではほぼ毎日見る様になったため
夜寝るのが怖くて仕方がなかった。
そのため夜遅くまで本や漫画を読みながら、自然と寝落ちする習慣がついてしまった。昨日も結局2時過ぎまで起きていたため、眠気が収まらずベットの上でゴロゴロまどろんでいた。
「姉ちゃん、朝だよ!早く起きて!」
部屋のドアを勢いよくドンドン叩く音がした。
慌てて時計を見ると、いつもより大分遅い時間だった。
「大変、もうこんな時間!」
現実に引き戻され、急いで飛び起き身支度に取り掛かった。
なんとか着替えを済ませリビングに行くと、父親は既に朝食を取り終え
定番のブラックコーヒーを飲んでいた。
「杏華遅いぞ。」父は手にした雑誌を見ながら小言をいった。
「ごめんなさい、昨日夜更かししちゃって。」
また両親に心配をかけるのが嫌だったので、夢については何も言わず急いで自分の食事に手をつけた。
「行ってきます!」
杏華が遅めの朝食を取っていると、中学生の弟がそそくさと身支度を整えて玄関に向かった。
「今日は部活の後、友達の家に勉強しに行って遅くなるから。」
見送る母親そう告げると、急にこっちを睨み「姉ちゃんだらしなさすぎ。」と文句を言って去った。
突然の暴言にカチンと来たが、弟は反論を待たずさっさと出て行ってしまった。
そのため腹立たしい気持ちだけが残った。
「昔はかわいかったのに、中学になってからやたらと突っかかってきて生意気!」と思わず愚痴がこぼれた。
それを聞いた父親は新聞をテーブルに置き、杏華を見据えた。
「しまった!」杏華は心の中で舌うちした。
普段は寡黙であまり干渉してこない父だが、機嫌を損ねると恐ろしい制裁が飛んでくるのだ。
以前母親にお弁当について文句を言ったのを聞かれた時は
「文句を言う前に、自分の事は自分でできるようにしなさい。」と言われため
その後自分でお弁当を作るハメになったのだ。
もっとも1週間も経たないうちに、見かねた母親が取り成しれくれたので
その後、昼食の度にクラスの友達から憐れみを受ける事は無くなった。
「丈耀(たける)ももう中学生だ、思春期に入って色々複雑な感情を持て余しているのだろう。」きつい叱責が飛んでくる事を覚悟していたが、それは年頃の男性の事情を代弁する物だった。
「なに、もう少し時間が経てばまた以前の様に仲良くできるさ。
それまでは、すまないが少し我慢してやってくれ…」
杏華は思わぬ言葉に少し戸惑ったが、普段見せない父の思いに触れた事で先ほどまでのイライラが霧散するのを感じ神妙な顔でうなずた。
父はそんな杏華見て満足そうに微笑むと、新聞に視線を戻した。
先ほどとはうってかわり、杏華は暖かい気持ちで朝食のサンドイッチを頬張っていたが「ほらほら杏華、急がないと遅刻するわよ。」おっとりとした口調で母から急かされた。
「遅刻はいかんな。」新聞から顔を上げた父の鋭い視線に
杏華はあわわてて食事を平らげるとリビングから飛び出す様に出た。
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