篝火

 覚悟を決めた方がよさそうだ。

「砲兵を含めた全要員に近接戦用意を発令。最悪のケースを想定しろ。乗り込まれる覚悟を決めておけ。武装の確認を急がせろ。ソルディム528陣地を思い出せ」

 メーベルト大尉の命令に、部下が一斉に動き出す。

 砲は相変わらず敵艦に向かって発砲はしているが、煙幕を展開した艦船が相手では、接岸させないための牽制射撃程度の効果しかない。そして沿岸砲はその性格上、陸側の射界が限られるため、既に上陸した敵コマンドへの砲撃支援は難しい。トスパン中尉の歩兵中隊は味方からの同士討ちに遭いながらも敵を拘束するための防衛戦闘の真っ最中。しかし味方の他部隊は混乱するるばかりで他の敵を押し止められていない。

 掩体壕ブンカー破壊に成功した敵コマンドが、帰り道の安全を確保するために沿岸砲を潰しにかかるだろうことは自明だった。

 少なくとも、今ここにいる将兵にとっては。

「現有弾薬を以て砲撃を中断する。装薬輸送を停止しろ!」

 安全のため、砲台と弾薬庫は分離して設置されている。砲台そのものに置かれている砲弾・装薬の数はそれほど多くない。これから敵コマンドが押し寄せてくるかも知れない時に火薬を砲台に備蓄する程の趣味は、メーベルトには備わっていない。

「即応は十射分です!」

 報告に対し、了解した旨を返答。その間にも、弾薬輸送任務から解放された兵士達に小銃が配られていく。しかし、その数はいかにも少ない。

「少ないな」

「実包も多くありません」

 メーベルト自身も、どうにも後方ボケしていたようだ。ソルディム528陣地にいた頃は部下全員分の銃火器を鹵獲品の中から確保していたものだが、ここでは砲台に用意された小火器の数すら確認していなかった。

 先に弾薬が尽きた砲から手隙になった人員がバリケード作りを始め、土囊や木箱、棚、椅子、机を慣れた手付きで積み上げ始める。

 沿岸砲台というものは、海の上の艦船と殴り合うために作られているため、正面側面と上方は厚くベトンで覆われているが、後方にあたる陸側の防備はないに等しい。弾薬を運び込むためにがら空きになっている砲台も珍しくないのだ。上陸した敵にとっては、さぞかし美味しい獲物に見えることだろう。

 四周を包囲されるのが常態であった東部の風に馴染んだ砲兵にとっては、背中が寒くて仕方がなかった。だからこそ、土嚢を積みたかったのだが、書類仕事が未了の裡に敵が来た。何を言われても、土嚢を積んでから書類を出すのだった。

 メーベルトは自分の拳銃を抜いて、弾数を確認する。初弾を装填し、安全装置をかける。見渡せば、信号銃を手にしている者すらいる。

 ふと見慣れた光景に違和感を感じて視線を戻すと、何名かがシャベルを担いでいる。

「おい、貴様ら、そのシャベルは作業用で――」

「ご心配なく大尉殿! 研磨済みであります」

「そうか」

 やはり兵たちの方が余程場慣れしているようだ。

「うっかりいつもの癖で研いでいただけなのですが、何が幸いするか分からないもんですな」

 次の任地ではちゃんとシャベルを研ぐように指示を出そうと心に記す。

 もっとも、そんな教訓も今日を生き延びてこそだ。

「敵接近!」

 高台にある砲台に続く坂道を、敵兵が遮蔽物を探しながら迫ってくる。

「装薬並びに榴弾投棄!」

 最後に残っていた装薬と榴弾を、銃眼から海に投棄させる。

 そして電話をかける。

「こちらメーベルト。トスパン中尉、聞こえるか?」

『辛うじて!』

 激しい銃撃音を背景に、トスパン中尉の応答。

「砲台は敵に取り付かれた。通信線が切れるのも時間の問題だろう。後は〝適当に〟やれ」

『……了解しました。〝適当に〟やります! ご武運を!』

 指揮の放棄、権限の移譲。

 あとはトスパンが〝適当に〟やるだろう。その程度の信頼は東部で築いてきた。

 本音を言えば、トスパンの中隊を引き戻したい。レルゲン戦闘団の歩兵部隊なのだ。自分たちの守りに使いたい。

 しかしトスパンたちは魔導師を含む敵コマンドの一部を足止めしている。引き抜けば、辛うじて保たれている防衛線が崩壊する。そのような命令をメーベルトが出すわけにはいかなかった。

 メーベルト達にできるのは、時間稼ぎだけだ。

 東部なら、それだけで良かった。粘ってさえいれば、必ず中佐殿が、二〇三航空魔導大隊が、あの錆銀の使徒たちが救援に駆けつけてくれると信じることができた。

 だが、ここにはそれがない。

 どれだけ粘れば状況が改善するのか、そもそも救援が来るのかすら不明だ。

 兵士たちの顏色も、心なしか悪い。

 だが、メーベルトは士官だ。将校なのだ。

「さあ諸君。仕事の時間だ。東部いつもの如く敵が来た。東部いつもの如く押し返すぞ!」

「Ja!」

 陣地が敵地における離れ小島のような有様である東部では、全周包囲され砲兵が銃を取ることも珍しくなかった。メーベルトの部下たちも、この点ばかりは慣れたものだ。

(短縮前の将校課程では、砲兵科であっても歩兵操典を学ばされたと聞くが、意味のあることだったのだな)

 全く、配属当初の自分のなんと不出来だったことか。戦闘団長殿の苛立ちが、今ではよく分かるというものだ。

「射撃用ー意!」

 跳躍前進しながら近づく敵兵が阻止線にかかると同時に射撃開始オープンファイア

 できることならば、機関銃で弾幕を作りたい。砲兵の射撃術など、お粗末も良いところなのだ。

「くそ、当たらん! 銃が軽過ぎるせいだ」

「着弾観測がないから修正射ができん」

「88ミリなら目隠ししてても当たる距離なのにな!」

 口々に軽口を叩きながら、弾薬を消費する。

 メーベルトはそんな中でも一人冷静に残弾をカウントし続ける。東部着任以来身に付いた習性だ。

手榴弾グレネード!」

 焦れた敵が、手榴弾を放ってくる。バリケードの向こうに転がる手榴弾に対し、皆一斉に頭を下げ、口を開ける。

 爆発、爆風。

「射撃を止めるな!」

 これ以上近づかせると、手榴弾がバリケードに届きかねない。

 すぐに身を起こしたメーベルトは拳銃を構え、バリケードの隙間から発砲。爆発に紛れて接近しようとしていた敵兵を押し戻す。

 くそ、この上敵には魔導師もいるんだぞ!

 メーベルト大尉達にとって〝魔導師〟とは砲の直撃にも耐える連邦の頑丈極まりない連中のことであり、またそれをほふバケモノ連中のことだ。

 空の監視は怠っていないが、なぜ敵の魔導師はまだ姿を現さない⁈

 現れた時点でメーベルトたちの命運は尽きるのだが、いなければならない所にいるべきものがいないのも気にかかる。味方の魔導師はまだ海の上で舞踏会をしているのだから、上陸した敵魔導師はどこかにいる筈なのだ。

 くそ! そんなことは本来上級司令部の仕事だ! 中佐殿はなぜここにいないのか!

 不条理さに任せて引鉄を引いた瞬間、天地が鳴動した。

 震動と爆風、衝撃波がバリケードの脆いところを吹っ飛ばす。一拍遅れて轟音が耳をつんざく。

 立ち昇る黒煙を指さし、兵が叫ぶ。

「弾薬庫が!」

「分かってる!」

 なるほど、砲台を落とさなくても弾薬庫さえ吹っ飛ばしてしまえば砲台は無力化される。

 連合王国か共和国かは知らないが、中佐好みのイイ魔導師が揃っていると見える。

 これで連中の帰り道は安泰だろう。

「敵艦、岸壁に接近します!」

 海を監視していた兵が叫ぶ。

 ああ、くそ、そうだろうよ!

「敵、後退します!」

 小銃手達からは安堵の声。

 だが将校は最悪に備えねばならないのだ。

「対空監視を厳となせ! 中佐殿なら帰りがけの駄賃にぶっ放していくぞ!」

 緩みかけた空気が引き締まる。そうだ。彼らの知る〝魔導師〟は、どこまでもエゲツナい。砲が無力化されたのならば、嬉々として破壊しに来るに決まってる。

「大隊移動用意! 負傷者には肩を貸せ! 一人も残すな!」

 航空魔導師がやってくるか艦砲射撃がぶち込まれるか。どちらにしろ、もうこの砲台は確保し続ける意味がない。メーベルトに残された使命は、砲を操る能力を持った将兵を温存することだ。

 砲も弾も火薬も工場で生産できる。しかし、砲兵はそうはいかないのだ。

 人材――高度な技能を身につけた人間こそが最も重要な資源だ。

 そのことを、ロルフ・メーベルトはサラマンダー戦闘団で叩きこまれた。「人間」を「人材」にするための教育に注ぎ込まれる時間と費用、そして人。それら全てがかけがえのない人材の価値なのだ。こんな所で無為に敵の攻撃に曝して損耗して良いものではない。

 そういう時にはどうするか。

 中佐が身を以て教えて下さった。

 生き延びるために、前に進むのだ。

「一塊になるな! 隊毎に散開して浸透行軍! 各級指揮官は隊員の掌握に努めろ! 状況終了後の集合場所は本部!」

 残っていればな、と内心で付け加える。

 果たして敵の魔導師や艦砲が、本部を残してくれていればいいが。

「状況終了まで各自での戦闘を許可する!」

 飽くまで許可。積極戦闘は要求しない。

 実情はともあれ、形としては後退する敵に向かって前進する形になる。つまりこれは退却ではないし敵前逃亡でも持場放棄でもない。

「総員――!」

 拳銃を掲げ、メーベルトが先頭を切ろうとしたその時、ガリガリガリガリ、というくぐもった電話のベルが響いた。

「なんだ⁉」

 それでもトスパン中尉の可能性もあるかと、半分瓦礫に埋もれていた電話機を掘り出し、受話器を持ち上げる。

『メーベルト大尉! なぜ砲撃を止めた! 敵艦が接近して――』

 メーベルトは力一杯電話線を引き千切ると、電話機を床に叩きつけて破壊し、残骸を踏みにじって宣言した。

「電話線は敵に略取されたものと認む!」

 もっと早くべきだった。こんな阿呆が実在するわけない…いや、存在して良いわけがないと。203ミリの手持ちが残っていたら自分が何をしたか、確信がある。

 中佐がここにいれば同じことをしたに違いない。

 改めて周囲を見渡す。

 無言で賛意を示す少尉。ふてぶてしい笑みを浮かべる古参の下士官。小銃を逆に構えて棍棒にする気満々の下士官。シャベルを抱いて行動発起に備える兵士たちの中には武器のつもりか装塡棒ラマーを持つものもいる。

 東部で鍛え上げた、自慢の部下達だ。

 西方ラインにいた頃は、そこは地獄だと思っていたが、今思えばあそこは楽園だった。

 東部こそ本物の地獄だったが、それでも幸運なことに、地獄の悪魔が彼らの上官だった。

 それがこのアイン軍港はどうだ。ここは遊園地の夢の国に似せた花蜜の罠ハニートラップだ。甘い香りに誘われて心地よい眠気に身を任せれば、あえなく永眠することになる。

 こんな所に長居ができるか、と吐き捨てる。

「さあ、帰るぞ!」

 メーベルトは制帽の芯材を引っこ抜いて放り捨て、くしゃくしゃにして被り直した。

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