熾火

@0guma

熾火

 統一暦一九二七年七月一八日。

 その日も帝国軍参謀本部は鉄火場の中にあった。

 旧共和国のアイン軍港に突如として連合王国のコマンド部隊が強襲上陸を敢行。潜水艦基地をまんまと破壊してのけたのだ。

 内海方面の防備は決して堅固とは言えない迄も、少なくとも奇襲を受けて壊乱するほど脆弱ではない筈だった。

……筈だった。

 蓋を開けてみれば、一箇歩兵中隊程度の戦力にいいように引っ搔き回され、重要施設を破壊されるに至った。とりわけ、潜水艦の掩体壕ブンカーを破壊されたのは痛手だった。

 内海方面において帝国海軍が有する希少な海上兵力である潜水艦、これの活動を支える施設が喪われたことは、内海における帝国海軍のプレゼンス低下を意味する。直前に二〇三航空魔導大隊によるダカール沖での連合王国艦隊襲撃が成功していただけに、得られる筈だった制海権が転がり落ちていったことに参謀たちは愕然とせざるを得なかった。

 そして何より、帝国は奇襲を許容できない体質になっていた。

 如何に占領地の海軍基地であるとは言え、敵の奇襲を許したことは最高統帥会議を通じ政府や帝室からの指弾を受けることは避けられず、当然〝対策〟のために参謀本部は干した雑巾を絞り上げるような戦力抽出を余儀なくされる。

 被害算定、敵戦力の推定、戦闘経過の把握、敵の目的の分析、損害復旧の手当、負傷者の治療後送、敵後続への警戒、対策立案、捕虜の移送……。

 目を血走らせた参謀将校たちが怒号を撒き散らしながら雪崩の如き勢いで事態を処理する中、名を呼ばれてレルゲン大佐は頭を上げた。

「なんだ?」

「憲兵司令部から照会です。レルゲン戦闘団隷下の将校が拘束されたと……」

「なに⁉」

 通信士官から電文を引ったくり、目を通す。

「ロルフ・メーベルト大尉とクラウス・トスパン中尉が不服従、抗命、友軍への意図的な誤射の容疑で拘束だと?」

 咄嗟に浮かんだのは「なんだこれは?」であり、続いで喉を突かんとした言葉は「デグレチャフか⁉」であった。だがレルゲンは知っている。両名は再編のためにアイン軍港に配置されており、一方のデグレチャフはイルドアで〝観光旅行〟の最中だった。デグレチャフの指示ではありえない。

 しかし、だとすれば、一体何が。

 レルゲン大佐とメーベルト、トスパンの両名には然程の面識もない。レルゲン戦闘団が書類上の存在であれば当然とも言えるが、一方で書類上の事実と齟齬を来さない程度にはレルゲンは戦闘団の内情を把握していた。デグレチャフが送ってくる詳報には全て目を通していたし、両名についての講評・論功も承知するところだ。

 曰く、砲兵屋。曰く、マニュアル馬鹿。

 規則に忠実で堅実と言えば聞こえはいいが、対応が硬直的であり、臨機応変な応用力に欠けるなどと散々に書かれていたのだ。最近では進歩も見られると評価は上向いているが、とてもではないがそれらの容疑がかけられるような人物像ではない。

「アイン軍港の戦闘詳報は…まだだな? 概報と聴取はあるか⁉」

「お持ちします!」

 部下が書類をひっくり返し、数次の概報と清書前の基地司令の供述筆記をレルゲンに差し出す。

 ところどころ訂正の朱筆が入った供述によれば、両名は基地司令からの命令に従わず、持ち場を離れて勝手戦闘、味方部隊を誤射したというのだ。

「レルゲン戦闘団麾下部隊の怠慢が被害の増大をもたらしたと確信す、だと?」

 ざっと目を通して、呆れ果てる。

「デグレチャフの部下だぞ! 怠慢などあり得るわけがない!」

 奴がそのような将校を配下に残すわけがない。即座にが起きるか戦闘中行方不明MIAになるに決まっている。事実、リーンハルト・トーンという歩兵大尉が配属早々にMIAとなっている。デグレチャフがを施したのだとレルゲンは疑っていなかった。両名がデグレチャフの下でこんにちまで生き延びている事実が示すものは明瞭だ。

「海軍連中め、二人を生贄にするつもりか」

 軍港を管理するのは海軍だが、防衛部隊は陸軍から抽出され、海軍の指揮下に組み込まれる。その特殊な形態から、ひとたび責任問題が発生すると、陸海軍の間でのなすり付け合いに陥りやすい。

 勝敗は兵家の常であり、それ自体は問題ではない。適切な判断、指示、命令が下されたかどうかが問題になるのだ。最善を尽くしてなお敗れた者を罰する挙に、帝国軍が出ることはないのだ。

 故に、海軍の失策を彌縫するために陸軍の軍人が犠牲になるなど、あってはならないことだ。

「憲兵司令部へ行く! 車を回せ!」

「はっ!」

 彼らは名目上であってもレルゲンの部下なのだ。彼自身が動かねばならなかった。


 ようやく事の全容が見えてきたのは二〇日になってからだ。

 参謀将校という存在は無能には程遠い存在だ。現場の将兵たちがどれほど事実を覆い隠さんと画策しようとも、敵の欺瞞すら暴く将校団の手にかかれば真実は厳然と詳らかになる。

 参謀本部から航空機で派遣された調査官は現地入り直後から精力的に調査と聞き取りを続け、大量の写真と共に生の情報を送ってくる。

 また、憲兵隊に拘束されているメーベルト大尉、トスパン中尉の供述調書も提出され、部下の供述と突き合わせられる。

 そこから浮かび上がってくるのは、深刻なまでの現地防衛司令部の無能さだ。

 決定打となったのは、潜水艦司令部からの情報提供だ。重要施設を破壊された彼らは、同じ海軍でありながら港湾司令部を告発した。おかものに対する深刻な敵愾心があったようだが、一方でレルゲン戦闘団の基幹たる二〇三航空魔導大隊に対する信頼の情が密かに伝えられたところだ。どうやら同輩である港湾司令部よりも航空魔導師の方に親近感を覚えているらしい。

 メーベルト大尉とトスパン中尉並びに両部隊からの証言はほぼ無矛盾であり、潜水艦司令部からの情報とも合致した。逆に港湾司令部の方は、矛盾を突かれるとすぐに馬脚を露した。

「危機の察知から独断専行まで、実に見事な対処だ」

 参謀本部によって纏められた時系列を眺めながら、レルゲン大佐はこれならば叙勳申請も当然だと頷く。むしろ、デグレチャフの評価を覆す活躍といえる。

 掩体壕破壊の余勢を駆って海岸砲台を潰しにかかった敵コマンドに対し、砲兵が自ら銃火器を駆使してこれに対抗するなど、激賞に値する。砲兵というのはとかく肉薄戦闘に弱く、接近されれば潰走するものなのだ。

 トスパン中尉の歩兵部隊も赫々たる戦果を挙げている。味方に銃撃され行き足を殺された状態で防衛陣地を引き直し、魔導師を含む敵コマンドに対して歩兵のみで遅滞戦闘を繰り広げてみせたのだ。お手本として教範に載せても良いくらいだ。

「これも奴の教育か」

 真に驚くべきことは、彼らの事前評価が決して高くなかったことだ。サラマンダー戦闘団に送り込まれた時点で二線級部隊として扱われており、その後のデグレチャフの評価も辛い。アイン軍港に配属されたのも、他部隊と同程度の練度と看做されたからに他ならない。

 ところがどうだ。

 サラマンダー戦闘団に配属されて九箇月。

 東部の戦場は彼らを精強な部隊にたんしたらしい。

 いや、飾らずに言おう。

 デグレチャフに染まったのだ。

 憲兵司令部から回されてきた両名の供述調書には、そこかしこに「東部では」「中佐ならば」といった言い回しが出てくる。敵の襲来を所与の前提とし、味方でなければこれを撃つに一切の躊躇がない。いやむしろそうでない連中について理解が及ばないと述べて止まない。

「あれでは東部なら一日目で死ぬ」

「中佐であれば銃殺刑にしている」

「港湾司令部には敵のスパイが入り込んでいるのではないか」

 狂っているのではない。彼らの判断は全く正常だ。事実、無謬とまでは言わないが、彼らの判断のことごとくがほぼ最善だった。上級司令部が頓馬であっても、他の防衛部隊が適切に彼らに呼応していれば、被害はずっと少なくて済んだだろう。

 ある意味彼らは、帝国軍の参謀将校が求める下級将校の理想像にすら近しい。

 戦前の士官学校の、つまり短縮前の本科課程を完全履修し、軍大学への進学が嘱望される将校であれば、まだそのような質も望み得た。しかし彼らはそのような恵まれた人材ではない。

 にも拘らず、これだ。

 一体どのような教育が彼らをこれほどまでの闘士に生まれ変わらせたのか。

 脳裡をよぎるのは、昔日の士官学校でのデグレチャフ一号生の姿であり、V六〇一編成委員会での編成官の姿である。

「奴の手にかかれば、弱兵も獅子となるか」

 短期練成能力には定評のあるデグレチャフだが、その手腕をこうして見せつけられると、つい欲を出したくなる。

 この二人のうちどちらかを引き拔いて、他の部隊に回せないだろうか。そして新たな士官をデグレチャフに教育させるのだ……。

「いや、詮のない話だな」

 自ら手塩にかけた部下を手放すことを、奴は殊の外嫌う。東部でゼートゥーア閣下も、一箇魔導中隊を引き拔くのに散々渋られたという。その分、質については手放しの褒めようだった。

 メーベルト、トスパンの両名とて同じだろう。あの不当とも言われかねない評価は、奴の要求水準の高さもあろうが、部下を奪われまいとする無意識の発露でもあるのだろう。

 とまれ、事情はほぼ明らかになった。

 憲兵司令部にねじ込んだ甲斐あって、二人の拘留は事情聴取のための一時的措置、という扱いで近く解除される手筈だ。逆に港湾司令部の方は悪鬼の如き参謀将校たちの怒りの矛先を向けられている。一部には海軍歩兵に再編して東部に送り込めとの過激な意見まで持ち上がっている程だ。

「あとは、デグレチャフの到着を待つばかりか」

 予定では明後日に帝都に帰還するデグレチャフがこれを知れば嚇怒するだろうと予想できる。因果を含めれば決して物分かりの悪い奴ではないのだが、矢面に立つのが自分であると考えると些かの不条理を感じるのは確かだ。

 野戦将校である彼女は部下を庇えればそれで良いのだろうが、軍務官僚たるレルゲンには、果てしなく続く〝戦力抽出〟に失血死の予感が留まるところを知らない。

 いずれ彼女の〝宝物〟とて奪わずには済ませられないだろう。

 せめて今だけは、宝石を抱かせていてやりたい。

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