医学と性行為と女性 その⑥

 前回は、往時のヨーロッパの医学評論家の多くは、娼婦は他の女性とは違った、どこか悪い所がある存在なのだと考えていたということに触れましたね。そのために、あのフロイトの弟子の多くは、女性が売春するようになる理由を精神医学的に説明しようと試みたのです。ただし、多くの娼婦にとって売春が一時しのぎの仕事にすぎないという事実を無視し、ろくな実地調査を行いもせずに、なのですが。うーんこの、理論が先走っている感。

 例えばある研究者は娼婦は必ずしも性欲過多ではないという理論を進め、女性がおセッセの相手をたえず変えずにはいられないのは、一人のパートナーとのおセッセに満足できない時だけだと大した根拠もなく主張しました。

 また別の研究者は、娼婦は客の男にとっては極めて大切なおセッセも自分にはほとんど無意味だということを示し、男達に復讐しているのだと説いたそうです。無意識か意識的にかはともかく、どんな客とでも関係を持つことで、あらゆる男を辱めているのだと。


 また別の研究者はエディプス的な葛藤が関係しているのだと説き、また別の者は売春は同性愛的な欲求に対する防衛機構であり、レズビアン的な欲求が娼婦を同性愛よりも偽りの異性愛に向かわせるのだと主張しました。

 まあ、こういった理論の大半は前述したように実地調査から導き出した結果ではなかったし、実際に娼婦と接触したとしても精神科医がたまたま患者として出会ったごく少数のケースから一般論を引きだしたに過ぎなかったそうなのですが。

 でも、実地調査が行われるようになっただけ(大半は実地調査を経ていなかったということは、逆を言えば少数は実地調査が行われていたということですから)、売春に対する取り組みは大幅に進歩したのです。なぜならそのために、真摯な研究者が売春を道徳の問題と切り離して考えるようになったから。その真摯な研究者のさきがけの名は、パラン・デュシャトレといいます。


 パラン・デュシャトレはフランス人の医師で、1836年にパリの登録売春婦について調査を行い、売春の研究にしっかりとした学問的基盤を与えました。彼の調査対象はもぐりからパートタイムに素人など、様々なタイプの娼婦がいました。ですが彼女らの大半は文盲で貧しく、私生児であるか崩壊した家庭の出身であり、機会さえあれば喜んで売春をやめたいと思っていた。ということをパラン・デュシャトレは明らかにしたのです。

 またパラン・デュシャトレが彼女らにどうして娼婦になったのかと5138人の女性に訊ねると、皆事情は異なれど生きるために売春をしているのだという結果が出ました。生計を立てるためとか、親から捨てられてしまいそれ以外に生きる道がなかったからとか、両親や他の身内に強制されたからとか。はたまた田舎から出てきたけれど仕事が見つからなかったからとか、他の人間に無理やりパリに連れてこられ生きるためにやむをえずとか、誰かの愛人や妾だったけれど捨てられてしまったからとか。

 もっとも、女性が必ず本当の理由を答えるとは限りませんので、この統計がさほど信頼できるものではないことは、パラン・デュシャトレ自身も分かっていました。

 ですが、彼の研究は売春は経済、教育、社会問題と密接に関わっていることを示したのです。それまでのユダヤ・キリスト教文化では、娼婦は性格に道徳的な欠陥があるためその道に足を踏み入れた堕落した女でした。そして、彼女がこの欠陥を克服するためには今一度信仰を取り戻さなければならないとされてきたことを考えると、これは大きな前進だったのです。

 ありがとう、パラン・デュシャトレ。本当にありがとう。この章に入って始めて、やっとまともな理論に出会えたよ……。

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